自分で頑張っても、コントロールが効かない。

ただひたすら、走り出す想いは、あなたに向かう。


30.止まらない想い


「はぁー」
「瑞希、まだ終わらないの?」
「あともうちょっとー」
「後片付け、ちゃんと自分でしてよ?」
「大丈夫、分かってるよ!!」
 
それならいいけど、そう呟いてお母さんはドアを閉め、リビングに戻った。残された私は一人、キッチンで生地をカップに注いでいる。
 本日、二月十一日。世間一般では、建国記念日で知られている休日。そんな日に私は何をしているか、と言うと。
「おし、後は焼くだけ!!」
 
バレンタインのお菓子作り、です。
 今年は、バレンタイン前日が平日なので、早めの今日に作ることにした。渡すのは十四日なので、長持ちするもの。シンプルに、チョコチップのカップケーキにした。すでに机の上には、完成品がたくさん並んでいる。部員全員分、となるとかなりの数になるし、時間もお金もかかる。
 今は九時半。これでも、作業自体は七時半から始めたのだ。
 家全体に甘い匂いが漂って、少し酔ってしまったような気がする。
「ふぅ」
 
天板の上にカップを乗せて、オーブンに入れる。予熱はしておいたから、温度はそんな高くなくても大丈夫だろう。とりあえず、十五分セットしておいて、その間に洗い物を始めた。
 そう言えば、さっちゃんに、バレンタインの相談を受けて、とりあえず簡単なブラウニーの焼き方を教えておいたけど、どうなったんだろう。でも、話を聞く感じ、さっちゃんの彼氏は、彼女大好きみたいだから。私としては、手作りなら何でもいいんじゃないかーとは思ったんだけど。
 さっちゃんだけじゃない。きっと今日、神奈やきゆも、彼氏にチョコを作っている。日本中の恋する、女の子が。みんな、バレンタインに一生懸命になっている。
「はぁ」
 
そんなことを考えると、ふとため息が零れた。洗ったボールやゴムベラを拭いて、手を拭う。小麦粉などの材料の残りは、袋の口に輪ゴムをかけ。キッチン全体を掃除して、出来上がっていたお菓子を袋詰めし始めた。
 一生懸命な女の子が、たくさんいる中。私はと言えば、惰性のカップケーキ。
 別にそれが悪いって訳じゃ、ないと思う。義理チョコだって、立派なバレンタイン。お世話になったお礼も含めて、十分渡す価値のあるものだ。
 でも、どこかで、虚しさも感じている。
それは、きっと、説明のつかない気持ち。自分の気持ちと、現実のギャップから起こる、歪み。
 
頭に次々と浮かぶとりとめのない思考を、大きく振って、無しにする。そして、もう一度作業に没頭した。
 リビングからは、気が付けばテレビの音も消えていて。繋がるドアを開ければ、もう誰もいなくなっていた。そう遅い時間でも無いけれど、各々部屋に引っ込んだみたいだ。
 キッチンに戻ると、丁度オーブンが音を立てた。火が完全に消えたのを見てから、蓋を開ける。
「わぁ、」
 
今日、何回も見た光景。それでも、ふわふわで少し焦げ目がついたカップケーキは、私を感動させる。
 ケーキ屋さんてすごいな、と改めて思う。いそいそと、テーブルに天板ごとケーキを運んだ。
 途中、Gパンのポケット中のケータイが震える。きちんと机の上に置いてから、ケータイを開いた。新着メールの表示。こんな時間に誰だろう、と首を傾げる。
『無事完成ー!!瑞希ありがと、ホントに大感謝です!!』
「……さっちゃん」
 
ハートマークの絵文字が並ぶメールと、添付された画像。そこには、見事に焼き上がった、美味しそうなココア色の生地、上に乗ったほんのり焦げたアーモンド。一緒に写ったピースに、思わず笑ってしまう。ゆっくりとボタンを操作して、返信画面に切り替えた。
 大したことは、してないけれど。喜んでくれるなら、それに越したことない。そう思いながら、素直な気持ちを打ち込んでいく、と。
「、」
 
