あなたと導く勝利の色。

出来れば明日を照らす、柔らかなものであることを願う。


19.望む色味をこの手に添えて


 遠くで鳴く、烏の声。あっという間に沈む夕日。夜には美しい月が昇り、虫の音と、夏と違って穏やかな気候。カーテンを揺らすその気持ち良い風を感じながら、遠く沈む夕日を見つめ、私はため息を吐いた。
「秋だなぁ……」
「どうでもいいからとっととやれオイ」
 
――しかし、私のしみじみとした感傷は、無粋な男の声に遮られた。
 ムッとして、後ろを振り返る。白い長袖ワイシャツを肘まで捲りあげ、難しい顔をして絵筆を握り締める山元。夏より幾分伸びた髪が頬にかかって、うっとおしそうだった。
 かく言う私はというと、ワイシャツの上に学校指定のジャージを着込み、スカートの下に短パンを履いて窓際の席に座り込んでいる。現実逃避だとは分かるけど、分かるんだけどね……。
 はぁ、とまた出てしまったため息。そして、すぐに言われる山元の、言葉。
「二十三回目」
「うるさいなぁ、仕方ないでしょ?」
 
まったく、いちいちうるさい奴!!人のため息を数えるな!!
 未だに動こうとしない私を睨むように山元が見つめる。だけどこの件に関しては、私も譲る気にはなれなかった。しばらく見つめあった後、山元は大きくため息を吐いてうなだれ。
「…………分かった、俺が描く」
 ――とうとう、私達の三十分に及ぶ闘争にも決着がついた。

 十月半ば。文化祭が終わり、中間テストを挟み、もう体育祭の時期だ。
 うちの学校には一学年八クラスあるんだけど、体育祭はクラス対抗だ。一・二・三年の同じクラスで一つのチームになり、優勝を目指す。うちのクラスは結構みんな運動神経も良いし、一年、三年も運動部が揃ってるらしい。ちなみに咲ちゃんも一緒のチームなので、尚更張り切るというもので。
 そして、そのクラスごとに一つ、絶対提出のものがある。――
旗、だ。
 
体育委員にA組は赤、B組は白とか、クラスカラーを指定されて、布を配られる。そして、その指定の色を基本とした団旗を毎年作ることになっている。うちのクラスはC組で、色は黄色だ。
 で、その旗は基本的に二年のクラスが作ることになっている。一年だと慣れてないし、三年だと忙しいし、ってことで。でもこの旗が曲者で。みんなが見るから下手なものは作れない。しかも配られる布、っていうのが結構大きいから、クラス総出でも時間がかかるのだ。
 体育祭二週間前である今日、とうとう製作に取り掛かった。
 そこで問題になるのが、何で私と山元の二人が旗製作班なのか、ってことなんだけど。一学期に決めた、クラスの係決めが原因。『行事係』、と書かれたそれに、まさかこんな役目も含まれるとは思わず。私は立候補し、山元も「何でもいい」と言ったのでここに含まれた。
 他の係より、何か妙に募集人数多いなぁと思ったけどね!!
 まさかこれを見越してと気付くはずがない。まんまと罠にはめられた、そう気付くには時既に遅し。ただ、私と山元と神奈は大会が近いので、頼みに頼み込んでオフの日だけ参加、という形にしてもらった。そのかわり、私と山元は下絵、神奈は画材を用意する係になってしまったんだけど。
 
――ただ、私にはこの旗作りに対して致命的な欠点があった。
 
私は美術が、大の苦手なんだ。成績表で三より上は取ったこと無いし(基本は二)、センスも無い。
 それに比べ、器用な山元は。美術は大抵四だし絵は上手いし、で旗作りには最適な人なんだ。だからメインの絵は山元が書いて、構成や文字は私がやる、と言った。
 それに山元は納得せず、長時間論争になったんだけど。ようやく、お互い納得して(?)旗作りに取り掛かることになる。長い長い道程に、二十四回目のため息を吐いた。


「ね、こんな感じでどう?」
「お前これ、書くの難し過ぎるだろ」
「えー、山元なら行けるって!!」
 
早速、ルーズリーフに書く絵と文字を書き出す。熱血系がいいかなー、と黄龍を基本とした図案を山元に見せると、げんなりした表情。別に山元なら書けるんじゃないかな?中学校で、何故かよく美術の賞状貰ってたって咲ちゃん言ってたし。私のルーズリーフを受け取り、何やら書き込んだ山元は、ため息を吐き、紙を返して来た。
 ……何か妙に格好よくなったんですが、私が書いたのより。
 龍をメインにしてるのは変わらないけど、ゴチャゴチャ書き込んだ文字など消してシンプルに統一してある。ハイセンスなそれに、かなり負けた気分になりながら、私はOKサインを出した。満足げに笑って鉛筆を握ったその背中を恨めしげに見つめながら、色指定だけはしておくことにした。

