好きに、ならない。

あなたなんて。


Deceitful Lips(1)


 八月。 暑いから、と言い訳て、髪を切った。中三の時部活を引退してから、伸ばし続けたけれど。
 未練がましく続いた初恋にさよならを告げる覚悟を、いい加減決めよう。
 そして、新しい恋をしよう。
 そのために、目下女を磨き中。

「じゃあ、俺にしたら?」
「結構です」
 
笑顔のまま言われた言葉に、苛々する。吐き捨てるように言うと、目の前の人には全く堪えていないようで、ニヤニヤ笑うばかり。それがまた、ひどく腹立たしい。
「……ていうか、勉強しないんですか?田口先輩」
「嫌だな、名前呼んでくれていいんだよ?咲ちゃん」
「私は許可してません」
 
微笑みながら、顔を覗き込まれる。茶色い髪の隙間から覗くその瞳は、ひどく透き通っていて。見透かされるような感覚に、居心地が悪くなり、私は結局、視線を逸らして俯いた。すると、クツクツと押し殺したような笑い声。ムッとして、そのやけに整った顔を睨み付ける。
 ――田口、隼人先輩。
 私の現在最も苦手な人であり、そして。私の、大好きだった人。 山元恍先輩の、親友。

* * *

 元々、彼のことは一方的に知っていた。山元先輩の、親友だったから。
 いつも、追い掛けていた。あの人を。 移動教室の時、部活の時、登下校の時。気が付けば追いかけていた、その人の隣。よくよく見れば、大体いつも、明るい髪色の人が立っていた。
 中学時代から、山元先輩がそんなに一人の人と深く付き合うの、見たことなかったから、きっと仲良い人なんだろう、そう思って一学期の終わりに、友達に聞いた。「知らないの!?」と怒られて。
「そんな有名な人なの?」
「もー、咲は山元先輩に注目しすぎ!!確かにあの人もモテるけどね?二年で山元先輩と張って人気なのが、あの人っ、田口隼人先輩、って言うの」
「田口、先輩」
「うん。サッカー部のフォワードで、すっごく上手なんだよ。髪は、陽で焼けちゃったんだって。いつも笑顔で優しくて紳士だから、女子で憧れてる子多いんだよー。しかもあの二人、仲良くてよく一緒にいるのね?もうコンビでモテモテだよー」
「へぇ」
 
自分から聞いておきながら、その時の私はあまり興味がなかった。
 ただ、羨ましかった。山元先輩と、一緒に歩ける。笑顔を向けられ、触れて、対等の立場にいる。私には、決して手に入れられなくて。
 先輩が、同じ部活の瑞希先輩が好きなの、入部した時から知っていた。だから諦める決意だってしたし、瑞希先輩にもそう言った。
 でも、駄目なんだ。長い間根付いた深い思いは、そう簡単には捨てられない。未練がましく、彼を追って一緒の学校に入っちゃったりしたから。先輩はいつだって、私の視線を奪う程、素敵な表情を見せるから。 尚更。
 友達の話を聞きながら、大きく空を仰いでため息を吐く。すると、友達は神妙な顔をした。
「咲」
「んー?」
「別にさ、諦めなくてもいいんじゃない? 咲綺麗だし、振り向いてくれる可能性は十分あるでしょ?」
「……んー」
 
中学から一緒だった友達は、私の燻る恋心を知っている。だからその言葉も嬉しかったけど。私は、小さく苦笑した。
 ……駄目なんだよ。私じゃ。
 中学時代、憧れを多く含んだ恋心は、先輩がいなくなって段々と大きくなって。志望の高校は、迷わず先輩と同じところにした。一生懸命勉強して、毎日彼を思って、容姿にだって気を遣うようにした。山元先輩が今まで付き合った人達はみんな、綺麗で、色っぽかったから。それならば、と髪をとりあえず伸ばしてみた。ショートカットは好きだったけど、どうにも子供っぽい気がして。中学を卒業してすぐ、パーマを当てて、自分でも大人っぽくなれた気がした。
 
