Like A Dream?(3)


「あ」
「ん?あ、美祢」
 
新人戦県大会、次は四回戦。明日勝てばベスト四、という決戦前日。
 冷たい北風に身を震わせながら、体育館に滑り込んだ。それと同時に、奥のコートに立つ、たった一人の姿に気付いた。
 そいつ――田爪は、あたしが声を上げると同時に振り返って、笑う。
「どうした?なんか、忘れ物?」
「ん、何かテーピング足りないって、先輩言うから。取りに来た」
「へぇ、お疲れ様」
 
柔らかい微笑みのまま、問いかける田爪に言葉を返すと、優しく言われた。ちらりとその姿を見つめる。下はバスパンだけで、上も、練習着の上にスウェットを着ただけ。それに反して、あたしは制服の上にコートを羽織り、タイツも履き、ついでにマフラーもしっかり巻いてるのに、まだ寒い。そうやって不満をこぼすと、田爪は苦笑混じりに、「スカート下ろしなさい、」って言った。別にそんな折ってないんだけど。二回だけです。と、心の中で呟きながらも素直に一回下ろした。でも、寒さは結局変わらなかった。
 倉庫の中にある段ボール箱を見て、何個持って行こうか、と思案する。二つ三つ、でまぁ大丈夫だろうけど。でも勝てばあと三日、大会は続く。そうすると足りなそうだし……。
「何?どうしたの?」
「、」
「美祢?」
 
不意、打ち。
 思考に耽っている内に、こんなに近付かれたのか。ゼロ距離で耳朶を震わせる声に、一瞬固まってしまった。恐る恐る顔を上げると、しゃがみ込むあたしの横、中腰の田爪。目が合うと、至近距離で笑い、首を傾げる。急にカッと顔に熱が集まって、それを見られたくないから、俯いた。
 ……ああ、どうしよう。おかしいって思われないかな?鈍感にも程がある田爪だけど、流石にこれはまずくないか。そう思って盗み見たけど、奴は不思議そうに目を細めただけだった。……むしろここまで気付かれないと寂しいんだけど。一息吐いて、視線を合わせないまま、言葉を返す。
「テーピング。大会続くとこっち帰ってこないから、いくつ持って行こうかなぁって」
「ああ、なるほど。でも、多い方が良いんじゃない?足りないよか、さ」
「そうだね」
 
そんなあたしを疑問にも思わず、田爪は素直に言葉を返してくれた。それにほんの少しの安堵と、多大な悲しみを覚えながら、頷き、箱からテーピングを五つ取り出す。やっと赤みの引いた顔を上げて、田爪を見つめた。くりくりした目を見つめながら、高鳴る鼓動を感じながら、それでも、マネージャーの仮面を被って、口を開く。
「ていうかあんた、ずっと打ってたの?」
「え、うん、まぁ」
「……その格好で?」
「え?うん」
「馬鹿!!」
 
あたしの質問に馬鹿正直に、素直に答える田爪に軽く怒鳴る。一瞬ビクリと身を引いた田爪を押しのけて、体育館を見渡し、すぐ側に転がっていたスウェットの下を渡した。目を丸くして立ちつくす田爪を、少しだけ睨む。
「あのね、明日大会なのよ?今、何時?」
「……八時半、です」
「練習熱心なのはいいことだけど、せめて上下ちゃんとスウェット着なさい。今日冷え込み凄いし、馬鹿だって風邪引くのっ」
「美祢ちゃんひどい……」
「ひどくないっ。田爪はもっと自分の価値、考えてよ、」
 ――
本当に、世話が焼ける。
 とりあえずスウェットの下を履いた田爪を見届けて、ため息をもう一度吐いた。
 一応というか何というか、まぁ大方の予想通り、田爪は新人戦の地区予選からスタメンになった。確かに田爪はすごいプレイヤーだ。それは認める。だけどこいつは、こういう自分の身体に関することにはひどく鈍感で、それはマイナスポイント。今日みたいに防寒対策しないでシューティングに打ち込んだり、怪我しても練習後にアイシングせず放置したり。いくら怒っても、その点に関しては、田爪はヘラリと笑うばかり。他の部員や先生は諦めてしまい、だから結局、あたしがため息混じりに怒るだけになってしまった。
 今日もそう。田爪は口では文句を言いながらも、いつも通りの苦笑を浮かべていた。
「明日だね、大会」
「ん」
 
ポツリと呟くように言うと、田爪はきゅっと表情を引き締めた。
 明日の相手は、インターハイ常連校。勝てる確率は、果てしなくゼロに近い。だけど、それでもシューティングを続けてた田爪の背中からは、負けてやるもんか、って気迫が溢れてた。
 それも知っているから、こそ――。
「ほら!!」
「っだ!!」
 
ボールを持つ手に力を込めた田爪の背中を、力の限り叩いてやった。いつもの間抜けな顔からは想像もつかないような、真面目な顔は、一瞬で情けなく変わる。「痛いよ〜美祢〜」って半泣きで言う奴はいつも通りだから、思いっきり笑顔で、お相手。
「なーに真面目な顔してんのよ、不屈のフォワードさん?」
「……」
「大丈夫、だよ。あんたなら、あんた達なら、絶対勝つ。信じてるから、さ」
 
