Deceitful Lips(7)


 壁に背を預け、床に足を伸ばして座り込んだ田口先輩。何故か、その足の間に私は座っている。
 ……散々拒否したんだけど、言いくるめられちゃったんだもん!!
 先輩は、私の肩に頭を乗せて、機嫌良さそうに笑ってる。その両腕は、私の腰に回っていて……うう、恥ずかしい。
 辺りに人の気配はない。もうとっくに、本鈴のチャイムは鳴ったから。さっきまでは階下でがやがや聞こえたけど、もうみんな体育館に行ったんだろう。今更ながら、さぼってしまったことに危機感を覚える。でも多分、友達が上手くごまかしてくれるだろう。ていうか、じゃないと困る。ぽつりぽつり考えていると、「咲ちゃん」と笑い混じりの声が聞こえる。
「何考えてるの」
「……終業式のことです」
「何だ。俺のことじゃないのか」
 
残念、とわざわざ耳元で囁く田口先輩は、相当女慣れしてる気がする。鳥肌の立った両腕を抱き締めながら、今度はこっちから呼び掛ける。
「先輩。私、色々聞きたいことがあるんですけど」
「ん?いいよ、何?」
 ……
出来れば、髪の毛の匂いを嗅ぐのは止めて欲しい。
 変態ですか!!
 でも、突っ込むと会話が脱線しそうだから、我慢した。
「えと、まず。田口先輩、私のこと、その、いつからアレだったんですか」
「ん?好きだったか、ってこと?」
「……はい」
 
恥ずかしくて言葉を濁しても、先輩はあっさり確信をつく。
 この人には恥じらいとかないの!?
 余裕のない自分がおかしいのか、余裕のある田口先輩がおかしいのか。いまいち答えは出ないけれど、じっと待った。しばらく「うーん」と悩んだ田口先輩。何分かして、やっと口を開いた。
「気になったきっかけは、恍に挨拶してる咲ちゃん見て、だけど」
「え?」
「いや、咲ちゃんさ。恍に会うたび、すっごい切なそうな目してるから。あーこの子恍に片思いしてるな、可哀想だなって思ったのがきっかけ。あいつ、柳っち以外見てないしね」
 
その言葉を言われて、きゅっと唇を噛み締めた。やっぱり。同情は、どこかにあったんだ。分かっていても、苦しかった。同時に、彼の口から飛び出す瑞希先輩の名前に、少し苛立つ。こんな些細なことで妬くなんて、やっぱり子供。
 でも、止められない。
 きゅうっと拳を握ると、優しく田口先輩に握られ、頬にキスされた。慌てて振り返れば、至近距離で微笑まれる。
 ……見透かされてる。恥ずかしくて、俯いた。
 そんな私に、田口先輩は笑いながら、話を続ける。
「で、恍に咲ちゃんが中学からの後輩で、男バスのマネって聞いてさ。今度は、ちょっと柳っち心配した」
「何で……?」
「ん?いや、中学から追ってきた位の子なら、柳っちに喧嘩売ってもおかしくないな、って思ったから」
 
親友の好きな子だしね、ちょっとは心配になるよ。
 そう言われるけれど、思わず勘ぐってしまうのは、さっきのことがあるから。だけど態度に出すとまた気付かれてしまうから、心の中に留めておいた。後は、田口先輩の言い方がお兄さんみたいだったから。女の子に対する言い方ではないように思ったから、少し安心できた。
「でも、六月くらいかな」
 
そこでいきなり、田口先輩の声のトーンが変わる。笑い混じりだったのが、昔を懐かしむような、低い声になった。
「恍とさ、咲ちゃん、一緒に買い出し行ったことなかった?」
「え、あ、りました、けど」
「そん時俺、見たんだよね。二人を、校門辺りで」
 
