Like A Dream?(5)


 それから、新入生が入って来て、三年の先輩方が引退して。その頃には、あたしと田爪は普通の友達に戻っていた。
 ……そして同時に、田爪に彼女が出来て。
 相手は、去年同じクラスで、今年隣のクラスの三井さん。癒し系で可愛い、そう言われた彼女は田爪を好きだったのか。校内を仲良く歩く二人を見て、ぼんやりとそう思った。
 本当は、期待、してたんだ。
 ふっても田爪はあたしを好きでいてくれるんじゃないか、引退まで待ってくれてるんじゃないか、って。だけどそんなのあたしの理想で、幻想で。
 
馬鹿みたい。こんなに距離を離して、夜眠れないくらい泣いて、彼女や一年マネの瑞希に嫉妬して、今、後悔してるくらいなら。あの時、君の手を取れば良かったのにね――。

 
今更、あんなに田爪を傷付けておきながら、あたしはまだ田爪を手に入れることを、願っている。
 二度は見れない夢を、もう一度見ようとする人のように。悲しくも馬鹿馬鹿しい、未来を追い掛ける愚か者、だ。


「美祢、いつまで寝てるのー?お蕎麦、冷めちゃうわよー?」
「……?」
 お
蕎麦?さっき夕飯食べたのに、何で……。
「あぁ、」
 
携帯で時間を確認しようと思って、開いた待受画面で気付く。そうか、今日は大晦日。つまりは年越し蕎麦、だ。納得して頷きながら、ベッドから降りる。いつの間にかうたた寝をしていたらしい。大きな欠伸をして、着ていたTシャツの上にカーディガンを羽織った。
「美祢、早くー。伸びちゃう」
「あーはいはい分かったからっ」
 
せっかちなお母さんに返事をしながら、携帯をベッドの上に投げ出し、早足で部屋を出た。

 お蕎麦を美味しく頂いて、ついでにお風呂にも入って。すっかり年越し気分になったあたしが部屋に戻ったのは、十二時少し前くらいのことだった。真っ暗な部屋の電気をパチリと点けて、ベッドに近付くと。
「ん?」
 
チカチカと、携帯のランプが光っている。右手で短い髪の毛をタオルで拭きながら左手で携帯を開く。
『着信あり 三件』
 どうやら、あたしが部屋にいなかった間に掛かって来てたみたい。近くにあったストーブのスイッチを入れて、ベッドに座り込む。
 こんな日に、誰からだろう?
 そんなささやかな疑問は、電話の相手を見た瞬間に、「!!」驚きへと変わり。あたしは急いでリダイヤルをした。本当は、その電話番号。空でも言えるくらい、ちゃんと覚えているんだけど。
 ―プルルル……プルルル……プルルル……
 出ないかな。どうだろう。
 最後の電話は、もう二十分も前みたいだった。あたしと同じくお蕎麦食べてるかもだし、もう、寝ちゃったかも。ゆっくりお風呂に浸かっていたつい先程の自分を恨めしく思いながら、絶望にも似た気持ちで、十二回目のコールを聞いた時。
『美祢?』
「っ……」
 
耳に届いたのは、電話越しのせいか、いつもより低く響く、田爪の、声。カッと全身が熱くなるのを感じながら、声だけは平静を装って。
「もしも、し?」
『あ、おーっす。ごめん、美祢、寝てた?』
「ぅ、ううんっ、……お蕎麦食べてお風呂入ってた」
『マジで?えーいいなぁ腹減って来たー』
「夕飯食べてないの?」
『食べたよー。でも、蕎麦食べてない……くぅ、食べたい……』
「……ぷっ」
 
一瞬緊張した自分が馬鹿みたいに思えるくらい、いつもと同じ、田爪。
 でも、あの四月の一件から。田爪から、あたしに電話を掛けて来ることが無くなってしまったから。元々そんなに頻繁に来ていた訳じゃないけど、部活の連絡なんかも全てメールになってしまって。鳴らない携帯を嘆いたのは、もう何か月前なのか。思い出せやしない。
『……ね?美祢ー?』
「あ、ごめん。ボーッとしてた。何?」
『ん、あのさ。年明けの遠征のことなんだけど――、』
 
