好きだと、そう思った。

誰よりも、深く。

……だからと言ってすぐに慣れる訳じゃ、ないんだよーーー!!


32.my dear(1)


 ―バクバクバクバクバク
 朝から、すごい勢いで心臓が音を立てている。気が付けば額に汗が滲んでいるような状況で、とにかくヤバイ。
 ていうか、どうしよう。どうすればいいのっ!!
「すみません、山元先輩いますかー?」
「……!!」
 
その名前が、聞こえただけで。お弁当に入っていたエビフライ(冷凍)を、喉に詰まらせた。慌てて胸を叩く私に、神奈が無表情でお茶を渡してくれる。
「っごほ、ごほごほっ」
「大丈夫か?」
「っん、あ、りがと」
 
それを一気に飲み干して、噎せながら返事を返す。涙目の私を見て、神奈は呆れたようにため息を吐く。
 きゆとさっちゃんは、と言うと。
「おお、今日何個目だっけ?モテモテだねー」
「教室に持って来たのは七個、ね。よくあげるわね、あんな俺様男に」
 
入り口で、可愛い後輩の二人組から何かを受け取っている山元を面白そうに眺めていた。
 見たくない。でも、視界に入ってしまう。そこにいる山元は、わずかに微笑んでいて。
 ―ちくり
 心のどこかに、針が刺さったような気がする。でも、それを気付かれないように黙ってご飯を呑みこんだ。
 今日は、二月十四日、バレンタインデー。お菓子会社の陰謀だと言うなかれ、これで付き合って結婚までするカップルもいるのだ、馬鹿には出来ない。
 かと言って、私にはあまり関係ない行事だった、と思う。中学時代は、そもそも学校にお菓子の持ち込み禁止だったし。高校に入って、部員と先生に毎年チョコを配るよう言われたから、そういう意味ではちゃんと参加してる。でも、本命チョコ、というのを渡したことがない。
「……、」
 
その言葉を思い浮かべただけで、顔がぼんっと赤くなった。
 や、やばい。私、頭のネジ一本どころか百本くらい抜けちゃってるんじゃないだろうか。
 顔の熱を冷まそうと頭をぶんぶん振るけれど、まったく逆効果。視界の端にちらちら映る黒髪に、過剰反応してるの、自分でも分かる。大きく深呼吸をしたら、何故だかやたらと最近私の耳につく名前が、聞こえた。
「恍、モテモテじゃん」
「さすが山元さまさまって感じー?」
「あーもう、一個くらい分けろよーっ!!」
 
クラスの男子の絶叫の中心は、ただ一人。
 いや、本当は田口くんも今日の主役になるんだろうけど。「彼女がいるから、ごめんね」とやって来る女の子みんな返してしまう。よって、今日一番うちのクラス、いや学年でモテてる男は。
「あーお前にゃ無理だな、諦めろ」
 
――山元、だ。
 その声を聞くだけで、背筋がぞくりとする。ますます赤くなる頬に、自分でも困惑するくらい。膨れ上がる気持ちに、息も出来ないくらい。胸の中でどんどん面積を増す感情に、私は眩暈がして。がたり、乱暴に席を立った。その音に、山元を顔を顰めて見ていたきゆとさっちゃんは顔を上げて、神奈は、ちらりと視線を私に寄越す。
「あ、あのっ、……トイレ!!行ってきます!!」
 
馬鹿じゃないか、私。何でこんなこと、全力で叫んでいるんだろう。
 三人の不思議そうな視線に、ますますいたたまれなくなって、私は返事も待たず走って教室を飛び出した。

