ときめくのは、あなたの視線。

気になるのは、あなたの好きなもの。

らしくないけど、あなたの好みになりたいって本気で、思ってるの。


40.your favorite(1)


 さてはて、卒業式も過ぎて春休み。まだ三月だけど、四月になればとうとう私達も最高学年。未だに信じられない気もするけれど、高校生活最後の一年、悔いがないように一生懸命やりたいと思ってる。
 ……なんて、決意も新たな私が今いる場所は。

「おばさん、じゃがいも全部皮剥きましたよー」
「こっちも玉ねぎ切り終わりました!!」
「ん、じゃあじゃがいも茹でといて」
「はーい」
 皮を剥いて手頃な大きさに切ったじゃがいもを、大鍋のお湯に入れる。数分もしたら火が通るだろう。その間にきゅうりを切り、卵を切り。本日の夕飯はカレーとポテトサラダ、いわゆる合宿定番メニュー。
 そう、ただ今藤ヶ丘高校男子バスケットボール部、伊豆に合宿に来ております!!

 うちの高校が来る合宿所は、顧問の先生もお世話になったという民宿。気のいいご夫婦が経営しているところ。今日は到着日だから練習してないけど、明日は一日練習、残り三日は地元の全国大会出場校や大学生と練習試合をする。つまり四泊五日の合宿。
 夏は合宿に来れなかったけど冬は三泊四日で来たので、今回で一年生は二回目。前回と違って部屋決めなんかもスムーズに決まった。ちなみに、この民宿は三階建てで二階・三階が客室。全部で九部屋ある。うちは部員が三十人くらいいるから、大体五人で一部屋。あとは顧問の先生の部屋と、少し離れたところに私と咲ちゃんの部屋。……正直全部屋八畳が基本なので、部員の部屋は異常に暑苦しく、むさい。
 さて、合宿での私達マネージャーの仕事は色々。洗濯は一年生が毎年やってくれるけれど、食事の準備やいつもの部活の支度、病人が出たら看病など仕事内容は多岐に渡る。食事に関してはご夫婦のお手伝いをするだけなんだけど、人数が増えればとにかく大変なんだよね。今も汗だくで茹で上げたじゃがいもを潰したところだけど、食べ終われば食器洗いが待っている。毎年のことながら、大変だなぁと苦笑した。

 夕食の片付けと、翌日の連絡などを全て済ませて、夜八時。咲ちゃんと、お風呂に入った後。合宿所は伊豆なので、温泉が引いてあったりする。なのでついつい長風呂してしまう。しかも、露天風呂までついてるからね。何て贅沢なんだろう!!鼻歌歌いながら脱衣所に持ってきたドライヤーで髪をざっと乾かして、咲ちゃんを振り返った。
「ごめんね、お待たせ。部屋戻ろう」
「ちゃんと乾かさなくて平気ですか?」
「うん、私ドライヤー苦手なんだよね。長時間浴びてると暑くない?」
 分かります、と笑いながら答える咲ちゃんにちょっとドキドキ。夏も散々ドキドキしたけどね、やっぱり咲ちゃんスタイル良いんだよね!!肩までの髪が項に張り付いたりとか、白い肌が熱気で赤く染まったり、何かいちいち緊張してしまう色っぽさ。今もラフなTシャツにスウェットというゆったりした格好なのに、すごく可愛い。同じような格好しているのに、私にない色気が羨ましいような、悔しいような。談笑しながら階段を昇り、三階の部屋に歩を進めて行く。先生の部屋を通り過ぎて、角を曲がると。
「、え」
 ――部屋の前の、長身の人影。驚いて固まる私に目を丸くした咲ちゃんは、首を伸ばしてその人影を確認した。
「山元先輩」
「おう」
 ドアにゆったりと凭れていた山元は、身体を起こす。ドアの前の窓から見える外灯で、白い肌に影が差した。さらさらの黒髪に、長い手足、ロンTにジャージというこれまたラフな格好なのに、滅茶苦茶格好いい。やっぱり美形、って何しても美形なんだ、とかぼんやり場違いなことを考えている私に、山元は視線を合わせた。
「柳に、用があって待ってたんだけど。風呂だったのか?」
「え、あ、う、うん」
 ……背中に、咲ちゃんの視線を感じる。ううう、恥ずかしい恥ずかしい!!急にお風呂上がりで無造作に下ろした髪が恥ずかしくなって、無意味に毛先を弄ってみる。
 別に、山元なんて一年の合宿も一緒だったんだし、今更取り繕っても仕方ないんだけども、やっぱりそれとこれとは別って言うか、……仕方ないじゃん、好きな人の前ならちょっとは可愛くいたいじゃん!!とか内心意味が分からない言い訳をする。
 でも。
「、」
 俯いたままの私の髪に触れる、ごつごつした指に。動けなく、なってしまった。頬を、唇を掠める熱に固まる私に気付かないのか、ゆっくりと毛先まで撫でられる。
「お前、ちゃんと乾かさなかったのか?夜は冷えるんだから、風邪引いたら大変だろ」
 くつくつと、笑い混じりの言葉。馬鹿にしているように聞こえるけれど、底なしに甘い。ちらりと視線を上げれば、その瞳は、逃げ出したいくらい優しくて――。
「……あー、瑞希先輩」
「!?」
 咲ちゃんの声に、ばっと振り返る。真っ赤な私の頬を見て苦笑した彼女は、バスタオルなど入ったバッグを私に渡して、肩を竦める。
「すみません、これ部屋に置いといてもらえますか?」
「っえ、え、さ、咲ちゃんは?」
「私、さっき一年に宿題のこと話したい、って呼ばれてたんです。十分くらいしたら戻りますんで」
 じゃ!!と手を上げて走り去る咲ちゃんの背中に慌てて手を伸ばすも、立ち止まらない。私は、山元と二人、廊下に残されて。
「……気、遣わせたな」
 苦笑混じりの声が、背後から響く。そ、と窺うように彼の顔を見上げれば、伸ばされたままの手で、頬を擽られて。
「〜〜」
 ……だから!!今、合宿中なんだってば!!

