ただ今2本。
one kiss raises love.
 
 ≫perverse boy!! (1) 


 

(2011.8〜2012.3)



 ドキドキドキドキ……
 うるさいくらい高鳴る心臓に、ぎゅうっと両手でシートベルトを握った。そんなことしても、意味がないって分かってるのに。それでも、どうにかこの緊張を、流してしまいたくて。
「――大丈夫?」
「っ」
 低く落ち着いた、大人の男性の声。飛び上がりそうなくらい驚いたけれど、何とか声は上げずに済んだ。そ、っと隣の運転席を窺う。
 灰色に近い黒のジーンズに、七分丈の白と黒のVネックを重ね着。シンプルだからこそ、似合う人を選ぶ。スタイルの良い彼には、もちろん似合ってて、格好いい。ハンドルを握るその手首に巻かれているのは、いつも通りごつごつしたシルバーの腕時計。去年私が誕生日に渡してから、毎日つけてくれてるんだって。綺麗な肌だけど、前に出ている喉仏は、私とは違う。色素の薄い切れ長の瞳、さらさらの茶髪。今日は長めの前髪は下ろされて、眼鏡を掛けている。スーツにオールバック姿が見慣れているからこそ、私の前でオフモードでいてくれるのが、嬉しくて。うっとりと見つめていると、横目の彼と目が合って。一気に頬が、熱くなった。
「楓夏(ふうか)、どうかした?」
「あ……、ご、ごめんなさい、だ、大丈夫……っ」
 返事をしていなかったこと、忘れてしまった。申し訳なくなりながら、慌てて首を振る。すると彼は小さく口の端を上げて、「そう」と微笑んだ。その優しい笑みに、また胸が、きゅっと締め付けられる。すぐに視線を前に戻し、ハンドルを切るけれど、穏やかな空気はそのまま。
 ――好きだな。
 心からそう思って、また心臓が大きく跳ねる。余裕のない自分が、恥ずかしくて。シートベルトを握ったままの手に、力を込めた。

 彼――海月(みつき)さんに出会ったのは、今から一年半前、高校二年の夏。人見知りの私に、入学式で声を掛けてくれた親友の蒼(あお)ちゃん。彼女の家に泊まりに行った時、彼に会った。
 蒼ちゃんのご両親とご飯を食べていた時、突然現れたとっても綺麗なスーツ姿の男性。蒼ちゃん自身すごく美少女だし、お兄さんがいると聞いた時からすごく格好いいんだろうなぁ、とは思っていたけれど予想以上に格好いい。目を丸くして固まる私に、今と変わらない、優しい笑顔と、ゆっくりした話し方で。
『楓夏ちゃん、だろ?初めまして。蒼のこと、いつもありがとう』
 ――引っ込み思案でどもり屋な私は、男子にからかわれることも少なくなかった。だから男性全般に苦手意識があったんだけど、海月さんの笑顔は、そんなもの吹き飛ばすくらい、暖かさで溢れていた。

 年上の、素敵な男性。私は一瞬で、恋に落ちてしまったんだと思う。

 彼を振り向かせる!なんて大それたこと、思わなかった。六歳も年上で、社会人で、きっと私より素敵な女の人が、たくさん側にいる。だから諦めようって思っていたのに、気持ちがどんどん高まっていくのも分かって。悩んだ挙句、高校三年のバレンタイン、チョコと一緒に想いを告げた。気持ちにケリをつけるためだった告白は、――嘘みたいだけど、成功したらしい。
 一カ月経ったホワイトデーの今日、チョコのお礼と大学合格祝いに、とドライブに誘われた。初めての男女交際、初めてのデート、慣れない私に海月さんは優しくて。ますます好きになってしまう自分を、止められなかった。

