38.告白(2)


 歩く最中、クラスの子数人にすれ違ったけれど。俯いたままだから、特に何も言われないで済んだ。先生達の隣を通る時も、「おやすみなさい」と声をかけられただけ。玄関を抜け、ロビーに入る。数十分ぶりに目に刺さる電灯の光は眩しく、余計に涙腺を刺激された。ホテルはうちの学校貸し切りで、今は大体海岸にいるから、がらんとしている。
 多分、花火が終わった後も海岸で写真を撮ったり、しばらく騒ぐんじゃないだろうか。そんなことを考えながらエレベーターに向かい、ボタンを押した。
「……っ」
 
――もう、やだ。
 わざとじゃないと分かっている。これはきっと、被害妄想に違いない。
 でも、あの瞬間。自分の必死の告白が、踏み躙られたような気がした。たくさん悩んで、迷って、やっと手に入れた答えを。私の背中を押してくれた、たくさんの人の想いを。自分だって何度もしたことだろう、そう言われたら黙るしかない。
 でも、私は人間で、そして身勝手で。
 辛い。
 私にとって大事だった時間は、花火にも負けてしまうものなのか、と。私は、山元さえいれば、花火すら目に入らないのに。自分の中の妙な対抗意識に、情けなさと悔しさ、半分半分。
 やがて、チン、と軽い音を立てて到着したエレベーターに、ぐすぐす泣きながら乗り込んだ。階数ボタンを押して、扉が閉まる。その途端、ポケットに入れてあったケータイが震えて。
「……、」
 少しだけ躊躇った後、取り出す。着信画面を見て、ホッとして。ゆっくり通話ボタンを押した。
「もしもし?神奈」
『瑞希?今どこにいるんだ?』
 
いつもより少しだけ優しく響く、その声。ぶわり、とまた涙が零れるのを感じながら。鼻を啜り、返事をした。
「ん……。今、部屋、戻るとこ」
『そ。恍が探してたよ』
 
けれど、その名前を聞かされるだけで、全身から怒りが湧いてくる。さすがに神奈にまで八つ当たることは出来ない。一旦唇を噛み締めてから、口を開く。思ったよりずっと低い声が出て、苦笑が漏れた。
「そっか。放っといていいよ」
『どうかした?』
 
ちん、と到着した時と同じく、軽い音を立て、浮遊感と共にエレベーターが止まる。じゃりじゃりする足の裏を感じて、洗わなきゃ、と小さく呟いた。
「……何か、馬鹿みたいで。あいつのこと好きで好きで、必死になってる自分が」
『何言って、』
「だって!!また告白失敗したの!!そりゃ私も悪かったけどさっ、だからって、」
 
神奈に叫びながら、どんどん気持ちが高ぶってくる。
 今頃、ひどく幸せな気持ちに包まれているはずだったのに。何だって、こんな一人で寂しく歩かなきゃいけないんだろう。
 廊下の窓の外には、まだ花火が見える。それを内心苦々しく思いながら、部屋に向かって一直線。
 今日はもう、寝よう。明日の朝、ちゃんと冷静になれるように。山元にちゃんと許してもらえるまで、謝れるように。
 今度はきっと、時間が掛かるだろうけれど。とりあえず、布団を被って朝までしっかり眠ろう。そんなことを、話しながら考えていたら。
「――柳っ!!」
 
廊下中に響く、大きな声。それは何より大好きで、でも、今は一番嫌いな声。
 
振り返るのにも、躊躇った。
 
けれど。
「柳。こっち向け」
 
不機嫌な声が、耳を刺す。
 当然だ。それだけのこと、やったんだから。
 動けないままの私の後ろで、きしり、きしりと床が軋み。それは何歩か置いたところで、止まった。黙ったままだけど、分かる。怒ってる。
「……」
 