 美祢先輩に言われたから、っていうのもあるけれど。山元と付き合う時に決めたのは、とにかく『部活に支障を出さない』こと。部員とマネージャーが付き合うってあんまり良いことじゃないと思うし、基本的に私達の関係は秘密。同じクラスの子にはちらほら問い詰められてるけれど、全部否定している。今のところ、私達の関係を知ってるのは神奈やさっちゃん、きゆ、咲ちゃん、田口くんに咲ちゃんと青竹くん、くらい。後は美祢先輩とか。
 だから今回の合宿の時も、『人前で触ったり必要以上に近付いたりしない』ことを山元に一生懸命約束させたんだけど。

「人前じゃないから、いいだろ」
「咲ちゃんいたじゃないっ!!」
「渡辺は俺らのこと知ってるから、問題ない」
 この減らず口め!!
 ……分かってない癖に。山元にちょっとでも触れられれば、マネージャーとして山元に接するなんて出来ない、私のこと。他の誰も目に入らない、本当に、山元のことしか考えられない。なんて、ばかっぷるみたいな思考にますます自己嫌悪しちゃうんだよ!!
 膨れる私に反論し、楽しそうに笑う。幸せそうな笑顔に、それ以上何も言えなくて。唇を尖らせるに、留めた。
「……ていうか、何?用って」
「ん?ああ」
 甘い甘い視線に、溶かされてしまいそう。思わず顔を背けてしまう私を気にするそぶりも無く、山元は首に手を当てて困ったように眉を潜めた。
「お前、シャンプー持ってる?」
「シャンプー?」
 首を傾げれば、小さく頷かれる。髪洗うアレのことだよね?なら、持ってるけど。旅館とかでいつもと違うシャンプー使うとすぐに髪がばさばさになっちゃうから、旅行の時はいつも持参している。
「男風呂、切れたらしくてさ。良ければ貸してくれ」
「え、嘘。ちょっと待って、今持ってくる」
 シャンプーないって結構非常事態だよね。山元の言葉に、慌てて部屋のドアを開ける。暗い和風の室内は廊下と窓の外の明かりでほんのり明るくて、そんなに見えない訳じゃない。合宿所に着いてすぐ色んな支度してたから、まだ入り口に置きっぱなしだったバッグを探った。
「確かねー、こういう時のためにもう一本持って来たんだよ」
 衣服などを取り出し、バッグの底を探る。他にも冷えピタや湿布、各種薬など自分でも心配し過ぎだろう、ってくらい大量に持ってきた。それらを掻きわけて、手を伸ばすと……。
「あ、あった!!」
 足りない時用に、小さいシャンプーボトル二本持ってきて良かった。部員全員分には明らかに小さいけど、今日残ってる人にはちょっとずつ使ってもらって、明日からの分は民宿のご夫婦に頼んで買ってもらえばいい。ほ、と笑って山元を振り返ろうと、した時。

