7. 〜present〜


「――さん。吉倉さん?」
「……あ」
 過去に飛んだ意識が、ゆっくりぶれながら、現実に重なった。目の前には、心配そうに眉を寄せる、大塚くんの姿。彼の顔がアップになっているお陰で、後ろの寛人の姿は見えない。それにほっとして、深呼吸した。
 ……よし、大丈夫。多分ちゃんと、笑えるはず。心の中で大きく深呼吸をして、唇を吊り上げた。
「ごめん、びっくりしちゃった。洒井くん、来るって知らなかったから」
「ああ、ギリギリで連絡取れてさ、ちょうどシーズンオフだから帰って来たらしいんだ。相変わらず格好いいよなぁ」
「そうだね」
 大丈夫、落ち着いて話せてる。
 卒業式から半年間の私達の付き合いを知っている人は、ほとんどいない。私はゆきにしか話していないし、寛人の方は何人に話したのか知らないけど、多くはないはず。
自分に、あくまで寛人はただの同級生だ、と言い聞かせた。
 いつまで立ってるのもあれだから、と大塚くんは座布団を渡してくれる。素直に従って座るも、ふとゆきのことを思い出してた。
「あ、いや、でも私、ゆきを見に行こうかと……」
「川崎?ならさっき見て来たけど、もう酒抜けたみたいで、ちょっと旅館の人に今日のこともう一回確認してくるって」
「あ、そうなんだ」
 ならいいかな、と頷く。どうせすぐに戻って来るだろうし、そうしたら、ゆきの側にずっといよう。臆病な思考に、内心苦笑する。すると大塚くんに、目の前のグラスを渡され、ビールを注がれた。
「え、え?」
「さっき、注いでもらったお礼に。吉倉さん、あんま飲んでないっしょ?」
 グラスと大塚くんに視線を巡らせると、柔らかい笑顔で勧められた。
 確かに、乾杯の一杯を飲んだ後はずっと烏龍茶ばかり飲んでいた。もともと、あまりお酒が得意じゃないのもある。それに次の日の仕事のことなどを思うと、あまりアルコールを摂取したくなくて。だけど今日も明日も仕事はないのだし、たまには飲んでみても、いいかな。
「じゃあ、ありがたく」
 にっこりと大塚くんに笑い、ごく、ごくとビールを飲んでいく。最初は苦みのある味が苦手だったけど、疲れた日に飲むとプッハー!とやりたくなる、喉を突き抜ける爽快感。勢い良く飲みほし、グラスが空になった。そこに次は、梅酒ロックを注がれる。
 そのペースの速さに彼を見上げると、にっこり笑われた。
「え、大塚くん?」
「せっかく会費払ってるんだし、飲みなって。今回吉倉さん来るって聞いて、一緒に飲んでみたかったんだよね」
「そ、それは嬉しいけど」
 手酌で大塚くん自身も御猪口から日本酒を注ぎ、私のグラスに軽く自分のグラスを当て、乾杯、と笑った。
「高校の頃も話してみたかったんだけど、近付こうとすると川崎のガード半端なかったからさぁ」
「ええ?」
「ほんとに。吉倉さんに話しかけようとしたら、川崎すっげ睨むんだもん。おっかなくて無理だったよ」
 とほほ、と言った感じで肩を竦める大塚くん。どこか芝居がかった仕草に、思わず吹き出してしまう。「まぁ、飲んで飲んで」と勧められるがまま、グラスを空にすると大塚くんは今度は杏酒を注いでくれた。……飲み過ぎてる気がする。でも、杏酒は大好きだから拒否出来なかった。
 ……それに、気のせいかもしれない、けど。時折こちらに、鋭い視線が飛んできている気が、して。
 それが寛人だという確信はない。それでも、振り返れなかった。もう一度目が合ってしまったら――もう、逃げられない気がして。
 胸のざわめきを紛らわすために、アルコールの力に頼る。社会人として駄目だとは分かっているけれど、それ以外、逃げる方法が分からない。
 それに大塚くんの注ぐお酒が、どれもこれも美味しくて私の趣味に合致しているのも悪い。何でも、彼が働いている会社で試作されたものを、今日は持って来たらしい。テーマが若い女性に人気が出そうなもの、ということで、協力してほしいと言われたらますます拒みづらい。
 カシスビールに、水のようにすいすい飲める焼酎、青リンゴサワー、イチゴリキュールソーダ割り。
 大塚くんに笑顔で勧められると、何だか飲めるような気がしてしまって、歯止めが利かない。

「あ、吉倉さん、これも飲んでみない?これ、俺企画に携わったんだ。パイナップル味のワイン。甘くて飲みやすいんじゃないかな」
「うん、じゃあ、もらうよ」
 ふわふわ良い気分になり、にんまり笑顔でグラスを差し出す。しっかり会話も出来てるし、私意外と、お酒強いのかもしれない。大発見だぁ。
 とぽとぽ音を立てて、グラスになみなみ注がれる、黄色い液体。匂いを嗅ぐとパイナップルだし、ぱっと見は100%果汁ジュースって感じ。でも、ワインなんだよね。どんなんだろう。楽しみ。
 鼻歌混じりに、グラスを傾ける。最初にパイナップルの程良い酸味と甘みが広がり、次に来たのはお酒特有の苦みと匂い。だけど、美味しい。とろりと口の中で広がる甘さに、私はしばし、陶然とした。一気に飲み干して、ほお、とため息をついた。
 そしてグラスを上に掲げ、大塚くんに笑いかける。
「大塚くん、これ、美味しいねー……」
 ……けど、あれ?何で、大塚くん、斜めになってるの?ていうか、左右に、ぶれちゃってるよぉ?
 目の前の大塚くんが、グラグラ揺れている。そして私の腕も、机にぶつかったり、ぶつからなかったり。……あれ、これ、もしかして、私が揺れてる、のかな?
 ゆーっくりと、ぶれ幅が広がって、徐々に机から離れて行く。掲げた腕の力がぐずぐずと抜けて、ぺたりと床に落ちた。力の入らない手から、グラスが零れて、床を転がる。それを見ながら、揺れは、止まらなくて。
 最後に大きく腕が机にぶつかり、完全に、床に倒れ込んでいく、私の身体。自覚しながら、止める術はなく。ただただ、ああ、倒れちゃうんだなーってことだけ考えていた。
 倒れてもどうせ畳だし、あんまり痛くないだろうし。ていうか今は、ちょっと横になりたいかも。すっごく、眠い。瞼が重たくて仕方ないから、目を閉じた、その瞬間。

 ―ふわり
 何か、あたたくてかたいものに、私は、包まれた。

「……んぅ」
 それが何か知りたかったんだけど、もう、瞼は開くことを拒否して。居心地悪くないし、もうこのままでもいいかなー、と思って、そのままかたいものに身を預ける。
「あーあ、吉倉さん完全に出来あがっちゃったね。顔真っ赤」
「うるさい、見るな」
 頭上で、大塚くんと、誰かの声がする。
 その誰か、は、――寛人に似ている気がして。
 ふにゃり、頬が緩んだ。
 思い返すと、かたいものも、何となく、寛人に似ている気がする。
 調子に乗って、きゅ、としがみついてみた。
「っ」
 小さく、息を飲むような音と共に、身体が浮いて、ふわふわ、揺れる。それがますます眠気を誘って、私はもう、何も――。


 

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