 青竹くんと話をした日から、三日。そう、三日も経ってる。なのに私は、……未だ、山元に何も言えない。
 部活の用事で話しかけられることもある、なのに逃げてしまう。着信があれば、思わずメールで返してしまうし。ひどい態度なのは分かってる、変な目で見られてることも分かってる。
 でも、気付いてしまった。
 あんな熱い瞳で、あんな優しい笑みで、あんな甘い声で、閉じ込めるみたいに大事にされて、――平気で傍で笑ってる、なんて、出来ない。
 ただ、名前を呼ばれるだけでも、口から心臓が飛び出そうになる。本人はなんてことない、っていう風にまた、私に触れるから。
 ていうか、絶対自覚してないし、あいつ。あんなに甘甘な空気出しといて、自覚なしってもう最低だよ!!ダダ漏れだよ!!ちょっとは自制してよ!!じゃないと!!――私だって、自制利かなくなる!!
「はぁ」
 ……山元は、それでも部活の時は私のことは見ない。ちゃんとバスケに集中してる。
 なのに、私は。山元で一杯一杯になってしまって、目が合った、そう思っただけで身体が固まってしまう。駄目なのに、部活に影響なんか絶対出したくないのに、なのに私は今、自分を止められなくて。情けなくって、涙だって出て来る。
 今はまだ、ミスはしてない。でも、これから先するかもしれない。
 例えば試合のスコアをミスしたとして、その原因が「山元に見惚れてました」って。……笑い話にもならないって。
 ひんやりした廊下の空気に身を包みながら、私は静かに目を伏せる。
 
――本当に、気付かないで済んだのなら。
 練習中、汗ばんだ髪を掻き上げる姿がやたら眩しく見えたり、他の女の子と話している姿にやたらいらついたり、田口くんとつるんでる時の笑顔がやたら可愛かったり。今まで見ようとしなかった、今まで以上にキラキラ見える、私の中の山元。
 意識しない、と決心するほど、私の中が奴で満ちていく。
「馬鹿だなぁ」
 
こんなにも一杯になるまで認めようとしなかった私も、この期に及んで未だに逃げ腰の、私も。

「はい、じゃあシューティング終わった子からチョコ取りに来てー!!」
「おぉー!!来た来た!!」
「今年は渡辺もいるしなー!!」
 
部活終了後。
 ぱらぱらと、シューティングを終えて雑談に入った子が増えたころに、私と咲ちゃんが示し合わせて声を張り上げると、お腹の減った部員が群がってきた。もらうだけもらうと、その場で包みを開けてさっさと食べ始めてしまった。まったく、食べかすが床に落ちるじゃないか。一言文句を言おうと思って、踏み出すけれど。
「うっめー!!」
「やべ、マネージャー天才だな!!」
 
なんて無邪気に言われてしまうと、二の足を踏んでしまう。
 何だかんだ、可愛くて仕方ない。
 お礼を言われて、咲ちゃんははにかんで笑っていた。何時間もかけたお菓子、相手が喜んでくれるなら言うことはない。先生も、「毎年ご苦労だな」なんて嫌味を言いながら、ホワイトデーには可愛いクッキーとかくれたりする。(ツンデレ、と言うんだろうなぁ)
 そうして、部員が一通りお菓子を取りに来た後。
「あれ、二個余ってますね」
「……あー……うん、誰か来てないのかなぁ」
 
不思議そうに言う咲ちゃんに、白々しく言葉を返す。
 分かってる。誰が取りに来てないか、なんてすぐに気付いていた。
 私の曖昧な言葉に気付かないのか、咲ちゃんはコートを見渡して。
「あ、山元先輩!!まだ来てないんですね!!」
 
ぽん、と納得したように手を打って、シューティング中の山元を指差した。思わずそれに視線を投げて、すぐに後悔した。
 やばい。
リングを真っ直ぐ見詰めるその視線が、格好良い。 日に日に脳内毒されてるんじゃないか、そう思って俯いた。
 ちなみに、一個は山元の分で、もう一個は山元のリバウンダーをしている坂下くんの分。二人とも、集中してるみたいでこっちの様子を気にも留めない。
 ……なんだろう。すぐに駆け寄って来てくれるのも、嬉しいんだけど、さ。
「……なんか、硬派な感じで格好良いですね」
 
