忘れられると、思ったの。

だって、もう二度と会わないはずだったから。

4.雨音の悪戯


 春休みを経て、とうとう私達も二年となった。ちなみに山元は、無事テストに合格。ついでに言えば今年も同じクラスだ。なんていうか、陰謀(というか執念?)が感じられて仕方ない。まぁうちの学校は単位制で山元は文系、私は理系だから授業ではそんな会わないはずだけど。
 ――というか最近、山元の気持ちが少し、怖い。
 
本気で想ってくれてるのが分かるからこそ、軽はずみな返答は出来ないし。動いた時、今のどこか優しい関係がどうなってしまうのか。ふったら気まずくなるかもしれない。かと言ってOKしたら、別れた時にきっとお互い辛い。だったら、ずるいかもしれないけど今の関係が楽だとも思ってしまう。当人の山元が、多分一番この煮え切らない事態に苛ついてるのは分かってる。だけど大切な存在だからこそ、そう簡単には動けないんだ。
 傷付けたくない。 だけど、動けない。
 一応山元に言ったように、きちんと考えてはいる。だけど、やっぱり好きな人と言われて未だに考えてしまうのは。
「……先輩、元気かなぁ」
 息を吐いて、空を仰ぐ。会いたいと、思ってしまう瞬間がやっぱりあるのだ。どうしようもなく苦しい時、いつだってあなたは答えをくれた人だから。そこにいるだけで、たまらなく眩しい、お日様みたいな人だったから。けれどそれはきっと、山元に対して失礼だ。だから私はまた、何も言えなくて。
「どうしたの柳っち、悩み?」
「田口くん」
 机に突っ伏してると、不意に声をかけられる。
 真直ぐでサラサラな茶色い髪。顔立ちは明るくアイドルみたいに爽やかで、笑うとそれがくしゃりと潰れて可愛い。実際素直でノリが良い人。サッカー部に所属してる彼は、私のすぐ後ろの席にいる山元と並んで、うちの学年の人気トップレベルを誇る。
 田口隼人くん。山元の親友で、一年の時から気付けばよくつるんでた。結構淡白で俺様な山元に素で意見を言える田口くんは、多分山元にとってすごく大事な存在。今年、一緒のクラスになって私も話すようになった。
「どうせ柳のことだから、馬鹿みたいなことで悩んでんだろ」
「なっ!!何であんたってそう失礼なの!!」
「おーい。恍も柳っちも低レベルな争いは止めなよ」
「だって田口くん!!一緒にいて思わないの!?こいつ人間としてどうなのオイとかっ」
「うーん……、それは否定しないけどね?」
「おい。隼人はどっちの味方なんだよ」
「俺は、基本的には女の子の味方だよ?」
 ニッコリ笑って言う田口くんに、山元は苦々しく舌打ちをした。すごい。山元がやりこめられてる。余りに上手いその手腕に、感動と尊敬の念をこめた眼差しを送った。
「何?バスケ部部員少なかったとか?」
「あー……、うん、そんな感じ」

 そう。山元のことでも勿論悩んでいたけれど、今年のバスケ部体験入部者が毎日五人以下なのだ。さすがにこれはマズい。本入部まではまだまだあるので来る可能性もあるけれど、このままでは色々、雑用面での負担が大きい。マネージャー希望も何故か来ないし。どうなるのか、と小さくため息を吐いたら。
「柳っちは、色々考え込んじゃうタイプみたいだね」
 不意に、田口くんは口を開く。一瞬目を瞬かせるけれど、彼の言葉に苦笑して頷いた。
「確かに。下らないことウダウダ考えちゃう」
「下らなくはないと思うよ?だけど、たまには肩の力抜いて行かないと、ね」
 そう言って田口くんは優しく頭を叩いてくれる。その温もりは、何故か時折くれる山元の優しさに似ていて。だからこの二人は、こんなに気が合うのかなぁって、頬を緩める。けれど不意に、背後からひどく痛い視線を感じる。眉間に皺を寄せて振り返ると、山元が明らかに不機嫌そうな顔をしてこっちを睨んでいた。
「何?」
「別に。何でもねぇよ」
「?山元、時々意味分かんないんだから」
 機嫌が悪いくせに理由を言おうとしない山元に膨れていると、頭上からクスクスと笑い声が聞こえた。顔を上げれば、田口くんが笑ってる。私が首を傾げる反面、山元は田口くんが笑ってる理由が分かるみたいでますます仏頂面になる。それに田口くんは、爆笑した。
「っ、あは、あははははっ!!ごめん恍、悪いねー。あはははっ!!」
「……隼人、お前いっぺん死んで来い」
「や、うんごめん……っぷ!!」
「え?何?何なの二人とも」
 明らかにキレて低い声を出す山元に、田口くんはそれでも笑い転げる。お腹を抱えて笑う田口くんの様子に、意味が分からない私は、目を丸くするだけだった。
 ――結局、意味が分からないまま、昼休みが終了して授業が始まった。
 だけど山元はずっと不機嫌で、HRの時何故か髪をグシャグシャにされた。それにちょっと機嫌良さげな笑みを浮かべ、去って行く。相変わらず意味が分からない人だ。

