Like A Dream?(2)


 掃除が終わり、友達と教室で話していたら、担任に話しかけられる。季節は、もう秋。窓の外の夕暮れに、少し目を細め、先生に向き直った。
「お前、週番だったよな?」
「そうですけど?」
「実はなぁ、ちょっと今日残って欲しいんだよ。プリントまとめる作業、今日中だったのに忘れちまって……」
「えぇ?でも今日、週番あたししかいないじゃないですか、」
「分かってるけど、な、頼む」
 中年の担任は、けれど子犬のように小柄で、真っ直ぐな瞳をしている。それはひどく、田爪に似ているから。みんなに人気のあるこの先生を、あたしも嫌いになることはできなかった。
 今日はもう一人の週番の子がお休みなので、出来れば仕事を請け負いたくない。だけどため息を一つ吐いて、仕方なく頷く。すると機嫌良く微笑んで、HRが終わった後、職員室に来るよう言われた。
 早急に去っていった先生の背中を見送りながら、田爪の姿を探す。部活に遅れるなら、きちんと言わないと。そう思ったけど、その姿はどこにも無い。首を捻りながら、教室から出た。

 廊下を歩いて、探し回る。どこのクラスもHRが始まり出したのか、人の姿はまばらだ。だけど、例え人の多い時間帯だって一瞬であたしの目を惹くその大きな背中は、柔らかな笑顔は、無い。
 と、不意に。「山元さーん、」声をかけられる。
 眉を寄せ振り返ると、顔をにやつかせた見知らぬ男子二人組。上履きを見ると二年生だ。
 ……またか。気付かれないよう、小さく舌打ちを落とす。
 高校に入って、文化祭が終わった頃からこんなことはしょっちゅうになった。こっちは名前を知らないのに、あっちは名前を知っている。しかも男子の上級生ばっかり。ただ単に挨拶をされる時のこともあれば、馴れ馴れしく肩を抱いてきたり、アドレスを聞いてきたり。
 馬鹿じゃなかろうか。見知らぬ男に、素直にアドレスを教える女が何処にいると言うのか。だけど実際、そんな女子がいるのは事実で、そんなんだからこういう調子に乗った馬鹿が増える、と小さく一人ごちた。
 あたしが出す不機嫌なオーラに気付かない二人組は、ゆるりとこちらに近付いてくる。
 着崩した制服、立てた髪の隙間から見えるピアス、その全てに嫌になる。寄ってくる男全員こういうタイプだから、いい加減欝にもなってしまう。まぁまともな男子はこんなことしないけどね?
 ――田爪は、こんなんじゃない。制服もちゃんと着てるし、部活だって一生懸命だし、こんなむかつく笑い方しない。無意識に浮かぶ嫌味は、ずっと前から続いてる、口癖みたいなもの。
 だって、仕方ないじゃない。あたしにとってはもう、田爪が男の基準なんだから。
「噂通りだねーめっちゃ綺麗」
「そうですか、」
「ねね、アドレス教えてくれない?前から気になっててさぁ」
 ……
やっぱり、それ系か。
 今度は聞こえるように舌打ちをしてみせると、相手も不快そうに眉を寄せた。断られないとでも思ってた訳?それは思い違いですね、ゴ愁傷サマ。嫌みったらしく笑みを浮かべてみせ、口を開く。
「悪いんですけど、」
「はいはい、ストップストップー」
 
いきなり間に入った掌に、目を見開く。その手の持ち主を見ようと視線をあげると、柔らかい微笑みに強い光を宿らせた、田爪がいた。驚きで目を見開けば、左手であたしの肩を抱く。それに何となく身を引こうとすると、一瞬、田爪はこっちに鋭い光を湛えた瞳をむけて。思わず息を呑んだ直後、手に強い力をこめて、グッと肩を抱かれた。声を出せないあたしに小さく微笑む。
「美祢、HR始まる。行こ?」
「……ぇ、あ、う、うん、」
「それと、」
 
いつも通り、優しく言葉をかけた田爪にホッと息を吐く。
 何だか、田爪がとても怖く思えて。いつもの奴じゃないように、そう思えたから。
 だけど直後、プレイ中に見せるような不敵な笑いを前の二人に向けた。
「すみませんけど、こいつに、ちょっかい出さないでくれますか。こいつ、困ってるから、」
 
そしてそのまま、一礼してあたしの肩を抱いて歩き出す。早いその歩みに、思わず足がもつれる。慌てながら後ろを振り返ると、ぽかんとして立ち尽くしたままの二人がいた。
 でも、自分の心中もそれに似たものだったから、嘲笑うこともできなかった。
 あたしを呼びに来たんだよね?あたしが、遅れたから。助けれくれたのだって分かる。
 だけど、どうして?……田爪が怒ってる理由が、理解できない。
 笑ってるから最初、理解できなかったけど。その鋭い瞳も、この足の早さも、怒ってるからだ。ほとんど初めて見かけたその感情に、あたしの頭は混乱していた。だけど、いきなりぱっと肩に置かれた手を離される。
「、あ、ご、ごめっ、」
「へ、あ、や、大丈夫……?」
 
