Deceitful Lips(3)


「すっ、好きです!!私と付き合ってください!!」
 
うわ。
 その言葉を聞いて、私は少し、背中に冷や汗をかいた。
 午後十二時五十分。人気のない裏庭。秋晴れのその日。考えれば考えるほど、『告白』にはぴったりなシチュエーションに、私は困り切っている。

 今日、次の時間が体育なのに、部室にジャージを忘れて来てしまった。その為、お昼を食べてすぐ、取りに行った帰り道。曲がり角の向こうでは、女の子の必死な声が聞こえた。最初は分からなくて素で踏み出してしまい、女の子の声と向かい合った男女を見て、やっと思い至ったのだ。告白している女の子の方は私に背を向けているから、どうやら私には気付いていないだろうけど、どうにも、気まずい。神聖な他人の告白を、汚すような真似をしている気がする。だって人気のないところにいるってことは、誰にも見られたくないってことで。というか、私だって告白しているとことは見られたくはない。付き合えれば別にいいけれど、振られたりしたら色々惨めだし。
 そんな訳で、今すぐここを退きたいんだけど、部室棟から校舎までの道は、ここしかなかったりする。
「うーん」
 
小声でしばらく唸った後、私は、耳を塞ぐことに決めた。
 告白してる子には悪いんだけど、それで勘弁してもらおう!!と、胸の中で勝手に決めて、壁に背中を預け、耳に手の平を押し当てて、しばらく。
「!!」
 
私の前を、女の子が泣いて走り去って行った。
 ああ……これは聞かなくて正解だったなぁ、としみじみ思う。
 彼女は私の前を走って行ったんだけど、多分気付いていないだろう。ぼんやりとその後ろ姿を目で追いながら私は、あれ?と首を傾げる。
「あれ、確か……」
 
身を壁から起こし、彼女の走り切った方向に目を向ける。ふわふわした茶色い髪に小さい身体、細い足。それは確かに、B組の今村さんで。半ば茫然と呟いた私の、背後から。
「――なーにやってるの、咲ちゃん」
 
首筋に、息、が。
「っぎゃああああーーー!!」
 
一瞬、あまりの気持ち悪さに思考が固まり、全身に鳥肌が立ち。一拍置いて叫んだ女の子らしからぬ悲鳴に、笑い声を立てたのは。
「っははは!!え、すっごい、っ俺そんな反応されたの初めて……!!」
 
田口、隼人先輩だった。

「まさか会えるとは思わなかった。運命かなぁ」
「……」
 
しらじらしくそんなことを言いながら、私の前で先輩はメロンパンの袋を開けて微笑む。私はその綺麗な笑顔を睨みながら、黙っていた。
 爆笑した先輩に苛立った私は、そのまますぐに教室に戻ろうとしたんだけれども、いつも通りがっちり腕を掴まれてしまい。「俺、教室行っても一人でご飯なんだよ」、と留められてしまった。
 ……私って、馬鹿なんだろうか。少なくとも、学習能力はない気がする。逃げられないって分かってるのに、逃げようとするあたり。
「いや、購買でパン買ってさ、教室行こうとしたんだよ」
「はぁ」
 
曖昧に頷きながら、手の中の紙パックを弄ぶ。田口先輩が、お詫び、とくれたいちごオーレ。嫌いじゃないけれど、飲む気がしなくて、口を付けられない。温くなったパックの表面の水滴が、やたらと気持ち悪かった。田口先輩は顰めっ面の私に笑いながら、甘い甘いパンをぱくりと食べる。カスタードクリーム入りのメロンパンは、購買一番人気だったはず。美味しそうな顔を見て、今度買おうかな、と場違いなことを考えていた。
「でも、帰り道にあの子に呼び止められて」
「……」
「咲ちゃんに会えたから、ラッキーだったかな」
 ……
私も大概だけど、この人もアレじゃないだろうか。告白してきた子をふって、その後に別の女の子とご飯食べるって、それでラッキーってどういう了見?
 むっと唇を尖らせながら、ストローを紙パックに突き刺す。先輩から目を逸らしながら、私は口を開いた。
「どうして、今村さんのこと、ふっちゃったんですか」
「え?」
「学年一可愛いって評判なんですよ、彼女」
 
