目に見えない愛情。

示すには、どうしたらいいかな?


閑話3*独占欲に対する彼女の考察


 それは激動の体育祭を終え、数日経ったころ。平常授業にようやく身体のリズムがついてきた、そんな平日のお昼。

「あたしは、絶対嫌だ」
「え〜?ちょっと位はあった方が良くない?」
「限度があるわ」

 トイレから教室に戻ってくると、ぽかぽか窓際の席で話し込む神奈・さっちゃん・きゆ。眉間に皺を寄せて話し込む様子に、私は首を傾げ、空いていた椅子を引いた。
 漏れ聞いた感じからは、どんな話なのかいまいち想像つかない。でも、聞かれたらまずい話かもなぁ。
 濡れた指先をハンドタオルで拭い、ひとまず途中だった英語の宿題に手を付けることにする。けれどさっちゃんが、私が座った瞬間、弾かれたように振り返って。

「瑞希!!ねぇ、どう思う?」
「え、何を」
「倖、主語が抜けているでしょう」

 一つの机を囲んでいた三人が、じっと私を見据える。
 何だ何だ、結局何の話なんだ?
 首を傾げて先を促すと、神奈がコーヒー牛乳の紙パックをくしゃりと潰し、ため息を吐いた。
「だからな。男の嫉妬とか独占欲って、どう思うか?って」
「……はぁ」
「やっぱりさ、あった方が嬉しくない?愛されてるーって気がするよー」
「無理。縛らなきゃダメとか、信頼されてないみたいでうざったいだろ」

 さっちゃんが唇を尖らせて主張する内容に対し、神奈は完全にうんざりしている。
 うーん、まぁ神奈は想像通りだよね。猫っぽい神奈は、誰かに縛られるのを良しとはしないからなぁ。今の彼氏さんは一回ちょっとだけ話したけど、おっとりした人だった。神奈をすごく信頼しているみたいだし、多分、神奈にとっては帰る場所、みたいな相手なんだろう。
 そして、さっちゃんの意見も納得。彼氏さんヤキモチやきみたいだけど、嬉しそうに応じてるしね。
 じゃあ、頬杖を突いているきゆは?

「必要かもしれないけれど、度を超えたものは止めて欲しいわ。女友達と遊んだり、道行く人に道を尋ねられるだけで怒られるのはどうかと思うの」
「うーん、それは……。確かに、きついかなー」

 うんざり、と言った顔で呟くきゆに、さっちゃんは頭を抱える。まぁ、さっちゃんの彼氏は男の子と二人きりだったら怒る、くらいのレベルだしね。ていうかきゆの彼氏さん、そんな感じなの?写真見た感じ、涼しげな美形で全然そんな印象なかったんだけど。それだけきゆのこと好き、ってことなんだろうけど。
 一人それぞれの恋人関係を思いだし、うんうん頷いていると。

「それで、瑞希は?」
「え?」

 神奈にもう一度話を振られ、目を見開いた。気付けば私に視線が集中している。
 私?過去にお付き合い経験もない私に、何故。
 と思ったけれど、みんなの目が真剣だったから、ここは上手く避けられないだろう。んー、と悩んでみてから、口を開く。

「そうだな、私は――」
「おーい、やべぇぞ!!五時間目の英語小テストっぽい!!」

 けれど、その瞬間。丁度被さるように、クラスの男子がドアを開け、唐突に叫んだ。一瞬の沈黙を経て、上がる悲鳴。
「え、どっから仕入れたんだよその情報!!」
「八組の奴らが、午前中テストだったんだって。今部活の奴と飯食ってたら言われた」
「あと十五分?いける!!」

 みんな、慌てて机から教科書を取り出し勉強モード。それはもちろん、私達も。
「え、やっばい勉強しなきゃ!!きゆ、教えてー!!」
「倖、集中力ないじゃない」
「そこを何とか〜」
「とりあえず、教科書取ってくるな」

 じたばた騒ぐさっちゃん、冷静なきゆ、若干顔が引きつってる神奈。まあ、きゆは勉強してなくても満点取れるだろうからね。私も黙って素直に、机の上のノートを捲った。
 ページの左側に拡大コピーした教科書、右側は教科書の文の和訳。拡大コピーしたため、文と文の間に隙間が出来て、授業中に言われた重要構文など書き込める。きゆが教えてくれたこの予習法は、かなり使えるんです。
 ばたばたする教室を眺めながら、私はふとため息を吐き、窓の外を見つめる。十月の日差しは、日によって少し暑いくらい。日光に目を細めながら、大きく息を吸い込んだ。

 無事小テストを乗り切り、今日の部活も終わる。
 終わった直後、いつも部活の用具を発注しているショップから、頼んでいたテーピングが丁度届いた、と先生に言われた。片付け作業を咲ちゃんに頼み、事務所に取りに行くことにする。