唇を噛み締めて、振り返った。
 そこには、ずぶ濡れの山元がいた。明るい所で見ると、そのひどさがよく分かる。髪から、服から、ぽたぽた雫が落ちて、掻き上げた前髪の下に覗く目は、真っ赤っか。海水だから当然なんだけど。確実にあれは痛いだろう。自分でしたことながら、どこか他人事のようにそれを眺めていた。
 目が合って、山元は足音を立てて近付いて来る。反射的に逃げようとする私の二の腕は、彼の長い腕によって捉えられ。冷たく染み込む水に、容赦なく込められる力に、思わず眉を寄せた。
「……やだ、腕、掴まないで」
「誰だよ」
「え?」
 
私の言葉を無視するように、苛々と言葉を発する山元。反射的に顔を上げると、強い光に捕まる。
 ――ほら。花火なんかより、よっぽど私を魅了するじゃない。
 ぽたぽたと零れる涙は、やがて頬に滑り落ち。視界がクリアになった中、彼の美しさは異常にすら感じられた。
「告白、したんだろ?相手は」
「え、」
「俺の知ってる奴なのか。さっさと言えよ」
 
ぎらぎらと、肉食獣のごとく光る瞳。好戦的にその顔は笑顔の形に歪み、瞳はゆっくり細められる。初めて見るその顔は、ひどく怖く感じられて。ふるり、と震える私の頬に、彼の顎を滑り落ちた雫が零れた。
「言え。俺は絶対、認めないからな」
「……」
「――他の奴なんか見るな。俺を見ろよ、いい加減に」
 
返事を返さない私に、焦れたように告げる。
 寒いだろうに。沖縄の三月は暖かいとは言え、夜の海は冷たいに違いない。
 なのに。着替えよりも、私を追いかけるの、優先してくれた。告白って聞いて、こんなに焦ってる。脇目もふらず、私を見ている。
「……っ」
 
思わず俯いて、漏れそうな嗚咽を堪える。
 悔しい。
 好きだって、私の方が一杯だって、思うのに。山元は、私のこと大事だって、隠すことなく伝えてくれる。
 私は馬鹿で、ワガママで、いつだって私を一番に見てくれなきゃ、山元に当たり散らしてしまう、ただの子供。だからこそ。
「……」
 
顔を上げ、何かを言い続ける山元の目の前に、ケータイを差し出す。神奈の電話は、気が付けば切れていたらしい。申し訳なくて、たまらない。でも、今は目の前のことを大事にしよう。
 誰よりも私を大事にしてくれる、目の前の、この人を。
「何だよ」
 
私の行動に目を見開きながら、しげしげとそれを眺める。部活の都合上、見慣れてるし、今更何だ、ってとこだろう。
 そうじゃなくて。
「……ぷ」
「あ?」
「すとら、っぷ」
 
ぐす、と鼻を啜りながらその目を見る。後で目薬を差しいれよう、とか思いながら。
「……俺が昼間やった奴?」
 
白いケータイに彩りを添えるのは、涼しげに揺れるとんぼ玉。もらってすぐにつけた。だって、嬉しかったから。
「――好きじゃない人から、もらったストラップなんて、つけない、よ」
「……は?」
 
ぼそぼそと俯いて話す私。
 ぽかん、とした間抜けな返事をする山元。
 二人が立つ場所には水の跡。きっと乾くだろうそれは、今この瞬間の証拠で。夢じゃない、そう知らせてくれる。

「わ、たしが告白した、の、……山元だよ……っ」

 言い終わって、泣きたい衝動に駆られる。でも、我慢。
 まだ、足りない。
 私の気持ちを伝えるには。
 私の言葉を、伝えるには。
 空いた方の手で、涙を拭う。見上げれば、固まる山元。切れ長の目が大きく見開かれるのを見るのは、これで何度目だろう。あまり回数はなかったはず。それが分かっているから、何だか胸に込み上げる熱い思いがあった。
「……バレンタインくらいに、やっと、認められた、の。青竹くんが、背中、押してくれて。でも、……もっと前から、気持ちはあったんだと、思う」
「……」
「それで、今回の旅行中に告白するよう、きゆ達から、言われて。……違う、自分でも、言いたくて。でも、毎回失敗ばっかりで、さっきも聞こえてなくて、」
 