これは、本当のこと。儚げな笑みとふんわりした性格の今村さんは、男子の中で大評判だ。そもそも、あんな『守ってあげたい』空気が出てる女の子泣かせて、この人は何とも思わないんだろうか?いまいち読めないこの人に、私は静かに苛立つ。
「逃がした魚は大きいって言うんですからね、後で後悔しても知りませんよ」
「……」
「大体、贅沢です。田口先輩は確かに格好良いですけど、今村さんで満足出来ないってどんだけ理想高いんですか」
 
何故だか、無性に苛々した。女の子を泣かせて平然としたその姿勢にもむかつくし。あんな可愛い子をふるなんて、という悔しい思いもある。
 腸が煮えくりかえりそうになりながら、ストローをがじがじ噛んで、ピンクの液体を胃に流し込んだ。生温いそれは、甘いのと相まって美味しいとは思えない。ますます眉間に寄った皺を、深くしてしまう、と。
「っ、はは、……っ」
「!?」
「咲ちゃん、――馬鹿だなぁ」
 
相も変わらず、空気の読めない笑い声。更には馬鹿呼ばわりまでされて、なんなんだ一体!!
 文句を言おうと、彼の方へ振り返る。すると、やたらと優しい微笑みが、私を待ち受けていた。
 最近、よく見る微笑み。かと言って、あまりに優しすぎるそれに慣れた?と聞かれれば、首を振るしかなくて。言葉に詰まる私の頭を、くしゃりと撫でる。
「心配しなくても、俺はああいうの、タイプじゃないから」
「は、」
「安心してよ、しばらく彼女は作れそうにないから、俺」
 
ニッコリと微笑まれ、そんな言葉を吐かれる。
 ……え、ていうか何。安心、って、何。
 固まった私の瞳を覗き込み、田口先輩は、一層その笑みを甘くする。
「――ごめんね、妬いちゃった?咲ちゃん」
………………。
「〜〜〜!?」
 
何の勘違いをしてるんだこの人はーーーー!!誰が妬いてるって、誰が心配って、誰が、誰がっ!!
 むかむかする。『全部、分かってるから』と言わんばかりのその態度。その余裕一杯の表情が、私の神経をますます逆撫でする。
 だから、反論しようと、私は口を開いた。なのに。
「っそんなんじゃ、ありません……っ」
 
なんで、顔が熱いの。なんで、こんなに否定の言葉が、小さいの。
 馬鹿じゃないだろうか、私。そんなんだから、ほら。目の前の先輩は、ますます笑みを深めて、目を細めるばかり。
 「はいはい」なんて、小さい子を宥めるような声音で、私は頭を撫でられて。いちごオーレを持ってるから、その手を振り払うことだって出来ない。
 けど、本当は。その温もりが、ひどく心地良くて、拒否できなかった。
「つかさ、咲ちゃん来週の日曜、暇?」
「来週?」
 
不意に問い掛けられて、一瞬の間を置いて私は返事をした。そう、と頷きながら田口先輩は二つ目のストロべリ―カスタードパンの袋をくしゃくしゃに丸めて、カツサンドを手に取った。
 こんなに細いのに、やっぱり男の人なんだ。私はパン二つで十分だな。
 ……ていうか、菓子パン最初っておかしくない?普通、おかずパンを先に食べるよね?
 内心、そんなどうでもいいことを思いながら、脳味噌をふり絞る。来週、か。
「部活だと思います。県大も決まりましたし、練習頑張らないと」
「マジか。何時くらいに終わりそう?」
「うーん。まだ分からないですね」
 
基本的に、その週にならないと部活の予定は分からない。山元先輩や瑞希先輩は、スケジュール調節や連絡係もしてるから多少先まで分かるかもしれないけれど。一年生だと、先輩からの連絡待ちだ。
 そう告げると、田口先輩は「分かった」と静かに微笑んだ。
「じゃあ、予定ついたら俺の試合、見に来てよ」
「……はぁ?」
「来週の日曜、地区大会の準決勝なんだ。勝ったら全国に近付く、大事な試合」
 