「一人で大丈夫ですか?」
「うん、平気。そんなに大きくないはずだから」
「分かりました」

 心配げな咲ちゃんに手をふり、足早に廊下を進み、事務所へ向かう。窓口のところには、キャップを被った作業着の若い男の人。私と目が合うと、爽やかに笑ってお辞儀してくれる。それに私も、笑みを浮かべた。私の入部と同時にショップに入社したらしいこの人とは、一応顔見知りなのだ。
「こんばんは。遅くにお疲れ様です」
「いや、こちらこそ。あれ、一人?持てる?」
「多分……」
 
人懐っこい空気は、どこか田爪先輩を思い出させる。思わず警戒心が和らぐ微笑みに、心がほぐれた。けれど彼の足もとにあった箱を見て、笑顔が固まる。
「え、何でこんな、」
「三日くらい前に、先生の方から追加注文あってさ。無理でしょ、この大きさは」

 いや、聞かれなくても無理ですとも!!
 両手で抱える位の大きさだったはずの段ボール箱は、何故か両腕一杯で頑張っても無理な大きさになっている。ていうか先生、追加注文したなら言ってよ!!持てないでしょ、私一人じゃ絶対!!
 焦る私を見て、お兄さんは苦笑を洩らした。

「じゃあ、持つよ」
「え?」
「体育館まで、運んであげる。お得意様だからね」

 そう言って、ひょいっと箱を持つ。
 何て良い人なの!!
 すみません、と足早に進むその人に謝る。気にしないで、と微笑むその顔に癒されながら、歩を進めた。

「でも、随分今回はテーピングの注文多かったね」
「あ、今度大会があるんですよ。途中で足りなくなったら嫌だから」
「そっかぁ。一回くらい、試合見てみたいな」
「ぜひぜひ、来てください!!」

 お兄さんが、高校時代バスケ部だったこともある。そんなに話し込んだこともないけれど、話が途切れたこともない。軽く談笑を続け、気付けばもうすぐ体育館、と言うところ。目の前の男子トイレから、出て来た人は。
「山元」
 
すらりとした長身が、視界を塞ぐ。一人言のように呟くと、彼はゆっくりと振り返った。私と目が合うと、わずかに切れ長の目を見開き。
 え、何でこいつ近付いてんの。お兄さん睨んでるの。

「何してんだ」
「えっと、その。ショップから荷物が届いたんだけど。重いから、運んでくれたの」

 不機嫌な山元に、背中に冷たい汗を掻きながら、必死で話す。目の前に立った山元の目は、ひどく苛立たしげに光っていた。そしてお兄さんの腕の中の箱を見ると、にっこり、綺麗な笑顔を見せる。
 ……きょわい(怖い)。そっちの方が、怒ってる顔より数倍怖いよ山元。
「いつもお世話になっています、部長の山元です」
「あ、こんばんは。君が部長なんだ、格好いいねぇ」
「ありがとうございます。後は俺が運ぶので、大丈夫ですよ」
「そう?じゃあ、お願いします」

 目は笑ってない山元に気付かないのか、お兄さんはニコニコしてる。二人のやり取りが、ひどく心臓に悪い。長い腕を伸ばし、山元は箱を奪うように、受け取り。素直に預け、お兄さんは私に手を振り、去って行った。
 ええ、ちょっと待って!!この状況で二人きりにします!?出来れば行かないで欲しいです、切実に。いやもう、本当に。
 けれど階段を昇っていく音は、静かな廊下に響き。私は山元と二人、取り残される。隣からはひんやり冷気が漂っている気さえして、ふ、振り返れないなこれは。でも、黙って俯く私に。

「……誰だ、あの男」
 
――低く掠れた声が、耳に届いた。
 びくり、と肩を揺らす私に、山元は舌打ちを零す。
 う、うう。怖いよ。

「ショップのお兄さんだよ」
「どういう関係だ」
「関係、って」

 うちの部活がよくあそこのショップを使うから、顔見知りだけど。それだけだけど。
 心の中でそう呟くものの、山元が求めている答えはそうではない気がして。困り果てて、その顔を見上げる。真上に位置する綺麗な顔。彼は私と目が合うと、不機嫌そうに顔を歪め、唇を噛み締めた。

「……もういい」
  そして、話し始めた時と同じく、唐突に会話を終わらせる。
 背中を向け、体育館に向かう。もういい、って。あんたあからさまに不機嫌そうじゃないか。慌てて追いかけて、山元の隣に並ぶ。その横顔は綺麗だけど無表情で、ぴくりとも動かない。

「山元、何?何が聞きたいの?何怒ってるの?」
「別に」
「別にってそれ、返事じゃないでしょ!!」

 苛々してる癖に、何も言おうとしない。そんな彼に、私の方もむかついてくる。
 だって何よ。いきなり顔見せて不機嫌になってお兄さんまで睨んで、それでもういいって。ワガママ小僧だよ、ただの!!
 私を映さない瞳が悔しくて苦しくて、ぐっとジャージの裾を引く。山元は、うっとおしそうに私を振り返る。それが、どうしようもない位。
「……っ」
 
