あなたに内緒の秘密の果実。

大事に大事に、胸の奥深く、沈めよう。


24.二粒の秘密(1)


「っは〜、着いたぁ!!」
 
石段を登りきり、大きく息を吐く。後ろから重い荷物を抱えてぜぇぜぇ言いながら、一年が歩いてきた。
 ていうか、何段あるんだろう、これ。すっごい疲れたんですけど。大きくため息を吐きながら、校門へ足を踏み入れた。

 新人戦が終わり、二週間経った日曜日。県大に向け、更なる実力強化のために、最近は練習試合が増えてる。今日もそうで、同じく県大出場で、別地区の高校とやる。
 ……ただ、地区が違うから遠くて大変なんだ、これが。しかも駅から三十分は歩かされ、着いた高校は山の上。
 荷物もなく、体力はある二年生部員はさっさと上に行ってしまった。荷物はないが、体力もない咲ちゃんと私は中間。そして試合用の荷物を運ぶ一年生は、今やっと登りきったところ。始まる前からこんな体力削っていいんだろうか、と思いつつ。セーターの裾で、額に滲む汗を拭った。

「おーやっと来たか」
「来たか、じゃないでしょー!!あんたら待つとかしなさいよ!!」
 案内された剣道場に行くと、みんなは着替えもせずにぐだぐだ話してた。私が来たのに気付くと、部員の一人が緩い感じで手を挙げる。怒鳴ってはみたけど、こいつらのマイペースは身に染みて分かってる。頭を押さえて廊下に出ると、ちょうど体育館からユニフォーム姿の人が出て来た。
 挨拶しようと思って、近くに寄る。すると向こうも気が付いたみたいで、ニッコリ笑われた。
「こんにちは。藤ヶ丘のマネージャーさんですか」
「あ、そうです。柳と言います。今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ。部長の富田です」
 お互い深々と頭を下げる。人の良さそうな微笑みに、私も笑ってしまう。いつもこういう時は、山元と一緒に行くんだけど、今日に限ってタイミングが悪かったみたいだ。そんなことを考えながら、目の前の部長さんに相槌を打つ。
「三十分?それ、多分遠回りしたんじゃないですか」
「え、嘘っ」
「うちの高校の奴はみんな、裏門使ってますよ。そっちだと石段登る必要もありませんし」
「うわー、帰りのために教えてもらってもいいですか?」
「あ、はい。もちろん、」
 
それなりに弾む会話。内容よりも何よりも、この人の空気は、優しいからだと思う。常に崩れない笑顔に、私も笑みを思わず零した、時。
「柳」
 
――後ろから、異常に低い声が聞こえた。
 ぎくりとして、ゆっくり振り返る。予想通り。
「あれ、山元か。久しぶり」
「……南中の、富田だっけ。おす」
「あー覚えてくれてたんだ。今日はよろしくな」
「おう、じゃあまた後で」
 
表面は笑顔だけど。完璧な笑顔だけど。その背後にある真っ黒オーラは怖いんですけど!?私が一言も発さない内に、山元は勝手に会話を終了させ、私の手を掴んで歩き出した。
「っちょ、山元、いたっ」
「……」
「ていうかっ、私着替えないとっ。もうアップするでしょ!?」
「まだいい」
「何言ってんの!!」
 
ぐいぐいと、遠慮もなく力を込めて捕らえられる。いくら文句を言っても、振り向きもしなければ、力を緩めもしない。
 なんなんだ、いきなり。……とか言いながら、分かってるんだけどね、もう。このパターン。
 剣道場を通り過ぎ、廊下の奥を曲がる。同時に。
 ―ばんっ
 ……勢い良く、壁に押しつけられた。痛くはないけど、衝撃が強く、目を瞑る。開けると、至近距離で、山元の目が光った。
「お前さぁ。何でそう無防備に、他の男と二人きりになるの?」
「……知らない。ていうか、挨拶しただけでしょ?」
「俺が帰ってくるまで待てよ」
「わがまま言うなっ。こんなことで、いちいち怒らないでよっ」
 
