夕暮れ、五時のチャイム、家のざわめき声。

子供のころ、走って帰れば。

それを与えてくれる人が、いた。

26.オカエリ(1)


「『目が見えなくなるかも……』とか何とかさぁ、言ってたよね、あんた。確かに言ったよねあの日!!」
「だからっ!!あれは俺も分かってなかったって言ってんだろうが!!」
「それで済ます気!?あんな恥ずかしいこと言わせておいてっ!!」
「だっ、お前本当に――っ」
 
一頻り叫んだ後、周りの人の注目を集めていることに気付いた。目の前の男も同じようで、気まずげに言葉を切り、視線を逸らす。そして、さっさと歩き始めてしまった。
 何だあいつ。恥ずかしいのはあんただけじゃないっつーの!!
 その背中に思いっきり舌を出したのだけれど。小さな子供に指さされているのに気が付いて、慌てて走って、彼に追いついた。

 先日の山元と話した病院にて。
『この手が、俺を、導くから。いつだって、眩しい世界に、俺を連れ出してくれるから』
 なんて言った直後に、先生が治療室から、変な顔をして出て来た。慌てて離れたら、先生は『お前ら、入って来い』と言って。それには、思わず震えた。でも、山元が私の肩をそっと抱いたから。
 ああ、怖いのは山元だよね、大丈夫、私側にいるから!!なんて意気込んでみた訳です。
 そしたら。
『うん、一・二週間もすれば完全に良くなると思うよ。まぁありえないと思うけど、もしも視力落ちたりしたらまた来てね。お疲れ様』
 ……その軽く言われた言葉に、あの日私はどんな顔をしただろう。覚えてるのは、真横にいた山元が妙に間抜け面だった、ってことだけ。と言っても、いつも通り綺麗なんだけどね。美人は、どんな変顔しても美人と信じている。まぁ、その山元がふらふら先生に近付いて、必死に訴えた。
『え、先生、視力障害あるかも、って』
『いや、さっきはまだ検査結果出てなかったから。良いこと言われた後に悪いこと言われるって最悪でしょう?だからせめて、逆にしておこうと思って』
 
私は最初からその可能性はないと思ってたけどねー、とニッコリ笑われ。何だか、身体の一部が砂になったような。とりあえず、ものすごい脱力感が襲った。

「ちょっと、速いっ」
「……うっせ」
 
小走りでようやくその横に並べば、憎まれ口。かちんと来てその横顔を睨めば、赤く染まった頬。
 どうやら、またあの日のこと、思い出してるみたい。いや、確かに恥ずかしいよ。ていうか、私も相当アレなことを言った訳で。
『足りないかもしれないけど。私、側にいるよ。一人になんて、絶対させないから』
 ――何言ってるんだ、私。うわ、もうありえない。破棄だ破棄!!こんな記憶、破棄!!
 冷たい外気の中、頬が熱くなる感触に気恥ずかしくなって、マフラーに顔を埋めた。

 とりあえず、今、山元は部活見学をしてる。全治する二週間は、筋トレにランニング、シューティングと、色々頑張ることにしたみたい。
 午前練だった、今日はというと。冬の遠征用の買い出しに行こうとした私に、着いてきてくれた。散々断ったんだけど、荷物持ちとして行く、と聞かなくて。仕方なく一緒に歩いてる。
「お前、最近俺と一緒にいるの避けてねぇ?」
 
電車の中、そんなことを聞かれた。それに私は、笑って誤魔化したけど。実際、避けてる。
 だって、恥ずかしい。自分の言ってること思い出したら、ぷ、プロポーズとか、そんな感じのこと言っちゃったような……。っ無理、無理だって!!そんな状態で普通の顔なんか出来ないって!!ていうか、今日の状態も、端から見たら、デート……?っいや、違うし!!ただの買い出しだし!!荷物持ちだし!!
 立ち止まって、ぶんぶん大きく首を振っていたら。不意に、肩を叩かれた。慌てて肩越しに山元を振り返ると。
「ふぇ?」
「……どうすりゃいいんだ、こういう時」
 
どうやら。私は、結構長い時間、意識が飛んでたらしい。でなきゃ、山元が、――ぐずる小さい子供を、その腕に抱えるなんて、出来ないはず。絶句する私を余所に、山元はその子に頬を抓られ、顔を顰めていた。

「じゃあ、よしとくんは、お母さんとはぐれちゃったの?」
「ん、」
「そうか……。今日、人多いしな」
 
慰めるように、山元は腕の中の男の子――よしとくん、の頭を撫でる。制服姿なのでお父さんには見えないけど、私服だったら多分、立派にお父さんだ。それ位、子供のあやし方が上手い。ていうか、子供、好きなんだろうな。笑顔も声も、滅茶苦茶甘い。
 苦笑しながら周りを見渡すと、確かに駅前は人が多かった。ここの町には、うちのチームがいつもスコアブックを注文してるスポーツショップなどがある。(ていうかここに行くって言ったら山元が着いて来る、って聞かなかったんだけどね)他にもデパートや映画館など、なかなか大きい町なのだ。だから普段から人通りは、多いし、今回は特に。
「あと二週間で、クリスマスだもんね」
 今は
、十二月。色取り取りに飾られたショーウィンドウは、町中を活気づかせ、聞いたことのあるようなクリスマスソングが、慌ただしい空気を“特別”に変える。だからか、よしとくんも、おもちゃ屋のキラキラしたツリーに魅入られている内に、お母さんが消えてしまっていたらしい。
 毎年、クリスマスは、家族と過ごしてる。多分、今年もそうだろうなぁ、と思って苦笑してしまった。それに気付いたのか、山元が首を傾げた。
「どうした?」
「ううん、別に。じゃあ、どうしよっか。歩いて回る?」
「そうだな。よしと、いつ位に母さん、いなくなった?」
「……ちょっと前?くらい」
「ん。大丈夫だ、俺らが見つけてやるから」
 
