あなたの側は、嬉しくて、幸せで、恥ずかしくて、――怖い。


Love never goes without fear.



「ほら」
「何ですか、これ?」
「お土産」
 三月某日。修学旅行の翌日、部活が休みの田口先輩に誘われ、現在喫茶店に入っている。注文してすぐに渡された箱に、一瞬反応が遅れた。
 ――付き合いだして、もうすぐ三カ月。
 『まだ』なのか、『もう』なのか。分からないまま、それでも繋いだ手は前より一層愛おしくて。彼よりずっと嵌まっているであろう自分が、悔しくて仕方ない。不満で頬を膨らませても、喜ばせるだけだから。最近やっと、何でもないフリが出来るようになったけれど。
「開けても、いいですか?」
「うん。どうぞ」
 
コートを脱ぎ、頬杖をつく田口先輩。一つしか変わらないのに、ずっと大人みたい。じっと見つめる私に、小さく笑みを零す。無性に恥ずかしくなって、慌てて箱に貼られたシールに爪を立てた。
「……これ、コップ?」
「うん。琉球グラスって言って。綺麗でしょ?」
「はい、とっても!!」
 
現れたのは、水泡の浮いたコップ。とり出してみれば、赤色の曲線が流れるように描かれていて。繊細な、美しいその作り。田口先輩の言葉に、大きく頭を振った。
「ありがとうございます」
「喜んでくれたなら、嬉しいよ」
 
ふわり、笑う。穏やかなその笑みに私が弱いこと、知ってるのかな?綺麗なこのグラスよりも、ずっとずっと、眩しいの。顔が熱くなるのが分かって、箱にコップを戻した。
 折角貰ったんだから、大事に使おう。そんなこと考えて顔を上げれば、とろけそうな顔のまま、私を見ていて。言葉に詰まったけれど、頑張って話題を絞り出す。
「あ、のっ」
「ん?」
 
小首を傾げ、私の言葉を待つ。
 ……付き合ってから、こんなことが多い。
 昔みたいにからかわれるのも嫌だけど、今は真綿でくるむように、優しくされて。『大事だぞ!』と全力で告げてくれる、その姿勢に酔ってしまいそう。
「どう、でした?修学旅行、」
「んー、まぁ、楽しかったよ。やっと柳っちと恍がまとまったしねー」
「え、っ」
 
ぽろりと零された言葉に、大きく目を見開いて詰め寄ってしまう。「あれ、聞いてなかった?」なんて言われるけれど。
 ぜんっぜん聞いてない!!
「い、いつですかっ?どこで、何で、どうやって!?」
「咲、興奮しすぎ」
 
くつくつと喉で笑いながら、じっと見られる。色んな意味で恥ずかしすぎて、黙り込んで俯いた。

 ――付き合いだして、から。
 田口先輩は私のこと、咲って呼び捨てするようになった。私にも、名前で呼ぶよう言ってくれたんだけど。恥ずかしくて、まだ言えてない。そんな私を見て、先輩は黙って笑うけど。
 どこかで、怖いんだ。こんな風に子供な私に、いつか先輩が愛想を尽かすんじゃないか、って。
 
やきもち妬くのが嫌だから、聞いてないけど。デート中のさりげないエスコートとか、触れ方。田口先輩は、私が初めての彼女じゃない、と思う。噂じゃすごい年上の人と付き合ったこともある、とか。
 好きだと言ってくれた彼の言葉を信じたい。でも、それは永遠じゃなくて。
 怖い。
 彼の側で、一秒ごとに強くなる気持ちが、たまらなく、怖いの――。

「咲?」
「あ、」
 
黙り込んだ私。呼ばれてはっと気付けば、私の顔を覗き込むように、訝しげな顔をした彼がいた。眉を寄せたその顔に、慌てて笑いかける。
「ごめんなさい、ぼーっとしちゃった」
「いいけど。大丈夫?部活後だから、疲れてる?」
「大丈夫です、気にしないでください」
 
しばらく心配そうな顔をするから、きちんと首を振る。疲れてる、なんて言ったら、帰されちゃうかな。
 やだな。まだ全然、離れたくないのに。もっともっと、一緒にいたいのに。
 ニコニコ笑う私に、先輩は小さくため息を吐いて。一拍置いて、山元先輩と柳先輩のことを中心に、旅行中の笑える話を始めてくれた。