思っていたことをぴたりと当てられて、咲ちゃんを見上げる。驚いた顔の私を見て、咲ちゃんはにっこり微笑む。だから私も、自然とニコニコしてしまった。
 チョコよりもバスケの方が、なんて、男子高校生にしては幼すぎる。それでもうちの部員には、それが、らし過ぎて。さっきまで食べていたみんなも、気付けば思い思いにリングに向かっている。そんなみんなが、可愛くて仕方なかった。
「でも、どうしましょうか?」
「え?」
「あれ、しばらく終わりませんよね。どうします、待ってますか?」
 
尋ねられて、私は顔を歪める。今日は、女バスの子にもチョコを配らなくちゃいけない。だから、待ってるほど時間の余裕がある訳でもないんだけど。
「私から、渡しましょうか?」
「え?」
「あの、今日はちょっと帰り、遅いので」
 
もごもごと咲ちゃんが私に声を掛ける。その様子を見て、ああ、と頷いて、思わず笑ってしまった。
「そっか、今日サッカー部ウエイトあるんだっけ?」
「!!」
「喜ぶよ、多分ものすごく」
「な、っ、あの、」
 
私が言葉にした途端、咲ちゃんは可愛そうな位、顔を真っ赤にする。そして、大きな身体を小さく丸めて、「……そんなんじゃ、ないです」と小さな声。あまりに微笑ましくて、あまりに可愛い態度に、私はにやけてしまった。
 これは確かにいじめたくなるかもなぁ……。咲ちゃんと一緒にいる時の、彼の意地悪な微笑みを思い出して、私は気付かれないように笑った。
「そっ、それで、私預かりますかっ?」
「ん、ああ、そうだったねー」
 
けれどすぐに、咲ちゃんは話題を変えようと必死になる。もうちょっとからかいたかったんだけど、なんて思いながら、私は乗ることにした。緩く頷く私に、咲ちゃんはあからさまにほっとした顔で笑う。何だかんだ、笑顔が一番可愛いので、文句はない。
 そのまま、顎に指を当てて考え込んだ。
 今日は、早めに部室戻らなくちゃいけない。でも、あの二人はまだ終わりそうにない。それでもって、咲ちゃんは預かると言ってくれてる。うん、これ以上良い条件はない。ないんだけど。
「……いや、良いよ。部室のバッグの上に、置いとくから」
「え?でも、」
「だ、いじょうぶ、だからっ」
 
私は、首を縦に振れなかった。迷わず、横に振っていて。そんな自分に気付いて、びっくりする位、素早い反応だった。咲ちゃんは不思議そうな顔をしているけれど、私は顔を背ける。
 情けない。絶対、顔、熱くなってる。そんな私を見て、咲ちゃんは黙った後、
「ああ、」と嬉しそうに笑って。
「他の女子に渡されるなんて、嫌、ですもんね」
「!!」
 
思わずぱっと顔を上げると、咲ちゃんは「山元先輩が、」と付け足した。けれどその瞳は明らかに輝いていて、私の気持ちはばればれだ。
 ……うう。情けない、もう、やだ。恥ずかしくて、目まで潤んでくる。
 山元のこと、言えない。私、なんてやきもち焼きなんだろう。山元にチョコ渡すの、咲ちゃんですら嫌、なんて――。
 俯く私に、咲ちゃんは静かに笑い声を零す。そして、「分かります」と小声で言った。
「……へ?」
「私も多分、逆だったら嫌ですもん」
 「普通ですよ、」と笑ってくれるその顔があんまり優しくて。ああもう、どうしよう。
「咲ちゃーん、好きっ!!」
「私もですよ、はい、瑞希先輩」
「わぁっ、はい、私からも!!」
 
勢いで抱きつくと、笑いながらチョコをくれる。嬉しくて嬉しくて、慌ててお返し。実はハートの包装紙、咲ちゃんだけだったりする。そう言うと、おかしそうに笑われた。
「じゃあ、そろそろ行きますか?」
「うんっ、山元と坂下くんにも伝えておいて、」
 
