自分の気持ちに、正直になろう。

それをひたすら、胸に刻もう。


33.誓いの日


 走る。とりあえず、走る。息を切らして駅の階段を、そして改札を通り抜けると、すぐに目的の人は見つかる。気配を感じたのか、さっちゃんが私を振り返って、手を振った。手を振り返し、もう一度走る。ぜぇぜぇ言いながらさっちゃんの目の前で膝に手をつくと、彼女は小さく苦笑した。
「おは、よー、ごめん、待たせた、よね?」
「んにゃ、平気だよーっ。それにしても珍しいね、瑞希が遅刻なんて」
「昨日買う物のリスト作ってたら寝るの遅くなって……神奈ときゆは?」
「神奈がそこのコンビニで買い物あるみたいで、きゆもそれに付き合ってる。あ、来たっ」
 
額に滲んだ汗を拭い、さっちゃんが指差した方向を見る。
 そこには、白いハーフのPコートに黒いシャツ、黒いGパン姿の神奈。横にはいつも下ろした髪をゆったりと後ろで一つに纏め、ワインレッドのロングコートを着たきゆ。とにかく美麗な二人組が、いて。
「うわ、」
 
思わず声を漏らしてしまう。
 何であんなシンプルな格好なのに目を引くのか。その証拠に、駅前の広場の注目は二人に集まっていた。
 苦笑するさっちゃんも、同じ思いをしたのだろうか。何だか同類意識のような感じで、へらっと笑って二人のところへ走り寄った。
「神奈っ、きゆ、ごめんね遅れちゃって」
「別に気にしてねぇよ」
「そうね、遅れたと言っても五分くらいだし。気にしないで」
 
きゆが口端を吊り上げ、おっとりと微笑む。その笑顔に笑い返すと、神奈にぽんっと頭を叩かれ、走っている間にずれたらしいマフラーを、しっかりと巻き直してくれる。
 そして黙ったまま、交差点を示した。
「とりあえず、そろそろ行こう」
「そだねっ。しゅっぱーつ!!」
「本当に、倖はいつでも元気ね……」
 
神奈の言葉に拳を振り上げさっちゃん、苦笑するきゆ。そんな三人を見つめながら、私はクスクス笑った。

 寒さはまだまだ残るけれど、暦の上ではすでに春。三月の最初の土日、私達四人は前から買い物に行く約束をしていた。何でかって、高校生活最大のイベントが二週間後に迫っているからだ。思い出作りに欠かせない、人生最後の大事なイベント。それには、準備は忘れちゃいけない。
 何かって?それは、もちろん――。
「あーっ、買った買った!!そいえば誰がトランプ持っていく?」
「あ、さっちゃん私持ってくよ。スピード勝負しよーね!!」
「いいねっ」
 
荷物を席に置き、レジに注文をしに行く。さっちゃんは始終ご機嫌で、にこにことしていた。そして空を見上げ、歌うように言った。
「楽しみだねっ、修学旅行!!」
 そう、修学旅行。
 他の高校では十月〜十一月に行うのが普通らしいけど、うちの高校では毎年三月の半ばから三泊四日。これは多分、二・三年はクラス替えがないからだと思う。行き先は、沖縄。公立だから国内だけど、行ったことないし楽しみ。
 そして、向こうでは私服行動になる。きゆはともかく、部活のある私や神奈、さっちゃんなんかはあまり私服を持ってない。(学校帰りにそのまま遊んじゃう可能性が高いからね)なので、今日はみんなで修学旅行用の靴や私服を買いに来ている。今は買い物もひと段落し、近場のカフェに食事に来てる。本日はお米の気分だったので、悩みながらも魚介のトマトリゾットにした。あと、席を取ってくれてる神奈ときゆの分も注文する。さっちゃんはがっつりランチコースを食べるみたい。
 ……沖縄、水着着る予定なんだけど大丈夫なのか。そう遠まわしに言うと、さっちゃんはけらけら笑った。
「うちさ、何て言うの?胃下垂?だから太らないんだよね」
 ――ちくしょう!!
 恨みがましく睨むと、さっちゃんはきょとん、と首を傾げていて。その顔が何て言うか可愛くて、とにかくも悔しかった。

「お待たせーっ、ご飯後で持ってきてくれるって。とりあえず飲み物」
「神奈はブラックだよね?きゆ、はい、お砂糖」
「ありがとう。瑞希と倖は?」
「うちはココアー、瑞希はミルクティだよね?」
「うん。最近はまっててさ」
 
