似てるけれど、それは違うもの。

同じを求めることは、罪深いこと。

同じにしようとすることも、いけないこと。


7.似て非なるもの



 一・二・三年生が揃って本格的に部活が始動し始め、早一ヵ月。引退をかけたインターハイ予選も近付き。
「瑞希、次こっちの怪我人頼める!?」
「はい!!あ、咲ちゃんはタイマー入って!!」
 ……マネージャーも大忙しです。夏が近付く分、汗で滑ったりする部員や気分が悪くなる人も増えて。その度、捻挫や病人の介護に終われる毎日。
 でも、この夏が過ぎたらいなくなっちゃうのか、って思う。
先輩たちが、部室で爆笑したり盛り上がってる姿が見れなくなるのが、寂しい。 そう零すと、山元は黙って頭を撫でてくれた。青竹先輩がいなくなったのも、すごく辛くて悲しくて。だけど、それ以上に今の三年の先輩にはお世話になったから、悲しくて寂しい。自分達の引退もこんな風にあっという間なのかな、ってしみじみ思った。
「じゃあ、明日は大事な初戦だ。今までの戦績からして、勝てない相手じゃないけど、油断はしないように。
……では、お疲れ様でしたッ!!」
「「「「したッ!!」」」」
 掛け声を上げ、円陣が崩れる。明日の試合に疲れを残さないため、今日は休日だけど早めの一時で終わり。
 
まだ、消えない。 まだ、負けない。 小さく呟いて、先輩方の姿を瞳に焼き付けた。

 午後は予定も無かったので、女バスで仲が良い、林神奈と一緒に遊んだ。そんな神奈は、彼氏と約束があるというので途中で別れた(羨ましい……彼氏が)。

 ウトウトしながら電車に揺られること三十分。その時になって、私は始めて携帯を学校に忘れたのに気付いた。
「っ、うそっ!!」
 バッグを漁り、電車内と言うことを忘れて、思わず叫んでしまった。隣のおじさんから、無言で非難の視線。……すみません。いつもなら諦めるかもしれないけど、明日は大会だから取りに来れないし。今日、マネージャー内での待ち合わせの連絡が入る予定だから、諦めて戻ることにした。 重いため息を吐いて、渋々次の駅で降りる。現在の時刻、三時半。学校までは、ここから一時間近くかかる。
 ……何で、せめて、神奈と遊んでる時気付かなかった、自分。でもまぁ、家着いてからで無くて良かった。流石に往復三時間かけたくはない。大きく伸びをして、階段を登って反対側のホームを目指した。

 学校に着いたころには、もう夕日が傾いてオレンジ色。慌てて部室を見ると、予想通り。携帯は置いていくつもりだった、制服のブレザーポケットに突っ込んであった。パカリと開くと、メールが数件。とりあえず美祢先輩には返信をして、残りは後回しにする。ここまで来ておいてこれで帰るのもあれなので、ついでに荷物の確認でもして行くか、とあくびをしながら歩いた。

 体育館の手前で、違和感を感じて耳をすます。
 ……ダムッ、ダムッ……スパッ……聞こえて来る音は、ドリブルとシュートの音。時折バッシュがコートを滑る独特の音もするから、幽霊とかでは無いだろう。まだ、誰か練習してるのかな?そっと、邪魔はしないように扉を細く開ける。窓から差し込む陽射しは眩しく、シュートを打つ体勢を取ったその人が、一瞬逆光で見えなかった。目をこらす。そして、ボールが手から離れた瞬間、―思わず息を止めていた。
 シュートを打った後、後ろに小さく跳ねる、その癖。なびく、前髪。光る、汗。――それは、眩い季節の中、あまりにも鮮明に私の網膜に焼き付いていたから。 その真剣な横顔から、伸び切った細長い腕から、目が、離せない。
 永遠にも思われた時間は、けれど終わりを告げて。瞬きをした瞬間、ボールはネットをくぐって、落ちた。跳ね続けるボールを、ゴール下に拾いに行った彼は、拾うとしばらくぼんやりボールを眺めていた。そして、不意に――そう、全く不意に――こちらを振り向いた。
 視線が合い、肩を震わせる私に、首を傾げて微笑む……青竹くん。
「柳先輩。こっち、来ませんか?」
「え……、いいの?」
「そこから見られるよりは」
 言葉を切って、クスクス笑われる。思わず、顔が熱くなった。……バレてましたか、最初から。失礼しまーす、と小さく呟いて体育館に侵入する。外に比べ、閉め切った体育館は暑い。すぐにワイシャツが汗ばんで、肌に張り付いた。近くまで寄ったものの、何をすればいいか分からなくて、ゴールの下から大分離れたところに黙って腰を下ろし、壁に寄り掛かった。
 考えてみれば。青竹くんと二人きりって、初めてだ。怖くて、避けていたっていうのもある。私のために、山元も側にいてくれたし、話す時は部活中が常だったから。体育館には青竹くんの荒い息づかいと、ボールが弾む音しか響かない。
 レイアップ。サイドシュート。ディフェンスを抜けるシミュレーション。 その全てが、青竹先輩に通じて、だけどやっぱり、どこか違った。似てるけれど、やっぱり違う人。 一緒に部活をして来て、何回か違和感を感じた。例えば、プレイ。先輩のディフェンス中心なものと違って、青竹くんはオフェンスだ。後は練習着の趣味とか、甘いものが大好きなところ。それと、笑い方。先輩が落ち着いた、柔らかいものに対して、青竹くんは元気で活発なイメージ。……あくまで、私の観点だけども。
 私にはまだ青竹先輩の思い出が大きいせいか、青竹くんの行動に二人のズレを感じてしまうのかな。自分の疑問の理由を考えている間、青竹くんは、しばらく私の存在も気にしないようにシュートを打ち続けていた。だけど突然、真直ぐこちらを見る。
「っ」
「柳先輩、あんま見ないでください。恥ずかしいです」
「あ、ごめ……」
 