「で、俺のクラスに香山っているんだけど、」
「香山、先輩?」
「うん。女バレの部長なんだけど」
 ――
けれど、さり気なく。会話の中に登場する女の人に嫉妬する私は、おかしいのかな。
 付き合う前は、付き合ったらこんな不安全部消える、って信じてたのに。今は、昔よりずっと不安。笑顔で相槌打ちながら、心はもやもやで一杯だった。いつもは大好きなポタージュの味も、分からない。
「で、海に落ちて。そん時の叫びが『おかあさーん!!』って」
「ぶっ……お、っかしいですね」
「だろ?」
 
けれど話自体は面白いから、小さく吹きだすと彼は満面の笑みを返してくれた。それに笑い返しながら、紅茶に手を伸ばす。良い香りを吸い込んで、ゆっくりと口をつけた。意外と甘党な田口先輩は、一匙、二匙。落ち着いた空気に、心がやっと凪いで行く。けれど、一口飲んでソーサーにカップを戻した先輩に顔を、上げれば。
「――でも、咲がいたらもっと楽しかっただろうな」
「……っ」
 
舌で転がして味わっていた紅茶を、思わず飲み込んでしまった。喉を通り過ぎる熱さを感じながら、まじまじとその瞳を見据える。明るい茶髪の隙間から覗く瞳は、ひどく深くて。私なんかじゃ、まだまだ、手は届かない。
「え、っと、」
「咲と行きたかった。一緒に写真撮ったりとか、お土産選んだりとかさ」
 
すらすらと語る田口先輩に、顔が熱くなる。旅行中も、私のこと思い出してくれたんだ、って。何だか、ひどく嬉しくて、気恥かしい。
 「沖縄に行っている間は、友達と思い出作りに専念してください」なんて言ったのは私。だから、メールも電話も断った。その間の寂しさを埋めてくれるような言葉が、甘ったるくて、そして、……微かな苦み。

「――やっぱり、同い年が良かったです、か」
「え?」

 口から零れてしまった呟き。咄嗟に押さえたけれど、全然無意味だったみたい。目を瞬かせてこちらを見る、彼。その真っ直ぐな視線を避けても、絡みついて来る。
 ため息を一つ零し、カップを握りしめた。
「田口先輩は、その、同い年の彼女が良かったのかなぁって、」
「何言ってんの。俺は、咲が良いんだよ?」
 
渋々口にした言葉は、すぐに否定される。ほっとするけれど、一度浮かんだ黒いモノは、なかなか消えてくれない。
「でも、私子供っぽいし。本当に先輩は私なんかでいいのかな、って。……時折、考えちゃって」
 
ぼそぼそと俯いて呟く。相手の目を見て言えないのは、ひどくずるい気がする。それでも、その真っ直ぐな目の前では、言葉を失ってしまうから。
 私の言葉を聞いて、田口先輩はしばらく黙った。そうすれば、お店の喧騒が耳に入る。そして私は、気付くんだ。斜め前のカップルの彼女さんも、店員さんも。
 ――
田口先輩を、見てる。
 
学校中で人気な人だ、こんな状況、想像に難くない。それでも、やっぱりきつい。付き合いだす時に覚悟はしていたつもりだけど、全然足りなかったのかな。
 目を瞑って、息を吐き出した。その、瞬間。
「……何だよ、それ」
 
ひどく低い声が、私の耳を打った。
「え」
「子供っぽいとか、年下だとか。そんなこと、今更気にすることじゃないだろ」
「そ、うですけど」
 
普段の柔らかい口調が嘘のように、刺々しい言葉の羅列。息を詰まらせながら頷くと、彼は顔を上げて、私を見た。
 その瞳。
 はっきり分かる。
 ――怒ってる。
「咲の中の俺って、何なの?」
「何って、」
「俺だって、そんな余裕ある訳じゃないんだけど」
 
ぎらりと目を光らせ、告げられる。
 余裕?嘘、そんなの。
 だって、田口先輩はいつも余裕たっぷりで、私に優しくて。雑誌なんかで載ってる理想の彼氏そのもの、だと思う。
 ぽかんと口を開けた私に、先輩は小さく肩を竦めた。
「年上っつったって一個しか変わんないし。馬鹿騒ぎもするし、悩みだってある。特に、咲のことは」
 