不意に、ぎゅっと腰に回る両腕に力がこもって。私も思わず、身体が固まってしまう。
 一度だけなら、一緒に買い出しに行ったことはある。忘れられない。だってあの日、私は山元先輩を諦めるのを決めたから。
「恍が咲ちゃんに荷物預けて、咲ちゃん、一人で頑張ってゆっくり歩いて。そん時、何でか俺、『あの子泣きそう』って思ったんだ」
「……泣かなかったですよ」
「うん、知ってる。でも、その横顔見てて、今にも壊れそう、って何でか思ったんだ」
 ――
知らなかった。自分がそんな顔してたこと。そして、そんな自分を見ていた人が、いたこと。
「それからしばらく咲ちゃんのこと、見掛けなかった。恍のこと避けてるのかも、って思って。その内夏休みにも入ったし、忘れてたんだけどね」
「……」
「咲ちゃんさ。体育館近くの階段から、グラウンド見えるの知ってる?」
「……え、ええ、はい」
 
つい最近知ったばかりだけど。
 こっそり覗き見したことを思い出して、若干恥ずかしい。だけど先輩は私の顔が赤くなったのは気付かないようで、話を続けた。
「で、夏休み中、練習中にそこ見たら咲ちゃんと柳っちが見えてさ。俺、驚いたんだよね。すごい仲良さそうだったから」
「……はぁ」
「恍のこと好きで、恍を追って高校来るような子だったら、柳っちとも仲良くないと思ったのに。表面上じゃなくて、本当に柳っちのこと好きなんだろうなーって笑顔見て分かった」
 
は、恥ずかしい。確かに瑞希先輩のこと好きだけど、ぱっと見ただけでそこまで分かるなんて!!
「――そん時から、咲ちゃんに対する印象変わった」
「っ、」
 
俯く私の身体が、いきなり半回転する。田口先輩の肩に頬が当たり、背中をその腕が支えてくれて。そして、私の顔を覗き込む柔らかい瞳。
「可哀想な子、って思って。その次に、壊れそうな子。で、その後は、強い子なんだな、って思った」
「、そんなこと、」
「普通、ずっと好きだった先輩の好きな相手になんて優しく出来ないよ。なのに咲ちゃん、ほんの三ヶ月くらいでやってのけるから」
 
すごいな、って思ったんだ、本当に。
 そう優しく言ってくれる田口先輩。その瞳は、言葉通り真摯な感情を表している。でも。
「違います、よ」
「ん?」
「瑞希先輩が良い人だから、私は好きになれただけで。最初は嫉妬してばかりでした。ひどいことも言ったし、……だから私、」
「そこまで」
 ――
田口先輩にそんな風に言ってもらえる人間じゃない
 俯いたまま、告げようと思った言葉は。静かに、一本の指先に唇を押さえられて止まる。一瞬、その冷たさに驚いたけれど。徐々に、そこから熱が巻き起こり、熱くなる。首筋まで赤く染める私を見て、先輩は笑った。
「咲ちゃんから見る自分は、そうかもしれないけど。俺から見る咲ちゃんは、強くて優しくて、……だけど不器用で、臆病な女の子だったよ」
「……っ」
「踊り場を通る時、いつも見てた。必死に走る顔、誰かと笑顔で話したり、一人で落ち込んでたり。見る度違う顔してて、気付けば引きこまれてた」
 
話したこともない相手が気になるなんて、自分でも驚いたけど。
 そう言って苦笑し、頬を撫でられる。温かい手の平が、心地良い。そっと擦り寄ると、少しだけ驚いた顔。でも、嬉しそうに笑ってくれて。その顔は、あの大会の時の笑顔に似ている。無邪気で、可愛かった。
「それで、文化祭の時に声かけた」
 
とりあえず、一通り話は終わったみたいだ。
 こくん、と頷いて息を吐く。白い。剥き出しの太股や膝は寒いけれど、田口先輩と触れてる部分は、熱くて。火傷すらしそうだった。
 けれどふと、頭に疑問がよぎる。
「どうして、あんな言い方したんですか?」
「だって咲ちゃん、あれぐらいインパクト強いこと言っとかないとこっち向かなさそうだったから」
 
