32. 〜lovers〜


「……俺の話は、これで終わり。何か、質問とかあるか?」
「……」
 寛人の実家の、ソファ。ご両親と向かい合って座り、後ろにはダイニングの椅子に座った寛人のお兄さんと奥さんがいる。
 普段あまり口数の多くない寛人が語る、六年前の真相。そして今までの、訳の分からない行動の理由。
 それが全てわざとだったと知った時は、ちょっと怒りが沸き上がったりもしたけれど。でも、寛人も冗談で言った訳じゃないみたいだし、そこにちゃんと理由があったのなら、別にいい。
 ――それに、寛人の言ったことは、正しかったんだと思う。
 今回私が爆発する前に、寛人が六年前の真相を語っていたら、私は寛人が予想していた通りの行動をしただろう。やっぱりあの言葉も嘘だったんだ、って。心を閉ざして何も聞かずに、また、逃げ出していた。
 自分から怒ったことで、不安を口にしたことで、一旦それがリセットされたんだと思う。だから今こんな風に、寛人の言葉をまっさらな気持ちで聞ける。
「美哉は、すごく我慢強い上に受け皿が広いから。俺が帰国してからした行動も、怒っても強く言い続けることもないし、俺が引けばすぐに受け入れて許すし、終いには自分から謝ったりもする」
「……うん」
「それじゃ、駄目だ。嫌なことは、きちんと言っていい。怒るべきことは、きちんと怒れ。謝るまで、俺を許すな。じゃないと俺がまた、一方的に美哉に甘えてしまうから」
 もう、あの時みたいになりたくないんだ、と零しながら私を見据える寛人。甘いのに、瞳の中で揺れる不安が見えて、苦しくなった。
 自分が特別我慢強いとは思わないし、受け皿云々にしてもそう。だけど私は、確かに言葉にしなかった。
 何で言ってくれないの、と思いながら、どうしてこんなことするの、と怒りながら、それでも口にすることはなかった。一言言えば、解決していた問題でも言わないから、こじれたのだ。
 ――結局のところ、六年前のことだって私の責任なのだ。
 私が臆病な気持ちを捨てて、きちんと寛人の言葉を聞けば良かった。怖くても向き合えば良かった。もっと言えば、あの場であの女性を押しのけるなり何なり、出来たはずなのに。私はあの時、ただ逃げて、彼の言葉にも耳を塞いで。
 自分の馬鹿さが痛くて、唇を噛み締める。だけど急に頬を摘まれて、驚いて顔を上げた。私の頬を摘んだまま、寛人は小さく苦笑する。
「また、自分を責めてるのか」
「……う」
「美哉一人が悪い訳じゃない。俺だって色々やらかしたし、お前をたくさん泣かせた。こんな風に追い詰めることでしか、美哉の気持ちを解放出来なかった」
「でも、それはっ」
「仕方ない、って?でも、俺が美哉をわざと傷付けたのは事実だから。それに対して、美哉は怒る権利を持ってる。もっと言えば、怒らなきゃいけない義務を負ってる。美哉が怒らなきゃ、俺は、また同じことを繰り返すかもしれないから」
 頬から離れた指が、私の手を取る。ゆっくりと指を絡めながら、寛人は、言葉を続けた。その内容に戸惑いながらも、結局私は、促されるまま口を開く。