少しウキウキしたように聞こえるその声音に、私は目を見開く。今まで、田口先輩はどこか部活に熱中していないように感じていたから。
 ――でも、違う。瞳を見れば、分かる。真っ直ぐな視線は、サッカーへの期待や楽しさを、映していて。うちの部員にもよく見られるその力強さに、私は不覚にも、見惚れた。けれど、そんな自分を認めたくなくて、私は俯いて憎まれ口を吐く。
「普通、決勝見に来てくれ、って言いませんか」
「んー、本当はそう言いたかったんだけど、今度の相手、去年の全国ベスト八のところなんだ。日曜で、負けるかもしれないから」
「なっ、」
 
なんて縁起でもないことを言うんだ、この人は!!戦う本人が強気でなくてどうするのっ!!
 飄々としたその言葉に、むかっと来て、私は顔を上げる。
「、」
 ――
すると、予想外に至近距離に田口先輩がいて。私の瞳を、真っ直ぐに覗き込み、真剣な表情。見たことないくらい、真面目なその顔に文句も何も吹っ飛んでしまう。絶え間ない気まずさに、私が言葉を失うと、田口先輩は目元をわずかに緩ませて。
「だから、咲ちゃん来てよ」
「え」
 
そっと、頬に触れる温かい手。その温もりと、吐かれた言葉に私は一瞬、何が何だか分からなくて。間の抜けた返事に、田口先輩はおかしそうに目を細める。あまりに緩やかに移り変わる綺麗な瞳の色に、私は呼吸すら、奪われた。
「俺さ。咲ちゃん来てくれれば、勝てる気ぃすんだよね」
 
だから、来てよ。
 吐息交じりに囁かれた言葉は、落ちるだけ落ちたら、さっさと形を崩した。唐突に与えられた温もりは、唐突に消えて。やけに冷たい北風に気付いたのは、彼の手の平が離れた後。瞳を見開いて固まったままの私に、田口先輩は静かに苦笑して、腕を取って立たせてくれた。
「さ、そろそろ行きな。次、体育なんでしょ?もうすぐ十分前だよ」
「……え、ぁ。はい」
 
こくこく、ととりあえず首を振る。いつの間にか飲み終わっていた紙パックは、彼の手に奪い取られた。そっと背中を押すその手に従って、静かに歩き出す。ちらりと背中越しに振り返れば、田口先輩はまだそこにいて、ひらひらと手を振っていて。
「待ってるからねー」
 いつも通り、やる気のない、間の延びた言葉。
 ……そこで私は、意識を取り戻した。
「っ」
 
勢い良く前を向いて、足早に校舎へ戻る。
 早く。早くしなきゃ、侵食される。
 反則だ、あんな目。今までおちゃらけたところしか見せなかったくせに。あんな真剣な目で見て。あんな優しい手で触れて。あんな甘い言葉、吐くなんて。
「っ最低……!!」
 
――心臓が、止まるかと思うくらい。
 
あの人に、見せつけられてしまった。
 
田口隼人、という『男の人』の魅力を。
 
優しい表情の裏に隠れる腹黒な一面を知ってる私は、絶対あんな人にときめくもんか、って思ってた。
 なのに、今。
 そんな一面とは違った、部活に一生懸命な少年みたいな顔とか。
 どこまでもこっちを甘やかそうとする、優しい大人の人みたいな顔とか。
 ただ腹黒なだけじゃ見せられない、真っ直ぐな一面を見てしまった。
 ずるい。何でそんな手を、隠し持ってるの。
 赤くなったままの頬が、熱くて、苦しくて、悔しくて。
「……あんな人、大嫌い」
 
自分に言い聞かせるように呟いた言葉が、やたらと白々しく響いて、予鈴をどこか遠く聞いていた。

 結局。……日曜日は、午前練習が入って。
 幸か不幸か、サッカーの試合は三時キックオフだから、見に行けないことはない、と分かってしまった。いつものごとく、待ち伏せしていた田口先輩にそれを告げた時のにやけた顔に、ひどくむかついてしまったけれど。


  

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