危ない、危ない。重ねて、しまった。先輩と。オレンジ色に輝く真剣な顔に、固まってしまった。
 似てるのに、似てない。
 似てないのに、似てる。
 苦笑して照れたように髪をいじる姿には、青竹先輩は重ならないのに、変なの。彼はもう一度、こっちに向かって笑うと、黙ってボールをその場に置き、近付いて来た。そのまま、少しだけ距離を置いて、私の隣に腰を下ろす。ビックリすると、いたずらっ子みたいに微笑んだ。
「疲れたから。ちょっと、休憩」
「あ、……お疲れ様」
「いえいえ。柳先輩はこんな時間にどうしたんですか?」
「ん?ちょっとね、携帯忘れちゃって」
「あー、それは大変ですね。家、遠いんでしたっけ?」
「うん、結構。青竹くんは線一緒だよね」
「先輩よりは近いですけどね。チャリで来れますし」
 羨ましいでしょ?と笑うから素直に頷いた。彼の駅は、高校最寄りの駅から電車で十分くらい。あそこなら平日でも、七時に起きたって間に合いそう。ぼけっとそんなことを考えていると、彼は笑ったまま口を閉ざし。窓の外、カラスの鳴き声が聞こえる。会話がなくなってしまい、間を持たせようと、必死に話題を振った。
「ていうかさ、青竹くんのプレイ、面白いよね」
「面白い、ですか?」
「うん。兄弟なのに、先輩と全然違う」
 首を傾げる彼に、笑いながら話すと、一瞬彼の表情が固まった。え?何か、まずいことを言ったかな。困ってしまうと、彼は大きく息を吐いて、上を向いた。
「何か、……柳先輩てすごいですね、やっぱ」
「え?何が……」
「少し」
「?」
「下らないお話に、付き合ってくれますか?」
 笑ったまま、青竹くんは私の方も見ようとせず、囁いた。違う。笑ってるんじゃない、笑おうとしてるんだ。どこか引き攣ったそれが、余りに痛々しく思えて、黙って頷いた。
 ――しばらく、沈黙が続く。その横顔を伺ってみても、彼は何も言わなかった。困ってしまい、髪の毛を指先に巻き付ける。
「昔、ある仲のいい兄弟がいました」
「っ」
「その兄弟は本当に仲が良くて、そして双子みたいによく似ていました」
 突然始まるお話に、心臓が飛び跳ねた。慌てて口を塞ぐ。だけど彼は、そんな私を気にも止めずに話を続けた。……遠い昔を、眺めるように。
「小学校に入ってすぐに、兄はバスケを始めました。……これが、全ての始まり。三つ上の兄が大好きだった弟も、兄にバスケを教えてもらいながらクラブチームに入りました。いつしか兄は卒業し、弟は小学校で活躍。だけどそんなある日、弟は友達の一言で気付いてしまったのです。……自分のプレイは、単なる兄の真似事だと」
「!!」
「その考えは、徐々に彼を蝕んで行きました。小さいころから一緒にやって来て、しかもコーチをしてもらったんだから似るのは当然。……だけど、血が繋がっていたから。プレイだけじゃない、顔も、声も、趣味まで似通ってしまったのです。コート上で出す声は、自分なのか、兄なのか。練習着は?プレイスタイルは?彼は、『自分』が分からなくなりました」
 淡々と語られる、お話は、ただのお話なんかじゃない。これはきっと――。
 一度酸素を取り込むように息を吸った青竹くんの横顔が、笑ってるのに。何故だろう、泣きそうに見える。それは私の目に、あまりにも悲しく映った。
「中学に入っても、彼の周りには兄の影が纏わりつきました。当時の兄の後輩である、先輩たちの寄せる期待。上手い兄がいるからと、口々に言う同級生達の嫉妬。その板挟みは苦しく、しかし彼はバスケを捨てることは出来ませんでした。何故か?……彼にとってバスケは、やりたくなくても『やらなければいけないもの』、だったからです。
