忘れたい過去、

変えたくない未来。

全て砕け散って、粉々になって。


16.弾けた心(1)


「神奈!!次はあっちのお店行こう!!」
「はいはい」
 
呆れながらの声音には気付かない振りをして、苦笑する神奈の腕を引く。
 目移りする、色とりどりに作られたお店。昔懐かしの駄菓子屋、夏祭り風の屋台、冷房が効いたお化け屋敷、少し時代遅れじゃないかと思うフィーリング・カップル。
 ――とうとう今日は、文化祭なのです!!


 山元に、青竹先輩のことを聞いてからすごくパニックになったし、落ち着かなかった。でも日を置いた今日、何とか表面は変わらずに過ごせている。神奈やきゆやさっちゃんは、薄々感づいてるみたいだったけど、あえて尋ねないでいてくれて。正直、すごく助かった。今は、何も考えたくない。そればかりを思っていたから。出来れば、この広い学校内。青竹先輩にも上手い具合に会わないで済めばいいと思う。
 ――駄目なの。きっと。会ってしまったら、また、甘えてしまう。縋ってしまう。あの微笑みに、優しさに、あの時私にくれたたくさんの気遣いを、また愛情だと勘違いして、暴走してしまう。

青竹先輩は、私の、たった一人の人だから。触られても怖くない、ただ一人のオトコノヒト、だから。

「瑞希?瑞希、どうかしたのか?」
「へ、?何、どうかしたの?」
「……別に。ただ、ここ瑞希行きたがってただろ?」
「っあ、本当だ!!ごめんね、暑くて頭ボーっとしちゃったっ」

 ……やっぱり、青竹先輩を思い出そうとすると、どうにも意識が飛ぶらしい。神奈の疑わしげな視線を受け止めながら、必死に笑う。でもそれすら、引きつっていたみたいで。
「瑞希、一回教室戻らないか?」
「……え?」
「それで、ゆっくりしよう。無理しても仕方ないし、恍のとこ行けば、」
「駄目!!」
「、?」
「っ、あ、ち、違くて……、ごめん、……山元、ほら、当番だったよね?悪いよ」
「……」
「ね?私なら大丈夫だから、先行こう?ねっ?」

 懇願するように神奈の腕をギュッと握って言うと、神奈は眉をひそめた後、重々しくため息を吐いて頷いてくれた。そのまま、気が変わらないうちに、と神奈の手を引いて無理矢理歩き出す。
 山元とは、準備の間、あんまり話もしなかった。少し前まで、青竹先輩を除いて、山元にだけは、あそこまで拒否はしなかった。なのにいきなり、山元が他の男子と同じ風になっちゃった。その理由は分からないし、分かりたくもない。意味が分からない上に通常の半分も頭が動かせない今、山元に近づくのは怖くて。何となく、距離を置いてるのにあっちも気付いてるんだろうけど。視線を感じるだけで、無理矢理は何もしてこなかった。気を遣わせているの、分かる。傷付けているのも、分かってる。それでもね。怖いんだよ。

 変わらないものを、変えられてしまう瞬間。それは、思うよりもずっと、恐怖と痛みを伴うもの――。
……今日、私どうなっちゃうんだろう。窓の外は晴れているのに、私の心はいつまでたっても晴れないまま。頭の中のモヤモヤは、決して取れる気配を見せなかった。

 午後になって、暑さを増した廊下を、神奈と二人でアイスを食べながら歩く。だけど、一本の電話で、大分予定が狂った。
「あ、電話。ごめん、出ていいか?」
「うん?平気だよ、」
「サンキュ」

 律儀に聞いてくれる神奈に笑いながら返事を返すと、ぺこりと頭を下げ、廊下の隅に寄った。すぐに通話をオンにして、話し始める神奈。
「もしもし?何?」
 壁に寄りかかり、溶けかけのアイスを、必死で掬いながら、廊下を歩く人を見つめた。
 ……会いたくないって、言ってるのに。何処かで探している、あの人の姿。
 先輩。
 会って、何を話すかも分からない。それに会えたら会えたらで、戸惑って、切なくて、ただ苦しくなるだけだと、知っているのに。でもやっぱり、頭から離れてくれない。
 それは、多分。先輩を思うと、その影にちらちらと、――アイツの姿が、揺れるからだ。
 広くて大きな背中、意地悪な笑顔、……最後に見た、ひどく傷付いたような、悲しそうな顔は、消えなくて。あの後も見続けた夢と同じく、私を苛んだ。