そのまま、あっという間に部活の連絡を始めて、「部長」と「マネージャー」に戻って行く。それに一抹の悲しみとか、そう言う感情を抱えるあたしは、馬鹿、なのかな。
 恋人じゃない。
 だから、電話一つにも理由がいる。だからあたしは、どんなに田爪の声が恋しい夜でも、田爪に電話を掛けられなかった。上手い言い訳が出来る程、器用な性格でも無かったから。
 でも、田爪の彼女は。声が聞きたくなれば電話して、会いたければいつだってデートすることが出来る。
 狡いよ、って。頭の何処かで、あたしは叫んでいた。
 八月になり三井さんと別れた田爪は、今は地元の子と付き合ってるらしい。その立場になりたいと。今更言ったところで、何の意味を持つんだろう。
『……って感じ』
「ふーん。分かった、みんなにも連絡しとくね」
『頼みますっ。あ、』
「ん?何?」
『美祢、時計見て?』
 
一通り遠征に関しての連絡兼注意を受けた時、田爪が不意に声を上げる。言われた言葉に素直に枕元にあった目覚まし時計を見るのと、
『あけましておめでとっ、美祢』
 ――
田爪が新年の挨拶を口にするのは、同時で。時計の針は丁度十二時を指していた。
「あけましておめでとう」
『ちょ、俺んとこ除夜の鐘聞こえるんだけどー!!』
「こっちも聞こえるよー」
 
窓の外では、年が明ける前から、ずっと鐘を突いていたらしい。
 でも田爪の声に集中して、全然聞こえてなかった。そんな自分に思わず、苦笑する。
『つーか、さ』
「ん?」
『何か気ぃ早いんだけど、俺達、今年で引退、なんだよなぁ』
「……そうだね」
『ホント、あっという間だな。昨日入学したくらいの気持ちなのに』
「うん」
 
田爪に恋したあの日から、もうすぐ二年も経つなんて、信じられない。あたしの気持ちは欠片も失われないのに。むしろ田爪を知れば知る程、好きになるのに。
『な、覚えてる?一年の時、冬の遠征でコバが餅つまらせたの』
「あったねー、そんなこと。で、あん時先生がさぁ」
『あれだろ?「お前は私生活でも落ち着きないんだな」って。普通喉詰まってる奴に言わないだろそんなんー!!』
「そうそう!!あと、あの時橋先輩が――、」
 
そのまま、弾む会話。彼女達だって、絶対に知らない。あたしと田爪が、共有してきた、大切な記憶。そんなものに縋るあたしは、馬鹿なんだろうか。
 でも、ね?田爪と過ごした時間は、そのキラキラする笑顔は、あたしの宝物だから。決して誰にも奪わせたりなんかしないし、これから先もあたしはこの胸に、大切に取っておく。何年先も、何十年先も。
そのまま、思い出話に気付けば十二時半をとっくに過ぎて。慌てて二人、別れの挨拶をした。
「……ごめんね、お休み」
『なぁんで美祢が謝るんだよー。俺こそごめんな、お休み』
 
切るタイミングが分からず、ためらうあたしに気付かないまま、田爪は電話を切った。ツーツー、なんて響く、優しさの欠片も無い音に、不意に涙が零れそうになる。寂しさを、覚えてしまう。こんな些細なことにすら。
 それはアイツが、好きで仕様が無いから。
 そのまま、やっとの思いで切ボタンを押す。
 ――夢みたいだ、本当に。
 田爪と、電話で、話せた。しかも、一年の終わりと、一年の始まりに。
 あたしが話してたってことは、あたし以外の子とは話してないってことで。それは何とも言えない、幸福感だとか甘酸っぱい気持ちをもたらした。
 田爪からしたら何ともないことでも、例えあんたに彼女がいても、こうして。マネージャーとして、友達として、あんたの側で笑っている今はひどく幸せで、苦しいんだよ。
 誰に譲れるものじゃない、大切な時間でいっそ消してしまいたい程に、優しい記憶。
 あたしは本当にいつか、田爪を忘れられるんだろうか。たったこれだけで、この胸に色んなものが溢れるって言うのに。
 