「え、と、……じゃあ、……寛人の、……馬鹿」
「で?」
「わ、私の気持ちも、知らないで、最低?」
「もっと」
「次こんなことしたら、き、嫌いになるからっ」
 ……なんていうか、変な光景だ。
 好きな人の家族の前で、好きな人に促されながら、好きな人を罵倒するって。寛人は私が言う度に嬉しそうに笑ってるけど、何か周りの人がそんな寛人を見てドン引いてる空気だよ、これ。
 さっきまで散々泣きながら叫んでいたのが嘘みたいに今は心が凪いでいるから、尚更落ち着かない。
 ……そして自分で言っといてあれだけど、私が寛人を嫌いになる可能性って、絶対ないだろうし。
「じゃあ俺は、美哉に嫌われないように、美哉を傷付けないための努力をする」
「……うん。ありがと」
 だけどやっぱり、こんな風に言葉で言われると嬉しい。今は素直に、その瞳を、温もりを、信じられる。それでも、言葉の持つ力って大きいから。
 ……あ。
「あの、寛人?」
「何だ?」
「あの、言いたくないなら、別にいいんだけどね。……寛人はなんで今まで、私に好きって言ってくれなかったの?」
 不意に思った疑問を、口にしてみる。今となってはどうでもいいかな、と思ったんだけど、やっぱり気になって。それに寛人が、言ってくれたから。疑問でも何でも、口に出して、って。遠慮はどうしても残ってしまうけれど、素直に聞いてみることにした。
 私の言葉を聞いて、寛人は目を見開いた。そして至極不思議そうに、首を傾げる。
「……言ってなかったか?」
「え、あ、うん」
 それは、間違いなく。せめて一言くれれば、とずっと思っていたのだから。告白の時からさっきの愛してる発言まで、五年半のブランクを抜いても聞いた記憶はない。
 寛人はしばらく考え込んでいるように視線を宙に漂わせて、やがて、目を合わせた。真っ直ぐなその視線に、ドキリとする。だけど、次の瞬間私は恥ずかしくて死ねる、と思った。
「悪い。多分、美哉といる間頭の中でずっと言ってたから、口に出すの忘れてた」
「……」
 ――ご家族の視線が、私に突き刺さっているのが、すごく分かる。私はただ、真っ赤になって俯くことしか出来なくて。
 ていうか寛人、今、家族の前でこういうの恥ずかしくないの!?いや、今まで泣き叫んだりした私が言うのも何だけど、恥ずかしかったら家族の前でこんな話最初からしないだろうけど、あああでもっ!
 ……考えてみれば。好きだとは言われなかったけれど、甘い台詞は結構聞かされたかもしれない。当時は可愛いとかキスしたいとか、耳にたこが出来そうなくらい聞かされたし。
 思い返してみれば、決定的な言葉はなくても、目一杯、愛情表現されてたんだよね。そして多分、この先も。彼は目一杯、愛情表現してくれるんだと思う。この人は、こういうのがデフォルトなんだ。そうに違いない。
 これから先、心臓もつか本気で心配している私の耳に、誰かの声が届いた。
「……とりあえず、今日は寝ようか」
 と。疲れ切ったその声に、内心激しく、土下座を繰り返した。

