追いかけた、人がいる。

ずっとその背を追いたかった、人がいる。


6.揺れる世界、遠い残影


 試合終了のブザーが鳴る。真夏の日差しに包まれて、頬を流れる汗を拭いもせず。みんなが涙を零す中、一人真直ぐにゴールを見つめていた。スッと伸びた背筋に、気付けば私も涙を零していた。まるで永遠にも思われる一瞬を経て、彼はこちらを振り向いて。 単なる希望かもしれないけれども、――端整なその顔を歪め、潤んだ瞳で微笑んでくれた。
  側にいたいと、心から願ったの。例えあなたが誰を見つめていたとしても。


「柳、今日の部活一時からだから」
「了解。わざわざありがと」
 二時間授業の本日、他の運動部の友人達とお弁当を食べてると、山元に話しかけられた。青竹くんに告白まがい(ていうか告白?)をされてからまだ一週間も経ってないけど、彼は何でもないような態度を取ってる。……私が意識し過ぎの感はあるんだけど。元来、彼は人好きのする笑顔と素直な性格の持ち主だから部活でもなかなかの人気者だ。
 ついでに、彼が入部を決意してから一気に新入部員が増えた。その数、十五人。何でも『せっかく高校来たのに青竹と一緒にプレイ出来ないなら意味ない』だそうだ。だけどそれだけの数を動かせる青竹くんのプレイに、個人的にもすごく期待を寄せてしまう。きっとすごい戦力になる。強くなっていくバスケ部が、素直に嬉しい。
 ……まぁ、山元と青竹くん仲悪いけど。
若干、ていうか、かなり自惚れちゃうと、元々の相性半分、私のせい半分だ。そんな気はする。二人とも格好いい割に女見る目がないなぁ、とはしみじみ思う。私なんて童顔だし小さいし、多分山元と一緒にいたらあいつロリコンにしか見えないぞ。しかも、青竹くんなんて一回会っただけだし?
 何で私なんだろう、なんて考え込んでしまうことも多い。山元のこと、青竹くんのこと。さらにマネージャー希望がまだ来ないことに頭を悩ませる日々が続いてた。悶々と考えていると、もう部活の時間になってて。
「あ、やば、ごめん先行くね」
「あーまた明日ね」
「うんっ」
 一緒にご飯を食べてた友達に手を振り、バッグを持って走る。外から近道を通って、体育館に向かうことにした。
 ふと、体育館の外の入口に誰か女の子が立ってるのが見えた。黒い緩やかな長い巻き毛が、風に揺れる。スラッとした体型で、ぱっと見た感じでも足がすごく長い。俯いた首筋は、白く、どこか艶めかしくて。綺麗な人なんだろうなぁ、何て思いながら走る。
 と、視界の隅にすごい勢いで飛んでくる白いものを見た。あれ……サッカーボール……?よく見ると、真直ぐに体育館の、外の入口―つまり彼女に向かって、飛んでいる。気付いて思わず、叫んだ。遅い足を、必死で早める。
「あ、危な、いっ!!」
「え?」
 振り返る彼女に必死で手を伸ばし、その手首を引っ張る。反動で、私の体が前に飛び出た。ああ、何か手首折れちゃいそうに細いなぁなんて思ってたら、……頭にガツンと衝撃。反射的に声が出た。
「いったぁーー!!」
「ぇ、あ、だ、大丈夫ですか!?」
 ボールがぶつかったらしい頭を、押さえてしゃがむ。ジンジン痺れるような痛みが続いて、意識せずとも目が潤む。