わいわいとみんなで話しこむ。
 ブラックコーヒーを啜る神奈、砂糖を入れるきゆ。ココアに思いがけず生クリームが入っていて嬉しそうなさっちゃん。暖房が効いた店内は少し熱い位で、コートを脱ぎながら顔を緩める。
 何かいいなぁ、こういうの。
 今の部活に入ったことを別に後悔してる訳じゃないけど、たまにクラスの女の子が話す『高校生女子の放課後』というものにも憧れる。バイトして、友達と寄り道して、彼氏とデートして。
 ……そこまで考えて、いきなり山元の顔が頭に浮かぶ。一気に頭に熱が集まって、慌ててカップの中身を飲んだ。舌が火傷しそうな位熱かったけど、それ以上に、顔が熱かったから。半分ほど飲みほして、ほっと一息吐いた瞬間。
「で?」
「へ?」
 
隣の席の神奈に、いきなり声をかけられる。いきなりすぎて、何が何だかさっぱり。きょとんとし、間抜けな返事を返す私に、神奈はため息。
 え、え、何?
 慌ててきゆとさっちゃんを見ると、二人も私をじっと眺めている。
 え、本当に何!?
 一人、状況が読めず慌てる私に、神奈は簡素に言った。
「しねぇの」
「何を?」
 
反射的に零れた疑問に、神奈は口角を上げて微笑む。あ、何か嫌な予感。ひっそり手の平に汗を掻く私に対し、神奈はひどく冷静に。

「恍に、告白」

 
どっかん、と爆弾を投下した。

「な、」
「な?」
 
やばい。鏡見なくても分かる。顔赤い、私。首筋まで熱くて、若干息苦しい位。そんな私を見て、さっちゃんは少しおかしそうに繰り返した。
「な、な、っ何で知って……!!」
「あ、やっぱり。やっと気付いたのか」
「!!」
 
かまかけられたっ!?いや、別に隠してた訳じゃないんだけどっ、言うタイミングを果てしなく逃しただけだけど!!言葉もなく、茹でられたタコのように赤くなっていく私に、三人は意地悪く微笑む。
「気付かないほうがおかしいでしょう、瑞希ばればれなんだもの」
「そーそー、山元の名前聞こえる度にびくびくしてるし」
「あれで恍も気付かねぇんだから、相当だよな」
「……」
 
言葉もございません。自分でも意識し過ぎだなぁ、とは思ったけど。うん。私、一生悪いことはしないようにしよ。
 一人決意を固めてると、神奈は、それで、と私と目を合わせた。
「しねぇの?告白」
 
真っ直ぐな視線と言葉に、見据えられ。私は、小さく目を逸らす。
 神奈の言いたいこと、分かってる。『すればいいだろ』って。自分もきっと同じような立場だったら、同じような応援してたはずで。でも。
「……まだ、迷ってる」
 
――怖い。この関係を、変えてしまうことが。付き合ったら、変わってしまうのが。
 そもそも、山元はまだ私のこと好きでいてくれてるのか。あんなにたくさん気持ちをもらっておきながら、何を今更って言われるかもしれないけれど。あんなに優しい人が、あんなに綺麗な人が、どうして私なんかを。
 今は好きだと言ってくれる。だけどいつか、夢から覚めてしまいそうで。私には、引きとめられなくて。
 怖いよ。
 青竹くんが肩を押してくれた。咲ちゃんも、応援してくれてる。なのに未だに二の足を踏むのはどうかと思うけれど、情けない位、覚悟が定まらない。
 
ぽつり、ぽつりと漏らす今までの出来事。吐き出すうちに、ぐっと苦しくなった。
 徐々に冷えていくカップの温度を指先に感じながら、一旦口を閉じる。温くなったミルクティを、ゆっくり口内に流し込む。いつの間にか、ひどく喉が渇いていたみたいだ。こくり、と音を立てて飲み込み、カップをソーサーに戻した時。
「ひどいのね」
 ――
静かな声が、耳に届いた。はっとして顔を上げると、きゆが。感情の籠らない瞳で、私を見ていた。横のさっちゃんが、「ちょっと、」と非難めいた声を上げるけれど、きゆはそのまま口を開く。
「今まで散々焦らしておいて、まだ山元くんに待ってもらうつもり?何も言わないままで?」
「、」
「それに、その後輩の子。青竹くん、にも失礼じゃないの?瑞希のために自分の気持ちを犠牲にしたのに、本人はまだ覚悟が出来ない、なんて甘ったれて」
 