* * *

 そして、今。私は何故か、――寛人のベッドの中に、いる。
 あの後、とりあえず家に帰ろうかな、と悩む私を寛人は当たり前のようにお風呂場へ連れてきた。そしてどこから取り出したのやら、着替えとタオルを渡して、さっさと出て行く。突然のことに呆然とした私が、反応出来たのは彼が洗面所を出てから。
(……何これ泊まり!?いや確かにもう終電ないけど……!)
 パニックになる私だったけれど、いつまでもそこでうだうだしていても仕方ない。
 妙に緊張しつつお風呂に入り、出来るだけ手早く身体を洗った。お風呂を出れば、寛人が渡してくれた着替えが私を待っていた。ひよこ柄の普通のパジャマだったけど、誰のだろう。明らかに女物だけど、あんな美人な奥さんやお母さんが着るようには見えない。
 ちょっと複雑な気持ちになりつつ洗面所の外に行くと、寛人がいた。私を見て満足そうに頷き、寛人の部屋に案内する。そしてそのまま、自分は廊下へ出て行った。多分、お風呂に入りに行ったんだろう。
 取り残されて、しばらく部屋の真ん中に立ち尽くす。和伊さんの部屋を作るために、物置になっていた部屋を空けたらしく、置いてあった荷物を出て行った寛人の部屋に運び込んだんだとか。確かに床はところどころ荷物が積んであるけれど、基本的な家具なんかはそのまま。当時の雰囲気を容易に感じ取れて、高校時代までをここで寛人が過ごしたんだ、と思ったら感動もひとしお。その飾ってあるサインボールや、本棚に並んだサッカーに関する雑誌、それから小・中・高やプロチームのメンバーみんなで撮ったらしき写真。寛人らしくて、小さく笑ってしまった。
「何見てるんだ?」
「え、うわっ」
 だけど急に声を掛けられ、驚いてちょっと跳ねてしまう。
 そこにいたのは、Tシャツジャージ姿で頬を上気させ、髪が濡れている寛人。……と言うか、濡れているどころじゃない。髪から床に、絶え間なく雫が落ちてる。
「ちょ、ちゃんと髪拭いてから出なかったの?」
「別にそんなのいい」
「良くないよ、ほら、タオル貸して?拭いたげる」
「いいから」
 寛人の首に掛かっているタオルを取って髪を拭こうとすると、彼は首を振って逃げてしまう。頑なに拒絶する寛人にむきになって腕を伸ばすと、それはあっさり、捉えられて。
「もう、寝るぞ」
「……は?」
 ぱちん、と電気のスイッチが切られ、暗くなる部屋。いきなりのことに固まる私を引きずって、寛人はベッドに入る。腕を掴まれたままの私も当然一緒に寝る訳で――ってちょっと待って!
「え、あ、あのっ、一緒なの!?」
「当たり前だろ」
「な、っ」
 ベッドの中でくるりと体勢を入れ変えられ、壁に押し付けられる。そして、強く抱き締められた。背中と腰にがっちり回った腕に、顔が熱くなる。
 大体、パジャマの素材って普通の服に比べて薄いのだ。だからいつもより、温もりを近くに感じてしまう。
「〜〜〜」
 嫌な訳じゃないから、困るんだ。寛人の部屋で、寛人の匂いに包まれて、一緒に寝ること。だけど、ベッドでこんな風に寝るの、初めてだから。心臓がドキドキして、死んじゃい、そう。
「……美哉、いつもと匂いが違う」
「そ、そりゃ、シャンプー違うし」
「これもいいけど、……やっぱり、いつもの匂いの方が好きだ」
 時間のせいなのか、低く潜められた寛人の声。耳朶をくすぐる吐息に、背筋が震える。すん、と軽く匂いまで嗅がれて、私はどうしたら良いのやら。本当に、この人私を殺す気なんじゃないの、って聞きたくなる位。
 ――それに。
「あの、ひ、寛人」
「何だ?」
「…………あ、あの、あの、あの……っ、な、何か当たってる……っ」
 絡められた足、太股あたりに、何か固いものが当たってる気がする。気のせいかもしれないけど、でも、絶対違う気がする。こういう経験は無いから、ソレがどういうものかも分からないけれど。
 自分で言いながらもとにかく恥ずかしくて、確実に体温が上がってるはず。だって、背中が汗ばんできた。
 そんな私に反して、寛人は「あぁ」と小さく漏らし。
「仕方ないだろ。美哉と一緒に寝てるんだから」
 堂々と、そしてあっさりと、言ってのけた。

 彼の返事に最初は呆然とし、徐々に恥ずかしさが込み上げ、……最後は、悲しくて。分かっていたのに、ぽろり、涙が零れる。密着しているせいか、寛人はすぐに気付いて、私の名前を呼ぶ。その声が優しいから、また辛い。
「……ひろひと、なれてる……」
 口に出すと、それが改めて胸を刺して、また涙が出た。
 離れていた間、寛人が誰と付き合おうと文句は言えないって分かってる。でも、悲しい。寂しい。悔しい。
 寛人が、他の人を知っていること。
 寛人が、私だけのものじゃないこと。
 寛人が、初めてを私以外の人にあげてしまったこと。
 その全てが、ごちゃまぜになって、私の胸を締め付ける。
 本格的に泣きが入って鼻水を啜る私の耳に、小さなため息が聞こえた。そして同時に、涙を拭う熱い手。それはゆっくりと私の顎に滑り、顔を上げさせた。
 ベッド脇にある窓から月明かりが漏れて、寛人の顔をゆっくりと照らす。彼は私を見て目を細め、唇には笑みを刻んで。
「……何で泣いてるんだ」
「だ、って」
「馬鹿なことで悩むな」
 さっきよりも強く、抱き締められる。必然的に、距離が近づいて。寛人の甘い声が、優しく響く。
「ば、馬鹿なこと、って」
 だけど私は、真剣に言ったことを笑われた気がして悲しくなった。
 今が良ければ、ってよく言う。そもそも、過去の経験を聞くのはルール違反なんだって。でも、そんなの知らない。

