23.NEVER LOSE(2)


 かと言って、奇跡はそう簡単に起きないから奇跡と呼ばれる。
 試合が始まって、いきなり相手の七番がスリーポイントを決めて。こっちも必死で追い上げはしたけど、完全に相手にペースをひきずられてる。そうこうしている内に、二十八−五十六という点数でハーフタイムに突入した。
 みんな、暗い顔をしてベンチに戻ってくる。私はとりあえず、みんなにドリンクとタオルを渡すことにした。
 ――あくまで、暗い顔は見せない。
 だって、山元と約束したから。
 まだまだ、みんなに喝を入れられるほど私は強くなれない。でも、決して不安な様子を見せないよう。みんなを、信じてると、表情で伝えよう。
 観客席を見ると、咲ちゃんも他のみんなに笑いかけてた。それを見て、私もコートでシューティングを始めたみんなにボールを渡す。ベンチの山元は、何か難しい顔で先生と話し込み、考えてるようだった。
 ―ピーッ
 三ピリが始まって三分と少し。先生が、タイムアウトを請求した。慌てて試合に出ている子のタオルを集めて、渡していく。
 しかし、珍しい。いつもは先生はタイムアウトは残すか、四ピリに一気に使っちゃうタイプなのに。首を傾げながらも手は休めずにいた。
 一分しかないのに、先生はなかなか口を開かず、選手を椅子に座らせる。しばらく沈黙が続いた後。

「青竹」
 
黙ってドリンクを飲んでいた山元が、口を開いた。沈んだ様子の青竹くんは、慌てて顔を上げた。
 今日の彼は、はっきり言って活躍しているとは言えない。予想通り、レイアップはブロックされ、ドライブしても歩幅の差か、すぐ追いつかれる。身長という壁が、あからさまに邪魔をしてる。それが歯痒いのか、やけになった彼は凡ミスを繰り返し、今に至っている。気まずげに山元を見ている彼は、交替させられるとでも思っているのだろうか。ボトルを持つ手が震えている。私は思わず、息を呑んで先を見守った。
 ううん、私だけじゃない。顧問の先生以外、全員が山元の口の動きを見守った。山元は、静かに瞳を伏せ、青竹くんの名前をもう一度呼んで。

「――お前、スリー打て」
「え」

 それは、予想外の言葉だった。
 青竹くんは最初、スリーポイント専門のシューティングガードだった。けど、青竹くんの走りの早さに目を付けた顧問が彼をフォワードとして使いたがって。百六十代のフォワードは珍しいけど、作戦勝ちか、彼は予想以上に良い動きをしている。
 だけど何で、今日に限ってスリーポイント?

「俺と坂下はリバウンドに専念する。パス全部回すから、お前が得点源になれ」
「え、でも、」
「ブロックされそうになったら、一旦片瀬と梶山に回す。全員、それでいいか?」

 山元が確認するように言うと、全員こくりと頷いた。まだ戸惑った様子の青竹くんを置いて、山元はゆっくりと立ち上がる。慌ててその背中を追って立ち上がる青竹くんは、必死で叫んだ。
「ま、待ってください山元先輩!!俺、スリーなんて最近打ってな、」
「嘘つけ」
「へ、」
「練習してんの、知らないとでも思ってんのかよ?」

 振り返る山元は、こんな状況で不安になるくらい余裕綽々で。思わず、青竹くんが黙り込んでしまうくらい。それを鼻で笑って、山元は青竹くんに向かい合う。
「いいか。変なこと考えず、お前は真っ直ぐゴールを見てろ。後は全部、俺らがどうにかする」
「……っ」

 その、揺るぎない視線に。青竹くんだけでなく、私も飲まれそうになってしまった。
 なに、山元。それ、

「お前、俺らのこと信じてるか?」
「……そりゃ、もちろん。信じてますけど」
「俺らも、お前の腕を信じてる。だから、打て。青竹」

 ――格好良すぎじゃない?
 周りの部員は、山元のきっぱりとした言い分に苦笑しながら、コートに戻っていく。
 青竹くんはしばらくその場で俯いてから、きっ、と顔を上げた。その顔には、揺るぎない決意が浮かんでいて。
 私は、その顔にもまた、胸の高鳴りを感じてしまう。