――不意に、画面が切り替わる。着信画面。
 一瞬、さっちゃんかと思った。
 でも、違う。
『着信中 青竹 悠』
 
何で。こんな時間に、どうして?
 予想外すぎる展開に、頭が着いていかない。でも、もしかしたら、何か急用なのかもしれない。そう思って、無意識に止めていた息を吐き出し、通話ボタンを押す。
 何かが引っ掛かっているように、やけに重く感じる身体を必死で動かして、受話部分を耳に押し当てた。
『もしもし?柳先輩?』
「もしもし」
 
静かなキッチンで、青竹くんの声は耳にやたらと響く。そっとケータイを耳から離して、音量を一番低くした。それでも、その声はよく通るんだけど。
『先輩、今、家ですか?』
「え、うん。そうだよ」
 
青竹くんの電話の向こうも、とても静かだ。何だか、二人しかいない世界みたい。我ながら、やたらとロマンチックな表現に苦笑してしまった。私の苦笑を不思議そうに聞きながら、青竹くんは続ける。
『先輩の家って、向坂駅ですよね?』
「うん。西口の方」
『あの、実は。今、駅にいるんですけど。少し、出て来れませんか?』
「……えぇ!?」
 
少し気まずそうに言われた言葉に、私は目を見開いた。慌てて、視線を時計の方に向ける。もう、十時になる時間だ。何で、こんな時間に?そりゃあ、青竹くんの家の最寄り駅は、確かに乗り換えまで同じ路線ではあるけど。乗り換えからうちの駅まで遠いし、面倒臭いし。しかも、二月のこの時間って相当寒くない?そこまでして、直接話すことって?
 混乱した頭は、青竹くんの呼びかけで戻ってくる。
「あーえっと、すぐ行くよ。青竹くん、山ノ上公園分かる?」
 
うちの家から歩いて十分くらいのところにある、桜の名所として有名な公園をあげる。有名だからか、青竹くんは『ああ、はい』と納得したような声を出した。
「じゃあさ、そこで待ち合わせにしない?そこ、駅とうちの丁度真ん中くらいなの」
『分かりました。すいません、こんな夜遅くに』
「大丈夫。あったかい格好して待っててね」
 
了解の返事を貰って、慌てて電話を切った。
 ザッと、自分の格好を見直す。薄手のタートルネックセーターに、シンプルな青いGパン。流石にこれだと寒そうなので、部屋に戻って、ダッフルコートとマフラーを身につけた。
 そして、隣の部屋をノックする。中から「はーい」と妹の返事が返って来た。
「ごめん瀬菜、ちょっと知り合いに会いに、山ノ上公園行ってくる。鍵は持って行くから、閉めちゃってもいいよ」
「こんな時間に?……大丈夫なの?」
 
私の言葉に、途端に真剣な表情になる、瀬菜。心配してくれてるのが分かって、苦笑する。あの事件の後、一時期色々ボロボロになった家族を知ってれば、当然の反応だ。だから安心させるよう、ゆっくり微笑んだ。
「うん。ちゃんと、大通り行くから、平気だよ。コンビニ寄って来ようか?何か欲しいもの、ある?」
「……じゃあ、アイスもなか食べたい」
「了解」
 
お父さんとお母さんは、多分もう寝ちゃったんじゃないだろうか。明日は、早いって言ってたし。勉強中だったらしい瀬菜は、「気を付けてね」それだけ言うと机に向かった。素っ気ない言葉の後ろにある、心配を感じ、小さく笑う。
 階段を下りて、玄関でスニーカーを履いた。ブーツの方があったかいから良いんだけど、走り辛い。さっきの電話から、もう三分は経ってる。駅から公園まで、割とすぐだから、急がなくちゃ。そう思って、外に出た。
「寒っ」
 
途端、全身を包む冷たい空気に身を震わせる。一歩一歩、踏み出すのも辛い位。だけど、暗い道路を私は走り始めた。プレイヤーに、風邪を引かせる訳にはいかないし。はっはっ、と白い息を吐き出しながら、私は走り続ける。何の話があるのか、全く予想はつかない。それでも、私のわがままを受け入れてくれた彼に、応えるために。
 
――その先に、何があるかも知らないままに。

 

  

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