 私、本当は。
「馬鹿だろ」
 寛人に女の人、誰も近付けたくない位。
「――そんな相手、いないのに」
 独占欲、強いんだから。

「……って、え?」
 寛人の言葉に、零れていた涙が一瞬にして止まる。そのまま呆然とする私の目尻に、彼は音を立てて口付けた。それに顔が熱くなるけど、でも。
「そんな相手いない、って、……え?」
 理解出来ない。訳が分からない。頭の回転はやけにゆーっくりで、もう、全然駄目だ。
 とりあえず寛人の言葉を繰り返す私にため息を吐いて、寛人は口を開いた。
「何の誤解してるか、知らないけどな。美哉以外とは――まぁ、あのストーカー女入れたらアレだけど――キスも、抱き締めるのも、手を繋いだことすらない。だから当然、こういうことも、したことがない」
 引き続き固まった私に寛人は言い聞かせるように、説明を重ねる。極めつけは、きっぱりと。

「つまり俺は、童貞だ」
 ……どこか誇らしさすら感じる口調で、寛人は言い切った。
  
「だから、安心しろ。全部、美哉のだから」
「っ……」
 その後すぐに甘ったるい口調になるのは、ずるい、と思う。衝撃的な言葉が続いて真っ白になった頭に、しっかり刻みつけられる。寛人の、言葉が。
 ぽん、と優しく頭を叩かれて、彼の胸に抱き寄せられた。腕枕、ってこんな感じなんだ。なんて、ちょっと間抜けな感想を抱きながら、彼に擦り寄ってみる。一瞬ぴくりと動いたけれど、寛人は、そのまま何も言わなかった。
 替わりに、耳に聞こえる鼓動が速くなったようなみたいなんだけど……気のせいじゃ、ないよね?とくん、とくん、て少し速いテンポが、心地良い。じっと黙って、その音に耳を澄ませて、目を閉じる。今日は色々あったから、こんなことしてると、このまま眠れちゃいそうだ。
「……美哉?」
 だけど寛人が、私の名前を呼ぶから。
「……何?」
 素直に目を開けて顔を上げた。月の光を浴びて、柔らかく緩んだ瞳が。私だけを、映している。
 名前なんて、何度も囁かれているのに。寛人のものを聞き飽きないのは、それだけで、極上の愛の台詞のように感じるから。私の大好きな、低くて、掠れた、どこか甘い声。
「返事、くれるか」
「返、事?」
 何のことか分からなくて、首を傾げる。すると寛人は苦笑して、私の左手を取り指を絡めて、顔の前に持ちあげた。
 なぞられたのは、――薬指。
「……ここを。俺にくれるかどうか、ってこと」
「、」
 その言葉に、ついさっきのことが思い浮かぶ。ご両親に私を紹介した時、寛人は私のこと、『結婚したい相手』って言っていた、こと。
「……っ」
 あの時は正直ふざけるな、ってそれしか思わなかったけど。でもよくよく考えれば、それは紛れもないプロポーズというか、結婚宣言な訳で。
 顔が、一気に熱くなる。

 正直に言えば、今は結婚とか考えられない。仕事はとても充実しているし、寛人はこの後ドイツに帰ってしまうし、そこで他の女の人を見つける可能性は、ゼロじゃないし。それに結婚するってことは、つまり、子供を持つ可能性もあるということ。今の私には、そんな資格ないだろう。
 そんな風に現実的に考えると、断る理由しか浮かばない。
 でもね。

「……寛人」
 名前を呼ぶと、ぎゅっと手を握られる。声はいつもと変わらないのに、熱い手は、むしろうっすらと汗が滲んでいた。緊張、してるのかな。そう思うと、何だかもう、胸が熱くなって。
「私で、いいの?」
 あの時と同じ質問。きっと、彼も気付いてる。
 暗闇で分からないけれど、見えるんだ。その瞳が、真っ直ぐに私を射抜いていること。
 しばらくして、彼は大きく息を吸い込んで、答えた。