「は?どういうこと?……いや、だからさ」
「?」

 いきなり隣で聞こえた神奈の声に、顔を上げる。神奈は眉を顰めながら、電話の相手に困ったように返事を返していた。
 だけど、ちらりと私を見つめる視線で、気付く。あ、もしかして。
「神奈、彼氏さん、来れることになったの?」
「……っ、」
 
首を傾げて尋ねると、驚いたのか、目を見開き、唇をぎゅっと引き結ぶ。普段嘘が大好きな彼女は、こんな時には正直にしか反応できないらしく。何だか微笑ましくて、笑ってしまった。電話の向こうで聞こえる声は、よくよく聞けば、男の人のもので。多分、サークルの集まりがあるから来れない、そう言っていたという彼氏さんが、来れることになったんだと思う。で、今から一緒に回れるか、お伺いを立てた、ってとこかな?確かギリギリまで神奈の高校生活が見たい―!!って言ってたらしいし。一通り自分の中で仮説を立てれば、その後私が取るべき行動は、簡単に決まった。
「神奈、行ってきなよ。しばらく会ってないって言ってたじゃない」
「……いや、大丈夫だ。瑞希との約束の方が先だったし、こっちはまた会えるから」
「でも、折角来てくれるんだから、ね?素直に今日は会った方がいいよ。私は明日もあるじゃない」
「いや、だから、」
「私は、いいから。そうしなさい、神奈。分かった?」
「でも、」
「貸し一つにしといてあげる、って伝えといて、ね?」

 彼氏さんの方に行くよう勧めると、ある意味予想通り、頑なな拒絶を繰り返す、神奈。素直じゃないところも義理堅いところもわかるけど、でも、こういう時くらいは、素直になりなよ。「あんな奴、会えなくてせいせいする」なんて言いながら、寂しそうだった癖に。そんな意味を込めて、あえて命令口調で言ってみると、神奈は躊躇ったように視線を彷徨わせ。駄目押しのように冗談混じりに貸し、そう言うと、やっと諦めたらしく、大きくため息を吐いた。
「じゃあ、三時半過ぎには、戻れると思うから。それまで、いいか?」
「平気だよ」
 
ひどく申し訳なさそうに私の顔をのぞき込んで、弱い言葉を吐き出した。別に、そんなに遠慮しなくてもいいのに。神奈にはいっつも助けてもらってるし、私は、神奈が笑っててくれるなら、割と幸せなんだよ。そう思って笑うと、神奈はようやく苦笑を見せてくれて、私も何だか嬉しくなってしまった。
 一通り電話で話してそれを切った後、校門に行く、と神奈は階段を降りていった。手を振って見送り、窓の外を見る。

 ……さて、どうしよう。とりあえず、教室に戻るか。誰か友達はいるはずだし、いなくても、受付を手伝えばいい。今は十二時ちょっと過ぎ。今日の終了時刻は四時半だ。あと四時間半、別に前半遊び回った分ゆっくりするのも悪くないかもしれない。そう思って一人頷き、前に歩き出そうとしたとき。

「あれ、柳先輩。こんなとこにいたんですか?」
「え、」

 一瞬、その声に、身体が、固まる。でもその先輩という響きと敬語に、それはありえない、とすぐに理解して。なら、と思って振り返ると、そこには予想通り。いや、予想とはちょっと違う。
 ――ギャルソン姿に、可愛らしい白い兎の耳を頭に着けた青竹くんは、可愛く笑っていた。

「その格好、どうしたの?」
「ああ、これですか?クラスの宣伝係なんです、俺。喫茶店やってて」
 
いきなりの登場に驚いたけど、とりあえず、その格好に突っ込むことにした。真っ白なYシャツを腕まくりして、濃紺のネクタイに真っ黒なパンツと下半身のみを覆うエプロン。(なんて言うんだっけ)顔立ちは可愛い系な青竹くんだけど、こういうキッチリした格好をしてるとすごく格好良く見えるなぁ、なんて思いながら。でもその男っぽさを上手い具合にカバーしてるのが、その兎の耳で。はにかんで笑う青竹くんに合わせて揺れるそれが、ひどく可愛かった。
 だけどしばらくして、「ていうか、あの、先輩」青竹くんが、口を開く。

