28.
〜thanks〜
吉倉が好きだと自覚したものの、何と声を掛けていいものか分からない。元々クラスでもあまり接点は無かったし、もし何でいきなり?みたいな顔をされたら、正直立ち直れない。
それ以上に、吉倉を心配する気持ちもあった。俺から下手に声を掛けたら、今まで寄って来た女子達が見当違いの苛立ちを彼女にぶつけるかもしれない。それで逃げられてしまえば元も子もない。
だから俺は結局、サッカー部の連中には吉倉が気になっていることを告げて牽制し(色んな意味で絶叫された)、他の男子にも目を光らせた。時には大塚も協力をしてくれたし、本人が元々あまり男子が得意じゃないのか、自分から積極的に近付こうとはしなかったのも功を奏し、吉倉にはほぼ誰も近付けなかった。
狙うは、卒業式。その日に話しかければ、他の女子に知られても吉倉が傷付く心配はぐっと減る。多分、二三年とクラスが変わってしまった吉倉からしたら、俺なんてどうでもいい存在だと思う。だからとりあえず声を掛けて俺の存在を覚え直してもらい、アドレスと電話番号を交換して。友達になった後はゆっくり時間を掛けて、彼女を落としていこう。正直、経験値が低いどころか無い俺にどこまで出来るかは謎だが、執着心と諦めの悪さだけは他の奴に負けない自信があるのだから。
そして、待ちに待ったその日が来る。卒業式が終わり、担任の挨拶も済んでから慌てて吉倉の教室に駆けこんだ。急いで来たつもりだったが、何人か女子に声を掛けられて足止めをくらった。
そのせいか。教室に吉倉の姿は、もう、無かった。
「……」
見回す必要なんてない。俺は吉倉がいればすぐに分かるから。気付いた瞬間、ものすごい喪失感が胸に落ちた。
しばらく立ち尽くし、踵をかえす。夜はサッカー部の送別会がある。その場で今日の結果を報告すると言ったのに、あまりに間抜けな結果に自分でも絶望した。
情けないことに、俺は吉倉の進学先も知らない。正確に言えば、将来就く……というか、吉倉が就きたい職業は知ってる。
一年の時、近くの席同士で班を組んで将来の夢について英語でスピーチをする、という課題があった。その時丁度俺と吉倉は斜め後ろと前で、一緒の班になったのだが。その時彼女がたどたどしい英語で、一生懸命話していたことを思い出す。
『私は、保育士になりたいです。子供の頃、保育園に預けられていました。保育園の先生が、優しくしてくれました。私も、あんな風になりたいです』
一緒の班だった女子が突っ込んで聞いていたけれど、何でも保育士になるにはピアノが弾けなくちゃいけないらしい。それで放課後、学校のピアノを借りて練習している、という話を聞いて納得した。
子供の頃からの夢を達成するために、先生に頼みこんでピアノを練習する。先にある夢を見据えるからこそ、吉倉の瞳は強いのだと思う。その裏に見える揺るぎない意思に、俺はたまらなく惹かれる。不意にそれを邪魔したくなる衝動もなくはない。それでも俺が吉倉で一番好きなところは、最初に意識したのは、その真っ直ぐな瞳だから。
「……はぁ」
大きくため息を吐いて、止まっていた歩みを再開した。
そんなに意識していたのに、今までチャンスをふいにしていた自分が本当に馬鹿馬鹿しくて。大体、一日しかチャンスを作らないからこんなことになるんだ。
卒業してしまったら、吉倉が他の男を、他の男が吉倉を見る機会を、潰すことは出来なくなる。そんなの許せないと思うけれど、俺に止める権利なんてない。それを知っているから、心にずしりと何かが圧し掛かったみたいに、重い気持ちになった。
「……」
ふと、歩いていた足を止める。そこは、あの特別棟の教室近くだった。
上履きのままで、しかも無意識にここに来るなんて。なかなかに自分は重症のようだ。小さくため息を吐く。
背中に浴びる春の日射し、時折吹くのは冷たい風。それに肩を竦めながら、視界の端に映る桜の木を眺めた。
この木に蕾が出来た日も、花が咲いた日も、緑の葉が茂る日も。そして枯れてしまった日も、雪が積もった日も。ずっと、覚えている。この下で、何度も時を重ねたのだから。吉倉を、見つめたのだから。
幾度も回る季節の中で、募り続けた彼女への想いが、きっとこの場所に一番色濃く残る。
「……」
俯いて、大きく頭を振った。そして振り返り、あの教室を見つめる。馬鹿みたいに、ただ真っ直ぐと。白いカーテンの隙間から覗くその横顔に、思いを馳せる。そんな風に、過去を思っていたから。最初は、気付かなかった。
どこかから聞こえるぎこちない音が、卒業式に歌った歌であることに気付き。音楽室で誰かが弾いているのか、と思った。けれどそれは、音楽室にしてはあまりに近い。そしてその柔らかい音は、記憶にある音と、どう考えても一致していて。