そして迎えた入学式。
 ――これからまた、二年間。一緒にいれるんだ――
 嬉しくて嬉しくて、たまらなくて。でもそれは、すぐ、絶望になった。
 私が、先輩を想った一年間。 それは、彼が誰かを想う一年間にもなった。
 そしてその人は、今までの彼女と、全然違って。良く言えば可愛らしく、悪く言えば子供みたい。いつも全力で、身体一杯元気が溢れていて、素直で、明るくて。だけどたまに挙動不審だったりもして、でも、……優しい人。
 柳、瑞希先輩。
 最初は正直、どうしてこんな人を、って思ってしまった。だから瑞希先輩に対して、ひどく意地悪なことも言ったりした。その時点で、きっと私は負けていた。どうして、って思う自分を見つける度に、瑞希先輩と自分の差を思い知らされた。
 
私は、あんなに綺麗じゃない。
 私は、あんな風に笑えない。
 私は、あんな真っ直ぐ人の目を見れない。
 
そして、気付くのだ。
 ――山元先輩はきっと、この人のこんなところに惹かれたんだろう、って。
 私も同じだから、分かる。山元先輩はきっと、瑞希先輩を思うだけで、幸せなんだ。ただ側にいて、微笑んでくれる。それだけで瑞希先輩は、山元先輩に癒しを、優しさを、幸せを与えられる。
 だから、諦めるって決めたの。 きっと彼は、私を見てはくれないだろう、って思ったから。決意を新たに、髪を切った。
 今度こそ、真っ直ぐ人を見つめよう。そして、新しい恋をしよう、って。
 だけど別に。それは、今すぐしようと思っていた訳じゃなくて。

* * *

 文化祭、一日目のこと。
 私達のクラスは、和風喫茶店をやっていた。ウエイトレスは男女ともに浴衣で、割と人が入っていて。お昼過ぎ、人の流れがピークになった頃。その人は、やって来た。
「ねぇ、あれってさぁ」
「だよねだよね!!やっぱ格好いい〜」
 
裏方で作業をしていると、クラスの子達が騒いでいて。 ひょいっと店を覗くと、見慣れた茶髪。無意識にその横の黒髪を探す自分に苦笑しながら、ああ、と納得した。
 田口先輩、本当にモテるんだ。
 奥の方の席に一人で座っている彼は、目を伏せ、メニューを見つめている。着崩した制服から覗く鎖骨がやたら色っぽくて、どきまぎしてしまった。
 確かに、改めて見ると格好いいなぁ。いつも山元先輩を見ていたせいか、こうもマジマジ彼を見つめることはなかった気がする。さらさらの茶色い髪、 小麦色の肌、ぱっちりした大きな瞳、程良く筋肉の付いた身体。こうして見ると、モテるのも納得だな。そう思いながら、裏方に戻ろうとした時。
「、」
 ――
田口先輩と、目が合った。
 気のせいだと思った。だけど次の瞬間、にっこり笑われ、手招きされて。慌てて辺りをきょろきょろ見回すと、クラスメイトは散らばっていた。私しかいなかったけど、一応自分を指差し、確認してみる。するとニコニコしたまま頷かれたので、素直に近寄った。
「えーっと……?」
「注文、お願い」
「、あ、はい」
 
そうか、注文か。
 私はウエイトレスじゃないけど、先輩からしたら誰でも変わらないだろう。勘違いした自分を恥じながら、素直に応じる。 田口先輩は、いくつかのメニューを指差した。
「えーっと、抹茶あんみつと、白玉クリームあんみつ、にみたらし団子、ですか?」
「うん、お願い」
 
明らかに一人分じゃない量に首を傾げて、あ、と思う。待ち合わせしてるのか、多分。 山元先輩?それとも、彼女さんかな。そんなことを考えながら、メニューを裏に伝える。
 でも、彼女がいるなんてすっごく噂になりそうだよね。注文したのが出て来るのを待ちながらそんなことを考えるそして、やって来たそれを彼の元に運び。
「では、ごゆっくり、」
「あ、一緒に食べようよ」
 
何故。
 言われて、思わず顔を顰める。相変わらずのニコニコ顔が、やたらと輝いていて。全くもって、この人の考えていることが分からなくて、困った。すると田口先輩は、少しだけ困った顔を作り。
「君も食べるかな、って思って注文したんだけど」
「え」
「だから、食べていって」
 