言葉にしたところで、全ての不安がぬぐえるとは思えない。あたし自身、中学時代バスケしてたからこそ、知ってることはたくさんある。どんなに練習したって勝てない相手はいるし、それでも負けたときは辛いし、虚しさだって募るし。
 でも、あたしは、信じたかった。部長のリバウンドを、青竹先輩のスリーポイントを、……田爪の、不屈の精神を。

 
それらが全て揃ったときに起こる、輝く、奇跡を。

 数秒、固まった田爪は、ふっと力を抜いた優しい顔になった。
 ――そう、それでいいの。
 知らず知らず、緩む頬に田爪も笑い返す。あたしなんかの言葉で田爪がこんな表情を返してくれるんだったら、何も無駄じゃなかったな、って。そう思う。「やっぱ美祢には叶わないなー」そう言いながらボール籠にボールを戻し、鍵を閉める。その間に体育館の戸締まりをして、タオルとかを持ってきた袋に詰めてる田爪の隣に、並んだ。あたしがそこに来るのを待っていたのか、並ぶとすぐに歩き出した、田爪。

 
そうすると、急激に気付く、色んなこと。
 入部したときより、ずっと伸びた身長だとか。
 毎日やってる筋トレでついた、筋肉だとか。
 微かに香る、洗剤の香りだとか。
 ……会ったときから思いもかけないくらい、成長してる、自分の気持ちだとか。

 
じっと見上げるあたしの視線に軽く首を傾げながら、あたしの顔を覗き込む田爪。
「ん?」
 
柔らかいその微笑に、また心臓を跳ね上げていると、田爪は不意に表情を変えた。一歩近づく、距離。頬を掠める指先、お互いの体温に驚いたのは、きっと二人同時。
「うぁ、美祢冷たくね!?」
「ちょ、何、いきなり」
「あ、悪い。だって暗いけど真っ白なんだもん、おまえの顔」
 
「大丈夫?」そう言いながら必死に自分の手を、あたしの頬に滑らす田爪。そのマメだらけの、ゴツゴツした手は間違いなく男の人のもので、恥ずかしくなり、視線を逸らした。田爪の手は運動後だからか、ひどくあったかい。まるで全部包み込むような、決して押しつけないような、染みこむようなあったかさは、田爪そのもの。だからあたしは、徐々に上気する頬を意識しながら、田爪の顔をちらちら見てしまった。
 だけどいい加減、あたしの心臓にだって限界はくるのだ。もうあったまったはずなのに、離れない田爪の手に、脳内のキャパは限界。頭を軽く振って、手が離れた瞬間に少しだけ距離を取った。
「てか、ほら、帰ろうって、いい加減」
「あ、うん。だな」
「……うん、」
 
何となく気まずい空気に包まれてしまったけど、とりあえず、もう一度歩き始めた。だけど距離は、いつもと違う。さっきと同じ、一歩詰まった、距離。暗い中、歩く度に、手が揺れる度に、掠める指先に体温は常に上がりっぱなしだった。

「遅い!!」
「ごめんなー、肉まん奢るっ」
「あんまんがいい」
「おまっ、あれ知ってるか!?肉まんより三十円高いんだぞ!?」
 
部室に着き、帰ろうとしたら田爪に呼び止められた。すぐ着替えるから、そう言われて五分。自転車の前でメールを打ってると、田爪が学ランを羽織りながら慌てて走ってきた。今日は、田爪も自転車らしい。
 あたしは家から学校まで全部自転車で、二十分くらい。田爪は学校から自転車で十五分くらいの駅を使ってて、そこから家まで電車で十分だ、って前言ってた。
 二人揃って自転車に乗ろうとしたとき、田爪の首元が寒いのに気がついた。
「あれ?マフラーは?」
「え?……ああ、忘れた」
「はぁ?いいよ別に、取りに戻っても」
「や、違う違う。部室じゃなくてさ、家に忘れたから。だから、いいよ」
「は、」
 ……
こいつは本当のアホなんじゃないだろうか。
 何でこの寒い時期にマフラーを忘れるの?しかも、大丈夫とか言ってる側から、くしゃみしてるし。
 ああ、本当に全く世話が焼けるッ!!
「美祢?……、」
「これ、使いなさい」
「え、でも、美祢が風邪引いちゃうよ」
「あたしはコートも着てるしカイロもあるし、家も近いから平気」
「でも、」
「いいから!!使いなさい!!」
「……はい、ありがと」
 
ため息を一つこぼすと、それも真っ白だった。小さな感動を覚えながら、自分の首に巻いてあったマフラーを外して、田爪の首に巻き付ける。すると案の定、躊躇いながら否定した田爪だったけど、何度も言って強引に押し切ると、素直に承諾し、感謝を述べた。よろしい、と頷きながら自転車に跨ると、くつくつと言う笑い声。田爪が、マフラーに顔を埋めながら笑っていた。
「……何よ」
「や、ホント。俺美祢いないと何も出来ないんかなぁ、って」
「っ、」
 
何、その殺し文句。
 天然にしたってひどすぎる、容赦なくあたしの心臓責め立てて、思うがままに期待させられる。またそれを、はにかむように、喜ぶように言うから反則だってもので。言葉も返せないあたしに、田爪はまた、微笑んで。

「美祢、俺、明日めっちゃ頑張る。で、絶対、諦めない。美祢、喜ばすから!!」

 だから見てろよ、って無邪気に笑う、あんたがむかつく。
 ――いくら努力したって、あたしはあんたしか見えないのよ、馬鹿。


  

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