40.your favorite(2)


 だけど段々、腹も立ってきた。どうしてこうも、私は山元に振り回されちゃうんだろう?惚れた弱みと言えばそうなんだけど、やっぱり付き合いだしてからは経験値の差が物を言っている気がする。ドキドキして、その笑顔を見たら文句も言えなくて。固まる私に、山元はキスやら抱擁やら好き勝手に繰り返す。嫌な訳じゃない。でも、悔しい。私だって、山元をドキドキさせてみたい。
 目の前には、さらさらの黒髪とその間から覗く耳、白い首筋。ふわりと香るのは、きっと山元の匂い。たまらなくなって、その首筋に顔を埋める。ぴくり、と動きを止める彼に便乗して、私はそのままさっきの山元と同じく、頭を擦りつけてみた。くすぐったいのか、ふ、と笑い声が耳に届く。
「柳、何してんだ」
 何、って。
「……マーキング」
 ああ、もうこれじゃ本当にばかっぷるじゃないか。だけど、だけどね。
「……他校のマネージャーさんとか、あんまり仲良くしちゃやだから、ね」
 私、嫉妬深いんだってば。我慢するけど、山元があんまりそういう風にするなら、私だって言っちゃうからね、反論は認めません!!
 しかしというかやっぱりというか、言い終われば後悔と羞恥で一杯になり、その首筋に顔をぎゅうと押し付けて固まってしまった。くっついてるのも恥ずかしいけれど、顔を見られるよりはましだ。私の顔を見ようとする山元にしがみついて、俯く。
 自分でありえないって考えておきながら、山元と他校のマネージャーさんが仲良くするの想像して、嫉妬してしまう。馬鹿だ、私。だけど私と違って山元は普通に美形だし、心配にだってなるよ。いつまで続くか分からない想いだから。今を精いっぱい、大切にしていきたいって思ってるから。
 無言のまま、何十秒経っただろう。山元が小さくため息を吐いた。それにびくりと震えるけれど、間髪いれず。
「ひ、ふぇっ!?」
「大声出すな」
 するり、と腰を撫でる手。さっきまで抱き締められていたけれど、なんかそれとは触り方が違うって言うか!!
 慌てて離れようとする私の後頭部が、もう一つの手で押さえこまれて。背中を撫でられ、……ぶ、ブラのラインをなぞられてるーーーッ!?
「ちょ、や、山元駄目!!」
「……どうしても?」
「どうしても!!絶対だ……ッ!!」
 耳をぺろりと舐められて、言葉が中途半端に切れる。高い悲鳴が、喉の奥で縮まって砕けた。次の瞬間、カクリと膝の力が抜けた私を見越していたのか、不埒な指はあっさり背中から離れ、両腕で腰を抱かれる。後頭部を押さえていた手も離れたせいで、かくりと首が力を失い、仰け反った。暗い部屋の中、山元は。
「……何で笑ってるのーーー」
 半分泣きそうな私を見ながら、苦笑していた。ぐすぐすと鼻を啜ると、壁に寄り掛からせてくれ、目尻を撫でてくる。そのまま手探りでぱちりと電気を付けた。突然の眩しさに目を細める私を、じっと見つめる。優しいのに、どこか困っている瞳。困ってるのは私だよ!!
 うう、と睨めばため息とともにぺしりと額を叩かれた。
「ぃたっ」
「お前な、俺を試して楽しいか」
「試してないよっ。何それ?」
 あんまりな言い草に頬を膨らませると、やれやれと言った感じで肩を竦める。しばらくすると「柳だから仕方ないか」と呟かれた。なんなのさ一体!!
 もう一度、ぎゅう、と抱き締められる。あったかい、優しい抱擁。逃げようと思えば逃げられる程度しか、力が籠ってない。それにほっとして擦りよればため息を吐かれる。……回数、多すぎるよ。
 彼の瞳を見上げれば、甘い甘い苦笑。……何だかいきなり自分がしていたことが恥ずかしくなってきた。赤くなって離れようとすれば腕には力が籠り、くしゃりと前髪を撫でられる。
