夏の終わり。

けれどここには、未だ燃え盛るもの。


14.陽炎


 本日快晴、天気良好、そして何より。

「ぶっかつがオーフ!!」
カーテンを開け、大きく叫んで窓を開けた。

 ――
今日は、夏休み最終日。夏の大会も一段落した昨日、先生が急にオフを提案した。何でも去年の夏休みの宿題提出率、一番悪かったのは男バスだったようで。「ちゃんと勉強もしろ、お前ら、」と渋い顔で言われた。
 でも、仕方ないと思うんだよね。去年は練習試合・合宿・遠征・一日練習・ウエイト。とにかくきついメニューを毎日繰り返して。実際、マネージャーの私や美祢先輩ですら、終わった頃にはヘトヘトになって、去年最終日付近は一緒に図書館に通って宿題を済ませた。私達ですらそれだったんだから、部員はどれ程のことか。
 今年も去年並にきつくはあったけど、遠征や合宿が無かったし、練習試合も結構相手チームがこっちに来て、っていうパターンばっかりだったから、楽だった。
 それに去年の二の舞にならないよう、休み前から時間が空けば宿題に手をつけたのが幸いしたのか。八月半ばには全ての課題が終わり、よって、今日は一日、私は完全に休日を満喫できるのです!!ガッツポーズを決めて、風でそよぐカーテンを見つめる。今日は、日差しは暑いけど、風が吹いてる。何かいいことがあるかも、そう思って空を見つめた。

 いつもの起床時刻より、かなーり遅い九時頃に目を覚まして、顔を洗う。パジャマから、久々の私服に着替えた。最近はお出かけもご無沙汰だったので、今日は街に出てウィンドウショッピングに行こう、と昨日から決めていた。前々から気になっていた、新しいショッピングタウン。電車で十分くらいのそこは、一度だけ行ったけど、海も近いし石畳の町並みがまるで外国風で、一目見て気に入った。その日は時間がなかったから少ししか見て回れなかったから、今日はじっくり見てこよう、と心に決めて、十時過ぎに玄関に向かう。サンダルを選んでいると、後ろからお母さんの走り寄ってくる音。
「瑞希?今日、部活休みじゃなかったの?」
「休みだよー。でも東町のショッピングタウン行ってこようと思ってさ」
「宿題は?平気?」
「うんっ。お昼ご飯もそっちで食べてくるから。帰るの、四時くらいねー」
「はいはい、いってらっしゃい」

 振り返ると、本当に母とは思えない若い顔。小柄で若々しくおっとりしたお母さんは、娘の私から見ても羨ましいくらい、可愛い。しかも美容師だから服のセンスもいいし。何で上手い具合に可愛く産んでくれなかったのかなぁ、とため息を吐いた。とりあえず手を振って出ようと思った瞬間、お母さんの小さな呟きに、足を止めた。
「全く。瀬菜はデートだって言うのにお姉ちゃんはどうしてこう色気がないのかしらねー」
 
ぴたり、と固まる。そんな私をみて、お母さんは首を傾げた。出かけないの、そう声をかけられる。だけど私はぎぎ、とロボットのようにぎこちなく、振り向いた。今、何と言いました。
「っ、せ、せせせせ瀬菜がデートぉ!?」
「あら、知らなかったの?すごく楽しそうに言ってくれてねぇ、服の見立ても頼まれたわー」

 お母さん張り切っちゃったーと朗らかに笑う声が、耳に届かない。
 妹の瀬菜は、中学二年生。お母さんに似て可愛いけど、私より背は高く、しっかり者。でもたまに甘えてきたりするのとかすごく可愛くて、私が男だったら彼女にしたいタイプだなぁとは思ったけど。けど!!
「まだちゅ、中二だよ!?」
「あら、お母さんもそのころには彼氏くらいいたわよー。瑞希が遅すぎるの」
「うぅっ。それに相手どんな子よっ、私、瀬菜には優しくて格好良くて素敵な人じゃなきゃ許さないからね!!」
「もう、あんた瀬菜のなんなのよ。とりあえず出掛けてらっしゃい、はい、行った行った」
「うう〜瀬菜ぁ〜……」

 半ば追い出されるように家を出て、しょんぼりする。妹に彼氏がいたこともショックだし、相談されなかったのもあるし、寂しい気持ちもある。
 ……ていうか私、本当に高校二年生なんだろうか。この色気のなさ。若干切ない気持ちになりながらとぼとぼ、駅までの道のりを歩いた。

