Deceitful
Lips(5)
「咲ちゃん、誕生日いつ?」
「いきなり、何ですか?」
十二月のお昼休み。何故だか今、私は異常に寒い屋上で、マフラー巻いてご飯を食べてる。
「気になって」
――田口先輩と一緒に。
何故か今日、休み時間に田口先輩からメールが来て。内容は、屋上で一緒にご飯を食べよう、というもの。寒いし嫌です、と返信したんだけれど。『じゃあ、咲ちゃんの教室で食べようか』とハートの絵文字付きで来たメールに、ぞっとした。
このクラスで?田口先輩と?そんなことしたら、何て言われるんだ……!!
慌てて返信、結局屋上で丸め込まれてしまったんだけど。そもそも。
「……断れば良かったのか……」
「ん?何?」
「何でもありません」
用事でもある、と嘘吐けば良かったのか。そういうのは苦手だけど、田口先輩と何で仲良くご飯を囲まなきゃいけなかったのか。不器用すぎる自分に、ため息を零しながら、口を開いた。
「三月ですよ。三月三日」
「って、ひな祭り?」
「そうです」
似合わない、とでも言われるんだろうか。自覚はある。瑞希先輩ならともかく、私は可愛いってタイプではない。自分で思って、ふっと落ち込んだ。
田口先輩は、しばらく悩んだように考え込んで、顔を上げた。
「じゃあ、咲ちゃんまだ十五?」
「へ?え、あ、まぁ、はい」
「なんかいきなり咲ちゃんが幼く見えた」
は?と思いながら、その顔をまじまじ見る。割と真剣に言ってるっぽくて、こっちこそびっくりだ。
十五、ねぇ。
「じゃあ、田口先輩は誕生日いつなんですか?」
「え?」
「だから、誕生日」
尋ね返しただけなのに、かなり驚いたように、目を見開く田口先輩。唇を尖らせ、繰り返すと、じっと私を見据え。
「……ああ、うん」
――綻ぶように。ふわり、静かに笑う。その顔に、不覚にも心臓が大きく一回、跳ね上がって。ドキドキする私に気付かないように、先輩は妙に嬉しそうに口を開く。
「今月だよ」
「今月……って、十二月、ですよね」
「うん。当ててみて」
当ててみて、か。友達とよくやる会話のやり取りを、田口先輩とするとは思ってもみなくて。目をぱちくりさせながら、考えてみる。
「じゃあ、十五?」
「はずれ」
「七」
「遠くなった」
「二十一、とか?」
「もうちょっと」
当てずっぽうの言葉でも、田口先輩は嬉しそうだ。それに答えるように、気付けば顎に手を当てて考え込んでしまった。
「もしかして、……二十四?」
「当たり、だよ」
十二月、二十四日。世間一般でクリスマスイブと言われる日。そういう人もいるけれど、まさか本当に当日誕生日の人がいるとは。軽く感激だ。
「えと、……誕生日、おめでとうございます」
「早くない?」
「いや、会えないと思いますし。終業式、二十三日ですし」
間抜けなお祝いを口にすると、わずかな苦笑。でも、いつ会えなくなるかも分からないし。だったらフライングで口にしても、いいだろう。
どうせ。
「か、のじょとか、と過ごすんでしょう?」
ポロリ、と口から漏れてしまった本音。俯いて言ったそれに、一瞬空気が重くなり、その後沈黙が落ちる。
……まさか、図星?半分冗談、半分本気で言ったそれが当たっていた場合、どうすればいいのか。そもそも、彼女がいたら、これって浮気になるんじゃないだろうか。そっと自問自答を繰り返す。
すぐ横のフェンスの隙間から、冷たい風が吹き抜けて、静かにマフラーを揺らした。今更ながら、コンクリートの床の冷たさを、感じてしまって。持ってきた膝掛けを、黙って引っ張る。すると。
「咲ちゃん、それ、本気で言ってる?」
カシャン、と揺れるフェンス。そして静かな、田口先輩の声。感情を削ぎ落としたような、その声に。身体の芯が冷えたような気がして、ぶるり、震えた。
「ねぇ、咲ちゃん。本気で言ってる?」
――怒らせた?違う、そんな訳ない、だってこんなことで?