何故。
 何故、初対面(いや、私は知ってるけど)の先輩と。もしやこれは、ナンパ?いやでも、田口先輩みたいにモテる人がわざわざ私なんか相手にしなくても。
 ……ていうか、すでに今の時点で周りからの視線が、痛い。『何であんたが田口先輩と』なんて無言で訴えてくる視線が、やたらと突き刺さる。
 違う!!声かけてるの先輩だし!!いや、理由は分からないんだけど!!なんて、誰にかも分からない言い訳を心中で訴えていると。
「君、バスケ部のマネージャーだよね?」
「え、あ、はい」
「恍に挨拶する時、俺よく隣にいたからさ。俺にとっても後輩みたいな気してるんだよね。だから、どうぞ」
「……あぁ」
 
そうか、だから私に声かけたんだ。納得した。確かに、私にとっても田口先輩は顔見知りみたいな気が、してたし。そうなると、誘いを断るのも悪い。クリームあんみつなんてすでに溶けてきたし。なので、素直に頷いて、田口先輩の前の席に腰を下ろした。
 視線は痛いままだったけど、体育会系だった私にとって、先輩の勧めは絶対だ。差し出されたクリームあんみつを、口に運ぶ。私のそんな様子を、彼はニコニコと見つめていた。居心地は悪いけどあんみつは美味しいので、黙々と口に運ぶ。
 だけど、はたと重大なことを思い出し。スプーンを置いて顔を上げると、彼は「ん?」と首を傾げた。
「あの、お金は後で支払えば良いですか?」
「え?別にいいよ。俺が勝手に頼んだんだし」
「いえ、先輩におごってもらう訳にはいきませんし」
 男の人というのは、基本的におごりを普通のことだと思っている気がする。それは別に、私がよくおごってもらったとかじゃなくて。部活の先輩後輩を見ていると、一緒にコンビニに行き、先輩は後輩の分も普通に支払いしている。それが毎年の恒例行事だから、と言うけれど、とにかくそんな調子なのだ。よってこれもおごりかもしれない、と思ったけれど。
 私と田口先輩はあくまで顔見知り程度であって、話したのだって、今日が初めてだ。部活などで一緒なら、素直に好意も受け取れるかもしれないけれど。紳士的と評判の田口先輩の言葉を、私はきっぱり否定した。
 その瞬間。

「じゃあ、彼氏になろうか」

 ――信じられない言葉が聞こえた。
 え。今の何。
 ……聞き間違い?
 そうだよね、うん。聞き間違いだ。
 あははーやだなー私。年だよ年。ってまだ十六だよ。
 なんて、一人心の中でノリツッコミする私の気持ちに気付かないのか。田口先輩は、相変わらずの爽やかな微笑みを披露して。
「あれ、聞こえなかった?だからさ、彼氏に」
「いや!!いやいやいやいや待ってください」
 
公衆の面前で何を言うかこの人ーーー!?
 ガタっと音を立てて叫ぶけど、彼はニコニコと笑ったまま。
 何だこの人。これ、天然?それとも、……わざと?自分に問いかけて、目の前の人の目をじっと見据える。
「、」
 
そして、気付く。透き通った瞳の中、微かに揺れる、ひどく意地悪な色。
 ……優しい?爽やか?どう考えても性格悪いだろ、この人!!
 慌てて周りを見渡すと、視線が私達に集中していた。
「っ」
 
自分の行動が多分、視線を集める原因になっていたんだと分かっているけれど。でも、どうしても田口先輩を睨んでしまう。彼はそれを受け流して、目を細め、綺麗に笑った。
 その瞳の強さに、ぞくりとする。それはまるで、獲物を見つけた肉食獣のようで。
 けれど負けたくなくて、きっと目の力を強める。そんな私の反応に、面白そうに彼は顔を歪め、そして。
「、えっ!?」
「行こうか。すいません、会計ここ置いておきます」
 
ぐいっと手首を掴まれ、強引に歩かされる。チラリと机の上を見ると、明らかに実際の金額より高めのお金。文句を言おうとするけれど、慣れない浴衣とその早足に着いて行くのに精一杯で、口も開けず。最後に私の目に映ったのは、唖然としたクラスメイトや教室のお客さんだった。

「っちょ、離してください!!」
「もう少し、待ってて」
 
廊下を歩くだけで、山元先輩と並んで二年一番人気だと言うこの人は、視線を集める。そんな中、私が大きな声で叫べば叫ぶ程、好奇の視線は強くなるから。声を潜めて文句を言うけど、彼は同じ台詞を繰り返すばかり。苛立って、眉根を寄せた。
 
どうして。何でいきなり、こんな嫌がらせを受けているの?
 