「ん?何?」
「あの、メール見てくれました?」
「メール?」

 そう言えば、文化祭を回り始めてからしばらく、見ていない。そう思って慌てて携帯を取り出すと、新着メールが四件。一件はメルマガで、後は神奈からついさっき来た、謝罪メール。……あと、山元からも、来ていたけど。それはあえて見ず、一番受信時刻が早かったそれは、確かに青竹くんからで。開いて、見て。
「え、」
「……直接会って言えたら良かったんですけど、」

 そうやって、恥ずかしそうに笑う青竹くんに、言葉を返せない。予想外の内容に、私は一瞬思考が停止してしまった。
『今日、良かったら一時間でいいので一緒に回りませんか』
 
絵文字も何もなく書かれたそのメールと青竹くんの顔を交互に見る。とりあえず、頭を低く下げて、謝ることにした。
「ご、ごめんねっ?全然気付かなかった!!」
「いえ、大丈夫です。こんなん書いておいて、俺午前クラスの方が結構忙しかったし」
「いや、でも、……ごめんなさい」
 
確かに、ついさっきまでの私だったら神奈と回っていたから、結局断りのメールを入れていただろう、と思う。だけど断るのと気付かないのは、全くの別物だし。青竹くんは多分、このメールを送るのに、緊張してくれたんだと思ったから。だからもう一度謝ると、彼はふんわり苦笑した後、真剣な瞳を見せた。
「で、あの。駄目ですか?」
「……あ」
 
どうしよう。
 今は別に用事もないし、むしろ暇で時間を持て余していたところだ。だから、誘いに乗ってもいいんだけど。躊躇う私を見つめる青竹くんの瞳は、真剣で。
 ――だけど、その手は、微かに震えているのが見えたから。意識しないうちに、私の首は上下に揺れていた。
「っホントですか!?」
「うん、いいよ。私もちょうど暇だったし。ただ、二時半ちょっと前からクラスの係があるんだけど」
「だ、大丈夫です!!ありがとうございます……」
 
その瞬間、パッと輝く、彼の顔。あ、と思ったけど、まぁ、こんな喜んでくれるならいいか、と思い。苦笑混じりにそれを告げると、青竹くんは幸せそうに笑ってくれた。それに何だか気恥ずかしくなって、照れ隠しに下を向く。

 ――
私はいつだって、何にも見やしないし、気づきもしない。
 私はそのときはまだ、あの夢が目の前にちらついて怖かったのに、青竹くんの誘いをOKした。その理由は、もちろん、青竹くんが真剣に誘ってくれたのに無碍にしたくない、って言うのもあったけれど。それ以上に、私は青竹先輩そっくりな彼を、勝手に信頼し、甘えていたんだ。この人は男の人じゃなくて、私を傷付けたりなんかしなくて、違うんだ、って。
 そんなはず、ないのに。青竹先輩と青竹くんは違うって、何度も言ったのは、私なのに。
 私は現実を見るのが苦しかった今、全てを置き違えた。

「林先輩と、一緒じゃなかったんですね?」
「え?」
「さっき見掛けました。背の高い男の人と歩いてるの」
「あ、本当に?」

 あれから、とりあえず外の屋台通りに出た。チョコバナナを食べたい、と私が我儘を言ったからだ。でも青竹くんはすぐに「いいですよ、」って笑ってくれた。道中、面白かった出し物や後で見に行きたい出し物の話なんかをしつつ。
 すると青竹くんが急に神奈の名前を出した。神奈は男バス内で、山元と付き合ってたことや、何より可愛いので有名なんだ。楽しそうでしたよ、そう言っていたから嬉しくなった。神奈が楽しんでくれるなら、それでいい。こっそり微笑みを零すと、青竹くんが不意に首を傾げる。目の前に立たれ、合わされる、互いの視線。静かに首を傾げると、屋台の雰囲気に飲まれて消えてしまいそうな小さな呟きが落とされた。
「先輩は、平気なんですか」
「何が?」

 だけど私の耳は、幸か不幸か、その言葉を拾ってしまい。素直に、疑問を口にした。多分神奈と離れて平気なのか、って意味だろうと思ったから、
「――林先輩と山元先輩、付き合ってたらしいのに」
「、」
 