兄の影が嫌で、けれど逃げ出した自分を誰が見てくれるのか。そんな不安に、押し潰されそうでした。バスケを忘れたくて、けれど皮肉なことに、プレイに没頭している時しかそれらを忘れられない。必死で彼は、プレイを変えたりシュートフォームを変えたりと、足掻きました。兄と一緒に買った、色違いの練習着は捨てて、新しい、全く違うものを買い込んで。苦手な甘いものを食べて、大き過ぎる兄から、逃げようともがいて、もがいて。……三年後、彼は逃げることを投げ出しました。自分はきっと、もう二度と兄から逃げられないのだろうと半ば諦めて……」
「っ、もういいっ!!」
 続く話に、涙が堪えきれなかった。私、無神経だ。最低だ。青竹くんの気持ちも考えないで、こんな――っ。
 ……違和感の原因は、多分これだ。最初は、先輩と違うからかと思った。違う。彼が、自分を偽っていたからだ。先輩と自分に、少しでも違いを生じさせようと、元々の自分に仮面を被せたからだ。ボロボロ涙を零していると、隣の彼は優しく笑った。
「一旦はバスケを取り戻そうと決意したものの、やはり長年のコンプレックスは消えない。同じ高校に入学して、せめてもの抵抗として、バスケ部には入らないという選択肢は残っていました。……彼は、バスケを捨てようとしていたのです。雨の日、少女に出会わなければ」
「、へ?」
 耳を塞いでも聞こえる話に涙を零していると、驚くような話。恐る恐る顔を上げると、青竹くんは微笑んだ。子供みたいに無邪気な、青竹くんの笑い方で。雨の日?少女?それって……。
「少女は傘が無いようだったので、彼は傘を貸すことに決めました。でも傘を渡すと、彼女は意外に強情で、受け取ろうとしません。しかし、彼の顔を見た瞬間、彼女は抵抗を止めました。彼女は、弟と兄を間違えたのです。それに悲しみを覚えながら、彼は雨の中を走り抜けました。事前のバスケ部の見学した際に、彼は少女がバスケ部のマネージャーであることを知っていました。彼は、半ば彼女を馬鹿にするように入部を決めました。弟は、彼女が兄を好きであることを薄々気付いていました。だからあえて彼女に告白して、兄の持っていたものを一つでいいから奪おうと考えて。
 ――しかし少女は、彼を振ろうとしたのです。その時、彼は初めて気付きました。どうして、自分は彼女にこんなにもこだわったのか。どうして、こちらを向かせたかったのか。……最初から、彼女に惹かれていたのです。出会った時から。彼は、どうしても彼女にこちらを見て欲しくなりました。他の誰でもない、兄でもない、自分を見て欲しいと」
「っ……」
「これで、終わり。すみません、何か俺色々馬鹿で」
 苦笑する青竹くんに、首を振る。何で、君が謝るの。悪いのは、私なのに。きっと気付いていたのでしょう。私が、青竹くんに先輩を重ねて、見つめていたこと。君は何もしていないのに、恐れて、ドキドキして、泣きたくなって。
 ごめんね。
ずっと、ずっと苦しかったんだね。
 その痛みを、分かることも出来ず、何を言ったらいいか分からなくて、泣き続ける私。青竹くんに想ってもらう資格なんて、ない。そう言ってしゃくり上げる私に、青竹くんはくつくつ笑って。思わず睨むと、見たことも無い、優しい笑い方。
「……柳先輩がいてくれなかったら、俺、バスケ部入らなかったよ。きっと、また忘れてしまった。自分がこんなにバスケ好きなんて」
「ちが、……ちが、私じゃなっ、いっ」
「ううん、柳先輩のお陰。――馬鹿だよな、本当に嫌ならさっさと辞めてた。辞めなかったのは、結局バスケと……兄貴を嫌いになりきれなかったからなんだよ。この高校来て、やっと思い出せたんだよ。シュート決めるワクワク感とか、ディフェンス抜いてスカッとする瞬間とか。……ありがとう、先輩」
「っうーーーっ」
 優しく、私が落ち着くよう背中を擦ってくれる感覚が、どうしようもなくあたたかくて。私はまた、子供みたいに泣いてしまった。