 そうやって、私の日常は過ぎて行った。多少の悩みと幸せに囲まれた毎日。それは、波一つ無い海みたいに。だけど、そんなの何処にもある訳無いんだ。気がつけば嵐は、音も立てず近くまで来ていた。

* * *

 とうとう本入部が来週に迫った週末。金曜まで経っても、なかなか人は集まらなかった。
そんな中、珍しく午前のみの練習。嬉しくてテンション上げようと地元の友達と、遊びの予定を入れたのに。
「……何で突然雨が降るのよっー!!」
 部活が終わるころにはまだ青々とした空が広がってたのに、学校を出た時に雲が出ててちょっと危ないな、と思った。でも電車だし、駅までは歩いて十分前後だから大丈夫だと思ってたのに。五分しない内に土砂降りって何これ。仕方ないので、近くにあったお店に飛び込んだ。
 神様、私何したんですか。どんだけひどいんですかこの仕打ち。
 ぶちぶち心で文句を言って、泣いてる空を見る。まだまだ雨は止みそうに無い。お昼なのに世界は、夜みたいに真っ暗で。
 ……やだなぁ。嫌な感じ。
 手持ち無沙汰で暇なので、バッグからタオルを取り出して、濡れてしまった制服や頭を拭く。春場の雨は、まだ冷たくて。思わず、セーター越しに自分の身体を小さく抱き締めた。いつもはバッグに入れてる折り畳み傘も、今日に限って忘れたし。やっぱり何かついてるかも、と馬鹿なことを考えていた。
 
もう一度ため息を吐いて前を向くと、一人の男の子が雨の中バッグを頭に乗せて走ってきた。様子を窺うと、彼はこっちに向かっているみたい。数メートル離れた、同じお店の軒先へと飛び込んだ。横目でちらりと見ると、私服だ。地元の子だろうか?雨で滴が伝った髪が寒々しく思えた。こちらに背を向けてるのと暗いので、顔は見えない。
 あんまりジロジロ見るのも失礼なので、一度正面を見る。道路の向かい側にある街灯は電池切れなのか、点滅を繰り返し、やがて消えた。腕時計を見る。雨の音が世界を包んで、それ以外はきっと霞んでしまうだろう。徐々に暗さを増す世界には、私と隣にいる少年しか存在しなかった。それが何だか怖くて、気味が悪くて。
 意を決して、外を見る。……時間も時間だし、待ってても多分止むのは期待出来ない。もう、雨の中駅まで走ってしまおうか、という気になる。濡れちゃうけど早く帰りたいし、遅刻確定だけどちょっとでも遊びたいし。仕方ない、と腹を括ってローファーの爪先を一歩雨に打たせると、囁くような、優しい声が聞こえた。
「……あの。傘、無いんですか?」
 一瞬、誰が言ったのか分からなくて辺りを見渡す。すると小さな苦笑と、何かが出される音がした。
見てみるとは、傘。傘!?ビックリして少年の顔を見る。……と言っても、暗くてよく見えないけど。
「どうぞ、使ってください」
「や、け、結構ですよ!!そんな、借りられませんっ」
「いや、俺家近いんで大丈夫です。どうぞ」
 柔らかい口調と、高くて可愛い声。初めて会う人だと、思う。でもその声や雰囲気を、どこかで確かに感じた気がする。いや、確かに感じた。でもそれが誰なのかが分からない。それよりも、今はこの傘が優先。正直かなりありがたいけど、そしたらこの子が濡れてしまう。それに返せる確証のない人に借りることも出来ないし。押し返す私の手を強引に取って、彼は傘を押し付けた。思わずひるむ私に、これ幸いとばかりにしっかり握らされる。慌てて首を振った。
「っ駄目ですよ!!だって返せないですしっ」
「別にいつか会った時でいいですよ。特に気に入ってる訳じゃないですから、貰ってくれても大丈夫です」
「いや、それは……っ!!」
 引かない彼に苛立ちながら傘を押しつけようとした瞬間、消えかけた街灯がぱっとついた。そのお陰で、――初めて相手の顔が見れる。
 私は思わず、言葉を失った。
 雨で湿った、ちょっと癖のある紅茶色に近い髪。白くて綺麗な肌。くりくりとした大きな、ぱっちりとした二重の瞳は、今は優しく細められている。形のいい唇はつり上がっていて、ほっそりした頬には小さなえくぼ。男の人なんて信じられないくらい可愛いその笑顔。どちらかと言えば薄い肩、小柄な身長。
 それは、記憶にある彼、そのものだった。
 意識せずに、言葉が口から零れる。その声はひどく震えていた。情けない、膝がガクガクする。

