胸に溢れる苦しいくらいの思い、
あなたに触れられるだけで急上昇する熱、
漏れだす意味のない言葉。
全部全部、あげる。
私の中の大事な欠片、残らず全て、受け取って。

今やっと。

言葉に、するから。


38.告白(1)


 観光を終え、ホテルに戻り、一通りのことは終わった。お土産はもう買ってお店で郵送を頼んだし、クローゼットの荷物なんかも一通りまとめてある。
 あと一つ。この旅行で、私がやり残してること。
 ――あと、一つ。
「はぁぁぁ」
 
制服を畳んで端に置きながら、ついついため息。昼間のことを思い出しては、これの繰り返しだ。
 神奈達にはもちろん馬鹿にされましたし。カップルの彼女の方にも謝ってもらった。別に二人が悪い訳じゃないから、良いんだけどね。まさかあんなところで、コトに及ぼうとする人がいるとは思わないだろう。
 だけど、それでも。
「はぁ」
 
ため息の数は、二十回を超えた時から、数えるのを止めた。
 窓の外、七時を過ぎた時から闇が深くなる。
 そう。三日目の夜も、もう終わり。今夜しかチャンスはない。
 ――別に、きゆ達と約束したから言おうと思った訳じゃない。ただ、気持ちが溢れる瞬間を知ってしまった。だから、今言わなくちゃ。私はもう、こんなに大きなものを、一人で抱えることは、出来ないから。
 もうすぐ八時になる。それでも、足は重たいまま。心を占める暗い感情が、ひっそりとその面積を広げた。
「たっだいまーっ」
「あ、お帰り」
 
ドアが開き、みんながわいわい入ってくる。三人は下のコンビニで飲み物を買って来ていたのだ。荷物を床に置き、ドアの方に走る。さっちゃんが、頼んでおいたお茶を渡してくれた。
「ありがとー」
「うん。あ、ねぇ瑞希?」
「ん?」
 
受け取ってすぐ、口を開けて一口含む。沖縄限定ジュースも美味しいし、こっちではしばらくそういうのばかり飲んでいたんだけど。やっぱりさっぱりしたお茶が恋しくなる。ほっと息を吐きながら、冷蔵庫にペットボトルを仕舞おうと歩きながら、返事をした。
「なんか、海岸で九時から花火やるらしいよ」
「花火?」
「うん、下で言われた。先生も一緒だから、消灯は気にしなくていいってっ」
「へぇ」
 
花火か。夏以外の季節にやったことはないけど、この気候なら丁度良いと思う。もちろん、行こう。
 最終日の夜だ、思い出作り思い出作り!!若干気持ちが浮かれるのを感じながら、和室の方に戻る、直前。
「ん?」
 
花火。先生も一緒で、やるんだよね。ってことは。
「さ、さっちゃん」
「ん?」
「それって、あの、みんな来るの!?」
「学年の子には声掛けてるはずだよ。自由参加だけど、来ない人はいないでしょー」
 
からからと笑う彼女の言葉は、もう半分耳に入っていない。私は慌てて、スーツケースをひっくり返す。横で荷物整理していたきゆに、変な目で見られたけれども。それどころじゃない!!
「えっと、あ、違う、……あった!!」
 
奥の方に仕舞いこんだはずの、それ。見つけた瞬間、嬉しくて飛び上がった。ぐっと掴んで抜き出す。そして荷物そのままに、洗面所に向かった。
「え、瑞希行くよね!?」
「行くっ!!絶対行くっ!!」
 
焦ったようなさっちゃんの叫びに返事をして、Tシャツとスウェットを脱ぎ捨てる。スーツケースから取りだしたそれを掴む指は、少しだけ、震えていた。
 落ち着け。これがラストチャンス。今更、取り繕っても変わらないけれど。それでも大事な場面、手を抜きたくない。
 鏡の中の自分としっかり目を合わせて、準備を進めるのに集中した。

 九時。
 海岸に行くと、大勢の人が集まっていた。さっちゃんの言った通り、こんな楽しいイベントを逃すような人はいないみたい。カップルはこれを機、とばかりにいちゃいちゃしてる。先生達は、遠くの屋根付きベンチでお酒を呑んでこっちを見てた。
 私は――。
「え、っと」
 
神奈達と別れ、一人きょろきょろ、暗い中を見回って歩く。
 洗面所から出た時に事情を説明したらみんな応援してくれた。
 ここまでやったんだ、逃さない。拳をぎゅっと握りしめ、歩を進める。外灯は端の方に行けば行くほど、遠くなった。人の波を通り抜けて、でも、決して早足にならないように。足元が見えないのに走って転んだりしたら、泣くに泣けない。注意深く、辺りを見回しながら進む。
 水面に浮かぶ色取り取りの花火の色は、ひどく綺麗。そして、それを囲むみんなも。それはひどく愛おしい思い出の一ページとして、いつか語られる。その日を思うと、何故か涙が浮かんだ。
「あ」
 