「〜♪」
 鼻歌混じりにスキップの勢いで、おしゃれな石畳街を歩く。電車に乗って町に着いたら、さっきの憂鬱もどこかに行ってしまって。すでに私の片手には、二・三の紙袋が鎮座している。薄手のカットソーとアクセサリー、スカートにショートパンツ、他。……だってどこのお店も可愛いんだもん!!お小遣い結構残ってるんだもん!!今日だけだもん!!と、自分に言い訳しながら噴水の前で歩みを止める。
「んー、ここら辺かな?」
 
キョロキョロと周りを見ながら、ゆったり歩く。雑誌に乗っていたカフェのデザートが美味しそうだったから、絶対行こうと思ってチェックしていた。気付くと一時過ぎで、食事にもいい時間。だからお昼ご飯にしようとやって来たけど……。なかなか見つからない、白いカフェハウス。辺りを見ながら、また、前へ一歩踏み出した、時。
「、きゃっ!!」
「うわっ、」
 
どん、とそれなりの衝撃を持って、何かにぶつかった。思わず目を瞑って、後ろに倒れようとすると、二の腕に、温もり。恐る恐る、目を開いたら――。
「すみませ、……って、」
「青竹くんっ!?」

 真っ白なサマーセーターをラフに着こなした、いつも以上におしゃれな青竹くんがいた。

「まっさか青竹くんに会うとは思わなかったー」
「俺もですよ。まさか会えるとは」
「あ、ここ?カフェって」
「あ、そうです。お勧めはクラブサンド」
「へぇー」

 思わぬ人との出会いに驚きながら、お礼を言って立ち上がったら、青竹くんに聞かれた。「なんで先輩がここに?」って。事情を説明したら、「じゃあ俺と同じですね、」って笑われて。青竹くんも、どうやら宿題をちゃんと早めに終わらせた結果、今日を満喫出来るらしい。だから嬉しくて、最近お気に入りのここに来たんだって。しかも、私が探していたカフェに、青竹くんは結構通いつめているらしく。「俺が案内しましょうか?」と言う言葉に、素直に頷いた。裏道を通って五分くらい歩くとすぐに、海辺のカフェが見える。ソヨソヨと頬を撫でる潮風が気持ち良くて、大きく息を吐き出す。そんな私に、青竹くんは小さく微笑んだ。
 注文
をして、商品を受け取る。どこで食べるか迷ったら、青竹くんが奥のテラスは少し暑いけど景色が綺麗だ、と言うので素直に着いて行った。青竹くんの言った通り、外は誰もいなかったけど、風が気持ち良くてそんなに暑くなかった。日差しは上のパラソルが防いでくれるし、特に問題は無い。元々、私は日焼けとか気にするタイプじゃないのも関係あるけど。
 向かい側にコトリ、と置かれた青竹くんのメニューを見る。私は、青竹くんお勧めのアボカドとチキンのクラブサンド、メープルラテ、あとは苺のブラマンジェ。青竹くんはダブルチーズのパニーニと……?

「あれ、カフェラテなの?」
「え?ああ、はい」
「青竹くん、甘いのかアイスティーにすると思ってた、」
 
そう言って青竹くんを見つめる。すると一瞬固まった彼は、少しだけ困ったように笑い、小さく頷いた。
「そう、ですね。いつもは、キャラメルラテとかですよ」
「へぇ、じゃあ何で?」

 首を傾げると、ますます青竹くんは眉を落として泣きそうに、笑う。
「……取り戻してやろうか、って思ったんです」
「取、り戻す?」

 思いもかけない言葉に、目を瞬く。青竹くんはコクリと頷いて、ふんわりと笑った。あまりにリラックスした、柔らかい笑い方に、尚更訳が分からなくなりながら、少しだけ、メープルラテを啜る。甘いそれをゆっくりと舌に馴染んで、ちょっとづつ、私に染み込んだ。それはまるで、青竹くんの微笑みみたいに。
「前、先輩に話したこと覚えてますか?兄貴と違うって証明したくて、色んなこと、変えたって」
「うん」
「今思えばすっげ馬鹿みたいなんですけど、当時はすごく必死だったから。これも、その一つ、なんです」