――予想外の台詞に、一瞬反応が遅れてしまった。

 
今の二年や三年には、神奈と山元のことは有名だ。
 元々、神奈と山元を引き合わせたのは、私だった。山元とまともに話すようになったのが一年の六月くらい。そのころに神奈とも仲良くなって、話している時、丁度近くを通り掛かった山元に神奈を紹介した。二人とも、見た目はすごく良いし、サバサバしたタイプだから、気は合うとは思った。でも、だからこそ逆に、二人から男女の匂いは感じなくて。夏休みくらいに二人が付き合いだした時は本当にビックリした。更にビックリしたのは、それからしばらくしない内に二人が別れたこと。美男美女カップルだったから、残念に思う人も結構いたみたい。私も上手くやってるなぁって思ってたから。
 未だに別れた理由はイマイチ分からない。ていうか、聞いちゃマズいような気がしたから。ただ、神奈は一言だけ、言ってた。

『お互いの求めてるもんが、絶対的に噛み合わない』って。
 
意味はよく分からなかったけど、その一月後に神奈は彼氏を作り、山元は、まぁ、……私に告白をして。別れた後も友達関係は良好に続いている。お互い望んだ別れみたいだし、神奈は私が言う前から山元の告白を知ってたんだけど。山元も神奈も、もう過去に関しては何か言われたくないらしい。だから、今の一年には箝口令が敷かれてるはずなんだけど……。
 どうして、それを青竹くんが知っているの?疑問の意味を込めて見つめると、苦笑混じりに囁かれた。
「……本当は、カマかけたんです。何となく、過去にあの二人何かあったんだろうなって思ってたから」
 
騙して、ごめんなさい。
 そう言って頭を下げる青竹くんのつむじを見つめながら、手の平に感じる、汗。ぼんやりと青竹くんの言葉を反芻しながら、質問の答えを考えていた。
 ――神奈と山元が付き合っていて、何?今更、私が気にするようなことじゃない。だって私には、関係がなかったんだもの。
 気が付けば付き合っていて、気が付けば側にいて、気が付けば別れていて、そして今も、仲良く一緒にいる。

 いつ、また付き合いだしてもおかしくないくらい。
「……っ、」
 自分の頭に浮かんだ考えに、心臓がズキズキ痛んだ。山元が、もう一度、神奈とって?
 ありえない、ありえないよ。だって神奈、今の彼氏さんとあんなに仲良いし、それに山元、だって、。
 口の中で呟くけど、頭の中で自分の冷たい声が反響した。
――本当にありえないって、思ってるの?
「……柳、先輩?」
「ぁ……」
 
恐る恐る、と言った感じで掛けられた声に顔を上げる。
 目の前に映った顔は、一瞬。いつだって、どんな時だって。意地悪言いながら、からかいながら、側にいてくれた奴に見えて。
 思わず、手を、伸ばした時。

「――あっちの方だって、絶対」
「!!」

 聞こえた声は、私の指の動きを止める。固まった私を不思議そうに見つめるのが青竹くんであるのに気付いて、そして、思い知らされてしまう。
 この、声は。
 
聞き間違えようが、無いじゃない。
 追い掛けた背中、焦がれた横顔、好きでたまらなかった笑顔、反響する、囁き。
『柳さん大丈夫、大丈夫だから……』
 ――背中を撫でる掌は、あの時、悪寒を掻き立てるものでしかなかった。だからひたすら、その肩に歯を立てた。なのに、飽きもせず私の背を撫でて、耳元に大丈夫って囁いて。私は気付けば、その体温に溶けるように、安堵したんだ。
 唇が、震える。青竹くんは不思議そうに首を傾げるけど、私は、何も言えなくて。黙ったまま、後ろを振り返って、
「俺に任せとけって、天才ガードですから?」
 ――その姿に、息を詰めた。
 ふざけた物言いに、周りの人も、青竹先輩の頭をはたいている。よくよく見ればそれはバスケ部の先輩だったけど、その時の私には、そんな余裕も無くて。
 変わらない笑顔、声は少しだけ低くなった?違う。青竹くんのに聞き慣れただけ、焼けた肌、紅茶色はもう少し明るくなっていて。
 あの時と同じで、絶対的に違うその姿に、固まった。一点を見据え声も出さない私に、青竹くんは静かに振り向こうとする、刹那。その前に、振り向いた青竹先輩の瞳が、私を映そうとして、
「……ぁ……、っ!!」

  私は反射的に、その場から駆け出した。遠くで青竹くんが、私を呼ぶ声が聞こえたけど、立ち止まれず、立ち止まらず。自分の胸に蠢く衝動そのものに従って、行く当ても無く、走ったんだ。



  

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