いくつもの出会いを重ねた。

いくつもの別れを重ねた。

これからは、あなたの側で、時を重ねる。


39.the seasons


 三月。桜が芽吹くにはまだ早い、ちょっぴり寒い今日この頃。
 藤ヶ丘高校では、本日卒業式が行われた。我らがバスケ部の先輩方も卒業、という訳でして。

「あ、美祢先輩っ!!卒業おめでとうございます!!」
「ありがとー。これから片付けか、頑張ってね」
「はいっ」
 男バス――というか体育館使用部活では毎年、卒業式の後椅子やらを片付けるという使命がある。片付けなきゃ次の日から部活、出来ないしね。なので体育館の外で卒業生を出待ち、ついでに先輩方に記念品の贈呈をすることになっている。私は美祢先輩に、小さい花束と写真立て。大事にするね、そう言って笑う先輩の髪は受験中切らなかったせいか、肩下でさらりと揺れる。大人っぽい美貌に拍車がかかっていて、ドキドキした。
「美祢先輩は、第一志望受かったんですよね?」
「うん、ギリギリね。三月中は暇だから遊ぼうよ」
「はい、ぜひ」
 紺のブレザーの胸元を彩るのは、ピンク色の模造花。下には白地に赤いラインのリボンで、『卒業おめでとう』と記されている。ちなみに泣いた痕が全くなかったので尋ねたら、「途中寝ちゃった」と悪戯に微笑んだ。全く、美祢先輩は。でも、そういうところもらし過ぎて、苦笑してしまった。
 クラス順に出て来る先輩達を次から次へ呼びとめて、記念品を渡す。中には明らかにお笑い路線で買った奴もあって、苦笑してしまう。けれど美祢先輩に、トントン、と肩を突かれて。
「ね、ていうか瑞希。あんた、どうなったの結局」
「……へ?」
 質問の意味が分からなくて、瞬きをする。先輩はそんな私を見て、呆れたように顔を顰めた。
 い、いやいや分かりませんてそれだけじゃ!!
 反論しようと口を開いた私に、被せるように。

「――だから、恍のこと」

 じ、っと真顔で見据えられて、言葉を失う。一瞬驚きの表情を浮かべた美祢先輩は、しばらく私の顔を眺め、……笑い始めた。
「何だ、上手くいったんだぁ」
「え、え、え!?」
 私、何も言ってないのに!!
 真っ赤になった頬を押さえてあたふたすると、先輩はにんまり意地悪に笑い、私の頬を突く。
「みーずーきちゃん?あたし、あくまであいつの従姉妹なんで、名前呼んだくらいで嫉妬しないでもらえますぅ〜?」
「……!!」
 限界を超え、赤くなった顔は表面に汗まで浮かんできた。
 あああ、恥ずかしい恥ずかしい!!顔見て一発で分かる位、私そんなに嫌な顔してたのか!!
 美祢先輩は「嫌な顔、っていうより悲しそうな感じ」とからかった。
 ……山元と付き合ってみて分かったのは、自分が想像以上にやきもち焼き、ってこと。山元が他の女の子の名前呼んだり、逆に呼ばれたりするの、すごく嫌。自分が未だに、名前で呼べないからかもしれない。でも、二年も苗字で呼んでるとすぐには変えられない。引退するまでは、関係を表沙汰にするつもりはないし、いざって時に呼んでしまったらまずいので勘弁してもらってる。山元は名前呼ばれたいし、呼びたいみたいなんだけど。……けどさ、あの甘ったるい声で「柳」って呼ばれるだけでも頭パンクしそうなのに、名前なんてまず無理だと、初心者・柳は思うんですよ……。
「いつから?いつから?」
「しゅ、修学旅行、です」
「えー、じゃあまだ一週間も経ってないじゃんっ!!ちょーっとじっくりたっぷり聞きたいねぇ、そこんとこ」
 恥ずかしすぎて先輩から視線を逸らすも、頬を掴まれぐりっと戻される。先輩、そういうちょっとSなところ間違いなく山元家の血だと思います!!言ったらどっちも嫌がるだろうけど!!
 瞳を潤ませる私に、美祢先輩はため息を吐いてやっと手を離してくれた。修学旅行からこっち、色んな人に詳細を尋ねられ、その度当時の状況を思い出しては恥ずかしくて仕方ないのだ。……主に自分の馬鹿さ加減とか、山元のセクハラ発言とか。
 冷たい指で頬を擦る私に、美祢先輩はふ、と笑った。また何かからかわれるのでは、と慄く私。でも。
「……瑞希」
「はい?」
「今、幸せ?」
 ――その瞳に映るのは、柔らかな慈愛。
 きっと先輩は、色々心配してくれた。山元のこと、私のこと。あの日以来、何も言わないで、触れないで、そっと見守ってくれていた。だから、私は。
「――はい、とっても。あいつが、側にいてくれるから」
 満面の笑みで、それに応えよう。誰よりも好きな人が、いること。それは間違いなく、胸を張れることだから。