山元の後ろにある窓から差し込む光が、眩しい。そして逆光に照らされるその顔は、あまりに綺麗で。頬が熱くなるのを、止められない。
 山元は、怒りっぽい。しかもその原因が、……やきもち、なんて。
 最初のころは本気で分からなくて、突然不機嫌になる彼に振り回される日々。でも、理解してからは呆れてしまうくらい。私が男子と二人っきりで話す度に、不機嫌そうに顔を歪める。
 ていうか、私はあくまで迷惑じゃないってだけで受け入れるとは言ってないよ!!なのに何で怒られなくちゃいけないの、意味分かんない!!そりゃあんな言い方すればこの態度も仕方ないかもしれないけどさ!!
 悔しくて俯くと、そっと耳元に、何かが触れる。熱くて、柔らかい――。
「怒るよ」
「!?」
 
ダイレクトに吹き込まれる吐息に、全身の温度が上がる。何。何やってんの、これ。
「俺は柳のことだったら、どこまでも、心狭くなれる」
「や、離してっ……」
「言っただろ?遠慮しない、って」
 
再び手首を強く握られ、壁に押しつけられる。
 何だこれ。どこの少女漫画だ、何でこんなことされてんだ、
 混乱する私を放って、山元は耳にキスしたまま、空いた片手で首筋をなぞる。その艶めかしい指先の動きに、鳥肌が立った。
 だからこれ、
「柳……」
 
どんな羞恥プレイーーー!?
 ぶるぶる震える私に気付かず、山元は髪を梳き始める。
 遠慮しない、ってこういう意味?堂々セクハラするってこと?いや、違うよそれ絶対。間違ってるって。
 しかし私が落ち着こうと脳内突っ込みを繰り返すうちに、ちゅ、とか耳元でそんな音が聞こえた。吸い付かれたような感触あったんだけど。
 いや待て待て待て。
 私の内心の絶叫は当然山元には届かず、あろうことか、奴は唇を額に移してきた。
 だから、さぁ。
「やめてって言ってるでしょうがーー!!」
「ぐおっ」
「この変態ドスケベエロ馬鹿ーー!!」
 
絶叫と共に、ようやく動かせる身体で力一杯山元に頭突きした。
 ごん、と鈍い音がした。頭は、じんじん痛い。顎を押さえて、よろよろと反対側の壁に寄りかかる山元に叫んで、私は逃げ出した。
 うわーん、もうお嫁に行けないー!!あのセクハラ大臣の馬鹿ー!!
 目元に浮かんだ涙を拭きながら、私はトイレに駆け込んだ。

 今日の練習試合は、一日の予定。なので一回、お昼休憩を挟む。咲ちゃんとゆったりお弁当を食べて、自販機に飲み物を買いに行った。そこにはうちの学校のジャージが数人いて。
「あ」
「……」
 
山元も、いた。目が合って、私は思いっきり顔を背ける。練習中は普通にするけどね。それ以外は、知らない。
 怒られる位ならまだ、心配してる部分もあるのが分かるから、いい。けど、セクハラは別。付き合ってもないのに、あんなことするな、変態!!調子に乗り過ぎです、いくらなんでも!!
 後ろで咲ちゃんが、苦笑している。今回は、完全に悪いのあっちだもん。私は、知らない。
 ちらりと視線を戻すと、山元が気まずげにこっちに向かって来た。唇を尖らせながらそれを見つめると、途方にくれたような表情をされる。
「やな、」
「あれ?恍ー?」
 
山元が、口を開いて私に一歩、踏み出した瞬間。被さった高い声に、誰もが振り返った。
「久しぶり!!やだ、身長伸びてるじゃん。でも相変わらず良い男だね〜」
 な、何。この美人さん!!
 パーマがあてられた茶色に染まった髪、綺麗にメイクが施されてる。何て言うか、咲ちゃんとか神奈とかきゆとは、違った綺麗さだ。迫力美人、って言うの?着崩した制服も計算されてる感じだし、隙がない。小さな顔一杯笑顔にして、こちらへゆっくり歩いて来た。隣にいるお友達も、これまたタイプの似た美人さんだ。
 山元を見ると、「はぁ、」と曖昧な返事。
 知り合い、じゃないのかな?首を傾げると、美人さんは、山元の腕に細い指先を絡めた。
 ……は。
「実咲、誰?知り合い?」
「うん。同じ中学で、後輩だったの」
 格好いいでしょー、とまるで自分の彼氏のごとく腕を組む。え、何、この人。ていうか山元も。何で許しちゃってんの。その瞬間。山元と、私の後ろの咲ちゃんが、はっと息を呑んだ。
「み、実咲、先輩?」
「あぁ、恍覚えててくれんだ?」
 