ゆらゆら揺れる視界。山元の顔が、判別出来ない。顔の色と黒髪であることが、辛うじて分かるくらいで。
 それでも、今俯いたら、伝わらないでしょう。言葉だけじゃないの。私の瞳から、体温から、全てから。あなたに対する気持ちを、届けたい。
「恥ずかし、くて、八つ当たり、してっ。……ごめんなさい。こんなに遅れちゃって、っ気持ち伝えるのも下手で、私……っ」
 
けれど、話している内に。涙が止まらなくなる。
 自分の情けなさを言葉にするのは、苦しくて、辛くて、悲しくて。
 山元の気持ちの真っ直ぐさに及ばない。誰かに背中を押してもらって、誰かのせいにして、誰かを盾にして。ようやく私は、あなたへの気持ちを認められる。
 ワガママで、子供で、取り返しのつかない、馬鹿だけど。
 ――でも、好きなの。
 釣り合うとか釣り合わないとか、そんなのもう、気にしたくない。いつかの未来を気にして、その優しい瞳を他の誰かに渡したくない。ただあなたの側にいられる権利が、欲しい。誰よりも、何よりも、私よりも、あなたを大事にしたい。
 そう言いたいのに。言葉は喉で詰まって、息が苦しくて。しゃべることも出来ない私を、止めたのは。
「……っ」
 
――真っ直ぐに伸びて来た、大好きなその両腕。
 磯の香りと、身体中を覆う冷たい体温と、濡れた感触と。それはお世辞にも、居心地いい場所とは言えなくて。
 胸元に強く押し付けられた顔が、腕が回された背中が、全部、冷たい。
「つめ、たい……」
「お前のせいだろ」
 
身じろぎすれば、許さない、と言うように強く抱き締められる。耳朶に触れる唇は冷たいのに、吐息は温かくて。その落差に、ぞくりとした。責めるような響きは、甘やかすような優しさで。その腕の中、ただただ涙を零す。
「ごめんな、柳」
「……山元が、謝ることじゃ、」
「ごめん」
 
私の言葉を遮るように、抱き締める力が強くなり。さらり、さらりと髪の毛を梳かれる。折角髪型頑張ったのに、確実にグチャグチャになっちゃった。
 でも、良い。この人が、いてくれるのなら。
 外で響いていた花火の音は、いつしか消えていた。やっぱり私は、山元しか見えていない。そんなことを考えながら、その背中に腕を回した。長袖に水が浸透する感触があるけど、もう、どうでもいい。
「柳」
「ん……?」
 つむじに頬を押し当てられ、うっとりとした様子で話す山元。その声に、恥ずかしいような、嬉しいような。くすぐったくて逃げ出したい衝動が胸に去来する。
 でも、山元は。
「もう一度。言ってくれ。好きだ、って」
 
額に触れる濡れた前髪。少しだけ身体を離して、瞳を覗きこまれる。真っ直ぐなそれに吸い込まれそうになりながら、言葉の意味を反芻した私は。
「え、っ」
 
素っ頓狂な声を出して、目を丸くする。それを見て、山元はくすりと笑って、私の頬を撫で上げた。冷たさに肩を跳ね上げつつ、パニックになる。
 もう一度?もう一度、って。
「む、無理っ」
 
顔が熱くなるのを感じながら、必死で叫ぶ。私の返事を聞いて、山元はぴくりと眉を跳ね上げた。それを見て焦りはするけど。
「、は、恥ずかしいよっ」
「俺は何回も言っただろ」
「た、頼んでないもんっ」
 
山元の反論に、ついつい反発してしまう。これはもう、癖だろう。
 眉を顰めた不機嫌そうな顔は怖いよ!!
 た、確かに嬉しいよ?当時は困ったり焦ったり、そんなのばっかりだったけど。今は好きって言われたら、舞い上がってやばいと思う。
 でも、そんな簡単に言えない。
「柳、俺のこと嫌いなのかよ?」
「違うっ!!」
 
