伝えて、届けて、形にして。

それはきっと、切なる願い。


3.たった一つの真実(1)


「なぁ、ここは?」
「んー?ってこれさっき説明したじゃん!!」
「問題文違うし分かんねぇよ」
「……あーはいはい、だからね……?」

 隣にいる柳は、呆れて溜め息を吐く。それにムッとするが、自分が悪いので我慢して彼女の解説を聞いた。ただ今午後五時、部活終了後、二人で図書館に閉じこもる俺達は傍から見ればカップルかもしれない。普段なら嬉しい誤解だが、今は苦々しい気持ちが先行する。
 全て、俺が悪い。それは分かっているのだが、やっぱり。

 ……恨むぜ田中ちゃん。

* * *

「数学、危ないって?」
「お前、今までの自分の数学のテストの点数足して何点か分かるか?」
「……えーっと、……多分六十くらい?」
「山元な、校則に書いてあるが三学期分のテスト足して百点ないと赤点なんだよ」
「嘘」
「マジ」
 終業式の日の前日、担任に呼び出され職員室に向かえば、思ってもみなかった言葉。そして俺の目の前には、今までの数学のテストと、校則のコピー。目の前に突きだされた校則の方を見てみると、確かに百点以下は赤点と書いてあった。その下には。
「長期休み中、毎日補講……?」
「そうだ。春休み中、午前十時から午後二時まで補講を受けてもらう」
「え、無理無理無理、部活あるし」
「だから面談でも数学ちゃんとやれって言っただろうがっ!!」

 軽く頭をはたかれ、ああ確かに、と十月くらいのことを思い出した。数学がまずい、とにかく数学を頑張れ、と。他の教科に関しては問題ないんだが、昔から数学だけは苦手だった。勉強をしても訳が分からないし、授業を聞いてりゃ眠くなるし。だから途中から諦めて確かに、勉強もしなくなったけど。
「その補講、出なきゃまずいんすか?」
「まずい。つか、進級出来ない」
「……うわぁ」
 顧問にばれたら、怒られるどころじゃない。進級か、部活か。どっち選んでも雷が落ちる。今日の部活行きたくねぇな、と目を細めると、担任はため息を零した。
「まぁお前はスポーツ推薦で高校に入ったし、部活が第一になるのも分かる。だから、俺としてもそれは可哀相でな。一応、数学の先生を説得した」
「え、田中ちゃんマジで!?」
「あー、近寄るな。でかい男は暑苦しいしうざったい」

 担任の優しさに感動した俺は纏わりつくが、手で追い払われる。ちなみに田中ちゃんとは担任の名前だ。もう四十代なはずだが若々しく、生徒にはその気の抜けたトークと程々な優しさ&放任っぷりで好かれている。田中ちゃんはニヤリとして、俺の目を見た。
「ただし、条件があってな?」
「何?」
「一週間後に課題テストがあるから、それで八十点以上取ること」

 期待していた俺は、石のように固まった。ガックリと俯き、田中ちゃんに情けなく声をかける。
「田中ちゃん、それ普通に無理っす」
「一学期の内容を中心に、簡単な問題でまとめてくれるらしいぞ?」
「俺数学、一学期に取った三十二点が最高だから……」
「……お前……」

 心底馬鹿をみる目で見られ、情けない気分になった。つーかこんなんあいつに知られたらどうしよう、男として恥ずかしい。知られない訳ないよな、同じクラスで部活だもんな。そりゃ情けない姿もかなり見られてるけど、それでも格好つけたいと言うか。―――なんてウダウダ考えてると、後ろから明るい声がした。
「田中先生?用事って何ですか?」
 その声に、一瞬思考が停止した。田中ちゃんは気怠そうに手を上げる。
「おー遅かったなぁ」
「人の昼休み潰しといて、しらっとした顔しないでくださいよ……。って、あれ?山元?」
「っ……」

 恐る恐る振り返れば、そこにはやはりと言うか、想像通り、柳の姿があった。大きな目を瞬いて、不思議そうに俺と田中ちゃんを見てる。椅子に座ったまま眠そうにあくびをした田中ちゃんは、一言だけ言った。
「つー訳で、柳。お前山元に数学教えてやれ」
「「はぁ!?」」

