In school days 〜photograph〜 1


「じゃあ、写真撮るよー、はい、チーズ!」
 合図と共に、カメラのシャッターを切った。撮れた写真を見ても、きちんと二人とも楽しそうに映っている。強いて言えば、もうちょっとアップの方が良かったかな、と思いつつ、走り寄って来た友達に笑顔を向けた。
「美哉ごめんねー、ありがとう」
「いえいえ、全然大丈夫だよ」
 カメラを渡し写真を確認してもらう。満足がいく結果だったらしい、大きく頷いた後に、ちょっと申し訳なさそうな顔をされた。それに大きく首を振る。
 もう一度私にお礼を言って、彼女は駆けて行く。そして、待っていた男の子の手を取り――二人、指を絡めて歩き出した。
(……いいなぁ)
 親密そうに歩く二人の背中をついつい目で追ってしまうのは、何と言うか。仕方ないと、思う。

* * *

 ただ今高校二年生、十一月。私達は三泊四日の修学旅行に来ている。行き先は奈良・京都。
 三年くらい前までは沖縄や北海道など、日本国内でも割と遠くに行っていたらしいけれど、ここ最近の不況のせいなのか飛行機を使う場所は選考外となり、京都に決まった。
 正直に言えば中学の修学旅行も同じルートだったから、がっかりしてしまったのは否めない。でもあの時は若葉生い茂る五月、初夏の頃。今の京都はちらほらと紅葉が舞っていて、全く違う街並みになっている。観光客でごったがえしているけれど、それも納得の美しさだ。今回は一日目が奈良、残りが京都。しかも中学の頃と違って、ルートもかなり自由に決められるし。
 それにやっぱり、修学旅行の楽しみって観光地や場所よりも、友達や好きな人とお泊りするっていうことなんだと思う。
 ――そう。好きな人と。
 ふっと頭を掠めた思考に、小さく苦笑を漏らした。

 修学旅行直前から、急にカップルが増え始めた。今日は映画村にやって来たけれど、辺りを見回すとカップルだらけ。
 私はと言うと、友達数人と一緒にぶらぶらしていた。だけど途中、クラスの友達に彼氏とのツーショット写真を頼まれた。一緒に歩いていた子たちに先に目当ての喫茶店に行ってもらい、一人残り、写真を撮る。嬉しそうに頬をほころばせる彼女が微笑ましく、何だか幸せを分けてもらっているような気分。でもやっぱり、残された私の心には少しだけ隙間風が吹いたりも、する。
 ――洒井くん。
 一年前から片思いしている彼は今年クラスが別れてしまい、あまり姿を見ることも叶わない。午後から洒井くんが映画村を回るという噂を聞いたから、会えるのを少し楽しみにしていたんだけど、今のところ見つけられていない。
(それに、誰と一緒か分からないし)
 今のところ、洒井くんに彼女がいるという話を聞いたことはない。だけど聞かないだけでいつ出来るかなんて誰にも分からない。現に、今回の旅行中に洒井くんに告白した子も何人かいると言うし。
 別に洒井くんに彼女が出来たとしても、私の気持ちは変わらない。きっと今まで通り、彼の姿を追いかけて、見つめ続けるのだろう。だけどきっと私は、身勝手に悲しくなる。あの瞳が誰かを映して柔らかく緩むのを見て、心から血を噴き出す。思いを伝える気も無いのに、振り向いて欲しいと思っている訳でもないのに。
 ――自分のものになって欲しい訳じゃない。だけど、誰かのものにもなって欲しくない。せめて、高校を卒業するまでは。なんて、本当に身勝手な気持ち。
 そんな正直な自分の気持ちに苦笑をまた一つ零して、歩き出した。
 一人でいると、どうしても気持ちが悪い方に引っ張られてしまう。折角の修学旅行にこんな気持ちでいるのは、あまり良くない。戻った時に暗い顔をして友達に心配させるのも悪いから、思考を逸らすように周りの景色に目を向ける。それに気を逸らすためじゃなくても、この映画村はただ歩いているだけで楽しい。そんなに広くはないけれど江戸時代を模した建物など、歩いていると自分が時代劇の世界に迷い込んだように感じる。時代劇扮装サービスも行っているために、時々すれ違う人が着物を着ていて、それがまたそんな気分を増長させて。家族連れなのか、小さなお姫様と小さなお殿様が手を繋いで駆け抜けて行くのを見て、くすりと笑ったその時。
「あ、ねぇ、君っ」
 後ろから声が聞こえた。それと同時に、肩を叩かれる。聞き覚えのない声に目を丸くして振り返ると、やっぱり見覚えのない人だった。中肉中背、明るい茶髪に黒ぶち眼鏡。今時な感じの男性だけどその眼差しは真面目で、何だか人の良い雰囲気。
 首を傾げる私に、男性は手を差し出した。そこに乗っていたのは、水色の携帯。猫のストラップがついたそれは、間違いなく。
「私の携帯……!」
「あ、やっぱり?良かった」
 小さな悲鳴をあげる私に、男性はほっと息を吐いて笑った。その顔も何だか優しくて、私までほっとする。携帯を受け取り、私は深く頭を下げた。
「ありがとうございます、すみません!」
「いやいや。俺、拾っただけだし」
「いいえ、本っ当にありがとうございます!」
 ひたすら頭を下げる私に笑い、男性は手を振る。だけど私は構わず、ぺこぺこお辞儀し続けた。実際、もし拾ってもらえなかったらどうなっていたか分からない。取りに来ることも出来ないし、悪用されていたかもしれないし。本当に、感謝してもし足りない。苦笑した男性は、「大げさだよ」と呟いた。
「だけどもう落とさないよう、気をつけてね」
 そして男性がこちらへと手を伸ばし、私の頭を軽く撫でる。驚いたけれど、その手つきがとても優しいから、すぐに肩の力を抜いた。これは特に深い意味はなく、多分あちらもつい伸ばしてしまっただけなのだろう、と分かったから。邪気のない微笑みに優しい手つき、一瞬でも下心を疑ってしまった自分が恥ずかしい位。
 多分、最初の印象は間違っていなかったんだと思う。男性があまり得意じゃない私でも、この笑みはいまいち警戒心が溶けてしまうというか。何だか、私の理想とするお兄ちゃんタイプなのだ。穏やかで、優しげな。けれど現実はそう甘くないもので、本物の自分のお兄ちゃんを思い出すと、そのギャップに思わず苦笑が零れた。その内、別れの言葉と共にゆっくり手は離れる。
「じゃあね」
「はい、」
 男性の言葉に頷きながらも、やっぱり、もう一度だけ。お礼を言いたくて、私が口を開いた時。