 窓の外の風景が、どんどん流れて行く。住宅街から国道を抜け、徐々に緑が増えて行く。見慣れない景色に感動して、窓にへばりつく。時々、海月さんが話しかけてくれて、私がそれに緊張しながら応えて。
 あまり話が面白いとは言えない私の言葉を、海月さんは楽しそうに笑いながら聞いてくれる。頭の中で相手の言葉を噛み砕いて、それから自分の答えを考える。そうすると必然的に、話すのが遅くなってしまう。それで呆れられることも多かった私だけど、海月さんは「楓夏のペースで話していいから」っていつも言ってくれる。その言葉を最初に言ってくれたのは蒼ちゃんだったから、二人の血を感じるな、と笑いながら言ったら彼は少し苦笑い。首を傾げると、ゆっくり道を右折しながら、口を開いた。
「楓夏は、本当に蒼と仲が良いね」
「え、……はい。蒼ちゃん、大好きです」
 優しい親友。海月さんが好きだと打ち明けたら、精一杯応援してくれた。太陽みたいな、眩しい憧れの女の子。
 今日の私の格好は、黒地の花柄ワンピースにレースのチュニックを重ねて、トレンカを履いている。足元は、ブラウンのミュール。足の甲半分くらいまですっぽり隠れて、大きなピンクコサージュがアクセント。踵はそんなに高くないから歩きやすい。海月さんとデートだ!とパニックになる私を蒼ちゃんが一喝して、一緒に買い物に行ってくれた。似合うメイクや髪型も教えてくれたし、蒼ちゃんには、お世話になりっぱなし。
『今日は楽しんでおいでね!』
 朝、蒼ちゃんから届いたメールを思い出して頬が緩んだ。すると、隣からため息。目の前の信号が黄色から赤へ変わり、車が止まる。ぐ、っとシートベルトに身体が締め付けられ、また座席に押し付けられる。それから海月さんを見れば、真っ直ぐな、射抜くような視線と、ぶつかって。
「……――」
「え?」
 ぽそり、小さな声。聞こえなくて、シートに手をついて身を乗り出そうとする。だけど。
「、」
 私の小さな手は、彼の手に取られて。思わず身を引いてしまった。そんな私に頓着せず、海月さんは、二人の指を絡めた。私の熱じゃない、もっと熱い、彼の手。驚いて言葉を失った私の手を持ち上げて、目を伏せた海月さん。

 少しだけ背を屈めて、――指先に、やわらかな熱。

「……っ!」
 初めて感じる感触に、首を竦める。人差し指に軽く吸いついて、唇は離れる。固まって真っ赤になる私に、ふ、と唇を吊り上げて、ほんの少し意地悪く笑った。
「あんまり蒼のことばかり、話さないで。嫉妬しちゃうから」
「!?」
 ……し、し、嫉妬!?蒼ちゃんに!?てゆうか、い、今、キス……っ!
 ゆっくりだった脳の動きが、徐々に再開する。けれどパニック状態に移行してしまって、もう、何が何だか。何を言えば良いか分からなくて、口の開閉を繰り返す私に、海月さんは手を握る力を、強め、私の方に身を乗り出した。
「楓夏」
 目の前で囁かれた自分の名前に、肌が粟立つ。視界にちらつく薄い唇から、目が離せない。さっき、この唇に触れたんだと、そう思っただけで。

「――今日は、俺だけ、見ていて」
 甘い甘い台詞は、甘い甘い笑顔と一緒に。瞳にちらつく炎も、今はどうしようもなく甘美に感じる。

 ぎこちなく、ロボットのように頷く私を見て、海月さんはとっても嬉しそうに笑って、手が離れる。あ、と思ったけれど気付いたら青信号に変わっていたらしく、車は迷いなく進んだ。解放された手が、熱くて、行き場を求めて彷徨う。気恥かしくて、無意味にぐーぱー。そんな私の耳に、上から噴き出すような音が聞こえた。気恥かしさが途端に怒りに変わって、顔を上げれば、前を見たまま笑う海月さん。軽快にハンドルを切って、先へ急ぐ。機嫌良く鼻歌を歌い出して、本当に楽しそうな表情。……何も言えなくなって、熱くなった耳を、髪ごとくしゃりと押さえた。

(ずるい)

 私は、指先へのキス一つで、こんなにも、ドキドキしてしまう。
 笑顔を見れば、何も、言葉が出なくなる。
 あなたがさらりと言う言葉一つ、さらりとこなしてしまう行動一つに、過剰反応する。
 こんなにも。

『――今日は、俺だけ、見ていて』

 あなたに振り回されて、あなただけを想って、あなたで一杯なのに。


「……ずるいです」
 呟いた言葉は、熱を冷ますために開けた窓の外の轟音にかき消されて、彼には届かなかった。


One kiss raises love.

