毎日が、幸せで、幸せで。

消えるんじゃないかと、不安になるくらい。

でも、違うの。

絶対に、消えたりしない。……消させや、しない。

だってあんたが、こんなに好きだから。


Like A Dream!


「美祢、早くおいでって」
「ちょ、ちょっと待って。あと一回深呼吸!!」
 すーはーと大げさに息をするあたしを見て、田爪は苦笑した。
 ……いや、あのねぇ。あたしだって緊張くらい、するって。いや、もう。
「美祢、大会の度に俺の母さんと仲良くしゃべってたじゃん。今更じゃない?」
「そうだけど!!」
 それとこれとは別なの!!
 だって今度は、マネージャーとしてじゃない。彼女、として紹介されるんだから。だけどそんなあたしの気持ちも知らず、田爪はにっこり笑って、玄関のドアを開けた。
 っああ、来てしまったこの瞬間……!!
 玄関の奥に「母さん」と呼びかけ、泣きそうなあたしに振り返った田爪は。ふわり、と笑った。その表情に、ドキリとする。付き合う前に側にいた頃と、同じで、ほんの少し違う。前から柔らかかったその表情は、今、もっと優しくて、包み込むような暖かさを、その瞳に宿していて。
 田爪は、あたしのこと好きなんだって。大事なんだって。――今、すごく幸せなんだって。
 何よりも雄弁に語るその笑顔に。あたしは、高鳴る鼓動を、きっと沈められる日は来ないんだろうって心から思った。だから、遠くから聞こえる足音にも、あたしはあまり緊張しなかった。だって、目の前のこいつで頭が一杯になってしまったから。

* * *

 一週間前のこと。季節は八月。田爪とつきあいだしてから、二ヶ月。一緒に図書館で勉強していたときに、不意に田爪が言い出した。
「ね、美祢さぁ。俺の家、来る気無い?」
「……は」
 古文の問題文を必死に読んでいたあたしは、一瞬反応できなくなり。固まると、田爪が頬杖をきながら、口を開く。
「や、あのね。妹が会いたいって」
「妹さんって」
「うん。俺もさ、相談したからあんまり強く断れなくて」
 そう言われて、数ヶ月前のことを思い出す。
 妹さんに情けなくも恋愛相談をして、あたしと付き合おうとした、田爪。全部あたしの弱さが原因だったから、結局その作戦は意味無かったような気もするけど。
 ――でも、あたしが素直になれたのは妹さんのお陰かもしれない。
 それに、好きな人の妹さんに会うなんて、こっちからすると思いがけないチャンスだ。
 だから頷こうとした、時。
「母さんもさ、美祢と久々にゆっくり話したいって言うから」
「…………は」
 一瞬、脳の動きが完全にストップした。
 ……ていうか今、なんて言った?田爪。
 お 母 さ ん ?
「うん。すっごい喜んでたよ。だからさ、」
「い、言ったの!?」
「え、うん」
 何か駄目だった?と首を傾げる田爪を見れずに、あたしはズルズルと顔を机に俯せる。
 ……田爪とあたしは、同じクラスで同じ部活だったから関わりが多かったし、お母さんともその影響でよく話した。田爪そっくりで、元気だけど、どこかぽやんとしたお母さんだ。
 でも、でも。
 っうわ。恥ずかしい。てことは、お母さんはあたしと田爪が付き合ってるの知ってるってことで。
 どうしよ。
「……たづ、め」
「んー?」
 視線だけを上に向け、田爪を見つめる。どうしたの、なんて言いながら握られた手のひらは、いつも通り温かくて。その温もりに、心が溶かされる。柔らかな視線に、頬が熱くなるのを感じながらも口を開いた。
「お母さん、何か言ってなかった?」
「へ?いや、別に。喜んでたけど」
「本当に?」
「うん」
 それにひとまず、ホッとする。良かった。がっかりされてない、んだ。あたしがため息を吐くと、田爪は不思議そうな顔をした。
 分かってないんだから、本当に。
「……田爪は、さ。あたしの、好きな人、だよ」
「、」
「好きな人のお母さんには、少しでも良く思ってほしい、じゃん」
 ぼそぼそと、下を見ながらしゃべると、ぐっと強く掴まれる手。それに顔を上げると、この関係になってから見慣れた、甘ったるい笑みが返ってきて。心臓が、高鳴る。
 ……ああもう、田爪の、馬鹿。あたしを殺す気、な訳?本当に、……馬鹿。
 そんなあたしの気持ちを知ってか知らずか、繋いでいないもう片方の手が伸びてきて、あたしの頬を擽る。
「っ」
「もう、本当に。美祢、……可愛いなぁ」
 たっぷりと間を置いて言われた甘い言葉に、顔から火が吹き出そうだ。だけどそんなあたしを田爪は楽しそうに見つめるから、悔しくて唇を噛んだ。
 なんか、付き合ってから完全に田爪のペースに流されてる、気がする。だけどそれが嫌じゃない自分がまた、気恥ずかしくて。――好きだなぁって思うの。一瞬前よりも、強く、強く。
 とりあえず、家に遊びに行く件は文句ないし、いつかは行くだろうから、と頷いた。それに田爪が見せる、あの眉を落とした柔らかい笑顔にあたしは陥落されてしまうんだけど。

