他の何も、目に映らない。

ただ、あなただけ。私の瞳を占拠する。


35.君一杯の瞳


「……き」
 
誰かが、呼んでいる。
「瑞希」
 
私のことを、呼んでいる。それを私は、心地良い眠りの中で感じ……。
「瑞希っ!!起きろっ!!」
「……んむぅ」
「だから起きろって!!」
「ぎゃっ」
 ――
ていたのに。
 いきなり私の身体は、柔らかいものから落下し、固い床に落とされた。乙女らしからぬ悲鳴を上げる私。仰向けのまま、上を見れば。
「はれ、……何で神奈……?」
「寝ぼけるな。もう朝練始まるぞ」
「んん……?」
 
多分私が使っていただろう毛布を掴み、仁王立ちの神奈。とりあえず上半身だけ起こして、辺りをきょろきょろ見る。どうやら、目の前のベッドから落ちたようだ。腰が痛い訳だよ。眠い目を擦りつつ、大あくびを一つ。時間を確認しようと、立ち上がると。
「……ああ」
 
窓の外一杯に広がる、海に。ようやく私は、沖縄に修学旅行に来ていることを思い出したのだ。寝ぼけ眼の私に神奈は呆れて、ため息を吐いて。ちらりと腕時計を見せてくれた。
「早く準備しろ。もう六時になるぞ」
「んんー?」
 
一応目は覚ましたけれど、正直まだ意識がはっきりした訳じゃない。神奈はすでにジャージ姿だから、それに倣って私も顔を洗うことにする。スーツケースから歯磨きと洗顔用具を取り出し、のろのろと洗面所へ。
 この部屋はいつもの四人の部屋。と言っても、豪華なことに洋室と和室に分かれていて、きゆ達は和室だけど。部屋を見渡してみると、さっちゃんはいなくて、きゆはまだ寝ていた。
 ……ていうか、何でこんな早く起きるんだろ。眠くないのかな?今日は班ごとの自由行動だけど、出発は九時とかじゃなかったっけ。朝ご飯?も、七時半だったような。
 じゃあ、何だ。
 歯を磨きながら、首を傾げる私。そんな私に、部屋の中から焦れたような叫びが聞こえた。
「瑞希っ!!朝練、置いてくぞっ!!」
 
朝練……朝練!!
 その瞬間、意識がやっと覚醒した私は腕時計を確認した。ろ、六時三分っ!!目を見開き、慌ててうがいを始めることになった。

「ったく、危なかった」
「ご、ごめんなさいっ」
 
現在時刻、午前六時二十三分。日もまだ昇らないこの時間に、私達は運動着で海岸にいる。周りには、他の運動部の人々も。
 『修学旅行中でも運動したい!!身体が鈍る!!』そんな運動部の願いにより。毎年、朝ご飯前に朝練が行われている。運動部所属なら、基本的に参加自由。ただし、参加するためには六時十五分、時間厳守で海岸に来ていなければいけない訳で。神奈の疲れた顔も納得、謝り倒すしかない。
 参加自由の割に、基本的にみんな参加している。ホテルは海に隣接しているから、朝練の時には砂浜を走れる。走り辛いけど、良い思い出にはなるだろう。それに顧問や後輩へのお土産相談にはもってこいの場だ。陽が徐々に昇ってくる中、走るみんなの姿は写真に収めたい位綺麗。
 私もマネージャーとして、一応参加の身。折角なので軽く走ろうかなーと柔軟をした。すると、遠くから男バスのみんなが走って来た。
「お、柳一緒に走るか?」
「いや、無理だから!!」
「何だよ根性ねぇなー」
「根性の問題じゃないからね!?」
 
高校二年生・運動部所属の男子と同レベルに走れるかっ!!長距離専門の女の子なら分かんないけどさ。頬を膨らませる私を見て笑いながら、みんなはダッシュを始めた。
 ……何かずるいなぁ。男同士の友情って奴?入れない何かが、若干悔しい。
 拗ねながらその様子を見て、野球部とサッカー部のマネの子とその後は話しこんだ。