「暗いねー……。ごめん、こんな時間まで」
「いやいや、気にしないで下さい。俺が頼んだことだし」
 結局、泣きやんだ時には日が沈んでた。慌てて帰ろうとしたら、駅まで送るので着替えるのを待つように言われる。いいよ、と言うのに痴漢多いから、と言う青竹くん。結局、私が折れた。夜道を一人で歩くのは、決して好きとは言えないから。
 そして今、二人で帰り道を歩いている。
 横に並ぶと、私より大分背が高いのが分かる。……こんなに可愛い顔してるのに、やっぱり男の子なんだ。なんて一人で思ってると、青竹くんは急に振り返った。
「、ひゃっ。……な、何?」
「あ、ごめんなさい。驚かせちゃいました?」
「うう……大丈夫ぅ〜」
 心臓はまだバクバク言ってるけど、必死で落ち着かせる。あー、ビックリしたぁ。大きく息を吸い込むと、青竹くんはゆっくり話し始めた。
「今日の話、忘れてもいいですから」
「え、わ、忘れないよっ」
「ていうかむしろ忘れてくれた方が、助かるんですけどね。色々恥ずかしいし」
「……でも」
「ただ、俺が話したかっただけですから。先輩は、気にしないで下さい」
 笑う彼は、穏やかだ。多分本当に、もう気にしなくていいって言いたいんだろう。言われて出来ることじゃないけど。彼が望むなら、仕方ない。ため息を吐いて頷くと、安心したみたいに笑った。だけど、伝えたいことがある。どうしても、言いたいこと。
「……だけどね、条件あるの」
「え?」
「先輩に、縛られ過ぎないで」
「……」
 驚いたみたいに目を瞬かせている彼に、何て言えばいいか、分からなくなる。どうやって、形にすればいいんだろう。
「今の、一年の子が入部したのね、青竹くんと一緒にやりたいから、なんだって」
「……」
「そりゃ、青竹先輩の弟だって見てる人もいるかもしれない。私もその一員だから、否定はしないよ。けどさ、『青竹くん』を見てる人もいるんだよ。そういう人のことを、忘れないで。青竹先輩だから出来るプレイがあるように、青竹くんだから出来るプレイもあってさ。どんなに似てても、一緒の人は、どこにもいないんだよ」
 ――ああ、何かやっぱり自分口下手。言いたいことが、上手く言えない。だって、違うんだもん。青竹くんと先輩は、全然違う。どこが、ってハッキリ言えないけど、やっぱり違う。正直、最初のころは青竹くんに先輩が重なって、ぐらつく時があったけど。 今は、そんなの全然ない。 お互い立ち止まったままだ。やっぱり私が偉そうに言えることじゃなかった、かな?ちらりと見ると、―青竹くんは、真っ赤だった。こちらの視線に気付くと、慌てて顔を隠して、目を細めて苦笑する。
「……まさか柳先輩に、言ってもらえるとは思わなかった」
「え?何?」
「や、何でもない、……です」
 声が小さく、聞き取れなくて聞き返すと笑われる。……あ。
「青竹くん、やっぱ先輩と全然似てない」
「へ?」
「やっぱり。練習着とかはともかく、笑い方は元からだよね。うん、何かね。先輩は大人っぽいけど、青竹くんは子供みたい」
「……それは褒めてるんですか、けなしてるんですか」
 ムスッとした彼に、思わず笑う。年齢のせいかもだけど、これは絶対元々の性質だ。ニッコリ笑って、へそを曲げた青竹くんに、伝えたい、言葉。
「いいんじゃない?私、青竹くんの笑い方好きだよ」
「っ――!?」
 無邪気で、素直な、子供みたいな。その底に溢れる優しさは、先輩と。……そして、山元にも少し通じていて。赤くなる顔が、何だか可愛かった。
「……あんまりからかうと、怒りますよ?」
「あぁごめん、からかった訳じゃなかったんだって。あははははー」
「……柳先輩」
 不意に呼ばれて、笑顔で何?と返そうとした、瞬間。 背中を強い力で引き寄せられ、気付けば、彼の腕の中。 目の前には、彼の顔。 思わず頬を赤く染めると、妙に色っぽい、大人の顔で微笑まれた。
「……男からかうと、こうなりますよ、先輩?」
「っわか、分かったから、離しな、さいっ!!」
 叫んで、腰に回った腕を剥す。その笑い声を背に、私はひたすら頬に手を当てて、熱を冷ましていた。……何でこう、山元といい青竹くんといいさらっとぺたっと触れるの!! パニックになっていた私には、青竹くんの甘い瞳は、目に写らなくて。

「……ありがと、……柳先輩」




呟いた囁きも、届かなかった。
後々考えれば、多分これは、私が初めて青竹先輩じゃなくて、青竹くんにドキドキした日だと思う。

  

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