好きだ、と叫びたい衝動が、喉元まで迫り上げるのに。

* * *

 春が来た。
 田爪と出会い、恋をしてから、二年。
 田爪に告白され、傷付けてから、一年。
 だけど知れば知る程、奴を好きになる自分に、気付いてる。二年前よりずっと、一年前よりずっと。

 
馬鹿みたいに素直で、好き嫌いがほとんど無い、大食い。
 コーヒーはブラック派なのに、甘いものが大好きでよく虫歯になってて。
 理数系はかなり成績が良いのに、文系は壊滅的に悪い。
 猫っ毛で寝癖が付きやすくて、最近ミステリー小説にハマって夜更かしが多くなり、視力も落ちた。
 UFOキャッチャーはプロ級でカラオケが好きだけど、歌は下手で、プリクラとか写真が大の苦手。

 
そんなささやかな事実、知る度に胸が音を立てる。田爪のことなら、どんなに情けないことだろうと、どんなにどうでも良いことだろうと。あたしは知ってるだけで、満足してしまう。
 特に、田爪は地元の彼女と二月前に別れたと聞いて。それ以来、その周りで他の女子の影を見せないから。だから、あたしはその事実に馬鹿みたいに安堵していたんだ。あの事実を、聞くまでは。

「は、?」
「え、山元知らなかった?田爪が彼女家に連れ込んだの」
「つか、別れたんじゃ、」
「や、最近新入生の子と付き合い出したらしい。朝も結構一緒に行き来してるし。本当に知らなかったんだなぁ」
「……うん。あんま田爪とそう言う話、しないから」
 
というか、お互い意図的に避けてるんだけど。
 だからあたしが田爪に彼女出来た・出来ないを知るのは、他の部員や、あたしの気持ちを知ってる女友達からの情報のみだ。
 田爪が、彼女を家に入れた?そんな話、元カノ情報の中には無かった。この短期間で、家に入れられる位、気を許せる子になった、てこと?それ位、特別な子ってこと、なのかな?
 
田爪は、どんどん遠くなる。あたしを置いて、一人、あっという間に何処かへ行ってしまう。
 
だけどその話だけなら、あたしはまだ何とか持ち直せた。決定的にあたしを痛め付けたのは、田爪とその子がお昼休みに一緒にいる場面を見たからだ。別に手を繋いでた訳でも無いし、キスしてた訳でも無い。
 ただ、その瞳に真っ直ぐ、彼女を映していた。とても柔らかい微笑みで。
 正直、今までの彼女と一緒にいた田爪は、無理してるように見えた。少なくとも、その笑い方はあたしの前や男バスで見せる時ほどリラックスしてなかった。だから感じる優越感なんかも、あったのに。その彼女に見せていた微笑みは穏やかで、優しくて。まるであたし達といる時より落ち着いている様子だったから。あたしはその場を後にして、逃げ出した。
 ――
もうあたしは、田爪にとって、特別な人間でも、何でも無いんだ
 
その事実を痛感して、妙に痛くて。
「っ、ふ、ぅ……っ」
 
田爪は、本当に別の人を、選んでしまった。
 自分にとって、安らげる人を。
 あたし以外の、女の子を。
 あの子より、あたしの方が出会ってからずっと経ってる、あたしの方が一杯田爪のこと知ってる、想ってる。
 だけど田爪に想われてるのは、あたしじゃない。あの新入生の子、なんだ。正直顔も朧気であまり覚えて無い。長い髪の、可愛らしい雰囲気の子だったと思う。でも、そんなのもどうでも良かった。
 ただ、もう二度と。あの温もりを感じる日は、来ない。
 あんなにあたしを熱くさせた瞳や、甘い声は、もう二度とあたしに向けられない。
 それが全部、他の女の子に持ってかれる日が、こんなに早く来ると、思わなかった。
 全てはもう、言い訳にもならないけど。


   

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