私なら、耐えられないわ。そう言って、きゆは一口コーヒーを飲んだ。
「大体、瑞希は山元くんの気持ちを考えたことあるの?」
「……山元の、気持ち」
「好きだと言ってるのに返事もくれないで、他の男と仲良くされて、無視されて。確かに待つと言ったのは山元くんかもしれないけれど、瑞希は最初にきっぱり拒絶するべきだったと思うわ。その優柔不断な態度が、彼を傷付けたのに。また、傷付け続けるの?いつまで?」
 ずくり、と胸に突き刺さる、きゆの言葉。
 さっちゃんはおろおろと私ときゆを見て、神奈は静かに傍観している。きゆは固まったままの私にちらり、と冷たい視線を投げつけ。結局、と静かに口を開いた。
「瑞希が、臆病なだけ、でしょう?」
 ……
そうだ。
 山元と離れるのが嫌で、告白の返事を曖昧にして。青竹先輩に嫌われるのが怖くて、青竹くんにも返事を返せなかった。咲ちゃんの気持ちに気付きながら、山元の居心地の良さに甘えて。関係を変えたくない、なんて甘えながら嫉妬して、振り回して。最後まで、自分の足で動くことも出来ない。
 だけど、私は、どうしても。
「確かに、山元くんも大概自分勝手な人間だとは思うけれどね。今回の件に関しては、多少なりとも同情するわ。誠実に気持ちを伝えても、こんな風に蔑ろにされるんだもの」
 
冷静な言葉に、キリリ、と胸が痛む。唇を噛み締め、私は堪える。色んなものが、零れそうで。黙ったままの私に、きゆは面白そうに微笑んだ。
「そうね。本当に山元くんが好きなら、今、振ってあげれば?もっと良い女の人を捕まえられるかもしれないわよ」
「ちょっ、きゆ!!」
「倖は黙ってて」
 
連なるきゆの言葉に、さっちゃんが慌てて口をはさんでくれる。だけど、きゆはピシャリと言い放って私を見据えた。『どうするの?』そう、問うように。
 頭の中で、ぐるぐる回る。
 卑怯。臆病。私はそんな人間で、山元と、釣り合うはずなくて。あの人の負担にならないか、ずっと好きでいてもらえるのか。何の確証もない未来は、私には重たすぎて。だけど、でも。
「いや、だ」
「何?」
「……いや、だよ。そんなの」
 
少しだけ下げていた視線を、真っ直ぐ正面に戻す。きゆと視線を合わせるの、少し怖かった。でもそこには、特に侮蔑の色が浮かんでいた訳ではなくて。安心、した。
「釣り合わないの、分かってるし。もっと山元に良い人がいるのも、分かってる」
 
あの熱い瞳で見つめて、あの大きな手で触れられたら、きっと大抵の人は山元に屈する。
 いつかの未来は、確実に別れを示唆するだろう。
 それでも。

「――でも、好きだから。わがままでも、卑怯でも、離れたくない。別の女の人なんて、……見せたくない」

 矛盾してるの、分かってる。自分の言葉が、全然噛みあわない。『未来』に怯えてるのに、『今』あの人を手離せない。山元の気持ちに確信が持てなくても、ずっと待ってくれる、ってどっかで思ってる。
 ずるいよね。汚いよね。だけどね、ごめん。
 これが私なの。柳瑞希っていう、一人の人間の、ありのままなの。

 
言い終わって、ゆっくり息を吐き出す。心臓が、かなり痛い。
 ……ああ、友達失くしたかも。こんなに汚い考えだとは、さすがに考えなかったでしょう。自分でも、どうしても認められない部分だった。でも、この気持ちは誤魔化せないから。もう一度、息を吸い込む。と。
「いいんじゃない?」
「はいぃ?」
 
あっさりと返って来た言葉に、慌てて顔を上げる。きゆはすっきりした表情で私を見ていた。
 ……え、さっきまでの冷たい視線とかは何だったの?
「瑞希があんまりうだうだしてたから、苛立ったのは本当よ。でも別に、後半は適当。そんなので諦めるんならその程度の気持ちだし」
「え、え、」
 