いつまでもゆっくりしていられないから、名残惜しくも私は体育館を出た。
 廊下はすでに真っ暗だ。最近、予算の無駄遣いをやめよう、とかで六時を過ぎると消されてしまう。何だか、電気ってあったかさを感じさせるなぁ、と一人ぼやきながら歩くと、向こうから人影。目を細めて、凝視してみると。
「青竹くん」
「お疲れ様です、柳先輩。帰るんですか?」
「うん、これから女バスの子とチョコ交換なの」
 
柔らかい微笑みで、青竹くんが頭を下げてくれた。私も笑いながら、彼に近付く。スウェットの上にウィンブレという、あったかそうだけど着膨れた格好に苦笑してしまった。私の視線に気付いたのか、彼は照れ笑いを浮かべた後、声を上げた。
「チョコ、ありがとうございました。美味かったです」
「本当に?さっきも言ってくれたのに」
「さっきは食べる前でしたから、」
 そ
う言われて、義理がたいね、と私は苦笑。
 あの日から、私と彼の関係に激しくヒビが入った?と聞かれれば真っ向否定だ。逆に、前より仲良くなった気もする。
 ……あの関係をもし続けていたら、どうなっていただろうか、と私はふと思うこともある。でもあのままだったら私は、いつか青竹くんを選んでいたかもしれない。
 それは、「自分の意思」という名の、「逃げ道」として。
 そんな風に彼は、扱われるべきじゃない。私なんかより、もっと素敵な人と、もっと幸せな恋をするべきだ、と思う。
 ……さすがに今それを言ったら言い訳でしかないので、何も言わないけれど。
 物思いに浸る私の耳元に、青竹くんはそっと屈み込んで。耳元で、微かな声で囁いた。
「――山元先輩に、チョコ、渡せました?」
「……!!」
 
その言葉に、私は慌てて距離を取る。青竹くんはポケットに両手を突っ込んだまま、やたら艶っぽく笑った。
 な、なんでかな青竹くん。なんで最近、そんな色気振り撒いているのかな……!!
 あわあわと真っ赤になりながら言い訳を考えている私に、青竹くんは苦笑する。そして、呆れたように私を見つめた。『予想通り』って顔で。
「やっぱり、渡してないんですね」
「だ、だって、シューティングしてる、し、」
「同じ教室なんだから、昼休みにでも渡せば良かったじゃないですか」
「う、うぅ……」
 
容赦のない言葉に、私は返事が出来ない。黙りこんだ私を見て、青竹くんは大袈裟にため息を吐いた。
「あ、青竹くん、意地悪だっ」
「そりゃ、ふられましたから。面倒臭いんで、さっさとくっついて欲しいんです俺」
「う、ううう」
 
――訂正。仲良くなったって言うか、苛められてるのかもしれない、これ。顔を合わせれば、「まだ告白出来ないんですか」なんて、キャラ違うよ!!ぐうの音も出ない私に、青竹くんはまた、小さなため息を吐いて。
「まぁ、全然気付かない山元先輩も鈍感ですけど」
「だ、だよね!!」
「今まで散々焦らされてたんで仕方ないと言えば仕方ないですけど」
 
慌てて彼の言葉に同意を示せば、首が締められる。後輩にやり込められるという、情けない自分の状態に、私、撃沈。黙りこんで俯く私に、青竹くんはようやく優しくしてくれる気になったのか。ぽんぽん、と頭を叩かれた。
「……ま、俺の方が先に食べた、って自慢します」
 ……
優しく?かどうかは疑問だけど。とりあえず、もう苛めるのは止めてくれたみたいだ。子供扱いされてる気がするけれども、気にしない方向で。
「じゃあ、すみません。引き止めちゃって」
「ううん、平気!!また明日ねっ」
「はい、気を付けて」
 
青竹くんが、さよならの合図を出す。私も素直に首を振って、それに応えた。
 手を振りさっさと別れて、バッグからケータイを取り出す。暗闇に光る画面に表示された文字は、もう八時過ぎ。女バスの子から、メールも入っている。もつれる指で返信しながら、急ぎ足で部室へと向かった。


  

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