私の質問に対し、ニコニコと悪びれなく言う。……逆効果になることとか考えなかったのかな、この人。

「すぐに忘れさせたかった。――早く、恍より俺だけを見て欲しかったんだよ」

 本当に、そう呟いて額に唇を寄せる。
 ……ずるい。そう言われてしまえば、何も言えない。
 だから赤くなった頬のまま、むうと唇を尖らせた。すると、頬をくすぐる指先。顔を上げると、さっきとうって変わって悪戯な微笑み。嫌な予感がしながらも、眉を寄せて口を開いた。
「……何ですか」
「でも傷付いたなぁ、咲ちゃんがひどいことばっか言うから」
「う」
「咲ちゃん一筋なのに、他に彼女いるとか思われて」
「だ、だって!!」
 
それは、そっちにも責任があると思う。いつも本気かどうか分からない態度ではぐらかされて、からかわれて。これじゃあ、誰だって混乱する。
 と、反論したかったけど。確かに、自分が悪いとも思ったから。
「……ごめんなさい」
「今日は素直なんだね」
「反省は、してます。たくさん疑っちゃって、悪いと思ってます」
「うん」
 
彼の腕をぎゅっと掴んで、ぽつりぽつりと謝る。静かに頷くその瞳は、確かに優しかった。
 ――だけど納得出来ないことは、あと一つ!!
「で、でもっ!!何で早くす、好きって言ってくれなかったんですかっ!!」
「んー?」
「最初から言ってくれたら、私だって気付きましたよっ」
 
分からなかったけど、私はどうやら鈍いらしい。はっきり言葉にされなければ、いつも気付かない。わがままかもしれないけれど、これは譲れない!!
 噛みつく勢いでその目を見据えると、のんびりとした返事。流石にこれはちゃんと答えてもらわなくちゃ。何か大層な理由があったのか、どうか。どうなんだ、と詰め寄れば、彼は一瞬宙に視線を飛ばし。

「いや、たださ」
 
非常に魅惑的な微笑みを零し、
「俺が咲ちゃんを好きな位、咲ちゃんが俺を好きにならないと、悔しいかなって思っただけ」 
 
さらりと悪魔的な言葉を吐いた。

「……それだけ?」
「うん、それだけ」
 
呆然として問いかければ、眩いまでの微笑みが返ってくる。
 それだけ、って、……私が悩んだ時間は何だったの!!
 唇をぱくぱくと開閉すれば、するりとなぞられ、背筋が、ぞくりとする。そんな私に田口先輩は妖艶に笑い、静かに唇が近付いた。はっとして、反射的に目を瞑る。
 でも。
「……」
 
いつまで経っても、唇は降ってこなくて。目を開くと、至近距離に綺麗な顔。
 ……山元先輩と、全然違う。
 小麦色で、さらさらの茶髪で、大きな目で、とにかく意地悪で。
「――咲ちゃん、俺のこと好き?」
「……っ」
 
言葉に詰まる私を見て、にやりと笑うその顔。余裕に満ちていて、悔しくて、悔しくて。
「好きじゃ、ありませんっ」
 
真っ赤になって叫んでしまうのは、もう癖だろう。そんな私に、彼はゆるりと微笑んだ。

「――嘘吐き」

責めるような響きと、熱い吐息を伴いながら。




好きに、ならない。
あなたなんて。
ずっとそう思っていたはずなのに。
気付けば私は、その意地悪な笑みに溺れてしまった。
それでも意地を張ってしまうのは。
なかなか素直になれないのは。
心と逆のことを言ってしまうのは。

――あなたの唇も、私の唇も、ひどい嘘吐きだから。
溶け合っても、本音なんて零れないのだ。


  

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