例え何があっても、この存在を諦めるなんて選択肢は。

最初っから捨ててみせる。

どうしたって愛しくて大切で、俺のものにしたいんだ。


5.No win,No give up!!(1)


「こりゃ大分やべぇな……」
 水曜日。今日から一年生が本入部開始するのだが、その数なんと四人。さすがにやばいだろ、この数は。
 雑用関連は基本的に一年生がやる。その一年がいないってことはつまり、俺ら二年が被害被るってことだ。冗談じゃない。大会の度に荷物運んだり、部活前の雑巾がけ。合宿での食事準備や掃除も一年生。マネージャーも手伝ってはくれるが、そのマネージャー希望すら一人もいない。やっと解放されると思ったのに、ふざけんなよ……。このままじゃあ別の部活から転部して来る奴も、期待出来ないだろう。
 もう一度、一年生の固まってる場所を見る。さっきより少し増えてる。HRの都合上、遅れた奴もいるだろう。だが、それでも六人。重たいため息を吐いて、俺の足にテーピングしてる柳に軽く冗談を飛ばしてみた。
「あれじゃねぇ?体験入部で柳見た奴等が逃げ出したんじゃねぇの」
 含み笑いと共に、からかってみる。ムキになって怒る姿が見たくて言ったの、だが。
「……」
 無反応。まさか、怒った?これ位で?慌てて彼女を見るが、黙々と作業を続けている。その目は、ここじゃない何処かを見ているみたいだった。
「柳?」
 訝しく思って、声をかける。ここ最近、ずっとそうだ。声をかけても気付かなかったり、一人で空を見つめてたりする。多分、今週入ってからだ。……週末に、何かあったのだろうか。確か友達と遊ぶとかなんとか、すごい浮かれて言ってたのを覚えてるが。
 またも何の反応も返さない柳にため息を吐き、軽くその頭をはたいた。
「……っ!?え、ちょ、何よ!?」
「別に。誰かさんがトロトロしてるから暇になっただけ」
「む……悪かったわね遅くて!!たくもうっ、山元は本当にムカつくんだからっ」
 怒って頬を赤く染める顔は、いつも通りだ。だけどやっぱり、元気が無い。この反応を、俺は確かに覚えてる。こいつがこんなにへこむ原因は、いつも。
「……青竹先輩と、何かあった、のか?」
「っ!!」
 テーピングをする手が一瞬止まり、肩がビクリと跳ねる。柳は俯いたまま、震えた小さな声で返答をした。
「や、やだな。……先輩、もう卒業しちゃったんだよ?今更何があるって言うの」
「……ならいいけど」
 ホント、嘘の下手な奴。あからさまな作り笑顔に、むしろ胸が痛んだ。嘘をつかれるのも、先輩と何かあったことも。苛ついて仕方ない。
「あ、山元。テーピング、どうする?切る?」
「今日はいい」
 ――素っ気無いふりでもしなくちゃ、柳の肩を掴んで全てを吐き出させなければ、気が済まないくらいに。
 黙って椅子に座ったまま、バッシュを履く俺に柳は何も言わない。どこか気まずい雰囲気が流れたころ、不意に声がかかった。
「あの……」
 二人同時に顔を上げると知らない顔。体育着を着ているとこからすると、一年生だと思う。
「ん?どうかした?」
 柳は首を傾げながら、話を切り出しにくそうにしているそいつに声をかけた。ホッとしたように笑うと、用件を話し始めた。
「すみません、俺のクラスあともう一人、新入部員いるんですけど」
「え、そうなの?今日どうしたのかな?お休み?」
「いえ、月・火って風邪で休んでたんで、課題テストとかプリントとか今やってるんで遅刻します」
「あぁはい、分かりました」
「もしかしたら部活終わるまでには来れないから明日来るかも、って」
「はーい。大変だね、こないだ入学式だったばっかなのに。お大事にね」
 軽く苦笑して、一年生に手で行っていいと合図する。頭を下げながら、さっさと去って行った。再び二人きりになって重い空気になりかけたところで、部長が部活開始の声をかける。それに合わせて、ゆっくり歩みだした。一度だけ振り返った時に見えた彼女は、もう別の作業に意識を集中させていて。俺じゃあいつの頭を一杯に出来ない、そう思い知らされた気がした。
 結局その日の部活は、ほとんど集中できなくて。俺は、精神面が弱いプレイヤーなんだと思う。こんなこと、柳に出会うまで知らなかったけれど。頼りなくてガキ臭くて、柳にも八つ当たりしたり、情けない部分ばかり見せて。柳が好きだった青竹先輩は、全然そんなんじゃなかった。優しくて明るくて、大人で。精神面でプレイを左右されるような人じゃなかった。顔も勿論だけど、その人間性が格好いい、本当にすごい人。
 ――
あの時だって。先輩は、何のためらいも、迷いもなく柳を助けた。
 前好きだった人がそんな人だなんて、勝ち目、ない。現在、進行形だと思うけど。
「……っ」
 残って始めたシューティング。気付けば一人減り二人減り、九時半を過ぎたころには俺だけになってた。馬鹿なことばっかり考えてるから、シュートが全然決まらなくて。荒い息と一緒に投げ出されたスリーは、リングすら掠めず床に落ちて、跳ねた。
「……ちくしょう」
 ぼそりと呟いて、ボールを拾いに行く。体は練習したせいで疲労で一杯なのに。なのに、帰れない。もっと、もっと練習しよう。一度だけ、ずっと前に柳が部活終わった後に言ってくれた。
『私、山元のプレイ好きだな。何て言うか、すごい魅力的。目を奪われる、っていうか』
 その時は、ただ笑って彼女を馬鹿にした。だけど今は、その一言で疲れも吹っ飛ぶ。
 ……青竹先輩とたまにしてた1on1は、最後まで勝てなかった。青竹先輩と俺は、違う。俺がガキなのは今に始まったことじゃないし、きっとずっと変わらない。先輩みたいになろうとしても、それは不可能だ。だけど、負けたくない。負けたくないんだ。
 柳を、手に入れたいから。
 絶対手に入れるって決めたのに、こんな些細なことですぐに揺れる。強くならなくちゃ。あいつを守りたいから、抱き締めたいから、側にいたいから。
 