 とりあえず、心配して声をかけてくれたらしい女の子に返事はしようと顔を上げて、固まった。彼女の顔を凝視したまま、固まる私に、小さく首を傾げる。長身なのにわざわざしゃがんで、目線を合わせて頭を撫でてくれた。……あ、ヤバい何か今すごい優越感。この身長で良かったかもしれない……!!とか考えて一人ニヤニヤすると、彼女は苦笑して口を開いた。
「あの。大丈夫です、か?」
「……あ、ああ、はい!!大丈夫ですめっちゃ元気ですっ!!」
 その顔に一瞬見惚れて、返事を忘れたあげく馬鹿みたいに叫んでしまった。クスクスと笑う彼女が、これまた可愛い。 長い巻き毛が、動く度に揺れる。フワフワしてて、とても柔らかそう。その甘さが、シャープな顔のラインによく合ってる。涼しげな二重の目に、キリッとした細い眉。唇は何も塗ってないのに桜色で、微かに紅く染まった頬。凜とした雰囲気だけど、笑顔は可愛くて。短いスカートから覗く足は細いけど健康的で、何か運動をやってるみたい。口元に押し当てられた、何の装飾もしていない爪と長い指がこれまた綺麗だった。 正に、完璧な美人。『綺麗』という言葉を実感した。どこか中性的な雰囲気もあって、多分男装でもしたらその辺の男子なんてものともしない位、格好いいだろう。緩やかなラインを描く口元と、細めた目にドキドキする。うぁぁぁぁヤバいヤバい禁断のライン超えちゃいそうだぁっ!!何て一人で焦ってると、美人さんは言葉を零した。
「もしかして、男バスのマネージャーさんですか?」
「え、あ、はい」
「あの、……まだ間に合うようなら、入部希望よろしいでしょうか?」
「……はい?」
 またもや固まった私に、不安そうな顔で唇を一の字に結ぶ。ああ、そんな顔も可愛い……じゃなくて!!
「い、一年なの!?」
「はい。渡辺咲と言います」
「え、え、えぇぇぇぇ!?」
 一人絶叫する私に、彼女――もとい咲ちゃんは頷いた。そ、そんな、一年生でこんな大人っぽいなんて反則だよー!!何だか急に、自分が二年なのが申し訳なくなって来た。へこんでいると、急に体育館の入口が開く。……つまり、その前に座り込んでいた私に、
「ふぎゃあっ!!」
「ん?あ、柳?」
 ――ぶつかる訳でして。打った腰を押さえて振り返ると、山元が笑ってる。それに文句を言う前に、柔らかく綺麗な声が耳に届いた。
「山元、先輩」
 ビックリして前を向けば、咲ちゃんがはにかむように微笑んでた。山元は一瞬眉を寄せてすぐに咲ちゃんを見返すと、驚いたみたいに目を見開いた。
「渡辺、か?」
「あ……良かった、覚えててくれたんですね」
「お前馬鹿にすんなよ?俺だって一コ下の後輩くらいなら覚えてるよ」
「あはは、だって山元先輩興味無いことは全然ですもん」
「まぁそうだけどな」
 苦笑混じりに山元が零すと、咲ちゃんは声を立てて笑った。え?ていうか、何この会話?不思議に思って一人考え込むと、急に腕を引っ張られた。
「ふぇ?」
「っと。たく、いつまで座り込んでんだよ」
「え……。あ、ありがとー」
 立たされて、一瞬ぐらつく足元。バランス取れるまで、山元は私の腕を掴んでてくれた。もう一回お礼を言うと、微かに顔を赤くして、別に、と素っ気無く返される。そして咲ちゃんの横に並んで、軽く手で示した。
「柳。こいつ、渡辺。俺と同じ中学で女バスだったんだよ」
「あ、ああなるほど!!だから知り合いだったんだぁ」
「そ。で?何、渡辺は女バスの見学でも来たの?」
「あ、いえ違います。……男バスのマネ、やろうかなぁって」
 