一拍置いて重々しく告げるその様子は、いつもと全然違う。別人、みたい。
 言葉を失う私の、テーブルの上に放り出された手は。田口先輩の大きな手に、柔らかく包まれた。思わず身体を固まらせると、先輩の視線は鋭くなる。
「ほら、そういうの」
「そういうの、って」
「俺が触ろうとすると、逃げるじゃない。嫌なのか、って怖くなるし、」
 
悲しそうな響きに、大きく首を横に振る。
 そんなんじゃない。ただ、緊張してしまうだけ。慣れていないから、身体が心に追いつかないだけ。本音はいつだって、触れて欲しいと思ってる。
「付き合って三カ月経つのに敬語のまま、名前も呼ばない」
「……っ」
「俺が咲のこと『渡辺』なんて呼んだら他人行儀でしょ?無理強いするつもりはないけど、悔しいんだよ。
……柳っちは、名前で呼んでるくせに」
 
表情を歪めて二人繋がれた手を見る田口先輩は、ひどく不機嫌そうだ。でも、最後の言葉に驚いてしまった。
瑞希、先輩?何で――。
「俺はね。咲を、独占したいんだよ」
 独り言のように、呟かれた一言。それに私の心拍数は、跳ね上がった。
「正直、柳っちと恍の手助けしたのも、半分は自分のため。さっさと付き合ってもらって、咲を諦めさせたかったし」
「で、でも、私もう、」
「分かってる。……分かってるよ」
 
はぁ、と悩ましげな様子で、ため息を吐く。それは色気たっぷりではあるけれど、いつもの先輩とは違って。余裕なんて、全くなさそうだ。
「でも、安心出来なかったんだよ。俺は咲と毎日でも話したいのに、咲は違うだろ?メールも電話もしなくていい、なんて言うし」
「だっ、」
「分かってるよ、気遣ってくれてるの。そういうところが好きなんだし。それでも、もっと甘えて欲しいし、ワガママだって言われたいんだ」
 
舌打ちを零し、テーブルに突っ伏す田口先輩。その様子は、不貞腐れた子供みたい。こんな状況なのに、可愛いな、と思ってしまって。にやける口元を、そっと押さえる。
 でも、それは。

「――咲が、俺で一杯になればいいのに」

 ――低い先輩の声で、意味のないものになってしまった。

「あの、」
「……何」
 
声を掛ければ、返って来たのは不機嫌そうな声。それにビクリとするけれど、ここで引く訳にはいかないから。
「はやと、先輩」
 
瞬間。ピクリ、と握られたままの手が、反応する。それを宥めるように、彼の大きな手に、指を絡めた。
 ……恥ずかしい。顔が熱いのが分かって、俯いた。後頭部に刺さる視線が、痛い。
「いやじゃ、ないです。さ、わってほしいって思ってるし、。ただ、は、恥ずかしいだけでっ」
 
数か月前まで喧嘩腰だった。それがこんな風になって、未だに口下手な私。
 情けない、けど、でも。……そんな私の言葉でも、あなたが、受け取ってくれるのなら。
「好き、なんです。だから不安になるし、馬鹿なこと言っちゃうし、やきもちも妬いてるしっ」
「……」
「たぐ、っ隼人先輩のことで頭一杯で、私、」
 
――おかしくなりそう
 そう続ける、はずだったのに。

 ぎゅっと手を握り、立ち上がる先輩。顔を上げれば、微かに目元を赤くして、眉間に皺を刻んだ彼がいた。
「え、隼、人先輩?」
「出るよ」
「えっ」
 
机の上にあった伝票を手に、歩き出す彼。
 こ、紅茶まだ飲み終わってないのに!!ここの紅茶、香りが良くて大好きなのに!!
 けれど歩き出した先輩と手を繋いでいる私には、逆らう術もなく。財布を探している内に会計が済まされ、そして。