目を細め、眩しいリングを眺める。ボールに手を添え、睨むように、自分のシュートフォームを描く。一度息を吸い込んで、吐き出した。
 ……大丈夫、入る。
 やっと来た、遅すぎる集中に呆れた。膝を曲げ、出来るだけ高く飛ぶ。体を曲げて、手首でボールを押し出した。落ちて行く体。飛んで行くボール。地面に着地してすぐに、頭を上げる。
 ―スパッ……
 気持ちいい音を響かせて、ボールがネットを切った。ふと、リングに掌を向けて、ぎゅっと拳を握る。黙ったまま、ボールを片付け帰る準備をした。

 眠れないまま、気付けば朝が来て、欠伸半分で教室に入る。席に着くとすぐに隼人が近寄って来た。ちらりと誰もいない前の席を確認する。……バッグはある。じゃあ、どこに行った?あれこれ、柳の行きそうなところを考えてる。
「あ、柳っちだ」
 不意に隼人が声を上げた。慌てて教室を見回すけれど、何処にもその小柄な姿は、ない。驚いて顔を上げると、意地悪く笑われた。
 ……ちくしょう。カマかけられたのか。悔しくなり、唇を噛んでその無駄に優しげな笑顔を睨む。しかし奴は、ニッコリ笑っただけだった。
「……お前って本当にイイ性格してるよな」
「お褒めの言葉、どうも。恍は不器用だよね」
「余計なお世話だよっ!!ったく」
 隼人と話してたら妙に疲れた。だけど、気が楽にもなる。昨日の今日でどう声かけようかなんてウダウダ考えたけど、結局いつも通りでいいと思う。あいつ相手に力むことなんて無いんだ。だから、いつも通りで。とりあえず英語の宿題やろうと、バッグを漁る。不意に隼人が「あ」と声を上げた。
「柳っちだ」
「お前冗談もいい加減に、」
「山元、おはよー」
 一瞬、その声に固まり、恐る恐る見ると――声の先では柳が笑ってた。
 突然の登場に、用意してた言葉とか、いつも通りにするとかいう心意気まで吹っ飛んだ。早く。早く、伝えなきゃ。笑って、言葉を返さなきゃ。 ……だけど、焦る気持ちとは反対に口を動いてくれず、困って視線を一瞬下に落とす。再び顔を上げると、視線の先で柳は困ったように、泣きそうに微笑んだ。
「っ、」
 ああ、どうしてこの唇はこんなにも使えない。関係ないことには饒舌な癖して、大切な場面じゃ上手く動いてくれない。黙って俺の横を通り過ぎようとする柳の髪が、視界の隅に揺れる。それに心が潰れそうになった。
 こうやって、大事なものを掌から零して行くのか?
 やっと近付けたこの距離を、また失うのか?
 頭の中で、疑問が浮かんでは消えて行く。けれどその思考は、確実に俺を追い詰めて。思わず音を立て、蹴るように椅子を立った。驚いた柳の顔が見えるけど、本能だけで動いてる今の俺には気にしてられない。そのまま、柳の細い腕をしっかりと掴んだ。
「?え……、」
 怪訝そうにこっちを見つめるその顔に、心が疼く。だけどそれも振り切って、叫んだ。
「お、はよう、と、……昨日は、ごめん……」
 ……数秒、いやそれ以上だと思う。本気で目の前の柳しか目に入ってなかった俺は、隼人に肩を叩かれ、声をかけられ始めて気付いた。
「あのさー、恍。盛り上がってるとこ悪いんだけど、ここ、教室ね?」
「〜〜〜〜っ!!」
 慌てて柳の手首を離す。赤い顔のまま辺りを見渡せば、クラスの連中みんなニヤニヤして、こっちを見てた。まだ恥ずかしいらしい柳は、俯いているが覗く耳は、赤かった。ああやばい可愛い、とか思う俺が一番ヤバい。呆れたように笑う隼人も見れず、手で口元を覆う。
