2. 〜friend〜


 日曜日。仕事が休みな今日は、ゆっくり起きてブランチを取る。パジャマを着替え、さぁどうしようかと窓の外を見つめて悩んでいたら。
 ―プルルルルル……
 携帯が鳴り、慌てて手を伸ばす。通話ボタンを押して、耳に押し当てた。
「はい、もしもし?」
『もしもし、美哉ー?』
「……ゆき?」
 耳に届いたのは、一年ぶりの親友の声だった。

* * *

「よっす」
「突然、何かと思った」
「いやー、ごめんごめん。久々にあんたの顔みたくなってさぁ」
 ははは、と豪快に笑うゆきに、ため息を吐きながらも笑顔になる。
 同窓会のはがきを送りつけてきた、川崎 有紀(かわさき ゆうき)。吊りあがった猫目に、きりっとした細い眉、薄い唇。しっかり施されたメイクに、茶色に染まった髪はパーマが掛けられて緩やかにうねっている。美人だけど玲子先生とは違い、ちょっと強気なタイプ。でも笑った顔は可愛くて、昔からモテモテだった
 そんな彼女の名前は人を表すというか、ゆきは非常に男らしい性格をしている。サバサバした姉御肌で、三年生の時は生徒会副会長を務めていた。会長が結構ほんわりとした会長と、びしばしそんな彼の背中をど突くゆきの姿は、校内中で見られた。
 当時を思い出してくすくす笑うと、「何よ?」と眉を顰めるゆき。首を振れば、ますます不機嫌そうな顔になった。ご機嫌取りのため、ゆきが持ってきてくれたケーキを切り分けて目の前に置いてあげる。
「あら、ありがと」
「こちらこそ。これ、どこのお店の奴?」
「会社の近く。結構美味しいから前から好きだったんだけど、最近テレビで取り上げられて一気に知名度上がっちゃってねー」
 本当はかぼちゃのタルトを食べさせたかった、というゆきに笑いながら、今度は紅茶を取って来るために立ち上がる。お茶も沸いたので、カップにお湯を注ぎ、温まったら茶葉が入ったティーポットにそのお湯を入れる。しばし待ち、葉が開いてきたところでカップに注いだ。
 ソファの背に深く座って私を見ていたゆきは暇らしく、リモコンに手を伸ばし、テレビのスイッチを入れた。チャンネルをかちかちいじり、結局ニュースにしたらしい。キャスターの声が、静かに響く。私も何となく耳を澄ませながら、電子レンジで温めたミルクを、紅茶を入れたカップに注いだ。カチャカチャと音を立てながら、紅茶とミルクを混ぜていく。スプーンを取ると、くるくると螺旋を描いて二つの色が混ざり合い、甘いミルクティーの色に変わっていった。頬を緩め、それに見入っていた時。
「美哉」
 真剣な声で、ゆきが私を呼んだ。普段ほとんど聞かない固い声に、首を傾げて振り返る。真っ直ぐにこっちを見つめるゆきの視線に、何だか胸がざわめく。
「なぁに?」
 わざと、明るい声で答えてお盆にカップを並べる。それを持ってゆきの前に座り、手渡すとゆきは短くありがと、と答えた。そして、そのまま黙り込む。
 どうしてだろう。さっきまで気にならなかった時計の針が動く音が、急に気になって仕方なくなった。手持ち無沙汰で、とりあえずカップを手で包み、息を吹きかけて冷ますことにした。一口飲むと、まだ中の方が冷めていなかったらしい、舌がひりひりした。涙目でカップを見つめる。すると、ゆきがもう一度、私を呼んだ。
「美哉。……同窓会、来る?」
「……」
 何となく、予想していた質問。なのに答えを返せなくて、俯く私にゆきは答えを察したらしい。大きくため息を吐いて、髪を掻きあげた。
「来ないつもりなのね、やっぱり」
「……ごめん」
 低い声に、ただ謝ることしか出来ない。そんな私にゆきはもう一つため息を吐いて、カップを持ち上げた。
「――あいつが、来ないって言っても?」
 その言葉に、頭を上げる。目が合ったゆきは、ゆっくり頷いてみせた。
「一応はがき送ったんだけど、住所不明で返って来たの。仲良かった奴とか当たってみたんだけど、みんな知らないらしいし。あいつからしたら、来ても女どもに騒がれて面倒なだけだろうしね」
 猫舌の私と違い、ゆきは熱い方が好きだ。ぐびぐびと紅茶を飲みほして、面白くなさそうに話していた。
 その話を聞いて、正直、嬉しいのか悲しいのか、分からなかった。
 彼に会えないことに、ほっとする。でもどこかで、ちくり、と胸が痛んだ。とても、身勝手な自分。
「ねぇ、美哉。行けば辛いかもしれない。あいつの話題はどうやっても出てくるだろうからね。だけど、避けてるばかりじゃいつまでもあいつから逃げられないよ」
 真っ直ぐな、刺すような視線。それにぐ、と言葉に詰まって私は何も言えなかった。

 もう、六年だ。彼の心に私なんかいないに決まってる。いつまでも覚えている私の方が異常なんだ。「いつまで引きずるの?」、事情を知る人には何度も聞かれた。
 分かっている。私と同じような思いをした人なんてたくさんいて、そういう人は時間がかかってもちゃんと消化していく。
 私が異常なのだ。ずっと彼のことが心に引っかかって、ずきずき痛んで、彼のことに目を閉じ、耳を塞いで。その行動自体が、ますます彼を意識させていることだと気付いているのに。

 しばらく俯いて、ゆっくり息を吐いた。
 そして顔を上げ、ゆきの顔を見る。真剣な瞳に、力なく笑いながら、小さく頷いた。
「……うん、行くよ」
 私の言葉に、ゆきは自分から言い出したのに目を丸くする。カップをテーブルに置いて、身を乗り出してきた。
「本気で?」
「うん。……ゆきの、言うとおり。いつまでも避けてても仕方ないし。そのかわり、もし逃げちゃったらフォロー、よろしく」
 もし、なんて言ってみたけど、絶対逃げる自信がある。彼の名前を耳にするだけで、未だに世界の音が全部消えてしまうくらい、衝撃が走るんだから。
 私の言葉に大きく首を振ったゆきは、満面の笑みでどん、と胸を叩いた。
「まっかせなさい!!あんたは、クラスの子とゆっくり話してればいいから」
「あ、そう聞くと何か楽しみ。結構人来るの?」
「まだまだだけどねー、でも三年の時のクラスだと、十人以上来れるみたいよ。お母さんになった子もいるしね」
「うそ、誰?」
「当日までのお楽しみー」
「えぇー?」
 からかうようなゆきの言葉に不満の声をあげながら、私は、笑った。

 大丈夫。どんなに彼の存在を感じても、ゆきがいてくれる。
 これからは少しづつ、ニュースも見てみよう。彼の存在を感じ取っていこう。最初のうちはきついかもしれない。でも、何度も繰り返せば、いつかは忘れられるはずだから。彼の名前を聞いても、その顔を見ても、いつか、心から応援できる日が来るかもしれないから。


 

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