* * *

 まぁそんな訳で、快晴の今日、シュークリームを手土産に田爪の家に来た。
 あのいつぞやの時に、駅と公園は来たけど、家までは来たことない。公園をもう少し進んだ先の、オシャレなレンガ塀の家に、案内された。ガレージに車が一台、割に広い庭。素敵な家構えに、思わずため息を漏らしてしまった。
「はー。広いし、素敵な家だねー」
「そう?俺は将来、純和風な家の方がいいな」
「……」
 そう言われて、縁側でお茶を啜る田爪が脳内にぱっと浮かぶ。そのあまりのはまりすぎな光景に、ぷっと吹き出してしまった。
「っ、田爪、それ似合いすぎ」
「……分かってないね、美祢はやっぱり」
 
だけどそんなあたしに、田爪はがっかりしたように息を吐くだけ。
 って、分かってないって何よそれ。
 純和風な、家、でしょ?将来、田爪が住みたいのは――。
 ……将来?いやいやそれは、突っ走りすぎた想像でしょう?そう思うんだけど、こちらに背を向けた田爪の耳は、わずかに赤く染まっていて。
「ふふ」
 
気が早いとしか思えない、田爪の言葉。だけどそれがなんだか。妙に、愛おしかった。
 でも、その一瞬後。あたしは、そんな余裕を無くすことになる。
「ちょっ田爪!?」
「何?」
「も、もう家に入るの!?」
 
そう。すでにドアノブに手をかけるその姿に、あたしはものすごく慌てる。
 ま、待ってよ!!心の準備とか、そういう時間は準備してくれないわけ!?
 そしてあたしと田爪のやり取りは、冒頭の通りになる訳なんだけど。

「久しぶりねぇ山元さんっ。元気だった?」
「あ、は、はいっ。お久しぶりです!!」
「美祢さんってすごい綺麗なんですねー。お兄ちゃん面食い?」
「うるさい、沙耶。美祢はな、中身もいいんだ」
「…………」
 
ただいま、田爪家のリビング。ソファに向かい合って座るのは、田爪そっくりのお母さんと妹の沙耶ちゃん。シュークリームは非常に喜ばれ、現在お茶請けに出してもらってる。いや、あたしも好きなお店で買った奴だから嬉しいんだけど、さ。
 た、食べにくい!!
 じーっとあたしの行動を見守るかのような、田爪家のお二人。頼りの田爪は何か馬鹿なことしゃべってるし。(いや嬉しいけど!!)いつも通り、いつも通り、と心で唱えながらも、お母さんに笑顔を向けるのは結構きつかった。
 逆に初対面だったら楽だったんだけど。部活時代さんざんお世話になっているからこそ、格好よく決めたいというか。ドキドキしながらシュークリームをぱくつくと、沙耶ちゃんがニコニコこっちを見ていた。ん?と首を傾げると、可愛らしく沙耶ちゃんが食べていた手を止め、口を開く。
「美祢さん。お兄ちゃん、迷惑かけてないですか?」
「何だよ沙耶、その言い方」
「お兄ちゃんは黙ってて」
 
突然の言葉にあたしが目を見張ると、田爪が口を挟む。けれど沙耶ちゃんはぴしゃりと田爪の言葉をはねつけた。はぁ?と口を尖らせる田爪を見て、お母さんも。
「そうね、ちょっと稔、アイスでも買ってきてくれない?」
「だ、何でっ?俺は美祢と、」
「お願い、稔」
 
駄目押しで言われた一言に、田爪は黙り。大きなため息を吐いて、あたしの隣からさっと退いた。
 え、ちょっと待って。……本気?
「ごめん、美祢。バニラアイス買ってくるから」
「あー……うん。よろしく」
 
やれやれ、と首の後ろを掻きながら田爪はリビングから退場していく。
 え、な、何この状況。完全に置いてけぼりだ、あたし。
 目を瞬かせるあたしの耳に、ぱたん、とドアの閉まる音が届き。それと同時に、お母さんと沙耶ちゃんの視線がこっちに向いた。びくり、と大袈裟なくらい肩を跳ねさせるあたしに、沙耶ちゃんは真っ直ぐな視線を向ける。
「ね、美祢さんは知ってますよね?お兄ちゃんの、元カノ」
「へ、ああ、まぁ。はい」
 