ぐっと涙を拭って前を見る。みんなが固まっている場所から、少し離れた、暗がりの中。田口くんの隣、僅かな花火の光に横顔を照らされた――山元が、見つかった。
 途端、爆発しそうになる心臓に、我ながら苦笑する。少しでも落ち着こう、と深呼吸する。でも、やっぱり納まらなくて。
 ……ええい、女は度胸だ!!山元が側にいる限り、こんな努力、きっと無意味。だったら当たって砕けてしまえっ。
 私は、足音を立てないように歩を進める。潮風はざらりとして、ワンピースの裾がふわりと揺れる。その内、彼らに気付かれた。
「あれ、柳っち?」
「柳」
 二人とも、私の姿を見て目を丸くしている。恥ずかしくて、顔を伏せた。
 今私が来てるのは、本当は今日のお昼に着る予定だったもの。白いミディアムワンピースの裾には、大柄の花のプリントが散ったレトロデザイン。その下に、ホルターネックの長袖を着ている。大きめのデザインを買ったから、肩のラインが丸出しで、指先はちょっとしか出ていない。髪型も、みんなの提案でハーフアップにしてサイドでお団子を作った。明らかにデート仕様、というか。勝負服っていうのかな。甘すぎるそれに、我ながら気合いが入っていると思う。背中にさらりと流れる髪が、いつもと違って落ち着かなくて、耳まで熱くなった。
「あー……えと、その……変、かな?」
 
でも、余りに反応がないから。不安になって、顔を覗き込むように、尋ねてみる。山元は困ったように視線をずらした。
 うわ。ショック。
 半泣きになって俯く私の肩を、田口くんが叩いて。顔を上げると、何だか優しい微笑み。お兄ちゃんみたい。
「可愛いよ。恍は照れてるだけだから」
「隼人っ」
「え……」
 
否定、しないってことは。期待していいんだろうか。どくん、と心臓が激しく動く。
 今から本番なのに、早い、早いよっ!!
 言い聞かせても、止まらない。だって、嬉しい。じっと山元を見つめる私の耳に、田口くんは唇を近付け。
「俺、あっち行くから。頑張ってね?」
「!!」
 
ばっと振り返ると、その明るい茶髪はすでに闇に紛れている。
 な、な、な。やっぱりばれてるのね……!!
 神奈か誰かが話したのかもしれないけれど。どちらにせよ、あの面白がったような口調。
「絶対、からかわれる……」
 
小声で言うと、山元に「何だ?」と尋ねられた。慌てて首を振り、一歩、その近くに行く。ドキドキしながら、その大きな身体の隣に並んだ。
「何でもない。火、ちょうだい?」
「ああ」
 
海岸に出る時、委員会の子から渡された花火を三本位持ってる。山元のはもう燃え尽きそうだし、早くしなくちゃ。
 黙ったまま、その光に先端を寄せる。消えてしまう直前に、新たなオレンジの光が噴き出した。今度はさっきと逆に、山元が先端を私の光に寄せる。
 手と手が触れ合っている訳でもない。なのにやたらと、その行為が特別に感じて。しばらく無言のまま、続けていたら。
「――似合ってるな」
「へ」
 
いきなり、ぼそりと囁かれる。驚いて真横を見れば、山元は花火の光を見つめたまま。でも、その目元がほんのり赤く染まっている気がするのは、気のせいじゃない。
「お前の私服、浴衣と今日の昼の位しか見たことねぇから」
「あ、ああ、うん。そうだね」
「そういうのも、似合う。……可愛い」
「っ」
 
ぽつり、ぽつりとその唇から紡がれる言葉。飾り気がないそれは、余りにダイレクトに心を揺さぶって。剥き出しのはずの肩や首は、風のせいで冷たかったのに。なんだか、非常に熱く感じた。この心のむずがゆさを、どう表現したらいいか分からなくて。サンダルの中で、足の指と指とを擦り合わせる。
「でも、良かった」
「……ん?」
 
ふ、っとまたしても彼は話し始める。視線をもう一度山元に戻すと、今度は目が合って。切れ長の目を、柔らかく細めた。
「お前ここんとこ、何か変だったし。話しかけても結構上の空だったりしてただろ?」
「う、」
 
それは、山元と話すのに緊張していた訳で。どう話したらいいか、どんな顔したらいいか分かんないからだった訳で。決して上の空だった訳じゃ、ないんだけど。
「ごめんね」
「別にいい。ただ、何か悩んでんのかと思ったから」
「……」
「旅行中は、割と元気そうで安心した」
 
消えていく、私の持つ花火の光。山元は最後の一本だ、とその手に持った花火を指差し、そっと添えた。やがて点火する。二つの花火が寄り添って、彩りを添えて。
 この光景を、決して忘れたくない。何故か、強くそう思った。
 光が消える瞬間、隣を見れば、ひどく優しい微笑みが浮かんでいて。胸がきゅっとなる。この人を、心配させてしまって、申し訳ない気持ちが溢れる。
 けれど、それ以上に。
「えー、これから打ち上げ花火を行いまーす!!最後なので、しっかり見て行ってください!!」
 