山元は私を見て、小さく息を呑んだ。さっきなんか非にならないくらい、目を見開く。そして大きく、ため息を吐いた。
「お前、何て顔してんだよ」
「何、って、」

 怒ってる顔、じゃないの?
 自分の顔を、確かめるように触れてみる。けれど、分からない。
 山元は黙ってその場に荷物を下ろすと、私の頬を撫で上げた。優しいその手つきに、そこから、熱が灯ったみたい。
「――泣きそうな顔、してる」
 
そういう山元の方がよっぽど泣きそうで、苦しそうで。
 もう一度、頭上に落ちるため息。私から手を離して、山元は自分の顔を覆った。

「悪かったな」
「え?」
「困らせて」

 前髪をくしゃりと掻き上げる。困り果てたような表情は、さっきまでの無表情と全然違う。
 いつもの、山元で。
 ふにゃりと、情けなく眉毛が垂れたのが分かった。

「何で?」
「あ?」
「何で、怒ったの?」
 
けれど私の質問に、山元は顔を歪め。「……あー」と声を上げながら、しゃがみ込む。腰を屈めて彼を見ていると、そのまま自分の髪をぐしゃぐしゃにする。
 あーあー、癖ついちゃうよ。折角綺麗な髪なんだから、もったいない。
 勿体なくて、手を伸ばす。そのまま手櫛で整えてやると、驚いたようにこちらを見つめる、丸い瞳。ひどく幼く見えて、可愛かった。頬が、緩む。くすくす笑う私に、山元は目を細めた。
 けれど。唐突に、私の手首は、彼に、捉えられて。


「……嫌だったから」
 
その視線は、私を射抜き、堕とす。
「お前が他の男と笑ったり、二人きりでいるのが」
 
底深い、闇へと。

「悪かったよ。付き合ってもない癖に、こんなこと」
 山元は、目元を赤くして私から目を逸らし、立ち上がる。そのまま振り向かないで、箱を抱えて体育館に向かった。
 私はと言えば、――心臓が、やばい。鼓動が耳奥でドンドン鳴り響いて、うるさいくらい。顔から、身体から、全身が熱く火照る。
 死ぬ。殺、される。山元の瞳に、表情に、言葉に。全てに焼かれて、死んでしまう。息が苦しくて、苦しくて、目も開けられない。私、山元が触れるだけでキャパオーバーになってしまう。
 何も考えられない。じわりじわり、脳に侵食する、熱。それは私の身体をいつしか、勝手に動かして。
 ―ぎゅ
 ジャージの背中の裾を、握り締める。そのままぐっと引くと、後頭部に山元の視線が突き刺さるのが分かった。それにますます呼吸出来なくなるのを感じながら、口を、開く。

「やまも、と、怖かった」
「……ああ」
「冷たかった、」

 泣きそうな顔、って言ったでしょ?山元がお兄さんに取った態度に、悲しんだ訳じゃない。
 ただ、私は。山元が私を見てくれなかったのが、嫌だった。
 いつも優しいその瞳が、私から逸らされて、無表情で。怖くて、このまま嫌われてしまうんじゃないか、って思って、怯えて。

「……困らせて、悪かった。迷惑だっただろ」
 
私に降る声は、いつだって優しい。強引に思えて、私の様子を窺う。だから、黙って手に力を込める。
「困った、けど。――迷惑じゃ、ない」

 私が言った瞬間。小さく、息を呑む、音。耳がますます熱くなるのを感じながら、目をぎゅうっと瞑る。
 嘘じゃない。山元が、他の男の人と一緒にいるの嫌だって言った時、私、嫌じゃなかった。それどころか、独占欲丸出しなその言葉に、胸がたまらなく、締め付けられて。
 迷惑じゃない。私、山元なら迷惑なんて思わない。そんな自分を、自覚してしまって。

「……柳」
「っ」
 
けれど、山元の声に心臓が跳ねあがる。期待するような、熱っぽい囁き。それは私の身体の熱を、どんどん上昇させて。
「本当、だな?」
 
確認の言葉に、小さく頷いた。だって、嘘をついたって仕方ないもの。自分の気持ちを誤魔化せない。
 あなたの瞳に見つめられると、ただ、それだけで。勝手に溢れそうなモノが、あるから。


 しばらく黙り込んだ山元が、ふ、と笑った気配。上目遣いで様子を窺うと、やたら意地悪い微笑みを浮かべていて。
「……っ」
 
視界一杯に、山元の顔が広がる。慌ててジャージを掴んでいた手を離すけれど、距離は遠のかない。むしろ、近付くばかり。
 止めて欲しい。これ以上、私の心臓に負担を掛けないで。
 そう言おうと、口を開いたのに。

「――じゃあ、俺は、もう遠慮しない」

  ふ、ととろけるように甘く、目を細めるから。私は赤くなって、固まった。そのまま歩き出す彼の背中をただただ、見送って。




優しい瞳も。
不機嫌なその顔も。
ストレートな言葉も。
全部全部、独占欲だとしたら、私の側にいる男の人に嫉妬している証なのだとしたら、私、たまらない。
あなたの全部に絡め取られて、深く深く。
知らないところへ、手を引かれて行くの――。


  

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