怒るんだったら、今までだってもっとひどいこと、一杯言った。なのにどうしてこんなことで。
怖くて怖くて、唇を噛み締めて。それでも、震えは止まらない。ふと、俯いた視界に映る、膝掛けと、自分の白くなった手。その手に触れる、大きな小麦色の――。
「……!!」
反射的にその手を、大きく振り払う。かちゃん、と音を立てて倒れたお弁当箱。慌ててそれを目で追うと、視界に留まったのは。
「、」
訳が分からない。
何で、怒ってたんじゃないの、どうして、――そんな、傷付いた目、するの。
じわり、何故だか分からないのに、目頭が熱い。息苦しくて、辛くて、膝掛けとお弁当箱を拾い、立ち上がる。ぼやけた視界の中、田口先輩の表情は分からなくて。それに死ぬほどホッとした。
「っ先、行きます!!」
乱暴に叫んで、屋上を走り抜ける。彼の呼び止める声も無視して、必死で走った。階段を降り、一年生の教室がある階まで、ずっと。馬鹿みたいだ、って思いながら、それでも足は止めなかった。
何で、あんな顔したの。
否定、しなかった癖に。彼女のこと、否定しなかった癖に。
……私のことなんて、なんとも思ってないのに。
口を開けば、きっと出て来るのは文句ばかりで。自分でも情けないけれど、抑えられない。
信じたくない、この気持ちが。
* * *
その日から一週間。田口先輩には、会っていない。もともと、先輩から連絡があれば会っていただけの関係で。別に、こっちから連絡する理由なんて、ない。
そう、ないのに。
「……はぁ」
大きくため息を吐きながら、体育館から出て行く。リング昇降機を、早く教官室に返しにいかなくちゃいけない。なのに、足はいまいち動いてくれなくて。結局、とぼとぼと歩くばかり。教官室にいた体育の先生達にも、「元気ないな」と言われてしまった。それに、曖昧な笑顔を返してはおいたけれど。
「失礼しました」
挨拶だけは、大声で。ガラガラと音を立て、教官室を出る。ふと、階段を下りる途中。大窓を覗く、と。
「、」
――サッカー部が見えた。すでに夕日が沈みかけている寒空の下、ストレッチをしている。見回すまでもなく、田口先輩は、すぐに見つかって。日に透けて、黄金色に輝く髪に、見惚れてしまう。
……知らなかった。ここから、グラウンドって見えるんだ。そりゃ、体育館とグラウンドは隣り合っているけれど。いつもいつも、余裕なく走り抜けていたから、気付かなかった。冷たい窓ガラスに額を押し当て、彼の人を見つめる。私の視線に、気付くはずがない。部員に背中を押されて、大きく足を開き、ゆっくりストレッチをしていた。ふと顔を上げたその顔は、いつも通り、笑顔で。
「……っ」
私ばかり。やっぱり、私ばかり、悩んでいるんだろうか。田口先輩に会えなくて、もやもやして、それで。――会いたい、と思っているのも。
そんなの、絶対認めたくなくて、頭を大きく振り、窓に背を向ける。その後は、決して一度として振り返らなかった。
ずっと、訳の分からない人だと、思っていた。
知り合って、もう三ヶ月になる。暑い季節から、世界は徐々に季節を変えて。今では、真っ白な霜も落ちようとしているのに。
なのに私は。
あの人のこと、全然知らない。
そりゃ、クラスや性格が悪いなんてことはよく分かってる。
でも、例えば好きな食べ物だとか、休日は何をしているのかとか、何考えてるのか、とか。私はそういう深い部分に関して、何も知らないし、分からない。
……違う。知ろうとしなかった。
どうせ遊びなら、下手に先輩のことを知って、仲良くなったつもりになって、――傷付きたくなんてなかったから。
でも、それなのに。
初対面は、最低最悪で。こんな奴、大嫌いだって。絶対関わりたくないって、そう思って。
『諦めなよ、恍のことは。あいつは絶対、君のことは見ない』
……田口先輩があんなことを言ったのは、実は、あの日だけなんだ。
もちろん人のことをからかってきたりはするけれど、私を貶めようとはしていない。私が山元先輩の話をする度、固まることに気付いているはずなのに。彼はただ、微かに微笑むばかりで。自分から山元先輩の会話を、むやみに振ったりしないし。それどころか、柳先輩の話題すらあまり出さない。
そういうところから、実は、かなり。心を許してしまっている自分がいることに、気付いてしまった。