 図らずも、俺と柳の声が被る。叫んでからお互い目が合い、少し気まずくなって視線をあらぬ方向に向ける。田中ちゃんは柳に俺の数学の点数が悪いこと、このままだと留年がかかっていることを伝えた。
「お前ら部活一緒だから時間も合うだろ?始まる前とか終わった後にちょっと教えてやってくれ。柳数学得意だし」
「まぁ、別に山元が良ければ私は構わないですけど」
「おしっ。じゃあ話はこれで終わりだ。解散ッ!!」

 せいぜい頑張れよー、と田中ちゃんは、歩き出す俺らに向かって無責任に手を振った。……あんた、本当に適当だな。
 階段まで差し掛かったところで、大きなため息が背中にぶつかる。

「……なんだよ」
「分かってるでしょ?エースが補習で遠征参加出来ませーん、なんて先生絶対許さないよ」
「……まだ参加出来ないとは決まってねぇし」
「まぁ、それはあんたの頑張り次第だけどさ。じゃあ、春休みから午前練終わったら……そうだな、図書室来てよ」
「はぁ?何それ、めんどい……」
「誰のせいだと思ってんのよっ!!教科書とか準備してね」
「へいへい」

 適当に返事を返すと、柳からは何も返ってこなかった。不思議に思って振り返れば、―誰もいない、三年の教室。
愛おしむように、寂しそうに。教室の真ん中辺りの席を見つめる柳に苛立ちが沸く。

 そこは、先輩の教室だった。 柳の好きな、先輩の。
 切り替えが早い奴じゃないなんて、最初から分かってた。それでも待つと言った言葉に嘘は、ない。けれど、彼女に一刻も早く自分だけを見て欲しいと。自分に繋ぎとめておきたいと思う心にも、嘘は無いのだ。そんな権利もない癖に、我ながら独占欲が強すぎると苦笑した。
 そしてゆっくり彼女へと近付く。彼女の視線の先に焦がれながら、妬みながら。
その肩に触れてしまいそうな程、側に寄る。けれど未だ、彼女は気付かない。そんなに夢中なのかと悔しくなりながら、確実に早いテンポを刻む自分の心臓には気付かない振りをして。彼女の髪を軽く引っ張った。
 ――早く、俺の方見ろよ
 
そんな願いを込めて。
「ひゃっ、ちょ、な……っ!!」
「……何見てんだよ」
「っ、山元近い!!近いから!!」

 頭を押さえて、文句を言おうと柳が顔を上げる。視線が合い、段々と頬を赤く染める柳の顔に心臓が大きく跳ねた。口から零れ出す文句すら、俺には可愛く思えて仕方ない。耳まで赤く染めた彼女は、膨れながら俯いた。
「……ごめん」
「何で、謝るんだよ」

 さらりと指から零れようとする髪を、しっかり絡めて弄る。柳は逃げたそうだったけれど、俺への罪悪感からか、逃げようとはしなかった。……しみじみ、俺は意地が悪いと思う。気付かないふりをしてやれば良かったのに。でも、そんなの俺には無理だ。今のままじゃ、正攻法じゃ、絶対に先輩には勝てないから。
「……まだ、好きなんだ。ふられて簡単に諦めるなんて出来ない」
「……そんなの、知ってるよ」

 分かってる。俺だって、お前にふられたんだから。それでも諦める気になんてなれなくて、側にいるけれど。自分から振った話題なのに、柳の真っ直ぐな視線にどうしようもなく苦しくなって。何も言わず、柳の髪から手を離して肩を叩く。
「山元?」
「……とりあえず教室戻るぞ。部活始まる」
「え、あ、そだねっ!!うん!!」

 早足で歩き出す俺に慌てて着いて来る。柳がチラチラと俺を見ているのは分かったけど、視線を合わせる気にはなれなかった。
  ――どうして俺ばかりがこんなに好きなのだろう。こんな小さい女に、心全部、持っていかれているのだろう。
 この狂おしい程の思いの行方が、どうしても見えなかった。

  

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