嬉しいなぁ、と言いながら、無邪気に笑う。この人、メイクとかしてるんだけど、笑顔は、すごい無邪気。思わず誰でも懐に入れてしまいそうな、子犬みたいで可愛らしい。
 だからなんだろうか。山元が、迷惑そうな顔してないの。今の山元は焦ってるけど、迷惑な色は浮かんでない。
 改めてそんなことに気付いて、胸がぎゅっと痛くなった。
 不意に、咲ちゃんにスウェットの裾を引っ張られる。
「瑞希先輩、戻りませんか」
「え、あ、うん」
 
時計を見ると、もう午後の試合開始四十分前だ。準備を始めるべき時間かもしれない。唐突に言い出した咲ちゃんに首を傾げながら、素直に頷いた。
 ……ここにいても、気分悪くなるだけだし。
 ゆっくりと部員に背を向けた瞬間。
「まぁ、それはそうだよねぇ」
 
あの美人さんの、高くて甘い声が耳に届いた。
「――あたし、恍の初めての女だもんね」
 
とどい、た。
「っちょ、実咲先輩!!」
「やだ、今更何焦ってんのよー。いくとこまでいった仲でしょ?」
 ……山元の声が、やけに遠くに聞こえる。横で咲ちゃんが、「ああ、」と大きくうなだれていた。部員は「え、マジで!?」とこれまた馬鹿な叫び声。「うん、マジー」なんて、上機嫌な甘い声が、何でだろう。

 すっごく、不愉快。

「咲ちゃん、行こう」
「え、瑞希先輩っ」
 
咲ちゃんの腕を掴み、早足で剣道場に向かう。焦ったような声が聞こえたけど、ごめん。今は、我慢して。訳分かんない位、むかついてるの。
 後ろで、山元が実咲、さんに何か声をかけてる。そして、こっちに足音が近付いて、ぐっと腕を掴まれた。さっきまで、実咲、さんが触れていた手で。
「や、柳っ、俺、」
「……」
 
ぜぇぜぇ、と大した距離を走ってないはずなのに、山元の息は切れてる。あの、とか、俺、とかもそもそ口の中で呟いた後。
「あの、違うから。実咲先輩、は、……昔は、色々あったけど。今は全然関係なくて、」
「山元」
 
必死の訴えなんだろう。山元にしては珍しい位、歯切れの悪い言葉だった。それを遮り、名前を呼び、振り向く。私がその目を見ると、ひどく嬉しそうに笑われた。視線を合わせるのは、朝以来、初めて。だけど。
「私には、ぜーんぜん、関係ないことだから。折角昔の彼女さんに会えたんだから、ゆっくり話して来なよ」
「……え」
「恍ー?」
「ほら、呼んでるよ?私、仕事あるから。じゃ」
 
にっこり微笑んで、私は山元を、断ち切った。
 ぶんっと思いっきり腕を振り解く。ついでに、触られた場所を払い、鼻を鳴らした。そのまま。呆然とした奴を置いて、咲ちゃんと歩く。
「あの、瑞希先輩?」
「咲ちゃん、ほら、変なことしてたから時間無くなっちゃうよ。急ごうか?」
「……はい」
 
咲ちゃんが慌てて声をかけるけれど、今の私は止まらない。にっこり笑いかけると、私の有無を言わさぬ空気を感じ取ったのか。ただ、頷いてくれた。うん、咲ちゃんのそういう空気読めるところ、あの男と違って大好きだよ。
 ほんの少しだけ、後ろを向く。山元は、あの実咲さんに、べったり抱きつかれてた。顔は見えないけれど、引き離そうとは、しない。
 ……気にしてなんか、ない。別に、全然気にならない。強いて言うなら、練習試合で浮ついた気持ちになんか、ならないで欲しい。
 それだけだ。眉間に寄った、皺の理由は。
 
何が、『昔は色々あった』よ。正直に言えばいいじゃない。元カノです、って。別に知りたくもないけど。
 ていうか、『今は関係ない』とか言いながら、しっかり名前呼んでるじゃない。腕、組ませてるじゃない。神奈も、そうだし。何。山元は、元カノも名前で呼ぶ派なんだ。私はそんな人、絶対ごめんだもん。自分の彼女しか、名前で呼ばない人がいいもん。自分の大切な人しか、名前で呼ばない人がいいもん。
『や、柳っ、俺、』
……
別に、気にしてなんかないけど!!


  

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