 
 見える。 見えるよ、山元。
 
奇跡の、瞬間。

 試合開始してすぐに、向こうの七番がジャンプシュートを決めた。これで三十点目。持っているペンをぐっと握りしめながら、淡々とスコアを記録していく。
 信じよう。今、私がすることはそれだけ。
 こちらボールで再び試合が始まり、片瀬くんがドライブしていく。ハーフラインを越え、彼は腰を落として周りを見据える。
 そして不意に、青竹くんがスリーポイントラインに走った。片瀬くんは視線はゴールからそらさず、すかさずパスを投げた。しっかりとボールを受け取り、相手のディフェンスが気付く前に、ボールを投げる。
 ――決まった!!

「やた、」
 
シュッと音を立て、綺麗に網に吸い込まれたボールに、思わず歓声をあげてしまう。じろり、と隣にいる先生に睨まれ、慌てて身を竦めた。
 でも、先生も笑ってる。どうやらこの作戦、山元と先生がさっき話し合った内容みたい。
 相手は、フォワードの青竹くんがスリーを打ったことにわずかに動揺を見せた。それを山元が見逃さず、ボールを弾いて単身ゴールに切り込み、これまた綺麗にレイアップを決める。

 それからの七分間は、息を呑むくらい、激しい攻防戦だった。
 青竹くんは、何本も何本もスリーを決めた。最初こそ外すこともあったけど、他の子がリバウンドを取ってくれる。打てば打つほど、彼は確率を上げてるみたいだった。
 でも、それだけじゃ相手も得点を決めてくるから、勝ちには繋がらない。
 青竹くんのスリーのお陰か、みんなのディフェンスも格段と動きが良くなった。ここに来て成長を見せるみんなには、ただただ舌を巻くばかりだ。

 ―
ピーッ
 気がつけば、三ピリは五十−六十七の点差で終わっていた。このピリオドだけで考えれば、二十二−十二という快挙だ。それでも、まだ点差はある。
 戻って来たみんなは、良いプレイ分激しく動いてるせいか、体力をかなり消耗してるみたいだった。ぜぇぜぇ、と荒い息遣いが響く。
 先生は、そんなみんなをじっと見守っていた。そして山元は、吹き出る汗を拭きながら、口を開く。
「青竹」
 
さっきと、同じ呼び掛け。でもさっきと違うのは、青竹くんの、瞳の色。はい、と力強く返される言葉は、七分前の彼とは違っていた。
「いけるか?」
 
短い言葉。そこに含まれた幾通りもの声に、青竹くんは気付いたのだろうか。ゆっくりと、笑みを零した。
「――もちろん」
 
ともすれば、ただの自意識過剰とでも取られてしまいそうな言葉を、青竹くんは吐き出す。山元は苦笑し、青竹くんの頭を乱暴に撫でた。
「……ああ、お前っつー奴は、なぁ。しょぼくれてる方が可愛いのに。無駄に自信満々なんだからな」
「それ、山元先輩には言われたくありませんって」

 その山元の手を振り払いながら、青竹くんは唇を尖らせる。仲のいい兄弟みたい。思わずくすりと笑いを零すと、まわりのみんなも苦笑する。
 負けてる、はずなのに。なのに、何故か心はこんなに穏やか。ああ、これが信じることなのか、と、ぼんやり思った。
 自分でも変に思うくらい、自信がある。私達が勝てる、って。
 視線の先で、青竹くんは笑みを深めていた。そして、山元を挑発するような瞳の色を帯びる。

「諦めませんよ。だって、俺を信じたの、先輩でしょう?」
 
その強い発言に、山元は目を丸くした後、大きく頷いて見せた。
 休憩終了の、笛が鳴る。ばさり、とタオルを投げて、真っ直ぐコートに向かう、みんなの背中。眩しすぎて、涙が出そうだった。

 あちらも休憩の間に心の準備をしたのか、四ピリはそう易々と打たせてくれなかった。それでもみんな、上手くかわしていく。徐々に詰まる点差と時間に、心臓が痛くなるくらいだった。