「俺は、美哉が良い。美哉と、ずっと一緒にいたい」
 その、あまりに真っ直ぐで、だけど何処か子供っぽい言葉に。私は思わず、噴き出してしまう。それに寛人がちょっとむっとしているのに気付くけど、笑いが、止まらなくて。笑って、笑って、ひたすら笑って。
 ――何故か、涙が零れてしまった。 

「美哉」
「っ、ふ」
 止める気も、起きない。顔を枕に押し付けて見られないようにするけれど、寛人はそれを許さなかった。頬を包み、飽きることなく私の涙を拭う。
 甘やかされる感覚がたまらなくて、このままずっと泣いて、彼に優しくされていたい。
 ――だけどどうしても、伝えたい言葉があるから。
 そっと、その指を掴む。濡れた固い指。節くれだって、ごつごつして、怖いイメージなのに。私に触れる時、これはいつだって優しくて。私の心を、そっと鎮める。彼の側は、世界で一番安らげる場所だと、心が訴える。
「あの、あの、ね……っ」
 手探りで、彼の顔に触れる。目尻、頬、そして、唇。形を確かめるように、指で、軽く撫でて。
「……私も、好きなの」
「美哉、」
「寛人のこと、あ、愛してるの……っ!」
 そして首を伸ばし、――彼に、キスをした。
 すぐに止めたけれど、ひっついたまま。言いなれない言葉に噛んでしまったけれど、ちゃんと、言えたし。達成感を覚えながら、寛人の首に腕を回して、強い力で抱き締めた。
 再会してから、私自身彼にちゃんと、言葉にして気持ちを伝えていなかったから。ちゃんと、愛情表現、してなかったから。伝えたかったの。拙くても、この気持ちを。私が彼にもらった愛情で幸せになったように、寛人にも、幸せを感じて欲しかったの。
 目を大きく見開いて固まっていた寛人は、しばらくして、私をベッドに仰向けにさせた。そして自身は私の上に覆いかぶさって、強く強く、抱き締めて来る。それは、骨が軋みそうなくらいで、痛いのに、どうしようもなく、嬉しくて。
「美哉……っ」
「ん、ぅ」
 下から見上げる寛人は、また違った格好良さがあるな、なんてのん気なことを思っていたけれど。逆光を浴びた彼は、余裕がなさそうに顔を歪め、最初から深く口付けてきた。だけどそれに、抵抗なんてしない。息苦しくても、彼の熱さを、受けとめて、必死で応えた。

 本当はね。まだ、不安が残るよ。
 嫌われるんじゃないか、他の人のところ行っちゃうんじゃないか、って。
 だけどこれは、多分、一生消えないもの。寛人に恋をして、あなたに対する気持ちが深くなる度、失う怖さが募るから。それも原因の一つとなって、あの時その手を離してしまったね。

「ん、ふ、ぅ」
「っん、……み、や」
 息が苦しくなったら離れて、だけどどちらともなく、また唇を寄せる。それを何度も繰り返した。荒々しいキスは、涙が混じって、ひどくしょっぱくて。
 最初、それは私のせいかな、って思った。だけど、違ったね。
 うっすら目を開けた時に、見えてしまった。
 寛人の瞳から、一筋の雫が、零れているのを。
 それを見たら、私もまた、涙が止まらなくなってしまって。

 

 

 

 

 

 ――でもね。もう、離さないよ。
 側にいるからこそ募る不安ごと抱き締めて、隣にいたいって思うの。
 正直言えば、私がいつかおばあちゃんになって、その時寛人が側にいるって言う図が思いつかない。ただ単に、寛人がおじいちゃんになる姿が想像つかないだけかもしれない。
 だけど私の日々から寛人が消えてしまうことは、もっとずっと、思いつかないのだから。

 だからどうか、教えてよ。
 どうしたら、この不安が小さくなるのか。
 どんな風に、あなたは年を重ねるのか。
 あなたといる日々は、何色になるのか。


 共に歩いていく一生の中で、少しづつ、その答えを教えて―― 


 

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