何が彼氏だ、意味が分からない。後輩をからかってるんだろうか。
 底の見えない態度に、無性に心が波立つ。振り返らないその背中からは、何も読み取れないまま。
 足早に階段を駆け上っていき、『関係者立ち入り禁止』のテープが張られた踊り場まで行くと、彼はようやく私の手首を解放し、私の顔を見て笑った。
「ひどいな、すごく不機嫌な顔」
「……原因は、分かってるんですか」
「俺?」
「正解です。戻っていいですか?」
「駄目だよ。話は、これからなんだから」
「、っ、」
 
言葉と共に、徐々に近付いて来る田口先輩。ずりずりと後ずさるけど、壁際まで追い詰められ、両手を壁につかれて。
 逃げられない。彼の歪んだ口元に、私は本能的に震えた。
「ねぇ、渡辺咲さん」
「な、んで、名前、」
「知ってるよ、君のことは。バスケ部でマネージャーやってることも、恍と中学から一緒だったことも、」
 
怖い。どうしてこの人、知ってるの。
 怖い。この人は、何を、暴こうとしているの。
 思わず耳を塞ごうとする私の手を、「駄目だよ」と艶めいた響きで押し止め。そっと冷たい手が、私の手首を掴んだ。
「――ずっと、恍のことを好きだったことも」
「!!」
 
反射的に、その腕を振り払う。
 コノ人ハ、危険ダ。
 頭の中で、警報が鳴り響く。
 荒く肩で息をする私を、ひどく優しげな微笑みで、彼は見つめ。
「諦めなよ、恍のことは。あいつは絶対、君のことは見ない」
「っ分かってますそんなこと!!」
 
ひどく残酷なことを、言い放つ。
 反射的に叫び返すけど、心の中は動揺で一杯だった。
 どこかで。まだ、期待している自分を、見透かされたようで。
 震える私の頬を、彼はするりと撫でて、告げる。
「だから、俺にしなよ」
「…………は?」
 
だから、って。接続詞がおかしいだろう。最初にそう、心の中で突っ込んだ。
 目を見開いて固まる私を面白そうに見つめる瞳を。やっと戻ってきた意識が、全力で睨め、と指令を出して。そうすれば、見えなくなる位目を細めて、楽しそうに彼は言った。
「分からない?俺と付き合おう、って言ってるの」
 
――やっと脳内に伝達されたその言葉を、ゆっくりと反芻する。
 付き合う。付き合う、って。田口先輩と、……私が?
 その答えが、導き出された瞬間。私は、大きく息を吸い込んで。

「絶っっ対ごめんです!!」

 全力でそう叫んで、踵を返した。背中を向けた瞬間、爆笑するその声を聞きながら。
 ふざけないで欲しい。
 私は、真剣に恋してた。誰が何と言おうと、例え所詮おもちゃのような恋だった、と言われようと。
 私は全力で、山元先輩が好きだった。
 山元先輩の親友ってことは、瑞希先輩と山元先輩の関係も知ってる、ってことだ。だから面白がったのかもしれない。憐れんだのかもしれない。報われない片思いに、身を焦がす私に。
 あの人を取って食うような態度は、思い返すだけでもむかついて、私は肩を怒らせながら、教室に向かった。
 その後の、自分の運命も知らずに。

 教室へ帰ってみても、不気味なほど、誰からも何も聞かれない。時折、ちりりと女子生徒から強い視線を感じる程度。理由は分からないけれど、あの一件はなかったことになっているらしい。それならいい、と頷きながらも、内心。多分、田口先輩が手を回したんだろうと思い、その上手さに歯噛みした。
 
あんな人、すぐに忘れよう。どうせもう、関係のない人だ。あっちだって、ただのおふざけで私に声を掛けたんだろうし、校内で見掛けても、普通に無視をすれば大丈夫。きっと彼は、もう私に近付かないはず。
 というか、性格悪いけどあんなにモテる人だ。私に構う理由はない。そう思って、ホッと息を吐いた。内心、あの透き通った瞳を思い浮かべ、背筋が震えそうになりながら。
もうこれで、終わったんだと思った。そう、何もかも、もう何の問題もないんだ、と――。


  

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