何が言われるのか、びくびくしていたあたしに、いきなりかけられた言葉は、それで。予想外だったけれど、とりあえず、頷いておいた。お母さんは、そんなあたし達の様子をじっと見守るだけだ。
「だったら、嫌になったりしないんですか?」
「嫌、?」
「――うん。お兄ちゃん、美祢さんに振り向いてもらえないからって別の人とつきあったんですよ。ずるいし、そういうところ、嫌だなって思わなかったんですか?」
 
真っ直ぐな視線で告げられた言葉に、あたしは息を呑む。力が抜けた指先から、フォークが滑り落ちて、お皿とぶつかり、鋭い音を立てた。だけど誰もそれに口を出さなかったから、あたしは、何も言えなくて。
 ただ、自分の顔に笑みが浮かぶのを、感じた。目の前の沙耶ちゃんが驚きに目を見開くのに気付きながら、それを、止めることは、できない。
「やだよ」
 
そしてそのまま、正直に気持ちを言えば。再び、驚いたように目を見張る沙耶ちゃん。だから、あたしは笑ったまま口を開いた。
「そんなの、決まってるよ。沙耶ちゃんだって、自分の好きな人がそんなことしてたら嫌でしょ?」
「そ、れは、」
「でもね、嫌いには、なれないの」
 
お皿の上のフォークを、綺麗に置き直す。テーブルの上に少し飛び散ってしまったクリームを指先で拭いながら、もう一度、沙耶ちゃんを見る。
「臆病なのも、ずるいのも、ありのままの田爪だから。それでもって、あたしの弱さを包んでくれたのも、ありのままの、あいつだから」
 
ずっと、ずっと自分に問いかけてきた。あたしは、田爪のしたことごとひっくるめて、あいつを好きでいれるかって。
 そんなの、答えは決まってる。
「だから、何でもいいの。田爪が田爪で、あたしの側にいるなら、それでいい。今、二人一緒にいて、あの笑顔をあたしにくれるなら。あたしは、田爪が好きだから」

 
――どうしようも、ないんだ。
 あいつが好きで、好きで。
 例え過去に何があったとしても、あいつがずるい人間だったとしても。
 少なくとも、あいつは臆病じゃない。あたしと違って。
 夢じゃないかと怯えるあたしに、未来を見せてくれる。
 震えるあたしの手のひらを、躊躇いなく掴む。
 だったら逆に、あいつのずるい部分をあたしが埋めればいい。あいつが、あたしの臆病な部分を許してくれたように。
 そうやって、お互いに許し合えるなら、こんな素敵なこと、ないじゃない?

 沈黙の下りたリビング。
 最初に口を開いたのは。
「あーもう。やっぱりいいわぁ山元さん。惚れ直しちゃいそうっ」
「う、うぇぇ、す、すみません」
 
にっこり微笑んだ、お母さんだった。
 い、いいのかな、あたし。田爪のことあいつ、とか言っちゃったし!!
 内心慌てるあたしを余所に、お母さんは大きく頷き。沙耶ちゃんは、……苦笑、していた。そして、ぺこりと頭を下げられる。
「ごめんなさい、美祢さん。試すようなことしちゃって」
「い、いや、ううんっ!!それはいいんだけど、その、」
 
何でこんなこと――?言葉にしなかった疑問は届いたのか、沙耶ちゃんはゆっくりと微笑んだ。
「……お兄ちゃんのあんな顔見るの、始めてだったんです。だから、別れちゃったりしたらやだなって。でも、美祢さん予想よりずっとお兄ちゃんのこと好きでいてくれたから、」
 
「ありがとうございます」そう言う、そのゆるぎない笑顔が。そっくりで。
 あたしも思わず、頭を下げていた。
「……こちらこそ、ありがとうございます」
 
そして、顔を上げる。びっくりしたような二人に、心からの、感謝を伝えたい。
「――田爪を、今のあいつに育ててくれて。あたしの大好きなあいつにしてくれて、ありがとうございます」
 
暖かい家。優しい家族。柔らかな笑顔。
 こんな家で、育ったから。こんな風に、大事にされたから。今の田爪がいてくれる。あたしの好きな、あいつが。
 愛しい。あいつを取り巻く、全てのものが。――愛しい。

 言葉を切ったあたしの後ろに、ゆっくりと影が落ちる。その影はあたしの首に腕を回して。
「あーもう。美祢さぁ、本当に男前すぎ。勘弁してって。普通そういうのってさ、男の役目じゃない?」
「……あんたの登場が遅いから、仕方ないんじゃない?」
 