 ……なんなんだよ、この妙に恥ずかしい空気。俺が柳に触っちゃ悪いか、と逆切れしそうになった時、場違いなほどのんびりした声が教室に飛び込んだ。
「おらおら、さっさと席着け朝礼始めるぞー。……ってなんだこの甘酸っぱい感じの空気は」
 「若いって意味分かんないなぁ」なんてブツブツ漏らすのは、田中ちゃん。今年も担任だ。一瞬で入れ替わった空気にホッとして、さっさと席に着いた。去り際に俺を馬鹿にしたように笑う隼人にムッとしたが、仕方ない。今日の俺は、本気で馬鹿だった。未だに赤く染まる顔を隠すように、額を押さえて息を吐く。田中ちゃんの事務的な連絡は、俺の耳を掠めもしなかった。
 けれど、不意に。目の前の柳がこっちを振り返る。赤みが残る頬で、上目遣いに真直ぐこっちを見てきて。それに体温が、一気に上昇したような気がした。明らかに再び熱を取り戻した頬を、腕で隠す。そんな俺を彼女は珍しそうに、おかしそうに眺めた。
「何だよ」
「それ山元が言う台詞?私、あんたのお陰で相当恥ずかしい思いしたんだけど」
 肩を竦めてちょっと怒ったように言う彼女に、言葉に詰まる。やれやれ、と言った感じに微笑む彼女はいつも通りだ。
「昨日、私本当に怖かったんだよ、山元」
「……ごめん」
「本当に、本当に心配したんだから」
「っ、ごめん」
「……山元に嫌われたかと思って、怖くなった」
「…………え?」
 責めるような口調にただ謝るしか出来なかった俺は、だけど最後の一言に顔を上げた。目を丸くする俺に、目の前の彼女は苦笑する。
「あのさ、私山元はやっぱ色んな意味で大事なんだよ。期待もたせるような言葉で申し訳ないけど、これ本心」
「っ、おまっ、分かってるなら言うなっ」
 柳の一言に、俺がどれだけ振り回されてるのか、いい加減気付け馬鹿。
「私も、ごめん。一杯、嘘ついた」
「っ、」
「昨日言ってたこと、後でちゃんと話す。……ごめんね」
 少しだけ悲しげに微笑み、前を再び向く柳を、引き止めようとは思わなかった。確かに彼女は俺と向き合おうとしてくれるのを、感じたから。……それがどんなに残酷な言葉だろうと。

 時間は一気に過ぎて、放課後。話を急かす俺に彼女は苦笑して、「部活終わった後」と微笑んだ。今日の部活も色んな意味で落ち着かなさそうだな、とため息を一つ。ゆっくりと部室で着替えて、体育館に入った。マネージャーはもうとっくに来てて、いつも通り柳にテーピングを頼む。
 
そう、いつも通り。 だけど、いつも通りじゃないのに気付こうとしなかったのだ、俺は。
「……?」
「?どうしたんだろ、騒がしいね」
 
不意に体育館の入口が騒がしくなる。男バスのコートは奥にあるら、よく見えない。何かあったのだろうかと思いつつも、柳を何となくいじりたくなって。そっとテーピングに集中する彼女に手を伸ばした瞬間、ありえない声を聞いた。
「こんにちはー」
 目を開き、俯いた顔を慌てて上げる。下を向いたままの柳の手に、力が籠ったのが分かった。コートに入って来た、その声の主。その笑い方はこの部活の連中なら、たった一人を思い浮かべる。
 小柄な、エース。危機的状況でも消えない、その笑み。
 誰かがひっそりと、零す。

「……青竹、先輩……?」

 その言葉に、小さな彼女は顔を上げた。泣きそうに、その瞳を潤ませながら。

  

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