「……そっか。それなら、いいや。咲も彼氏出来たらしいし、今度色々吐かせるからね?」
「……はい」
 しかしまぁ、それで済ましてはくれませんよね、分かっています。咲ちゃんごめん、私美祢先輩には勝てないんだ。心の中で他の先輩と話している彼女に手を合わせ、頷いた。
 大きく首を振った美祢先輩は、背中あわせで立っていた学ランの背中を、叩く。
「よし、田爪。行こ?」
「んー?もう、話終わったの?」
 田爪、先輩。元・部長。優しい笑顔とのんびりした話し方が特徴だけど、バスケしている時はすごく格好良くて。目が合うと、柔らかく笑ってくれた。
「うん。そろそろHR始まるでしょ、……ってあんた何それ」
「あ、梶山からもらった。可愛くない?」
「……いや、別にあんたが良いなら良いんだけど、さ」
 そんな先輩の腕の中には、うさぎのぬいぐるみ。多分、四十センチもある、かなり大きい。嬉しそうに頬ずりする姿は十八とは思えないくらい、幼い。美祢先輩もそう思ったのか、頭を抱えながら口元は笑っていた。
「この大きい目とかさ」
「あーはいはい可愛いわねー」
 真っ赤な目を指差して口を開いた田爪先輩を、美祢先輩は受け流す。しかし次の言葉で、美祢先輩の顔色が変わった。
「だよな。美祢みたいでさ、ホント可愛い」
「!?」
「あ、もちろん美祢の方が可愛いし綺麗だけど」
 ……田爪先輩、こういうタイプだったのかぁ。
 蕩けるような微笑みで、美祢先輩にあっまい言葉を囁く元・部長の姿に周囲は砂を吐きそうだ。平然としているのは山元くらい。いやまぁ、あんたはそうだよね、それ以上の台詞も平然と言っちゃうもんね。
「こんなとこで何言ってんのあんたはー!!」
「え、何で?……嫌?」
「い、嫌とかじゃないけどっ……!!」
 真っ赤になった美祢先輩に、田爪先輩は悲しそうに首を傾げる。捨てられた子犬のような瞳に、美祢先輩は言葉に詰まり、しばらくして、がっくり項垂れた。
「……あー、もう行こうっほら!!」
「あ、待ってよ美祢ー」
 耳まで真っ赤にして踵を返す美祢先輩と、小脇にぬいぐるみを抱え、走る田爪先輩。数歩で追いつくと、暴れる美祢先輩を宥め、しっかり手を繋いで教室に戻って行った。……なんというばかっぷる。
 あの大会の日当日に、『付き合うことになりました』メールはもらったものの、その後は全く分からなかった。けれど二人の様子を見ると、まぁ心配する方が無駄だよね、って感じだ。周囲の空気がピンク色になったもん。
 未だに呆然としている部員達に声を掛け、体育館の片付けに行くよう、促した。