「せんぱっ、」
「ったく」
 
ずんずんと進む彼に引きずられ、小走りになる私。けれど大きな背中の彼は振り返ってくれずに、進んでしまって。
「そっち、行き止まり、ですよ?」
「いいから、」
 
立ち並ぶ飲食店を抜けて、非常階段へ続く扉を、開ける。ここは九階だから、階段の利用者はほとんどいない。人気もなく、暖房も聞いてないそこは、少しだけ寒くて。身震いしながら、コートを肩に羽織った。
 ……というか、階段を見てるとあの日のことを思い出してしまって、顔が熱くなる。
 そんな私に、先輩は急に振り返って。
「っ、ん!?」
「咲、……っ」
 
甘い囁きと共に、唇に触れる、熱。熱すぎる吐息にパニックになりながら、繋がれていない手で、その胸を強く押す。
 こんなとこ、誰か来ちゃう!!
 けれど先輩は、私の手を握り締め、壁に押し付けた。
「ふっ、むぅっ」
「……ん」
 
やだ、駄目、やだっ!!
 身体全体で抵抗を示しても、先輩は、離してくれない。
 何で?いつも、軽いキスしかしてこないのに。
 息も出来ないような、深いキス。角度を変えて重なるそれに、膝が震える。気付いたのか、片方の手が離される代わりに腰を支えられ、ますます口付けは、激しさを増す。
「んむっ、」
「……咲」
 
離れかけた指と指。先輩によって、しっかりと繋がれる。寒い中で、汗ばんだ手の平。それでも、――離したいとは、思わなかった。
 いつでも、繋がっていたい。
 その感情は、私の中に、確かに芽吹くから。

「ふ、た……っ、ぐち、せんぱっ」
「……ごめん、抑え、効かなくなってた」
 
離れた瞬間、彼の唇に手を押し当て、しっかり抵抗する。肩で息をしながら睨むと、僅かに苦笑された。
 ご、ごめんじゃないでしょう!!
 怒る私と裏腹に、先輩は機嫌よさそうに私の指先に口付ける。くすぐったいその感触に、悲鳴を上げた。
「せ、セクハラっ」
「『触って欲しいって思ってる』んでしょ?」
「!!」
 
にやにや笑いながら、私の言葉を反復する。その様子に顔を赤くしながら、きっと眦を上げた。
「ところ構わずって訳じゃありませんっ!!あと、私が言ったのは手を繋ぐ、とかそういう意味ですっ!!」
「へぇ、そうなんだ。ごめん、誤解してた」
 
意地悪く口角を上げるその顔。どう見たって、分かってて意味の取り違いをしたとしか思えない。唇を尖らせれば、額にキスされた。
 ま、また……!!
 怒ろうとして、頬を膨らませる。
 でも、その顔は。――満ち足りたように、穏やかで。私は言葉を失った。
「嬉しかったから」
「え、」
「咲に名前で呼ばれて、舞い上がってたから。調子乗った。……ごめん」
 
丸く大きな瞳を細めて、笑うその表情。それは、試合に勝った時だとか。好物を食べたりする時だとか、の。本当に嬉しい時の、顔。
 彼の感情が、手に取るように分かって。泣きそうだと、思った。私は、もしかしたら、思った以上に愛されてるんだろうか。

「じゃあ、行こうか?」
 
微笑んで、手をこちらに差し出す。緩んだその顔に、イケ面が台無しだなぁ、なんて苦笑しながら。ゆっくり手を伸ばし。お互い、先を争うかのように、ぎゅうっと握った。そして、照れ隠しで笑う。
 彼が開けた、非常階段の扉。この先は、今日から全く違うものになる気がした。




あなたの側にいてから、
つき纏うのは、いつだって不安ばかり。
その理由は、ただただあなたが好きだから。
そして、きっとあなたもそうなんだろう。
だってあなたも、私が好きだから。
「永遠」なんて、いらないよ。
ただ今、この一瞬。あなたが私だけを見つめて、触れてくれるのならば。
隣で微笑む彼に、私は満面の笑みを返した。
この気持ちが伝わるように、祈りながら。









***
隼人も所詮、高校生な訳です。
よって、好きな子に関しては余裕ない部分が先行してもいいんじゃないかな、と。
それでもやっぱり精神年齢高めなんですけどね\(^o^)/
ここまで読んでいただき、ありがとうございましたv
11.04.12 題名&最初と最後の独白変更。直訳は「恋愛には不安がつきものである」まんまですね(笑)


inserted by FC2 system