 お互い無言のまま、気付けば六時を過ぎていた。さっきまで見た夕日はとっくに消えて、空にはもう月が昇る。風が少し冷たくなっていたので、窓を閉めに立ち上がると、私の動きに気付いた山元が顔を上げた。
「どうした?」
「ちょっと、風冷たくて。山元、もしかして暑い?」
「ん、もう六時か。いや、暑くはないから大丈夫だ」
 
返事を返すと、しばらく猫背だったためか、んー、と大きく伸びをする山元。
 手元の旗にふと視線を落として、驚いた。
「、わ、」
「ん?」
「すごいすごいっ、格好いいっ」
 デザインは下書きで見たんだけど、旗に書かれると、全然迫力が違う。
 格好いい!!素直に感動して興奮する私を、山元は苦笑混じりに見つめた。
「お前って、よくそんな単純なことで喜べるよなぁ」
「何、子供だって言いたいの」
 
言われた言葉に、ギッと山元を睨む。そんな私を見て、山元は声を上げて笑った後、ゆっくりと目を細め、視線を落とした。
「……そうじゃなくて。羨ましいんだよ、」
「え?」
 
羨ましい?誰が?誰を?ポカンとする私の目をチラリと見て、唇の端だけ上げて微笑む。
 ――答える気が無いのか、それとも。
 口元だけ微笑んだまま、山元はまた俯いた。瞳の色は寂しげで、何だか、私の胸まで締め付けられるようで。ギュッと唇を噛み締めた。
 ……時折山元は、こんな風に悲しげな顔をする。まるで、置いてけぼりをくらった子供のように、頼りなげに瞳を揺らして。大きな身体に似合わないその不安そうな表情に、私はいつも何も出来なかった。何か言葉をかけることも、そっと支えてあげることも。だってそれが、山元の負担になるかもしれない。
 だけど、今は。
「……柳?」
 
ぼんやりとこちらを見返す山元に、小さく微笑む。胡座を掻いて座り込んだ山元の隣に膝立ちして、その頭を出来るだけ優しく、撫でた。未だに状況が飲み込めていないらしい山元に、私はまだ、何も言わない。
 何か出来る、なんて、大それたことは、言わないし、言えない。ただ、何かしたいとは思うから。もう、山元を一人ぼっちで放っておきたくない、って思うから。
 そう思ったら、身体は自然と動くものだって、十七年生きてきて、初めて知った。
 誰かのために何かしたい。
 そう思う気持ちの、強さ。
 しばらく黙って頭を撫でていると、小さく顔を歪めた山元は、一言。「俺は子供じゃない」なんて、不満げに漏らした。いつもと逆の立場であることに、思わずクスリと笑みを零す。山元は忌々しげに私を睨んだけど、ちゃんと、気付いてる。その瞳が、微かに柔らかく、溶けていること。この行為が、嫌では無いって教えてくれる。
 
普段見下ろされてばかりの私が、こうして山元の頭を撫でている。見てるだけの時と違って、予想外に柔らかい、その髪の毛。不満げにしながら、私の掌を受け止める、山元。そのおかしな現状は、微かに私の胸を温かくさせた。
 ――ああ、そうか、きっと。この感情が、愛しい、って言うのね。柔らかくて、穏やかで、温かい。その示す気持ちのまま、私は山元の髪に指を通し続けた。
 この胸一杯に詰まった幸せを、自覚しながら。

「……楽しいのかよ」
「ん?」
「そんなんずっとやってて、楽しいか?」
 
しばらくして、不思議そうに首を傾げる山元。その子供のように真っ直ぐな瞳がまた、可愛い、なんて思いながら。私はこくん、と首を縦に振った。
 聞いておきながら、「ふーん」なんて、気のない返事の、山元。
 それを見つめて、そっと手を下ろす。その瞬間、見つめられた視線の意味は分からなかったけど、笑い返しておいた。
 いい加減、夜も深まってきている。今日は、ここまでだ。それは山元も感じていたのか、小さくため息を吐いて、立ち上がった。そのまま、彼は足下に散らばった旗を手に取る。
「じゃあ、俺これ、田中ちゃんに出して来るな」
「うん、りょうかーい」
 
気の抜けた返事をして、ヒラヒラと山元に手を振る。気のない振りしながら、山元のその柔らかい瞳を視界に捉えて。

「……はぁ」
 
――山元が行って、しばらくしてから。私はトスン、と床に腰を下ろした。膝が震えて、立っていられそうに無かったから。ぼんやりしながら自分の掌を見ると、細かく揺れていた。その有様に、苦笑する。
 あんな風に、余裕ぶっておきながら。私は、内心ひどく緊張していた。
 拒否されたらどうしよう、嫌な顔されたらどうしよう、そんなこと、ばっかり。頭を掠めて。
 だから本当は、ね。山元があんな風に無防備になってくれて、笑ってくれて、とても嬉しかったの。不思議と高まる心臓に、呼吸が苦しくて、怖くて。

 それでも、あなたに触れたのは。
 その寂しげな瞳を、また、柔らかい色に染め直したかったから。

 身体中から力を抜いて、大きく息を吐き、窓の向こうの星を見る。微かなその光の温かさに、さっきの気持ちを重ねて。そうしてようやく、私は立ち上がることが、出来た。


  

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