(嘘だ)
最初、そう思った。それでも期待に高鳴る鼓動は、止められなくて。震える足で教室に一歩近づく。
窓の前に立つが、中の様子はカーテンのせいで見えない。だけど間違いなく、このピアノはこの部屋から鳴っている。しばらくすると音は途切れ、余韻を残すことも無く宙に吸い込まれた。
――そして、白いカーテンが、開かれる。
目の前で目を丸くする吉倉を見つめていると、じわじわと胸に広がるのは、ある気持ち。失くしてしまったと思った宝物が、見つかった時のような。それは泣きたくなる程の、喜びだった。
吉倉との壁になっている窓を指で叩いた。慌てて窓の鍵を開ける吉倉を見ながら、思いっきり横に引く。途端に、二人の距離が縮んだ気がした。
目の前で固まる吉倉に話しかけるものの、いまいち反応が乏しい。調子に乗って頬を摘んでみる。二年ぶりに触れた頬はやっぱり柔らかくて、離したくない。だけどあんまりやると怪しまれそうなので、すぐに止めた。それでも林檎みたいに赤くなったその頬から、目が離せない。それに急に、自覚してしまった。
(無理だ)
彼女の気を逸らすためにピアノを指差しながら、内心ため息を吐く。
とりあえず友達になるとか、ゆっくり近付いていくとか。綺麗事を言った訳けど、そんなん俺に出来るはずがない、と改めて知らされた。ただ吉倉が側にいるだけで、こんなに胸が熱くなるのに。それを隠して友達をやるなんて、俺にはどうやったって無理だ。だからもう、計画崩れでも仕方ない。ぶつけてしまうしかない。
会話が途切れて、俺は俯く。実際に言うと決めても、緊張はする。そしてこの想いを、どんなふうに言葉にすればいいかも分からなくて。
(そう言えば)
迷っている俺の目に、学ランの上から二番目のボタンが目に入った。中学時代、それを強請る女子の気持ちが全く分からず友達に相談した時教えられた、告白の意。普通は女子が男子に願うものだと聞くけれど。
悩んだ挙句ボタンをもぎ取って、吉倉の小さな手を取った。白くて柔らかい、小さな手。俺の突然の行動に絶句している彼女のそれを開き、そしてボタンを握りこませてみる。
また呆然として瞬きを繰り返した彼女は、しばらくしてようやく奇声をあげた後に顔を真っ赤にする。多分、俺の顔も多少緊張で赤くなっているはずだけど。
「……そういうことだから」
戸惑っているのだと思う。訳が分からないのだとも、思う。だとしても。俺は、腹を決めた。ふられたとしても、何度だって追いかけて、必ず捕まえる。
だからどうか、諦めて欲しい。今は俺のことを何とも思っていなくても、俺に出来る精一杯で吉倉を振り向かせて、必ず幸せにするから。
握り締めた手を見つめる彼女に、声を掛ける。その目に嫌悪の色は浮かんでいないことにとにかくほっとする。
「……受け取って、くれるか?」
我ながら、微かに声は震えていた。ふられても諦めないが、拒絶されるのはやっぱりきつい。返事など聞かずに、このまま奪い去りたい衝動に駆られてしまう。
黙っている彼女の答えを待つ間、ばくばくと、自分の内部から聞こえる心臓の音がうるさくて。
「……私で、……いいの?」
一瞬、その言葉が理解出来なかった。
だけど真っ赤な顔で、俺以上に震えた声の吉倉を認識した時。俺はどうしようもなく、優しい気持ちになった。緊張も、独占欲も、苦しさも。それら全てを超えて後に残ったのは、ただ彼女に対する愛おしさだけで。
「俺は、吉倉が――美哉が、いい」
顔をにやけさせて答えると、美哉の瞳から涙が零れ落ちた。透明な雫は、その頬に幾筋も痕を残しては、下に零れていく。Yシャツの染みになりそうなので拭ってやれば、ますます泣きじゃくって。子供のような彼女が愛おしくて、思わず抱きよせた。だけど抵抗する様子もなく、素直に腕の中に収まる美哉に、胸が熱くなる。
俺達は一緒、だということに気付いたから。
「洒井くん、好き、好き、……ずっと、好きだったの……っ」
途切れ途切れに聞こえる、美哉の告白。しがみつくその手に、堪らなくなって腕の力を強めた。
夢中になって、がんじがらめになって。
今まで思いもしなかったことでへこんで、悩んで、不安になって。
そしてその全てが、愛おしくてたまらない。
これからもこの先も、きっと彼女以外にいないのだろう。こんな風に思う相手は。
ありがとう。
俺の重たい気持ちをこめた、あのちっぽけなボタンを受け取ってくれて。
ありがとう。
俺と同じ気持ちでいてくれて。
ありがとう。
俺に欠けていた、大事な気持ちを教えてくれて。
本当に、ありがとう。
――俺の心を、一番占める人。
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