二人の関係を説明されて、納得をしていると、山元は咲ちゃんに話しかけてた。言われた言葉に、やっぱり咲ちゃんはマネ希望なんだ、と実感。希望者がいなくて困ってる位だったし、こちらとしては全然OKだ。バスケ経験者と言うのも、個人的には嬉しい。という訳で、早速体育館に案内しようと思ったら、咲ちゃんは一言。

「先輩のプレイ、見てたいから」

 ……え?驚いて咲ちゃんを見ると、ニッコリ笑ってた。山元はそれを見て、嬉しいこと言うじゃん、なんて咲ちゃんの頭を叩いてる。今更ながらに二人は美男美女で、何て言うかお似合いで。急に、山元が遠く感じた。

「えー?マジで、マネージャー希望?」
「やっべすっげぇ可愛い!!今年は当たりだなっ」
「すみませんね、去年は大外れでっ」
 体育館に入れてマネージャーの美祢先輩に咲ちゃんを紹介すると、部員たちがゾロゾロ集まって来た。先輩の一人が漏らした言葉に膨れると、「嘘嘘、お前も十分可愛い」と頭を撫でられる。……なんたる子供扱い!!
 とりあえず今日は見学でも、ってことで椅子を出す。咲ちゃんは遠慮したけど、最終的に笑って座ってくれた。
「そういえば、先輩のお名前は?」
「え?あ、ごめん言ってなかったっけ。柳瑞希です、よろしくね」
「瑞希、先輩ですか」
 よろしくお願いします、と微笑む顔にまたもや胸きゅん!!こんな美人な子に名前呼ばれるなんて、私幸せ者すぎる!!一人悦に浸ってると、後ろからペシッと頭叩かれた。
「はぅっ」
「何かお前、さっきから目付き犯罪者」
「やっぱり山元かい!!何その目付き犯罪者って」
「今にも渡辺襲いそうな感じだよ」
「うっ」
 それはちょっと否定出来ない気がする。思わず黙り込むと、山元は馬鹿にしたように笑って、屈んで私の耳元に囁いた。
「……俺ならいつでも大歓迎、だけど?」
「――!?」
 低く、甘い声音に意識せずとも顔が赤くなる。妙に心臓に悪い、目の前のその笑みを、耐え切れずに小さく叩いて慌てて逃げた。山元が笑ってるのが聞こえる。うううーっ、あのセクハラ大魔神めーっ!!なんてパニックになっていた私には、……すぐ側でそれを見てた咲ちゃんの気持ちを考える余裕なんて、なくって。

 部活も終わり、咲ちゃんに簡単に作業の説明なども重ねて行く。見た目通り、理知的な彼女は一回説明したら大抵は理解してくれた。今は、部室に案内してるとこ。
「で、ここが部室棟。休みの日とかはこっちで着替えるから」
「え。男子部員と一緒、なんですか?」
「まさか!!女子は二階だから、そっちにマネ用に小さい部屋があるの。ホント狭くて、三人入ったらぎゅうぎゅうなんだけどね」
 苦笑しながら言うと、ホッとしたみたいで息を吐いた。まぁ私も、始めて言われた時はビックリしたけど。あれからもう一年かぁ、なんてしみじみ思ってしまう。二階に連れて行き、奥の部室に案内すると、やっぱり余りの小ささに咲ちゃんは驚いてた。スウェット、ジャージ、制服なんかの私と先輩の私物が置いてある。それをちょっと端に寄せて、咲ちゃんのスペースを開ける。そのまま座り込んで、クッキーを取り出し、咲ちゃんにあげようとしたら、不意に声をかけられた。
「あの、瑞希先輩と山元先輩って‥‥付き合ってるんですか?」
「ん゛ぐっ!?」
「え、ちょっ、瑞希先輩!?」
 予想しなかった言葉に、クッキーを喉に詰まらせる。咲ちゃんは慌ててこっちに来て、背中を擦ってくれた。あー幸せ……、じゃなくて!!
 危機を脱出して、咳込んで涙ぐみながらも、頑張って話す。
「んな、訳、ないで、しょうがっ」
「え?でも、あんな仲良いし」
「一年の時から同じクラスなだけだよ。そういうんじゃ、ない」
 青竹くんと言い、咲ちゃんと言い、誤解し過ぎだ。……そりゃ、その可能性が0とは言いがたい。今のところは私の気持ち次第、だから。だけど本当は、このまま。恋愛なんて縁もなさそうな、友達でいたい。一月前からずっとそればかり繰り返してるけれど、それはやっぱり変わらない気持ちで。
 
だけど、時折。今日みたいに、山元は突然『男の人』になるから。直前までいつも通り馬鹿やってたのに、突然私を『女の子』として見るから。どうすればいいか分からず、逃げ出してしまう。ぼんやり考えると、咲ちゃんが小さく声を漏らした。
「じゃあ、山元先輩……もしかして……」
「ん?何?」
「え、いえ。あの、でも山元先輩は絶対、瑞希先輩好きですよ」
「っ、え゛ほっ、」
「うわぁ瑞希先輩っ!!」
 確信めいた言葉に、また咳込む。いや、一応知ってるんだけど。でも、そんな山元態度分かりやすいか……?だけど彼女は、私の言葉に小さく笑った。
「中学一緒だったんで、分かります。山元先輩、興味無いものにはとことん冷たくて、好きなものは、すっごい大事にしてましたから」
「……」
「先輩、雰囲気全然変わってました。すごく優しくなってて、なんていうか穏やかで丸くなってて。きっと、瑞希先輩が側にいるお陰ですね。私、お二人を応援してます」
 ――そう、微笑んで話す彼女。それは確かに、尊敬する先輩を慕う後輩の表情。けれどそこに見え隠れするのは、確かな、恋慕の情。……それでも私は言いかけた言葉を、必死で堪えた。
『咲ちゃんは、山元が好きなんじゃないの?』
 



それは多分、私が決して言ってはいけない言葉な気がしたから。

  

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