「……柳、合宿中に俺に襲われたい?」
「!!?」
 物騒な言葉に大きく首を横に振れば、「だろ?」と優しく頭を撫でられる。
「だからな、あんまり可愛いこと言うな。お預け喰らうの、きついんだからな」
 ――その言葉に、顔が益々熱くなった。私の赤くなった耳に気付いたのか、小さく笑って耳朶をふにふにされる。優しい触り方に死ぬほど恥ずかしくなって。彼のTシャツの胸元をぎゅっと握って視線を彷徨わせた。黙ったままの彼に気まずくなり、慌てて口を開く、が。
「……あ、あの、……我慢してるの?」
「……」
 …………私の馬鹿!!何を聞いてるの!!「あ、ち、違、」と慌てて手を振るものの、その手を指を絡めて握られる。いちいち行動が早いんだよぉ!!
「……さっきので、分からなかったか?」
「っ」
 低く落とした声は、甘ったるくどこか掠れていて。その色気にびくびくしながら、ひたすら首を左右に振る。人形みたいにカクカク首を揺らす私を見て、山元は非常に楽しそうに、くすくすと笑い。
「じゃあ、迂闊に俺のこと誘惑するなよ。今は出来る限り、お前のペースに合わせたいから」
「……はぁい」
 繋がったままの指先を、大事そうに撫でられる。……うう、慣れたくないけど急激に慣らされてる気がします。ていうか、私のペースに合わせると言いつつ修学旅行のアレは何だったの!?と、聞いたら最後押し倒されそうなので抵抗しなかった。
 林檎みたいに真っ赤な私の頭をぽん、と叩き。気付けば床に落としていたボトルを拾う。私の目の前でそれを振って、楽しそうに笑った。
「じゃあ、コレ、貰ってくな」
「……うん」
 ふ、と離れる身体と温もり。唐突に寂しくなって、彼の背中に伸ばした指先。慌ててぎゅうっと握り込む。
 山元に忠告されてるのに、それでも学習せず、彼の側を望んでしまう。一度知ってしまえば、死ぬほど離れがたくって。我ながら苦笑してしまった。
 かちゃりと開くドアの向こうは、変わらない。意外と大きな声を出してしまった気もするけれど、ばれていないらしい。まぁ顧問の先生は合宿の時は大体お酒飲みに行くし、部員の部屋は離れているから大丈夫だとは思うんだけどね。
 扉の前で立ちつくし、その背中をただ見送る。まだ赤い頬を必死に擦ると、不意に、山元が振り返って。
「柳」
「何?」
 気恥かしさで、素っ気ない返事になってしまう。でも山元はそれには何も言わず、笑みを深めた。
「あのな、心配しなくてもいいぞ」
「え?」
「――これで、十分お前のマーキングは済むはずだから」
 これ、と言いながらシャンプーが振られる。目を瞬いて首を傾げる私に、彼は笑うだけ。マーキング、ってシャンプーの匂いのこと?同じシャンプー使うから、大丈夫って意味?でも、部員みんなで使うなら、意味ないのに。
「どういうこと?」
「どういう意味だと思う?」
 謎かけのような言葉に眉を寄せた。訳が分からない。不満そうな私に笑い、くるりと振り返って手を上げる。その視線の先には。
「咲ちゃん」
「……あー、えっと、ただ今戻りました」
 ちょっと気まずそうに顔を歪める咲ちゃん。私と山元を交互に見て、ため息を吐く。山元が苦笑して、咲ちゃんを私の方へ促した。
「悪かったな、もう終わったから。渡辺、サンキュ」
「……悪いと思うなら、合宿中くらい自重してくださいよ」
「仕方ねぇだろ?二週間だぞ、飢えるに決まってんだろ」
「私に言われても……」
「言っとくけどな、隼人も同じ状況に追い込んでみろよ。あいつ速攻お前に襲いかかるぞ」
「い、今は隼人先輩は関係ないでしょう!!」