 五十五−七十


 六十一−七十四

 六十六点目で、向こうからバスカンをもらった。青竹くんは難なくフリースローを決めて、六十七−七十七。
 これで、十点差だ……!!
 喉がカラカラになるような試合は、それでも続く。

 ――そして、残り一分半。点数、八十一−八十二。
 向こうもこちらも、タイムアウトは使い切った。チームファウルは両者四つ。ぎりぎりの状態で、プレイは進んでいく。
 相手のスリーが決まり、うちのチームに緊張が走った。それでも大きく息を吐き出すと、梶山は走り始めた。よく切り替えられる、と感嘆のため息を吐く。
 そして、自分より身体の大きいディフェンスを細やかな動きで抜けると、青竹くんにパスをした。だけど青竹くんがシュートの構えに入った瞬間、ディフェンスがジャンプする。

 ……ブロックされる!!息を呑んだ、瞬間。
 青竹くんはそのボールを、ディフェンスの横から放り投げた。
 その先には。すでに走り出していた、山元がいて。
 パスを受け取り、一歩、二歩。ぱすっ、と軽やかな音をさせて、ネットにボールが沈んだ。
 ――それは、余りに計算し尽くされたプレイで。
 会場中から、拍手が巻き起こる。だけど山元も青竹くんも、すでに意識をディフェンスに向け、走り出していた。

「ファイ、おーっ」
「パス、ここで止めろ!!通すな!!」

 大声をかけ合い、腕を高く上げる。
 気が付けば、残り時間は二十秒。今の点差は二点、負けてる。最低二点決めれば、延長に持ち込めるけど。
 すでにみんなの体力は、限界を超えてると思う。ここはスリーで決めるべきだ。うちも相手も、そう考えているんだろう。
 相手は、時間稼ぎのドライブをしている。焦らすようなそのやり取りに歯噛みをする内に、残り時間は十五秒を切った。そして、高いパスが飛ぶ。

「っ、そ!!」
 
そこに山元が、走った。信じられないような速さで、コートの端へと向かっていく。
 相手はそれに焦り、跳ぶけれど。山元はそれをも凌駕するほど、高く跳び。空中で、ボールを、―受け取った!!
 次の瞬間、身体の向きを変え、ホームコートにボールを投げる。誰もいないはずのハーフラインの向こうに目を向けると。
 青竹くんが、走り込んでいた。


「行け、青竹ーーー!!」

その言葉と同時に、青竹くんはボールを受け取る。
 三、
 二、
 一……
 進むタイマーに合わせ、青竹くんは、膝を曲げ、シュートの姿勢を取る。
 そして、彼がボールを放った、瞬間。会場全体に響くビーッ!!という大きな音に、とっさに耳を押さえた。
 
同時に、目を閉じてしまう。
 
綺麗な弧を描き、ゴールに向かった、ブザービート。


 それは、ネットには吸い込まれず。リングに弾かれ、コートの上を跳ねてしばらくし、止まった。


 静寂は終わり、一瞬後には相手方の大歓声。うちのチームのみんなは、俯きがちにハーフラインへ向かった。
 私はその様子を、潤む視界で見つめる。
 負けちゃった。もう県大出場も決まってるのに、どうして気にするのか、と思われるかもしれない。でも、譲れない一戦だった。勝ちたかった。勝てると、思った。
 挨拶を済ませ、五人がベンチに戻ってくる。ぐいっと目元の涙を拭い、荷物を片付ける。
 負けた後は、次の試合のテーブルオフィシャルをやらなくちゃならない。選手にお疲れ様、と声をかけながらタオルを配った、その時。
「すみません」
 
相手チームの四番と、七番がやって来た。この二人は、キャプテンと、今日の得点王で、一年生の子。片付けの手を一旦止めて、目を合わせる。
「はい」
「キャプテンと、十一番の奴、呼んでもらってもいいですか?」

 それは、山元と、青竹くんだ。沈んで二階に上がっていこうとする二人を呼び止めるのは、気が引けた。
 でも、仕方ない。ちょっと待ってください、と言葉を返し、二人を止めて案内する。コートの端に移動していた二人は、山元たちを見て目を輝かせた。