「……せん、ぱ、い……?」

 瞬間、彼は力を失った私の手に傘をねじこんで、ニッコリと微笑み。雨の中を駆けて行った。一瞬意識が飛んでいた私は慌てて、雨の中を見て叫ぶ。
「ちょっ、待っ……!!」
 ――だけどそこには、誰一人いなかった。 そして、うるさいくらいの雨の音が世界に蘇る。地面に叩き付けられる雨の音は、耳にも叩き付けられるみたいで。さっきの出来事は夢なの?と、一人でぼんやり考える。だけど手の中にある水色の傘は、これが現実なのを伝えていて。それを見てたら、何故か涙が出て来た。
「っ、……」
 頬をポロポロと伝う涙が、一粒傘に落ちた。
 
私は、悲しいの? 嬉しいの? ……まだ、こんなにも先輩が好き、だったの?

 必死に封じ込めてただけ。本当は、一ミリも忘れてなんていなかった。忙しい日々にかまけて、忘れたふりをしてただけ。だって、昨日のことみたいに、こんなにも簡単に蘇るの。
 先輩のプレイ。先輩の笑顔。小さな身長に似合わない大きな手とか、他の先輩と子供みたいに鬼ごっこしてたとこ。メールすると優しく『お疲れ様』ってつけてくれてて。何もかもがぐしゃぐしゃになった時、優しく私の手を引いてくれた。
 ――ほら、何一つ忘れてない。忘れられる訳、ないよ。私が、忘れたくないんだから。私がまだ、こんなに先輩が大好きだから。
 ……どうしてまだ、振り回すの。私を好きになってくれないなら、いっそ忘れさせて。悪戯に私の心を、掻き乱さないで。
 泣きながら、山元の笑顔が不意に脳裏に浮かんだ。
 ごめん。ごめん、ごめんね山元。私、山元のこともちゃんと考えるなんて言いながら、ひどい嘘ついた。私の心は未だに先輩で一杯なんだ。先輩以外、想うなんて不可能なんだ。そんな現実を目の前に突き出されて、苦しくて仕様が無かった。
 どうして私は、こんな片思いしてるんだろう。先輩が私を好きになってくれる訳ないって、知ってるのに。あの優しさも全て、同情だと分かっていたのに。
 どうして、山元を好きになれないんだろう。
 だけど、毎日会ってる山元よりも、一瞬だけ笑顔を見た先輩に、私の心は全部持って行かれたんだ。
「ふ、うぅ……っ!!」
 ――大きな音を響かせる雨の中、水色の傘を抱き締めて、私は子供みたいに泣きじゃくるしか出来なかった。
「ふ、え……っ、せんぱっ、青、竹先輩……っ」




いつまでも、いつまでも。
胸の中で誰よりも焦がれている人の名を、呼びながら。

  

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