(2012.3〜2012.8)


――いつも、思う。この人、何で私と付き合ってるんだろう、って。

perverse boy!! side:girl

「おい、さっさとしろよ」
「あ、ご、ごめんっ」
 並んで歩いていたんだけど、ショーウィンドウに飾られる服があんまり可愛くて、思わず立ち止まってしまった。前方から、私を苛々と呼ぶ声。
 慌てて追いかけて隣に立っても、消えない眉間の皺。それを見る度、そんなに私のこと嫌いなのかな、って思う。でもそれを口に出せる程、勇気はなくって。
 もう一度頭を下げると、彼は何も言わずに背を向けた。その背中に、どうしたって寂しくなる。

 一般的に言えば、私と彼の関係は恋人?だ。
 疑問符がついてしまうのは、何と言うか、彼の態度があまりにアレだから。
 デート中はほとんど話さないし、何を話してもつまらなそうな顔してるし、眉間の皺は消えないし、眼光は鋭いし。電話もメールも、デートの誘いも全部私から。正直に言えば、抱き付くのもキスもその先も、私から迫ってやっと、だった。
 告白したのも、もちろん私から。大学に進学して始めた喫茶店のバイトで、常連客だと言う彼を見つけた。
 高校の頃から通い詰めていたらしく、いつも注文はホットのブラックコーヒー。マスター自慢のそれを一口じっくり味わうと、レポートを書いたり、本を読んだり。その姿はとても様になっていて、その時点で格好いいな、とは思っていた。
 厳しめの顔立ちをしているけどとても整ってるし、私は元々芸能人でも硬派な感じの人の方が好きだ。染めてない黒髪も、眼鏡も、バランスの良い肢体も、シンプルながらお洒落な服も。全部が格好良くて、気付けば見つめる日々が続いた。
 決定打は、ある日柄の悪いお客さんに絡まれた時、助けてくれたこと。お礼を言ったら、「あんた、隙ありすぎだろ」なんてこっちも見ないで冷たく言ったけれど、助けてくれた事実は、変わらなくて。その優しさに、ころりと落ちてしまった。
 その後は、猛アタックをする日々。アドレスを聞いて、休日に遊びに誘う。バイト中は、こっそり私のおごりで彼の好きだと言うお店のアーモンドクッキーを添えてみたり。彼の大学に行ってみて、こっそり待ち伏せしたたこともあった。……これは怒られたので、すぐに止めたけど。
 彼も、無表情だけど特に嫌がる素振りは見せなかったから。私は一念発起して、バレンタインに告白した。
「……まぁ、別にいいけど」
 答えは何とも素っ気ないものだったけど、私はすごくすごく嬉しかった。これで、彼の側にいられるんだ、って。幸せな日々が続くんだ、って。
 ――そんな期待は、すぐに崩れてしまったけれど。

 付き合う日々が長くなるほど、何故か彼は不機嫌な顔が多くなる。好きになったきっかけの優しさなんて、見る影もない。
 今日だって。一生懸命お洒落したのに、気付いてくれない。あくまで振り返らない彼に、私の首の角度も、どんどん下がってしまう。
「……今日」
「え?」
 だけど彼が口を開くから、私はすぐに反応した。もし私が猫なら、尻尾がぴん、と張ってると思う。馬鹿みたいだけどね。その声を聞けるだけで、嬉しくなっちゃう自分がいるの。
「何日?」
「え、えっとね。十八日だよ?」
 突然の質問に驚きながら、返事をする。口に出してから、まさか、という期待がじわじわと沸いてきた。
 ――もしかして、もしかして。
 高揚する気持ちを顔に出さないよう注意しながら、彼を見上げる。振り返らない。だけどその顔は思案顔だから、どうしても気になってしまって。
 ……だけど、そんな私の気持ちはあっさりと裏切られた。
「ふーん」
 それだけ言って、彼はまた歩みを再開する。予想外の出来事に、私はぽかんとしてしまった。すぐにその背中を追いかけるけど、内心、ものすごく焦る。だって、……これって、本気で分かってないの?
「あ、あの」
「何?」
「……えっと」
 素っ気ない返事に、勢いを失ってしまう。そもそも、こういうことって自分から言うことじゃないのかもしれない。でも、一回口を開いてしまったからもう取り消すことは出来なくて。