 いくつかの運動部で一生懸命やれば、片付けもすぐに終わる。一時間もすれば終わり、みんなさっさと帰る支度を始めていた。私はと言えば。
「あー」
「瑞希先輩、どうかしましたか?」
「ケータイ、教室に忘れちゃった。取ってくる、咲ちゃんお疲れ!!」
「お疲れ様です」
 毎度のことながら、ケータイを忘れるという馬鹿さ加減。うう、一年経っても未だにこんなミスをしてしまうのか!!手を振る咲ちゃんは、今日はこれからデートだそうで。羨ましいです!!(もちろん彼氏がね!!)手を振り返し、廊下を早足で突っ切る。窓から差し込む日射しはあったかくて、柔らかい。ガラスに反射する光に目を細め、二年C組の教室に飛び込んだ。窓際の机の中に手を突っ込めば、すぐに出て来る白いケータイ。危ない危ない、大事なものなんだから今度からは気を付けよう。
 そっとストラップを撫でながら、窓の外に目を向ける。校門の辺りには、何人もの生徒達。今日は卒業生と体育館使用部活の運動部員くらいしか、校内にいない。写真を撮っていることから考えても、卒業生だと思う。窓を開けて、埃っぽい教室内に風を取りこめば、ふわりと私の髪の毛が揺れる。
「……あれから一年、か」
 ―― 一年前の、卒業式。私は、青竹先輩に告白して、ふられた。そして、……山元に告白された。
 色んなことがあった。最初は意味分かんなくて同情だと思って、だけど違くて、彼は、本気で私に気持ちを伝えてくれていた。パニックになる私に、色んなモノが降りかかる。青竹くんとの出会い、咲ちゃんの入部。それでも一貫して、山元の瞳は、変わらなかった。いつだって、私を包んでくれていた。「いつから好きだったの?」と聞かれても、はっきりとは応えられない。繰り返していく日々の中、当たり前みたいに隣にあった優しい瞳に、気付けばどっぷり嵌まり込んでいたのだから。だけどもう、それに抵抗したりしない。例え未来に痛みが待っていたとしても、私は、彼に溺れよう。彼を傷付けた一年は、取り戻せない。だからこれからは、あなたの微笑みが日々を彩るように。
 ふ、と笑う。……今でも時々、思う。この一年がまるで、嘘みたいだ、って。目覚めたら、全部夢で、私はまだ一年生なんじゃないのかな、って。だけど。
 ―ガラッ
 背後のドアが、開いた。いきなりのことで驚いて、振り向く。そこにいたのは。
「山元」
「柳」
 目が合うと、笑いかけてくれる。切れ長の瞳が、甘く細まる瞬間が、たまらなく好き。
「どうしたの?」
「ん、英語のプリント忘れた」
「そっか。私はケータイ」
 手の中のそれを見せると、喉を鳴らして笑う。馬鹿にされたみたいで頬を膨らませれば、近付いてきた彼は、ぽんぽん、と頭を撫でてくれた。……子供扱い、されたみたい。その仕草が大好きなのに、何となく気にいらなくて。
唇を尖らせ、彼に背中を向ける。窓の外の桜の木は、蕾が大きく膨らんで、今にも咲きそう。
「……柳」
「何?」
 背後の気配に、意識は全部持っていかれてるのに。何の気もない素振りで、返事をする。可愛くないな。自分でも分かっているから、俯いて、窓のサッシをぎゅ、と掴むと。大きな手が、私の手を上から包んだ。
「さっきの、嘘」
「……さっきの、って?」
「何となく、な。……ここにお前が、いる気がして」
 笑い混じりの言葉に、胸が熱くなる。同じことを、考えていた。ここにいれば、彼が来てくれる、そんな気がしていた。一年前と同じ状況、でも、一年前とは違う気持ちで。
 くるりと振り返れば、予想以上の至近距離に、山元は立っていた。その瞳を見上げると、柔らかく笑ってくれる。 すると、サッシについたままの私の手を持ち上げ、目を伏せて――口付けた。爪に触れるか触れないかの優しい温もりに、顔が熱くなった。
「な、」
「いいだろ、これ位。本当はもっと触りたいの、我慢してる位なんだから」
「〜〜〜っ」
 どうしても睨む形になってしまう私に、山元は指先に唇を当てたまま、しゃべる。吐息が肌をくすぐる感触が慣れなくて、ますます体温があがって、たまらない。そんな私を見て、でも急に、真剣な瞳するから。
「……修学旅行からずっと、夢みたいに幸せなんだ。だから、現実のお前が側にいるって、ちゃんと確かめたい」
 ――ずるいよ。
 触れる体温が、高鳴る鼓動が、あなたの甘い瞳が、ここは夢なんかじゃない、って知らせてくれるのに。
 ――だけど、例え今が夢だとしても。目覚めたら、今度は私が、あなたを追うから。今度はもう、間違えない。迷いなく、その手を取るよ。きっともう、堪えられない。あなたがいなくちゃ、私の明日は来ないから。
 後頭部を引き寄せる大きな手に、身を任せる。頬に触れる固い筋肉を感じながら、ゆっくり、広いその背中に腕を回した。

 



繰り返す季節は、私の気持ちを変えた。
強く強く、この小さな身体一杯に、溢れる想い。
二人が出会った、春。
あなたの気持ちを知った、春。
思いが通じた、春。
次の春も、夏も、秋も、冬も、どうか隣で。
巡る時を、重ねて行こう。
何度も何度も、夢みたいな今を、この幸せを、噛み締めながら――


  

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