「あ、ねぇ見て見てっ」
 
けれどしばらくして、いきなり遠くを指差される。振り返ると。
「うわあ……」
「元気だよねぇ」
 
ため息を吐きながら、その様子を見守る。
 一通り基礎トレを終え、走ってるのにも飽きたのか。男子が海に突っ込んで、水の掛けっこをしてる。ただの水ならともかく、海水だ。頭から被れば髪はごわごわになるはず。なのに、我先にと海へ飛び込んでいくその姿には、苦笑を禁じ得ない。男の子って、いくつになっても少年みたいだ、と。ぼんやりそう思って笑いを零す。
 気付けば、最初は一部だったのに、大体のが参加している。朝食の時、絶対磯臭いのが数人いるだろう。考えるだけで、笑えた。でも。
「……っ」
 
たった一人。
 
その人が、視界に入るだけで、頭が真っ白になるような感覚を、私はよく知っていた。
 ――
山元。
 自然と、Tシャツの胸のあたりをぎゅっと握りしめてしまう。
 みんなで梶山を攻撃している、と思ったら。田口くん他数人のサッカー部に背中を取られ、彼は頭から水を被る。犬みたいに頭をぶんぶん振り、逃げる一人に足払いをかけ。転ばせ、転ばされ、掛けっこどころじゃない。海にダイブして、完全にびしょびしょ。それなのに。
「……」
 
その顔は、弾けるような笑顔。普段大人びた表情が際立つから、尚更その満面の笑みは目を引いて。なのに、濡れた黒髪を掻き上げたり。遠くを見つめる横顔は、色っぽいというか、何というか。すらりと引きしまった肢体に、張り付く濡れたTシャツ。見つめられるだけで固まってしまうような、色気ある瞳は、海水で少し、潤んで。その頬を、ちらされた前髪から滴る雫が、滑り落ちる。見ているだけで顔が熱くなった。
「……何か、山元くんすごいね」
「うん……」
 
あああ、何か横の二人も直視できないのか、赤くなって顔を背けちゃってるし。
 歩く十八禁と言うべきか、そうなのか!!妙な悩みを抱える私の目は、もう、山元しか入ってない。視界が、極端に狭められたみたいだ。
 本当に、もう。 ――あなたしか、目に入らないよ。

 食事を取り、今日は班別の体験コース日。事前に選んだコースを一日やる。私達の班はダイビング。せっかく海に行くんだから潜らないと!!と、大盛り上がりだった。
 誤算だったのは、沖縄の三月の日差し。真夏みたいに、滅茶苦茶暑い。お母さんが日焼け止めをこっそり荷物に入れてくれたから助かったけれど。私、ひたすら肌が赤くなるタイプなんだよね。焼けないかわりに、とにかく痛くてたまらない。
 それにこの旅行用に新調した、ベビーピンクのビキニ。本当はお腹までちゃんと隠れる奴が良かったんだけど、上からダイビングスーツを着るから布は少ない方が良いよ、とお母さんに言われて買ったんだ。
 とはいえ。
「……やっぱり止めとけば良かった」
「瑞希、何か言ったか?」
「ううん」
 
着替え終わったさっちゃんやきゆも一緒に、エレベーターに向かう。太腿まで隠れる大きめのTシャツを着込む私に反し、三人ともすでに水着姿。
 いや、確かにさ。そんなスタイルいいなら、見せ渋るなんてもったいないけど!!
 和気あいあいして話し込む三人を見て、小さくため息を吐く。別に、嫉妬してる訳じゃない、と思うんだけど。神奈を見ていると、心がしくしくする時がある。
 神奈は、すらっとした体型の綺麗な女の子。その高身長は、山元と並んでる時すっごくお似合いで。ていうかあいつ、顔立ち大人っぽくてぱっと見二十代前半か後半だからね。対して私、未だに中学生に間違えられるし。身長差なんか、カップルならある程度あった方がいいって言うけど、三十cmはいらないでしょう。確実に、私と手なんか繋いでしまったらロリコンだ。犯罪者だ。
 
自分を卑下するのは良くないと分かる。文化祭時にはぷにぷにしたお腹も、今はそんなに出っ張ってないし。胸だって、一般的に見れば、そんなにない訳じゃない、と、思う。
 それでも、元カノのレベルの高さを思うとなぁ。そう言えば美咲さんも、足が長いモデル体型の美人だった気がする、と思って一人凹んだ。

 海岸に出ると、クラスの男子がビーチバレーをやっていた。山元がいるのに気付いて、足を止める。いっつも思うけど、男子のスポーツっておふざけでもけっこう真剣だと思う。今もそう。山元が大きく跳んで、アタックを決める。その姿は、ひどく綺麗で。周りの女の子も、きゃあきゃあ言っていた。
 山元を好きになるのは、実際つらい。どうしてか、今まで気にならなかった自分の容姿が気になってしまう。あんな綺麗な人、もてない訳がない。告白されるまで彼の容姿なんて気にも留めなかったけど、それでも友達によくうらやましがられたし。
 