すっとあたしのすぐ側に下りてきた情けない顔に、笑みが漏れてしまう。ぎゅっと強く巻き付いた腕に、そっと手をかけた。そんなあたし達の様子を見て、お母さんと沙耶ちゃんはやれやれ、と笑う。それにあたしも同調していると、首に巻き付いていた腕は離れ、強引に肩を抱かれる。そのまま、無理矢理立ち上がらされて。
「んじゃ、もう俺の部屋行くから。なんか用事あったら声、かけてな」
「はいはい。ごめんね山元さん、引き留めちゃって」
「あ、いえ。楽しかったです。またね、沙耶ちゃん」
 
引っ張られながら後ろを振り返り、沙耶ちゃんに手を振る。人懐っこい笑顔を浮かべた沙耶ちゃんは、大きく手を振り返してくれた。それに妙に癒されつつ、あたしの身体はすんなりと、目の前の男に従う。拒否する理由なんて、どこにもない。だって、あたしの一番、好きな人だから。

「もう、沙耶も母さんも何であんな恥ずかしい話するかな……」
「あはは、愛されてるじゃない、田爪」
 
部屋についてすぐ、あたしにクッションを用意して隣に座った田爪は、ベッドに顔を埋めた。それに笑いながら、室内を見渡す。部屋は最初からクーラーがつけてあったのか、ひんやりしてる。備え付けの家具なんかもそんなになくて、本棚に漫画とバスケの雑誌、参考書。青が基調のその部屋は、男の子の部屋って感じで、まぁ予想の範疇だった。
 ふと、そんなあたしの横顔に視線を感じる。振り返ると、田爪がベッドに顔を預けたまま、じっとあたしを見つめていた。
「何?」
「美祢」
「だから何」
「……美祢」
 
気恥ずかしくてこっちから声をかけると、名前を呼ばれる。だけどそれだけで、用事は言わない。思わず顔を顰めると、……伸びてきた腕に、優しく、抱きしめられた。あたしの顔は田爪の肩に埋まり、田爪の顔は、あたしの肩に埋まっている。頬に触れる髪の毛が、少しくすぐったい。思わず笑えば、田爪の右手は乱暴にあたしの後ろの髪を掻き混ぜた。手荒いその仕草は、どうしてか、妙に愛おしくて。素直に身を任せ、自分の両手をその背中に回した。そっとあたしの首にすり寄る、田爪の頭。子供みたいなその仕草に、笑い声が漏れた。
「美祢、好き」
「……うん、あたしも」
「本当に、好きだから」
 
――さっきの話で、不安になった、あたしの気持ち。
 田爪は、気付いたんだろうか。
 今更、なんてこいつは笑わない。いつだってこうして、あたしが安心するまで抱きしめてくれる。
 ……こんな愛しい人、誰が自分から、手放せるだろう。
 不意にがっしりした両腕が離れ、あたしの両肩を掴む。じっと正面に向き合った田爪の瞳は、強い光を放っていた。その瞳は伏せられ、徐々に顔が近づく。
 目を閉じると、田爪がまず、額に唇を落とした。そのまま、目尻、頬、鼻先、そして、唇。羽のように軽いキスが顔中に落ちる。くすぐったくて、身を捩れば、もう一度。ぎゅっと抱きしめられた。今度は、さっきよりも強く。縋るようにそのTシャツの脇腹のあたりを掴むと、左手が繋がれた。愛おしむようなその触れ方に、涙が零れそう。ぎゅっと目元を田爪の肩に押しつければ、右手でぽんぽん、と頭を撫でられた。

 好き。田爪が。この存在が。
 そして、田爪も。
 あたしが好きだと、何度も何度も、伝えてくれる。
 それがこれから先、ずっと続くのかはわからない。
 でも、あたしは。続いて欲しい。
 あたしにとっての、夢。世界で一番の、宝物。

 しばらくそうしていて、そっと離れた身体。あたしの顔を見て小さく笑う田爪に、あたしも微笑み返して。もう一度、唇を重ねた――。

「おにいちゃーんっ!!お菓子持ってきたよー!!」

 ……のは、突然の乱入者により、無理だったけど。
 慌てて離れ、不思議そうな沙耶ちゃんと、真っ赤になった田爪に、あたしはただ、一人笑ってしまった。




許されるならば、永遠に。その存在を、あたしの瞼に焼きつけて?
そうしたら、あたしも。
永遠にあんたを、許すから。
あんたの側で、好きだとささやき続けるから――。










***
番外編です。これにて、完結です。
背景画像は色々まよったんですが、二人の心の約束、ということでこれに落ち着きました。
ちょっとページ開いたらギョッとしません?私はしましたw
読んでいただき、ありがとうございました。 




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