駄目だと、分かっていたのに。彼の側では、山元先輩のことを忘れられる自分がいた。
子供みたいに甘やかされて、膨れっ面でも優しくされて。ぐちぐち言いながらも、実際は甘えているのは私の方だ。田口先輩との時間を拠り所にしているのは、――私の方だ。
馬鹿みたい。
見捨てられて、初めて、そんなことに気付くなんて。
テスト期間。一緒に勉強しよう、という友達に誘われ。連れ込まれたファミレスで、最近元気ない理由を根掘り葉掘り聞かれた。最初はごまかしたけど、その内無駄だと気付き。素直に話せば、開口一番。
「馬鹿だね」
ストローを加えながら、ざっくり一言。分かり切っていた反応だけれども、意外にダメージ。黙り込んだ私を無視して、友達は飲み物を啜った。私も、手元のコーヒーカップを指先で弄る。
「分かってるよ」
「分かってないでしょ。田口先輩の気持ち」
「……何それ」
反論しても、その言葉は冷たい。
それどころか、言うに事欠いて、田口先輩の、気持ち?そんなの、叶わない恋してる後輩に対する同情以外、何があるの。むっと唇を尖らせると、大きくため息を吐かれる。
「あのさ。本気で咲は、田口先輩は同情で今まで、咲の側にいたと思ってるの?」
「…………うん」
「思ってないでしょ」
質問した癖に、勝手に言葉を切らないで欲しい。私の返事に聞き耳持たず、勝手に話を進めないで欲しい。
黙り込む私に、友達はぴしりとポテトを突き付ける。
「咲はさ、田口先輩は自分のこと好きなんじゃないか、って思ってる。でもそれが信じきれなくて、好きになるのを躊躇ってるんでしょ」
「……」
「図星?」
真っ直ぐな瞳で、私の心を覗き込もうと、口を開く彼女。俯くと、ポテトは彼女の口の中に放り込まれた。……最後の一本だったのに。
「咲のそういう強情って言うか、慎重なとこ、いいとこだと思うよ。でもさ。叩きすぎて、石橋壊しちゃ意味ないでしょ」
その言葉が、やたら胸に重く圧し掛かる。
叩きすぎてしまったら
壊してしまったら
――それはもう、二度と元には戻らない
遅すぎる、だろうか。彼の言葉を、信じたい、そう思うには。
意地悪でも、からかわれてもいい。何だっていいから。
「……もう、駄目、かな?」
「ん?」
「側に、いて欲しい。横で、笑ってて、欲しい、……て言うには」
――いつから。こんなに、私の中、一杯にしていたんだろう。
最初は苛立つだけだったのに。その次は、胡散臭い人で、むかつく人に戻って、それでも。
あの些細な言い合いが、飄々とした態度が。全部全部、心地良いと思い始めたのは。
知らないでしょう。
田口先輩と出会ってから、山元先輩と話す時、緊張しなくなったの。頭を撫でられても、笑顔を向けられても、妹のような気持ちで、受けとめられるようになったの。
あんなに大好きな人だった。本当に、好きで、好きで。眠れぬ夜も、泣き明かした夜もあった。
でも、今の私は泣くことだって出来ない。
……あなたが、いないから。
泣き方も、笑い方も、怒り方も、全部全部忘れてしまったよ。
私の言葉を聞いて。友達は、しばらく黙った後。
「った、」
「言う相手が、違うんでない?」
弾かれた額を押さえて、その顔を睨む。苦笑混じりに優しく笑う、彼女。頬杖をつき、にんまり唇を歪めた。
「咲がさ、今までやったこと、言ったこと。事実はどうであれ、田口先輩が咲を好きだとしたら、すごくひどいことだよ。それは、分かるよね?」
「……うん」
「でも、それで逃げちゃ駄目。田口先輩と違って、咲はまだ何も告げてないんだから。ちゃんと全部、正直に伝えるのが先決」
「……うん、」
ここでもし、私が田口先輩のため、何て言いながら口を閉ざしたら。きっと、それは単なる逃げで。私は、一生後悔するだろう。最初っから逃げっぱなしのこの気持ちから、まだ目を逸らすつもりなのか、と。逃げていいのは、一言でも彼に告げてから。
それからで、いい。本当に彼の気持ちが同情だったとしても、それでも。
――私の気持ちを、伝えたい。
そんな気持ちを込めて、彼女に微笑んで見せる。「貸し、一ね」なんて言いながら、メニューを開いているけれど、何を言っているのか。中学時代から、貸しなんて、数えきれないほど一杯だよ。 |