「お疲れ。今日の試合、すごかった。特に後半の追い上げ、敵わないって本気で思った」
「……ども」
 
向こうのキャプテンが意気込んで語る言葉に、山元は気まずそうに頭を下げた。負けた相手から褒められる、っていうのも複雑なんだろう。
 青竹くんは、タオルを頭から被って俯いている。七番は、そんな青竹くんをじーっと見た後、ぱっと顔を輝かせた。

「なぁ、お前って兄貴、いない?」
「……います、けど」
「やっぱり!!青竹梢だろ!?」

 青竹先輩の名前をあげられた瞬間、彼はばっと顔を上げる。七番は、人なつっこい微笑みで、口を開いた。
「やっぱり。俺、あの人のプレイ昔から憧れててさ。名前見た時からあれ?って思ったんだけど、今日のプレイ見て、確信した。兄貴とプレイそっくりだもんな」
「っ」

 苦しそうに顔を歪める青竹くん。私も、思わず顔を顰めた。
 そんな、青竹先輩と青竹くん、プレイスタイル全然違うじゃない。そんな風に言わなくたって、いいじゃない。
 私が思わず、一歩踏み出した、時。

「一緒にすんな」
 ――強引に、空気を切り裂く声がした。はっと顔を上げれば、山元が強い視線で、七番を睨む。
 きょとんと目を丸くした向こうのチームの二人は、何も分かっていないようだった。
「青竹と先輩は、全然ちげぇよ。……俺はこいつとプレイすんのが、すげぇ好きだし、楽だ」
 
はっきりとした口調で言い放つ山元に、青竹くんも目を丸くしている。でも、と躊躇いがちに視線を彷徨わせた七番に、山元はニコリと笑った。その美麗な微笑みに、向こうチームだけでなく、私も思わず顔を赤くしてしまう。そして山元は、口を開く。
「一年坊主が、俺に口答えすんじゃねぇ。――覚えとけ」
 力強く、傲慢で、そして。
「こいつは、青竹悠だ。それで、俺は山元恍。次に当たった時負かしてやるから、楽しみにしとけよ」
 どうしようもないくらい、従いたくなる。
 強制力を持ったそれに、相手がこくりと頷いたのを確認して、山元は乱暴に青竹くんの腕を引っ張り、歩き出した。
 ……他校にまで、こんな口の利き方していいのかなぁ。なんて苦笑してみるけど、その山元らしさが、何て言うか、嬉しかった。
 早くに回復した吉岡のキャプテンは、苦笑混じりに二人の背中を指さす。

「……すみません、俺ら何か失礼なことしちゃったみたいですね」
「えーっと、気にしないでください。こちらこそ、すみません」

 かと言って、あの態度が良かった訳でもないので、首を振っておいた。
 するとキャプテンは、瞳の力を強める。その強さに、背筋が震えた。
 この人も、強い信念を持っている。そう感じさせるものを、確かに内に潜めていた。
 そして、ゆっくりと口を開く。

「山元と、青竹悠、ですね」
「はい」
「今度の対戦、楽しみにしている、と伝えてください」

 挑戦的な笑みで伝えられた言葉に、私も頷き返す。そんな私を見て満足げに笑うと、固まったままの七番を引っ張って歩き出した。だけど、数歩進んだところで、私を振り返る。
「あと」
 その顔には、もう笑みは浮かんでいなくて。強い、強い、意志だけ。
「俺らも、負ける気は一ミリもないから、と」
 ……
その意志に飲み込まれそうになりながら、また、頷く。
 今度こそ、キャプテンは前を見て歩き始めた。
 重いため息が、零れる。どうやらうちの学校は、ライバルだと認めてもらえたらしい。それに強い安堵と、嬉しさと、手応えを感じた。




今日は、負けた。
でも、次に戦う時は。
――絶対に、負けたりなんかしない。
よし、と一人ファイティングポーズを決めて。
オフィシャルの席に向かった。
次の勝利への第一歩は、ここからだ。私達のチームは、始まったばかり。
負けた悔しさとは別次元で動く胸のざわめきを感じながら、思わず笑みを零した。


  

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