にっこり、綺麗に笑うきゆは、いつもの和風美人、内面腹黒。慌てる私などお構いなしに、今まで聞いてただけの神奈も口を開く。
「つーか恍だって過去、相当嫌な付き合い方しかしてねぇぞ、多分」
「何それ。元カノの勘?」
「ま、そんなとこ。恍が優しいのはあくまで瑞希の前限定で、多分あいつお前が思ってるより最低だぞ」
「そそそっ、そんなことないよ!!」
 
慌てて弁護に入るものの、神奈もきゆもさっちゃんも相手にしてくれない。た、確かに美咲さんのこととか聞くとちょっとアレだったっぽいけど。黙り込む私に、さっちゃんがちょっと悩んだように口を開いた。
「瑞希はさぁ、何か変なことグチャグチャ考え過ぎなんだと思うよ」
「変な、こと」
「恋愛なんて、ぶっちゃけ汚い部分ばっかだしさ。うちだって付き合う前、相当色々悩んだけど付き合っちゃえば何かどうでも良くなったし」
「それは、倖が楽天的なだけじゃないのかしら」
「違うからっ!!」
 
冷静なきゆのつっこみに、むっとするさっちゃん。そして場を取り直すように、こほんと咳払いをした。
「うちもさ、幼馴染だった訳じゃない?やっぱり関係崩すの怖かったよ。付き合って、もっと好きになって振られるのなんて、悲しすぎるし」
「……うん」
「でもさ。それで他の女の方行かれるの、絶対嫌だもん。だから今は、後悔してない。別れたとしても、側で今までと違う色んなこと知れて、良かったと思ってる」
 
そういうさっちゃんの笑顔は、すごく綺麗で。何だか正直、意外、って思った。だってそういう独占欲とか、ないと思ってたから。
「未来に怯えることは、いつだって出来る。でも、今を楽しむことは今にしか出来ないから。悩む前に、もっと好かれようとする努力を、続けたいよ、うちは」
 
にへらっと笑って言うさっちゃん。真っ直ぐな瞳は、私の心臓を射抜いた。
 さっちゃんと私は、違う。さっちゃんと同じ考え方は、どう頑張っても出来ない。ぐだぐだ悩んでしまうことだって、これからもたくさんある。
 でも。確かに、考え過ぎていたのかも、しれない。始まる前から考え込んでいれば、始まるものも始まらない。そんなの、誰だって知ってる簡単なこと。
 そうか。そうだったんだ。大事なのは、最も単純で、けれど難しい。
 あなたを、好きと感じるこの心。
 ――ようやく、分かった。
「神奈」
「ん?」
 
ふと、隣を見つめて私は笑う。言葉にすることは、大事なこと。それで、一つの決意が固まるから。
「する。私、するよ、告白」
 
そう言って微笑むと、神奈は静かに頷いてくれた。きゆも、さっちゃんも。そしてもう一度、きゆに向き直る。
「きゆ、ありがと」
「何もしていないけれど?」
「ううん、きゆが言ってくれなきゃ、もっかい同じことするとこだった。感謝してます」
 
そう言って頭を上げ、きゆの顔を見上げる。何だか、やたら爽やかな気持ちになった。
 未来よりも、今、か。
 漠然とした不安は、まだまだ胸にある。それはきっと、山元の側にいたいなら、どうしても回避出来るものじゃない。それでも、大分心は晴れた。
 ……けれど、私は甘かった。
「じゃあ、本当に告白するのね?」
「うん」
「修学旅行中に?」
「うんっ」
 
きゆの笑顔につられ、こっくり頷く。そうすると、ますます綺麗な微笑みを喰らい、次の質問には笑顔で返した。その瞬間、天使のような笑顔は吹っ飛び、非常に腹黒い笑みを見せられる。
「そう。楽しみにしてるわね」
 あれ?……私、何、言った、っけ?
「瑞希っ、ばっちり聞いたからね!!がんば!!」
「ま、四日もあるからな。さすがに言えるだろ」
 
さっちゃんと神奈は、爽やかな応援。ちょ、っと待って。
 きゆさん。質問、アゲイン?
「修学旅行中に告白する?って聞いたのよ」
 
運ばれてきたパスタを綺麗にフォークに巻きつけながら、きゆは微笑む。その口の動きを、私はぼんやりと眺めながら。
「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」
 絶叫した。


  

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