だから泣くなよ、とよしとくんに額をぶつける。すると、ほんの少し涙を浮かべていたよしとくんは、はにかんで笑った。それを見て、山元もにっこり笑い。
「よーし、偉い。そんな奴には……」
「ぅわ!!」
 腕の中のよしとくんを、軽々、自分の肩に乗っけてしまった。いわゆる、肩車。その高さに、よしとくんは、興奮して足をばたつかせている。
「わ、わあ!!」
「どうした?初めてか?」
「ん、んーんっ、パパも、してくれた、けどっ。こんな、高くなかったもん」
 
きゃはは、と嬉しそうな笑い声をあげて、よしとくんは山元の頭にしがみつく。それに山元も笑って、よしとくんの足をぎゅっと掴んだ。
 何か、和むなぁこの光景。いや、まぁ、こんなイケ面が子供とじゃれてるもんだから視線は痛いけど。でも、平和だなぁって思う。
 一般家庭のお父さんて、確かに百八十超えてるのは少ないよね。子供は高い光景なんて、なかなか見れないし。一生懸命、身体一杯で喜びを表現するその姿に、笑いが漏れて。
 ちょん、と山元の裾を引く。ん?と振り返るその目も、いつになく優しい。それに促されるまま、私は口を開いた。
「山元も、お父さんにこういうこと、してもらったの?」
「……」
「山元?」
 
だけど突如。その空気は、固くなる。一瞬目を見開いた山元は、私から静かに視線を逸らした。
「――いや、あんま覚えてない。四歳か五歳かで、会えなくなったから」
「っ」
 
しばらくしてこっちを見た彼は、困ったように笑い。だけど口調は、あくまで穏やかで、そんなこと言うから。私は思わず、息を呑んで、俯いてしまった。
 ……最悪だ。これは多分、そういうこと、なのかな。可能性だってない訳じゃないんだから、ちゃんと考えて聞けば、良かった。俯いた私の頭を、山元は、ぽんぽんと叩いてくれる。
「別に、気にしてねぇから。そう落ち込むな」
「……うん」
 
声音は、いつも通り優しくて。それがまた、私を落ち込ませる。
 だって、さっきの山元、違った。確かに、悲しそうだった。瞳が、態度が、言ってた。『会いたい』って。
 だけどここで謝るのも、逆に失礼な気がして。私は謝罪の言葉を喉の奥に引っ込めて、ぎこちなく笑った。山元はそれを見て苦笑しながら、よしとくんの手を握る。よしとくんは、嬉しそうに握り返した。
「でも、こういうのは慣れてんだよ。葵がいるから」
「葵、くん?」
「去年、大会の時、会っただろ?俺の弟」
「……ああ!!」
 
山元の言葉に、首を傾げる。でも、はっと思い出した。可愛い顔した、素直そうな小さい男の子。実は、私が山元の笑顔を見たのって、その時が初めてだったんだ。

 関東大会予選の時に、試合が終わった後、荷物の片付けをしていたら、近くで話し声がして。覗いてみると、山元と、小さい男の子がいた。あの時は、今と違ってお互い犬猿の仲状態だった。だから最初は、小さい子虐めでもしてるのかと思ったんだけど。
『お兄ちゃんっ』
『……お前、来るなって言わなかったか?』
『でも、来たかったんだもん。すごかったね、すっごく高く飛んでたねっ』
『そうか?』
 ――その微笑みは、私の考えを、一瞬で吹っ飛ばした。慈しむような、甘やかすような口調で話しかけ。目線を合わせてしゃがみ込み、優しく男の子の頭を撫で回す。
 その存在全てで、山元は、語ってた。その子が大事だ、って。
『……』
 
その時私が後退った時に音を立てて、まぁ一悶着あったんだけど、それはともかく。

「葵くんって言うんだ。可愛いよねー、あの子」
「まぁな。今、バスケやってるらしいぞ」
「本当?今年は見に来ないの?」
「さあ。来るなって言ってるけど」
「えー会いたいのに」
 
さすが山元の弟と言うか、可愛かった。茶色い髪に、くりくりした大きい瞳、白い肌。もう、人間界に降りた天使かと思ったね!!礼儀正しいし!!山元は真っ黒い髪に切れ長の瞳と、あんまり似てない兄弟だと思ったけど。まぁ、そんな家もあるよね。うちも実際、似てるとは言い難いし。
 ふむふむ、と一人頷いていると、山元にじっと見られた。視線を上げると、ふっと山元は目を細める。
 
 どくり、
 心臓が、妙に騒ぐ。
 治まれ、
 治まれ、
 治まれ。

 必死に叫ぶけど、いつだって、私は置いてけぼり。
 どうしてだろう。視線が合って、こんな優しい色で見られてることに気付く度、鼓動が跳ねるのは――。
「お前んちは、平和そうだな」
「んん?まぁ、平和だよ。あ!!でもね、妹がね、うちもすんごーく可愛いんだ」
「へぇ」
「瀬菜って言うんだけどね!!ちょっときゆに似てるかなぁ。クールだけどやさしいの。この間もねっ」
「ん」
 
どうでもいいことでも、山元は、笑ってくれるから。どうしてかな。私はひどく、傲慢になってしまう。この緩やかな空気に、身を投げたくなる。山元も、それを望んでると、そう思ってしまう……。


  

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