遠くで、修学旅行実行委員長が声を張り上げている。確か、隣のクラスの男子だったはず。おおー!!と盛り上がるみんなを、少しだけ遠いこの場所で見つめていた。
「最後、か」
「うん」
「もう終わりなんだな。短かった」
「本当に、ね」
 
丁度、同じようなことを思っていた。
 あっという間。楽しかった時は、こんなに早く過ぎて行く。手の平で掬った砂は、風に吹かれていくように。それは寂しいけれど、仕方のないことで。
 ――でも。

 不意に吹いた強い風に、髪がさらわれ。そっと手で押さえる。黙ったままでいると、ドーン、と大きな音がして、一発目が夜空に咲き誇った。その花を見て、ふと思い出すのは、去年の八月。
『これ以上、心配させんなよ』
 
あの時も。一緒に、花火を見ていた。
 手の平から伝わる熱は、夏の熱気に負けない位、お互い熱くて。照らされるその横顔は、今も昔も変わらず綺麗。神奈に感じた胸の痛みや、山元がいなくて寂しい、と思った感情。それらは、あの時分からなかったけれど。
 今ならば、説明できる。

 ――きっとね
 私、あの時から、あなたのことを想っていた
 どうしようもなく、その存在に焦がれていた――

 ちらりと横を見る。山元の片方の手は、ポケットに入っていて。
 でも、もう片方。私側の手は、無造作に下ろされていて。その手を取りたい衝動に駆られる。だけど、……それは、あともう少しだけ、我慢。
「や、ま、もと」
「ん?」
 
俯いたまま、愛しい人の名を呼ぶ。相槌は短いけれど、優しさが籠っていて。
 私は、いつからこの人に守られていたんだろう。それはあの事件のことだけじゃ、ない。悲しいことや、辛いこと、泣きたいこと、傷付くこと、色んなことから、私の心、大事に守ってくれた。自分の気持ちを押しつけないで、決断を迫ることもしないで。私が決して壊れないよう、側でずっと、見守ってくれた。優しいその瞳で、ずっと。
 考えるだけで、胸が一杯一杯になる。
 ――どうか、これからは。零してしまった時の砂の分も、側にいたい。一緒に笑って、泣いて、愛しさを分かち合って。精一杯、言葉にしていこう。

「私、あんたのこと、好き、なんだけどっ!!」

 あなたと過ごせる、この幸せを。
 不器用でも、不格好でも、ひたすらに。

 言い終わったと同時に、夜空に花火が弾ける。ちらちらと照らされる、眩く美しい光。俯いていても、それは分かって。目の前で、ちらちらと散った。
「……」
 
唇を噛み締めて、返事を待つ。
 早く、言ってよ。待たされれば、待たされる程、不安が大きくなる。
 大丈夫、ちゃんと山元は私を思ってくれてる。その瞳から伝えられる言葉を、もう決して取り逃したない。
 たくさん謝りたい。待たせたことも、素直になれなかったことも、今までの行動も。そして、感謝を伝えたい。
 なのに、いつまで経っても彼の唇からは何も聞こえなくて。
「……山も、」
「すっげ!!」
 
――はい?
 恐る恐る顔を上げた先では、山元がニコニコしてるようだ。いや、暗いから分かんないけど。私の言葉を遮った明るい声に、固まる。暗い中、振り返るその瞳はきらめいて見えて。
「今の奴でかかったな!!市販の奴であんなん見たことねぇんだけど」
「…………」
 
まさか。
 このパターンは。
「あ、つか悪い柳、今なんつった?花火被って聞こえなかったんだけど」
 ……
駄目だ、落ち着け。山元が悪い訳じゃない、そもそもタイミングをミスしたのは私な訳だし。絶対、怒っちゃ駄目。震える拳を、そっともう片方の手で握る。色んな意味で泣きたくなりつつ、俯く私の頭上で、山元は。
「ん?何だよ、立ったまま寝るなよ、柳」
 
ぷちり。
 そのご機嫌な声で、私の中で何かがキレて。
「ふざけるなーーーーっ!!」
「わ……っ!!」
 
両腕を振り上げ、その身体を思いっきり突き飛ばす。油断していたのか、簡単に足元をよろめかせて。ざっぱーん、と大きな音と共に山元の叫び声、水飛沫が飛んできて、海に突き落としてしまったのを知った。
 一瞬心が痛むけれど、八つ当たりだって分かってるけど。
 でも、でもね!!
「もう山元なんか知らないっ!!馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿っ!!」
「っちょ、はっ!?」
 
一方的に叫んで、早足にその場を去る。素っ頓狂な悲鳴を無視して、サンダルの中に砂が入るのも気にせずに。
 一刻も早く、この場から離れたかった。
 さっきの水音のせいか、色んな人が山元の方に向かっている。その流れに逆送するように、私は足早にホテルに戻った。とめどなく頬を濡らす涙に、我ながら情けなくなりながら。

  

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