二人交わす、何気ない言葉。

けれどそれは、どんな物にも変えられない、かけがえのないものだから。


sweet voice


「つっかれたーっ」
 手に持ったお土産の袋やスーツケースを、ドアからベッドに向かうまでにぼとぼと落とし、スカートのホックを外して、ベッドに倒れ込む。
 現在、夜八時。柳瑞希、本日沖縄から無事、帰還いたしました。
「……はぁ」
 大きくため息を吐き、うつ伏せに寝っ転がったまま、制服のブレザーを脱いで床に放る。早くハンガーに掛けなくちゃ、皺がついちゃう。でも、四日ぶりに家に帰って来て、今は正直身体を休めたい、そんな気持ちが勝る。
 仲良い友達と過ごしたせいか、久々の旅行だったからか。とにかく、テンションが上がりっぱなしで、あんまり休めた記憶も無い。
 明日は学校も部活もお休みだし、今日はこのまま寝ちゃおうか。いやいやしかし、せめてYシャツを脱いでパジャマに着替えるべきだ。お土産もリビングに置いておかなくちゃ。
 そこまで考えて、リビングのテーブルに置かれたメモを思い出し、眉根を寄せた。
「ていうか、ひどいよね」
 家に帰り、大声で帰宅を告げれば、金曜日なのに誰もいなくて。暗いリビングに、電気を灯せば。
 『今晩、三人でご飯食べて来ます。瑞希適当に何か作ってね』なんてハートマーク付きのお母さんからのメッセージが残されていた。
 修学旅行で重い荷物引きずって帰って来た娘に、何たる仕打ち!!せめておかず作ってくれるとか、そういう優しさは無いの!?ていうか冷蔵庫、ビールとハムしかないんだけど!!
 そんな叫びだしたい衝動を何とか押し込めて、部屋に閉じこもった。
 早く帰って来なくちゃ、お土産一人で平らげてやるんだから。くすん。

 ごろりと狭いベッドの中、寝返りを打って隅っこの河童の抱き枕を抱える。柔らかいそれと、染み付いた自分の匂いは、やっぱり落ち着く。とろとろと落ちて行きそうな思考に、小さく頭を振りながら、ベッド下に投げ出したバッグを引き寄せる。せめて、携帯の充電だけでもしておこう。空港で解散する時、何枚か写真を取っていたら、一気に電池が無くなってしまった。充電器を取り出し、コンセントに差し込む。
 同時に携帯を取り出し――。
「……えへへ」
 ゆらり、蛍光灯の下で揺れる、ストラップ。ちかちかと光を反射させるそれを見て、顔が勝手ににやけてしまう。
 大好きな、大切な人からもらったもの。どんな顔で選んでくれたんだろう。私のこと考えて、彼が歩いてくれた瞬間。その証拠が、今、手元にある。彼が、私を大切にしてくれているってこと、きっとこれを見る度に、思い出す。
「山元……」
 名前を呼べば、胸の中一杯に広がる、最高に甘くて、少しだけ、苦い気持ち。愛しくて、大好きで、幸せで、何を言ってもきっと足りない。

 ずぶ濡れの彼に抱き締められた瞬間。
 自分が生まれてきたことに、
 彼が生まれてきてくれたことに、
 二人が出会えたことに。
 感謝したって言ったら、大げさだ、って笑うかな。

 今日の水族館では、神奈達が後押ししてくれて、二人で回ることが出来た。前日に殴ったから、若干最初は気まずかったけれど。手を繋いだ訳でもない、腕を組んだ訳でもない。ただ一緒にいて、魚を見て、ふと顔を上げると、山元がこっちを見てて。お互い、気恥かしくて、照れ笑い。何度も繰り返した、そんな些細な心の触れ合いが、たまらない。そして、これからもそんな日々が繰り返されること。彼がいるだけで、分かってしまう。幸福に満たされた未来が、この先にあると。
「……」
 でも、やっぱりコイゴコロって奴は我儘だ、と感じる。だって、少し前まで一緒にいた。帰りの電車も、途中まで隣で、ずっと制服越しに温もりを感じる距離にいた。
 なのに今。あなたがいないことに、途方に暮れてしまいそうになる。
「駄目だな、」
 付き合いたてでこんなになってしまうなら、もっと日々を重ねたら、どうなるんだろう。気持ちは、弱くなるのか。それとも。
「、」
 不意に。手の中のケータイが震えて、慌てて画面を確認する。
 着信、『山元 恍』。
「っ」
 今この瞬間、まさに考えていた人からの電話で、心臓がどくりと高鳴る。全身がいきなり、熱を持ったように熱くなった。震える指先が、くすぐったさで満たされるような感覚を覚えながら、そっと通話ボタンを押す。耳に当てれば、わずかな息遣いが向こうから聞こえて。思わず、息を呑んだ。
『柳?』
「う、んっ」
 ベッドの上、身体を起こし、居住いを正す。向こうから見える訳ないのに、なぜか中途半端に開けたYシャツのボタンが気になって。電話を持っていない片手で、いそいそと掛け直した。
『今、もう家か?』
「うん。さっき、着いたんだ」
『そうか』
 ふ、と静かに息が吐かれる。お互い、電話の向こう側はひどく静か。山元ももう、家に帰ったんだろうな。そう思えば、物理的な距離がひどく寂しく思える。でも、それを言える訳もなくて。ただ、何よりも心に響く、低く甘いその声を求めた。
『飯は?食った?』
「あ、それがね。ひどいんだよ。うちの家族、私置いてご飯食べに行っちゃってたの。しかも食材もないのに自分で作れ、って」
 優しい声音で囁かれる質問に、鼓動を跳ね上げながら、先程の不満をぶつける。すると小さく吹きだす音が向こう側から聞こえて、思わず唇を尖らせた。
「笑わないのっ」
『わる……、お前、可哀想だな』
「あり得ないでしょー?まぁ、カップラーメンでも食べます。山元は?食べた?」
『さっき、隼人とファミレスで食って来た』
「ふーん」
 田口くんと山元、一緒に電車降りたけど。そっか。一緒にご飯、食べたんだ。私も行きたかったな、ふとそう思ってしまう。……いや別に、家に帰ってきたらこの状況だったからそう思ってしまうだけで。それ以上の意味なんて、無いんだけど。なんて、誰にしているかも分からない言い訳を、そっと心で呟いた。
「それで、あの、何か用事?」
『ん?ああ、』
 何処か後ろめたくて、話題をすり替える。
 基本的に山元から、用事なしで電話が掛かってくることは少ない。そもそも、一月からこっち、まともに電話に出た記憶もない。これは完全に私のせいだけど。申し訳ない気持ちになりながら、妙に歯切れの悪い彼の言葉に耳を傾ける。しばらく空いた間に、私は首を傾げた。
『明日、って部活、ないよな?』
「ん?うん」
『明後日は、練習試合だっけ』
「そうだよ?どしたの、部長さん」
 修学旅行前に散々言われた日程を、今更繰り返す山元に、思わず笑ってしまう。私に確認するよりも、自分の方がちゃんと分かってるだろうに。不安になって掛けて来たんだろうか、そう思うと可愛く感じた。
 くすくす笑う私に、電話越しに彼は唸る。そして。
『……から』
「え?」
 ぽそりと、低い声で囁かれる。まるで耳元で彼が話しているようで、心臓が跳ねた。外の道路には、車一つなく、静か。
『仕方ねぇだろ』
 なのに、どうしよう。
 たまらなく、うるさいの。
『家帰ったら、お前の声聞きたくて仕方なくなったんだから』
 自分の中で響く、心臓の音が。