「……柳」

 ――かちゃり、と静かに部屋のドアが閉まる。廊下側の電気がなくなるだけで、部屋は一気に暗くなって。目の前は真っ暗。だけどそれよりも、私が気になるのは。首筋にかかる吐息と、お腹に回された、逞しい両腕。背中を覆うような、固いもの。
 ……ってこれは!!
「っちょ、や、山元!?何してんのっ」
「柳を抱き締めてる」
 そんなの分かってるわ!!叫びたいのをぐっと堪え、逃げようと身を捩る。でも、肩の上に山元の顎が乗ったまま、ぎゅうっと強く抱き締められて、ぐりぐりと首筋に頭を擦りつけられて。くすぐったさで、身体が震えた。
「柳、いっつもいい匂いするよな。落ち着く……」
 ――また、そうやって。その甘ったるい声で名前を呼ばれれば、私が逃げられないの、分かってるんでしょう?その声を聞くだけで、背筋が震えて、腰が砕けそうになる。
 こうやって、改めて抱き締められるのは、卒業式以来。部活が忙しくて二人で会ってる暇もなかったし、そうなったら恋人でいられる時間はない。二週間ぶりの温もりが、どうしよう。死ぬほど嬉しい。
 ちゅ、とこめかみに口付けられる。山元と付き合うまで、知らなかった。男の人の唇も柔らかいんだ、ってこと。こんな風に、触れる温もりが愛おしくて落ち着いて、麻薬みたいに嵌まっていく、ってこと。
 触れている場所の、体温が上がっていく。それは、あなたなのかな。私なのかな。分からない位、混ざり合う。
 身を預ける私に気付いたのか、彼は喉で笑いながら、優しく頬を撫で上げた。そしてまた、首筋に頭を擦りつける。猫のような仕草が可愛くて、小さく笑いそうになりながらお腹に回された彼の腕に、そっと手を添える。
「……いつまでやるの?」
「とりあえず、俺が満足するまで」
「いつ、満足するの?」
 問いかければ、ゆっくり顔を上げた山元が、至近距離で私の瞳を覗き込む。近付く距離に仰け反ると、追いかけるように迫って来る。暗い中でも、意外に見えるものらしい。柔らかな色を灯した黒い瞳が、妙にはっきり見えた。
 そして、形のいい唇が、ふと笑みの形に歪んで。
「とりあえずは、マーキング、すんだらな」
「……マーキング?」
 耳慣れない言葉に、首を傾げる。気付けば首の後ろが壁にぶつかり、覆いかぶさる山元を見上げるだけ。視線が合うのが恥ずかしくて、顔を背ければもう一度、こめかみに口付け。暗いから、分かってしまう。触れる熱一つ一つに、過敏な程に反応してしまう。彼の大きな手がそっと私の頬を撫で上げるのが、見えないのに分かった。ごつごつして、まめだらけで、かさついている。でもこの手が、私を一番甘やかす。私を一番、幸せにする。
「ああ。明後日から、他校と練習試合だろ?誰もお前に手ぇ出さないように、俺の匂いつけとこうかな、って」
 ――馬鹿じゃないの。
 今匂いつけたって、明日お風呂に入ってしまえば消えてしまうだろうに。それを山元も分かっているはずなのに、こんなこと、言うなんて。大体、私みたいなのを相手にする人はいないだろう。そもそも、向こうもこっちもメインはバスケ。女なんて目に入らないに違いない。
 本気なのか冗談なのかすら、分からない。だから私も、何も言えない。でも彼はそれ以上何も言わず、また私の首に頭を擦り寄せた。ふ、と鎖骨に触れた柔らかい感触にぞくりとする。全身に鳥肌が立って、身体中の力が抜けた。そんな私をしっかり壁に押し付けて、抱き締める腕に、ひとまず身を預けた。


  

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