その上擦った謝罪に、変な返答をしながら、顔を上げる。視線の先の田爪は、――なぜか、顔を押さえていた。
 何で?いや、違う。その耳は真っ赤で、まさか、まさか。
「……田爪、照れてるの?」
「っ、!!」
 
息を呑んだ田爪は、直後、恨めしげな視線をあたしに送った。だけどその手の下からのぞく頬は真っ赤で、……可愛い、と小さく呟いた。それにムッとした田爪は、顔をそらして前を歩いていく。だけど、その歩みはさっきと違って遅く、あたしに合わせてるんだって、分かって。
 ひどく、嬉しかった。もしかして、もしかして。少しでも、あたしを女の子って思ってくれたのかな?あたしに触れて、恥ずかしいって?
 緩んでいく頬のまま、田爪に駆け寄る。
 さっきの二人組に、少し、感謝した方がいいのかもしれない。こんな甘い気持ち、あたしには、似合わないけど。でも、今だけは。躊躇いながら、その指先に、小さく触れて、ゆるりと握る。ぴくりと一瞬肩を跳ね上げた田爪は、だけど、ぎこちなくあたしの手を握ってくれた。その耳はさっきよりずっと赤くなってる。でも、あたしの顔も、多分すごい赤い。二人そろって赤くなりながら、教室に着くほんの少し前まで、手を繋いで歩いた。
 その温もりは、ひどく優しくて。
 例えあたしがマネージャーで、例え田爪が部員で、例えあたし達が、そういう関係になることは無かったとしても。それでもこの不器用な優しさを、温かい温もりを、大きな手の平を、ぎこちない手の繋ぎ方を。
 あたしは決して、忘れないから。
 そう心の中で呟いて、手を、離した。一瞬だけ、その背中が、震えて見えたけど。それはあたしの見間違いだって、自分に言い聞かせた。

「はぁ、」
 
先生から仕事を頼まれたから、今日は部活遅れそう。
 そう告げると、田爪は少し困ったような顔で、一人で出来るか、と聞いてきた。だから小さく笑って、首を振る。今は新人戦も近い。このまま行けばスタメンも取れるかもしれない田爪に、手を借りるわけにはいかなかった。すると田爪は苦笑して、「少しは甘えなさい、」言いながら頭を撫でてくれた。
 ――どうしてかな。
 今までの彼氏にも言われたその台詞。可愛げが無くて、素直じゃないあたしは、それが原因で別れることもあった。だって、自分でできることは自分でしたいし、一人じゃいられないなんて、甘ったるいこと言う女にはなりたくなかったから。だから、そう言うこと言われる度鬱陶しいとか、少しの苛立ちと悲しさが迫った。でも、田爪にそれを言われると、胸がほんの少し、あったかくなる。
 素直にその言葉を、受け止められるんだよ?
 緩んだ頬を隠して俯いて、その背中を見送った。

 
だけど職員室に取りに行った仕事は、何故か妙に膨大だった。
 ……これは、一人はおろか、二人でも終わらなかったかもしれない。
 呆気にとられたあたしに先生は、「俺も仕事が終わったら行くから」と言ってはくれたけど、二時間経った今、まだ来てくれない。最初は職員室でやってたんだけど、三十分すぎる頃には気まずくなって、教室に引っ込んだ。空はとっくに暗くなっているのに、仕事は少なく見積もって、まだ半分は残っている。
 休憩しようかなー、でも部活行きたいしなー、だけど多分終わるまでには無理だろうなー、なんて考えながら、のろのろと作業を進める。
 
こんな時、田爪のプレイが見たい。何もかも忘れてのめり込めるような、あの、真っ直ぐなプレイを。誰もがボールを無邪気に楽しく追っかけていたころを思い出す、あの、笑顔を。何度見ても愛しい、凄い、楽しい、そう思わせる田爪はすごいと思う。
 一度、青竹先輩も零していた。「あいつってさ、上手いのもそうなんだけど、一緒にやってると楽しいんだよなぁ」って。田爪がいるだけで、その声で、みんなのプレイは活き活きして、輝く。捨てようとしたって、捨てられなかったこの想いを引き留めたのは、いつだってその笑顔だった。
 ……見たいな、会いたいな、側にいたいな、声聴きたいな、名前呼んでほしいな、触れたいな。
 心の中に並ぶ欲求は、気付けば数え切れないくらい、深くなってしまった。きっと、あたし一人じゃ抱えきれなくなるかもしれない、と思わせるほどに。
 基本的にはこんな執着も嫉妬すらしなかったあたしが、田爪が他の女子と仲良く話してるだけで嫌な気分になるんだから、相当だ。どうしようも出来ない片恋に、小さくため息を零しながら椅子の背にもたれ掛かって、天井を仰ぐ。掌で目を覆って、愛しいその名前を、紡いだ。
「……たづめ」
「美ー祢っ!!」
「ほぇっ!?」
 