「――今日、ね。私、誕生日なの!」

 小声にならないように気を付けて、口にする。彼がぴたりと歩みを止めてくれて、ちょっとほっとした。
 背の高い彼と歩くときは、一生懸命背伸びしないと視界に入ることすら出来ない。今日も、十センチヒールを履いている。お陰でちょっと足は痛いけれど、恋する乙女にはそんなもの、障害に成りえないのだ。
 眼鏡の奥の冷たい目を、ゆっくりと細めて。彼は、ふ、と微笑んだ。その笑顔に、ちょっと頬が熱くなる。
「で?」
 ……なのに、私のテンションをすぐに叩き落とすのが趣味なんじゃないのか、というくらい冷たい声。よく見れば顔は笑っているのに、目が笑っていないのが分かる。相変わらず、私、馬鹿だなぁ、と思ってへこんでしまった。
「俺、そういうアピール嫌いなんだけど」
「あ、う、……ごめんなさい」
「何?プレゼントでも欲しい訳?」
 普段はほとんど話さない癖に、私の行動が気にいらなかった時はこんな風に饒舌になる。そして予想通りの言葉に、しょんぼりした。
 やっぱり、こういうの言うの、駄目なんだ。それにプレゼント、も、もらえないんだ。
 別に、ものが欲しい訳じゃなかった。ただ、誕生日にかこつけて、欲しいものはあった。いつもは言えないけど、誕生日なら、素直におねだり出来る気がしたんだけど。この様子じゃ、無理だ。彼に嫌われないようにするのに、精一杯じゃないか。
「……本気で、何か欲しかったのかよ」
 俯いて考え込む私の耳に、彼のため息が届く。慌てて私は、顔を上げ、彼に向かって大きく首を振った。
「う、ううんっ。何もいらない!」
「……本当に?」
「うん!全然、欲しいものなんてないよ!ていうかごめんねこんなこと言い出して!」
 ――もう、素直に諦めよう。
 せめて、おめでとうの言葉くらい欲しかったんだけど、それも頼んで言ってもらうことじゃないもの。
 それに彼が私の誕生日知らなくても、折角一緒にいてくれるんだから、これ以上望むなんて贅沢だ。今日と言う日を一緒に過ごせるだけで、満足しなくちゃ。
 気持ちを切り替え、彼に笑いかける。しばらく私をじーっと見ていた彼は、ため息と一緒に歩みを再開した。それをまた追いかけながら、私は、にっこり微笑む。

 ――そうだよ。最近レポートの締め切りが多いって言ってて、今日は久しぶりのデートなんだもの。こんなことで気まずくなりたくないよね。
 そう思って、私は彼に一生懸命、話しかけた。彼はポケットに手を突っ込んでいるから繋ぐことは出来ないけど、それでも、良いや。

* * *

「「「良くないでしょー!」」」
 明けて月曜日。大学でお弁当を食べながら、「そう言えば誕生日どうだったの?」と一緒に食事をしている友達の一人に聞かれた。
 だから素直に話をしたら、みんなに突っ込まれてしまった。
「何それ!プレゼントも用意してない上暴言吐いて、しかも夕飯も食べずにおさらば!?ふざけてんのそいつ!」
「あ、それは私が言ったの。レポートの締め切り近いって言われたから、じゃあ今日はこれで解散、って」
「あんたもそれを許すな!」
 ぴしりと箸で指差された上怒られるけど、私は苦笑しか出来ない。
「前から言ってるじゃん、いい加減別れなよ」
「他に良い男なんて一杯いるよ?男は顔じゃない!」
「う、うーん」
 口々に言う友達の言葉に、生温い笑顔を返して、私はその場を濁すことにした。
 まぁ、確かにあまり良い性格の人じゃないんだろうな、っていうのは付きあってきた間に十分分かってるんだけど。
「……それでも、好きなんだよね。どんなに邪険にされても、側にいると、ドキドキしちゃって止まらないの。だから、彼から言い出さない限り別れることは、ないと思う」
 なんて、笑顔のまま言う私に、今日も友達はため息を吐いた。

 


 ――のん気に笑っている私は、知らない。
 彼があの日、ポケットの中に、私へのプレゼントの指輪を忍ばせていたこと。
 レポートの締め切りと言いながら、それを買うためにバイトをたくさん入れていたこと。
 本当はホテルのディナーまで予約していて、その時渡すつもりだったのに、私があのタイミングで言っちゃったせいで引っ込みがつかなくなってしまい、あんな発言をしたこと。
 そんな天の邪鬼な彼の気持ちなど知らず、今日も私は、悩みながら彼にメールを送るのだ。






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