 ……あれー。なんか咲ちゃんが文句言ってたはずが、気が付けば山元にからかわれてるぞー。ニヤニヤといやらしい微笑みの山元に突っかかる、真っ赤な咲ちゃん。ぼんやりしている内にぽんぽん会話が進んでいて、何が何やら分からない。とりあえず咲ちゃん、ご愁傷さまです。
 真っ赤な咲ちゃんは山元を思いっきり睨んで、私の方へと向かってきた。あ、終わったの?
「瑞希先輩、部屋戻りましょうっ」
「え、あ、うん。……えっとじゃあ、山元お休み」
「……おう、お休み」
 ――何度かした電話で、やっと言いなれた言葉。はにかんで言えば、山元も優しく手を振ってくれる。
 ……何か今更だけど、嬉しいかも。今まで電話で「お休み」って言ったら切らなくちゃいけなかった。次に会うまで、一つ夜を越さなきゃいけなかった。でも、今は。離れていたって、同じ屋根の下、彼がいる。目を見て、「お休み」って「おはよう」って言える。贅沢すぎる状況に、頬は緩みまくりだ。
 扉を閉めて、部屋に入る。玄関に放っておいたバッグを咲ちゃんが運んでるのを見て、慌てて手伝いに行った。
「ごっ、ごめんね咲ちゃん!!ていうかさっきも本当にごめんね!!」
「いえ、全ての責任は山元先輩にあるんです。……わざといちゃいちゃして私が居辛いように仕向けたんですから」
「そんなこと」
 ……あるだろうな。とは思ったけれど言えなくて、苦笑いしてもう一度謝った。咲ちゃんも苦笑し、首を傾げる。
「そう言えば、山元先輩何持ってたんですか?来た時手ぶらでしたよね」
「ああ、うん。お風呂場のシャンプー切れたから、欲しかったんだって。だから私の予備のボトルあげたんだよ」
 バッグを運び終わり、時計を見るともう八時半。三十分近く山元は部屋にいたらしい、咲ちゃん本当にごめんなさい!!心の中で深く謝り、押し入れから布団を取りだす。割と固いけれど、文句は言うまい。家がベッドなのでぎこちなく布団を敷いている私に、咲ちゃんはきょとんとしたままだった。
「え?男湯にシャンプーあるって一年生言ってましたよ」
「……え?」
「リンスインシャンプーだから、髪ばさばさになるーって文句言ってましたもん。何個もボトル試したけど、全部外れだった!!って」
「…………えぇ?」
 何、それ?山元が嘘ついた、ってこと?それともただ単にリンスインシャンプーが嫌だったの?でも、それなら正直に言えば良かったんじゃ……。
 目を白黒させる私に、咲ちゃんはしばらく宙を見つめた後、「……なるほど」と低く呟いて、額を手で押さえた。え、何なの?
 相変わらず意味が分からずに眉を寄せる私に、咲ちゃんは大きく息を吐いて、苦笑した。
「山元先輩、柳先輩の匂いが欲しかったんですよ」
「……へ?」
「寂しかったんじゃないんですか?だから、同じシャンプー使いたかった、とか」
 ――寂しかった?私の、匂い……?

『――これで、十分お前のマーキングは済むはずだから』

「……!!」
 山元の言葉が頭に浮かんで、ぼぼっと頬が熱くなる。
 ま、マーキング済むってそういうこと!?私のシャンプー使うの、自分だけってこと!?同じ匂いだから、大丈夫って、そういうこと!?
 余りの衝撃に焦って、とりあえず布団を敷こうとするものの壁に手をぶつけ、畳で足を滑らせる。そんな私を見て、咲ちゃんはまた笑みを深めた。
「瑞希先輩、愛されてますね」
 ――そうかもしれない、デス。
 今使ってるシャンプーは甘ったるい、キャンディのような匂い。少なくとも男の子が嬉々として使う類ではないと思う。なのに、わざわざシャンプー借りに来た、って。
「……」
 今度こそ、おたふく風邪みたいに赤くなった頬が元に戻る気がしなくなってきた。


  

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