「……な、」
 かぁぁ、と一気に頬に熱が集まった。部屋に入ってすぐつけた暖房が、熱く感じる。山元も、流石に気恥かしかったのか、黙り込んでしまった。
 そ、そこまで言って黙りこまないでよ!!そりゃ言った方は恥ずかしいかもしれないけど、言われた方も相当恥ずかしいよ!!
 『こういう』関係になる前から、甘い台詞オンパレードだった山元だけど。なってしまった今、これからもこんな風に素直な、ひどく甘ったるい台詞ばかり吐かれるんだろうか。
 ……無理。ぜーったい無理、心臓もたない!!
 近い未来を思い描いて、ばくばくと、心臓がまた、鳴った。けれど、黙り込む私の耳に。
『……柳』
 甘えるような、少し焦れったそうな声が、そっと届く。心鷲掴みにされるような、その、声。ドキドキし過ぎて、恥ずかしくて、ぎゅっと目を瞑った。
『迷惑、だったか?』
 だから、反則だってば。
 本物の山元は、百八十を超える長身の、綺麗な男の人。そんなの、毎日見てるから、十分分かってる。けれども。今、電話の向こうにいる人は、まるで子供みたい。困ったような、窺うような、不安そうな、けれど甘えたな。
 ――しょんぼりしたその声音に、私が勝てるはず、ないじゃない。

「め、……迷惑な訳、ないじゃない」
『……』
「私だって、山元の声、聞きたい、よ」
 喉がつっかえそうになりながら、素直な気持ちを言葉にする。これからは、もう嘘はつかない、って決めたから。
 彼から目を逸らしたりしない。傷付けたり、しない。全力で、大事にする。
 だから、そのためなら、自分の羞恥心なんて、何処かに捨ててしまえ。だって、素直な言葉というものは。
『そ、うか』
 きっと何よりも、相手を喜ばせる、最高のプレゼント。

「ふふ」
『……何だよ』
 ひどく嬉しそうな電話の向こう側。顔は見えないけれど、正直、贅沢言えば会いたいけれど。でも、心は十分満たされてる。それが、分かる。
 思わず笑えば、からかわれてると思ったのか、山元が憮然とした声を出した。それにまた笑い声を立てると、むっとした空気を感じる。
「んー、とね。なんか、すごいなぁって思って」
『すごい?』
 にやける頬をそのままに、耳を澄ます。訝しげなその声も、全部全部。記憶に、しっかり刻みつけたくて。
「こんな風にさ。用もないのに、電話してもお互い幸せになって、満たされて、さ」
 会えない夜には、電話して。その声を、夢に見る。
「何でもないこと話して、会いたい時に会って、それが全然面倒じゃなくって」
 会えた日には、顔を見て。柔らかな瞳に、頬を緩ませる。
「――そんな風に出来る相手が、こうやっているの。それって何だか、すごいなぁ、って」
 いつかは、そんな些細なことが、当たり前になるのかもしれない。時として、面倒になるのかもしれない。
 それでも。
『……あっそ』
 照れたようなあなたの声に飽きる日なんて、一生かかっても、来ない気がするんだ。




些細なやり取りが、触れた指先が、電話越しの声が。
当たり前のように享受できるなら、こんなにすごいことって無い。
私はそう思うんだけど、ね?
あなたも、そう思ってくれるなら、嬉しいな。
大好きな、大切な。私に、『両想い』の幸せを、教えてくれた人。
これからも、その瞳で、声で。
どうか私を夢中にさせて――。








***
 これは本編書き始めてからずっと書きたかったお話です♪両想いのすごさって、お互いが何気なくする行動に尽きると思います(*^_^*)普通の友達だったら、電話一本するのも大変だし、一緒にいられないことに不満を持つことも出来ないですしね。
 でもこの二人は、バカップルすぎると思う(笑)



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