 そう言って、私のメープルラテを指差した。たまらない苦笑に胸が締め付けられる。
「甘いもの。血なのか知らないんですけど、うちの家、甘いもの苦手なんです。ベタベタした生クリームとか餡ことか、あと濃いのも苦手だから、濃厚なケーキとか、チョコも駄目。……だけど、中学ん時、吐きそうになる位、たくさん甘いもの食べたんです、」
「……」
「兄貴と一緒は、やだったから。少しでも俺達は別なんだって伝えたくて、みんなに甘いものねだってやったりしましたよ」

 本当に、情けない話ですけど。そう言って青竹くんは、パニーニを一口食べる。私も、クラブサンドを一口頬張った。吹き抜ける潮の匂いに、目を細める。両サイドで二つに結った髪が、重力に素直に従い、ちらちら揺れた。青竹くんは海を見つめるから、私も少しだけ、外を覗く。吸い込まれそうな蒼が、眩しくて。
 先輩、と呼び掛けられる。振り返って見つめた青竹くんの瞳は、全ての光を反射させ、吸収して、戸惑うくらい輝いていた。

「でも、もう自分を騙さなくてもいいかな、って思ったんです。似ててもいいかな、って。昔の自分を、ちゃんと受け入れてやりたくなったんです、最近」
「そっ、か」
「ずっと放っといたから、なかなか慣れないけど、何か少しづつ、無くしたパズルのピースをはめてく感じで……」
 
照れ臭そうに笑う青竹くんは、本当に幸せそうで。私も、すごく嬉しくなった。
 ――けれど。

「じゃあさ、青竹くん。先輩から離れようとした日々の自分も、肯定してあげなよ」
「……え?」
「ずっと一緒にいた、自分でしょ?否定したままじゃなくて。多分、その頃の青竹くんが、今の君を、作ってるから。だから昔の自分を受け入れながら、色々悩んだ自分も、肯定してあげようよ」
「っ、で、でも、その頃の俺って、本当に逃げてばっかで……、」
「逃げることは、悪いことじゃないよ、絶対」
「……、」

 私が笑うと、困ったように慌てる、青竹くん。でもね、私思うの。君は頑張ってる、強い子だ、って。だからそんな君の一部でも、失ったままなのは、とても悲しいことだと、思うから。

「人は誰だって、いつしか、何かから逃げ出すよ。――私も、まだ逃げてることが、たくさんある」
「……」
「でも、青竹くん言ったじゃない。私に、逃げないで、って。それは自分の気持ちを大事にして、楽な方ばかり選ぶな、って意味でしょ?」
「っ、先輩、」
「青竹くんの『逃げた』って言うのは、自分の気持ちに正直になって歩んだ結果だよ。たくさん傷付いて苦労して、青竹くんはここに来た。その道の先で、君は大事なことを見つけてきたじゃない。だから、きっと君の歩いて来た道は、無駄じゃないし、間違ってなんか、いない。確かに素晴らしい道を、歩いて来たじゃない、」

 だから、そんな道を、自分を、否定しちゃ駄目。そう言うと、青竹くんは元々大きい目を更に開いて、泣きそうに顔を緩めた。

「……柳、先輩」
「な、何?」
「アドレス、教えてくれませんか?」

 いきなりそんなことを口にして、ジーパンのポケットから、ケータイを取り出した、青竹くん。て、ていうか交換してなかったっけ?何だかもう、とっくに知ってる気が、した。とりあえず悩みながら頷いて、恐る恐るケータイを差し出す。
 そうすると青竹くんは、本当に嬉しそうに笑って。だけどそれはいつもの可愛いのとも、先輩のとも違う。素直で、素敵な、魅力的な男性の微笑みだから。ドクリ、胸が大きな音を立てた。

「……やっと、聞けた」
「そ、そう?なの?何か用事とか、あった?」

 深々と吐き出される言葉に、どもりながら言葉を返す。すると青竹くんは、静かに微笑みを返しながら、パクリとパニーニをかじって。

「そう言うんじゃなくて、好きな人のアドレスって、とりあえず知っときたくないですか?」


 ――さらりと言われたその台詞に惑わされ、真っ赤になった私は、楽しみにしていたデザートの味も大して分からなくなってしまった。そんな私を見て、青竹くんはまた、楽しそうに笑っていたけれど。




大事な道は、埋もれて、揺れて、見えなくなる。
それはまるで、砂漠で揺れる陽炎のように。
けれどその道を見つめて追い掛けた時こそ、素敵な場所が待ってるって、信じたいから。
だから青竹くんが自分の道を信じて走れればいいって、そう思った。
吹き抜ける潮風の中、出会った頃からは考えられない位、優しく微笑む彼を見つめながら。

  

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