好きだよ。大好きだよ。今も胸の中、何百回も繰り返してる。
 触れられる度、名前を呼ばれる度、頭の中、あなたで一杯になってる。だからこそ、一つ零すのには勇気がいる。一つ零れたら、それこそ雪崩みたいに溢れそうだから。ついつい、言い渋っちゃうのに。
「……柳」
 
低く抑えた、掠れ声。どこかねだるような、懇願するような響き。
「頼む」
 
見下ろされているのに、見上げられているような。そんな、甘えた声。額をこつん、と合わせられて、目が合って。ずぶ濡れのその体と言い、屈められた背と言い。もう、全てが私の母性本能をくすぐってくれて。
「〜〜〜っ」
 
ずるい。そんな声で、そんな顔で。何より、大好きな人で。
「山元、が、」
「うん」
「……好き」
 断れるわけ、ないじゃない。

 少しだけ視線をずらし、その言葉を紡ぐ。小さいけれど、今度は、聞こえてるはず。腰を抱く手に、ぐっと力が籠ったから。
 そして。

「――俺も、柳が好きだ」
「……っ」
 
止まったと、思った涙。その一言に、私の中の何かが溶かされたように。目から零れ落ちて来る。

 
どうしようもない。
 
分からない。
 
これを、嬉しいという言葉で片付けていいのか。
 ……
分からない。

 今にも叫びだしそうで、両手で口を押さえる。頬を山元の指がつねり、顔を上げた。
「、」
 
同時に降るのは、瞼への口付け。泣きすぎて痛い瞼から始まり、目じりと睫毛にも、そっと触れる温もり。右側が終わったと思ったら、今度は左側にも。最後に頬に口付けられて、もう一度、両腕で抱き締められる。そして耳元で、苦笑混じりの囁き。
「あーもー……お前、可愛すぎる」
 
苦しい。幸せすぎて、愛しすぎて。胸が詰まって、呼吸も出来ない。

「……山元」
「ん?」
「そろそろ、あの、多分みんな戻ってくる、から」
 
抱きあったまま、しばらくいたけれど。
 花火は大分前に終わったし、今窓の外を見たらホテルに向かっている子がぱらぱらいる。名残惜しいけれど、さすがにこれ以上は限界だろう。そう思って、彼の胸に手を置く。はぁ、と気だるげなため息と一緒にその両腕は離れた。……二人とも、びちょびちょ。
「シャワー浴びなくちゃね」
「そうだな」
 
面倒くせぇ、と頭を掻く山元。
 普通の水だったらまだしも、海水だから磯臭いし。さすがに、これは無しだろう。苦笑して私は部屋に向かうことにする。そこではっと気付いて、後ろを振り返った。
「あ、山元、目薬」
 
ある?と聞こうとして。至近距離にその顔が迫っているのに、びっくりした。一歩下がろうと身体を引けば、肩をぐっと掴まれる。
 ……何?
「今日、一時過ぎ、俺の部屋来い」
「は?」
 
一時過ぎ?何のこと?
 ぽかんとする私を、ニッコリと笑って見つめる山元。その笑顔にどぎまぎして頬を染めれば、見た目爽やかな好青年は、
「部屋の奴全員追い出しとくから、ちゃんと来いよ。朝まで可愛がるから」
 ――中身はただの変態だったようで。

 絶句する私の顎をさらい、もう一度、頬に口付け。ちゅ、と聞こえた音に固まる私を抱き締めた。
 そして。

「……今まで、ずっと我慢してたんだからな。柳のこと、ちゃんと隅々まで食わせろよ?」

 
ちろり、と唇を舐めるひどく妖艶な仕草で、人の目を奪う。まるで悪魔みたいなその美しさ。
誰もが誘惑され、その手を取るだろう魔性の誘いに、私は。

「っ何考えてんだこのド変態ーーーー!!」

 ホテル中に響き渡るだろう絶叫と共に、その綺麗な顔にパンチを叩きこんだ。


  

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