どうしてだろう。青竹先輩の時は、ただ夢中になって好きでいれば、それで良かったのに――。

 
わぁっと歓声が起こり、びくりと肩が跳ねる。慌ててコートを見れば、山元が笑ってチームのみんなとハイタッチしていた。どうやら勝ったみたい。
 そして、次のチームがコートに入ってきた。それを見て、なんとなくほっとしながら、私も歩を進める。気付けば随分前に行ってしまっている三人に追いつこうと、小走りになると。
「、へ」
 
不意に後ろから、二の腕を掴まれる。びっくりして振り返れば、山元がいた。男子の水着姿って言うのは、当然ながら上半身裸で。部活の関係で、何回も見たことあるのにやたらと恥ずかしい。引き締まっている身体は、素直に綺麗だと思う。思わず、顔が熱くなった。
 けれどその瞳の色が、怒っているように見えて。きょとん、と首を傾げる。すると彼は、眉間に皺を寄せ、顔を歪めた。
「何、その格好」
「え。……何か変?」
 
見回しても、別におかしくないはず。まぁ確かに、Tシャツだけだからいつもより丈が短いかもしれない。意識すると無性に恥ずかしくて、黙ってTシャツの裾を引きのばすと、その眼光はますます鋭くなった。そして、口が開かれる。
「やらしい」
「はっ!?」
 
思ってもみなかった言葉に、私、絶句。ていうか何を考えてるの、こいつ!?
「柳みたいな小さいのがでかい服着てると、やらしく見えるんだよ。そそるんだよ。むかつく」
「い、いや、何言ってんの。私色気皆無だし、」
「ある。いつも、俺のこと誘ってる」
 彼の視線も言葉も、苦しい。恥ずかしくて身を捩れば、腕を掴む力は強くなるばかり。こんな色気たっぷりフェロモンたっぷりな人に色気ある、なんて言われれば気持ちも高揚する。いや、山元のこと誘った覚えは一度としてないけどね!!
 恥ずかしくて、反論しようと口を開けば。
「……他の男も見てる。俺だけなら、いいのに」
 
はぁっと吐息を交ぜて囁かれた言葉には、苛立ちが垣間見える。なのに、一人言めいた最後の呟きに、心臓は急速に高鳴った。私の腕を掴んだまま、空いた片手で自分の頭をぐしゃぐしゃに掻きむしる。余裕のないその瞳が、愛しくて、愛しくて。抱きしめたくなる衝動を、必死に堪えた。
「お前、今日の水着、何」
「な、何って?」
「型だよ。ワンピース?まさかビキニじゃねぇだろうな」
「び、ビキニ、だけど」
「はぁ!?何考えてんだよっ?」
 
だけど、いきなり怒鳴られてびくりとする。本格的に怒り始めたようだ。気付けば周りには人も集まっている。見られている感覚に耐えられない。そして未だ、素肌に触れる、その熱にも。
「柳、お前ダイビングスーツ来たらすぐ着ろよ。絶対肌見せるんじゃねぇぞ」
「わ、分かってるよそんなの、言われなくてもっ!!」
 
頭がぐるぐるで、ぐちゃぐちゃで。とうとう、腕を振り払った。
 その瞬間見えたあなたの瞳が、――ああどうして。傷付いた色、してるの。
 仕方ないじゃない。太陽よりもずっと、熱いんだもん。じりじりと素肌を焼かれるのではなく。瞬間的に、私の全てを焼き尽くす。
 そんなの、耐えられない。耐えられない、けれど。
「わ、……分かってるから」
 
やっぱり、その瞳が傷付くのも、耐えられなくて。きゅっと力なく下ろされたその親指を握る。恥ずかしくて顔が赤いから、俯いたまま。でも、しばらく待っても何の反応もなくて。
 ……うう。外した?
 不安になり、嫌々ながら顔を上げる。
「、」
 
でも、そこにあったのは、柔らかい微笑みだけで。ひどく緩んだ表情で、私を見つめる。その笑顔に、私はまた、落ちる音を聞いた。




ことり、
恋に、落ちる音。
何度も、何度も。
私はあなたに、恋をしている。


  

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