その瞬間、ガラリ!!と大きな音を立てて開けられたドアに、心臓が飛び出しかけた。未だバクバクする心臓を押さえて、姿勢を正す。廊下の、蛍光灯の光を背中に浴びながらニコニコ笑ってるその人は、逆光で顔は見えない。でも、その声を聞き間違えるはず、ないから。半ば呆けながら、教室に入ってくる彼を、見つめた。
「田爪……?なん、なんで、」
「んー、練習今日早く終わってさぁ。で、美祢がまだ来ないから来た」
「ありがと、でも随分早いね?」
「先生職員会議で来れないって言ってたしなー。つーか電気点けろよ、目ぇ悪くなりそう、」
 
あたしの前の席に大きな音を立てて座り込んだ田爪は、もう制服。ていうことは、大分前に終わったんじゃないかな、部活。休んでしまったことが悔しくて、ちょっと拗ねたい気持ちになった。
 奴はというと、笑いながら立ち上がって、電気を点けたかと思うと、戻ってすぐに「何かやることは?」と言われる。忙しない奴め、そう思ってくすりと笑いを零し、作業の説明をする。ふんふん、と頷いてゆっくりと仕事を始めてくれた。
 さっきまで、あんなに憂鬱な気分で取り組んでたのが、嘘みたい。田爪がここにいるだけで、もっと仕事が欲しい、って思う。二人だけでいられるのならば、いくらでも、って。まるで乙女な思考に、自分でくすくす笑った。それを変な顔で見つめる田爪に笑い返すと、ますます変な顔をするから、面白くて仕様が無い、ってもので。今度は遠慮なく、大声を立てて、笑わせてもらった。

 田爪が来てくれてからは、流石にグッと仕事が早く進み、あたしの考えとは反対に、仕事はあっという間に済んだ。無人の先生の机に、頼まれた仕事を乗せて、田爪と教室を出る。
「でさ、先輩がラリアットかまして来るんだよー。俺避けるのに精一杯でボール顔面ぶつかっちゃってさぁ」
「プッ……相変わらず馬鹿やってんのね」
「むっ?や、俺は真剣なのーっ」
 
噴き出すと、不満げに瞳を細める田爪。
 でも、本当に。田爪と一緒にいる時は、笑いが、いつだって絶えない。ただ田爪が側にいるだけで顔がニヤけちゃって、幸せで。話してくれると、それはひどく面白くて、ずっと聞いていたくって。ずっと、ずっと。いつまでも。
 ――それが叶うのならば、どんなにか幸せだろう。
 下駄箱に着いて、ふと俯くあたしに、田爪は小さく微笑んだ。
「なぁ、美祢。今日は俺、後ろに乗っけてよ」
「、は、」
「美祢チャリだよね?駅まで送ってよー」
「……田爪、いつもは駅まで自転車だったっけ?」
「そうだよ。でも、今朝雨降りそうだったからバスで来たんだ。結局すごい晴れちゃったけどさ」
 
だから、後ろに乗っけてって?
 自信満々に笑うその顔に、心臓が大きな音を立てて。悔しい気持ちになりながらも、やっぱりどうしようもなく、一緒にいたいから。躊躇いながら、僅かに微笑んだ。
「……いいけど、田爪前ね。あんた重いもん」
「えっ!?マジで?美祢ー俺練習後だよー?」
「当たり前でしょ?」
 
軽口の応酬も、気軽な微笑みも、友達だから。
 だけど、ね。最近、よく思うんだよ。
 こんな風に穏やかな関係を続けられるなら、この笑顔を無条件に見つめられるなら。このままでも、いいのかもしれない、って。
 そんなの、ただの戯言だとは分かってる。我慢できない自分だって、自覚してるんだもの。いつこのポジションが、彼女のものに変わってもおかしくない。現に、田爪は顔立ちはそこそこだけど、持ち前の人懐っこさとその笑顔が意外と人気で。それを聞く度、胸が痛むのだって、感じるけど。
「でさ、そんときアツがさー」
「……」
 
三歩分、ぽっかり空いた空間が、二人にはあって。夕日に照らされたそこは、妙に寂しく、冷たさを感じさせる。吹き抜けた風に、小さく肩を揺らした。




――だけどこれを詰めて田爪の側にいようと決心できるほど、あたしはまだ、勇気が持てないんだ。


  

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