「……何してる」
 ――低い声が、耳に届いた。

 目を丸くする私の前に、大きな背中が現れる。
 靡く鉢巻、割と丈の長い水色の羽織、背中には誠の白文字が記されている。下は袴で、羽織りの下からは刀が覗いた。これは多分、新撰組の衣装だと思う。歴史の上でも人気のある彼らの扮装は、ここではそんなに珍しくない。ないんだけど、問題は、目の前に立つこの人の、正体。
 私は何度も何度も、確認するかのように瞬きした。声を聞いた時からまさか、ありえないと思った。だけど短い茶色がかった髪も、広い背中も。それは全て、いつも見ているあの後ろ姿と重なって。
「洒井、くん」
 ぽつりと名前を呼ぶと、彼は肩越しに私を見た。久々に――というか、ほとんど初めて――合った切れ長の瞳に、頬が熱くなる。慌てて俯いたものの、一気に大きくなった心臓の鼓動は止まらない。ちらりと脳を過ぎる真っ直ぐなその視線だけで、狂おしいほどの愛しさが溢れだしそうな位だから。
 ばくばくと大きな音を立てる鼓動を押さえるように、私がぎゅっと制服の胸元を握りしめていたら。
「え、な、何?」
「あんた、何してたんだ」
「な、何もしてないですよ!?」
 耳に届く、怯えたような声。顔を上げると、洒井くんの肩越しに男性の青ざめた顔が見える。すっかり私の記憶から消えていた男性は、洒井くんと対峙して、ぶんぶんと大きく首を横に振っていた。
 じりじり距離を詰められ、しかも十センチ以上身長の高い相手に見下されて、ひどく怯えているらしい。確かに、気持ちは分からなくもない。洒井くんは、とても端整な顔立ちをしている。だけど、だからこそ。その整った顔立ちが無表情になると、とても怖く感じる。今は低い声が更に低くなり、話し方もぶっきらぼうで、私ですらちょっと身を縮めてしまった。
 多分男性の方が年上だと思うんだけど、洒井くんは全く気にしていない。そして男性も、敬語で声をひっくり返して話している。傍から見れば、洒井くんが男性を脅かしているみたいだ。
 おどおどと落ち着きない男性に洒井くんは舌打ちを一つ零し、吐き捨てるように、言った。
「なら、とっとと失せろ」
 その言葉に男性は小さく悲鳴を上げて、早足で駆けて行ってしまった。呆然とそれを見送ってしまったけれど、これは何とも申し訳ない。折角携帯を拾ってもらったのに、こんな終わり方で。しかも、まだ最後のお礼も言っていなかったのに。
 慌てて、追いかけようと足を一歩前に出す。だけど。
「……大丈夫か?」
「、」
 洒井くんがくるりと振り返り、私を見た。目が合って、また、呼吸が止まりそうになる。声もさっきまでとまるで違う、気遣うような、優しい声。それが私に向けられているのが、信じられない。
 しばらく意識が飛んでいたけれど、返事をしない私に洒井くんが不思議そうに首を傾げたのを見て、慌てて大きく首を振った。
「あ、だ、大丈夫です!」
 予想以上に大きな自分の声に、顔が熱くなる。自分で自分の口を塞いでみるものの、出てしまった言葉は取り返せない。何だってこんな、好きな人の前で、情けない。
 それでもこんなに浮足立ってしまっているのは、洒井くんと久しぶりに話す、彼の視界に入れている、という理由もあるけれど。それ以上に――彼が、こんな格好しているから。
 制服姿でも、練習着でも、ユニフォームでも、ジャージでも。何だって洒井くんなら格好いいけれど、これは反則だと思う。洒井くんの凛々しさがすごく際立つ。通り過ぎる観光客の方もちらちら洒井くんを見ているのが分かるし、とにかく、抜群に似合ってる。ああもう、洒井くんはきっと和装似合うだろうなってこっそり思ってたけど、予想以上で心臓壊れそう……!
 記憶にしっかり焼き付けておきたいけれど、ドキドキして直視するのも叶わない。ちらちらと、彼の姿を窺うだけの私。彼も特に何も言わず、動くこともない。だけどこのままでいても仕方ないので、そっと彼に呼び掛ける。返って来たのは「ああ」という素っ気ないものだったけれど、それでも胸がぎゅっと締めつけられた。
「あ、あの、洒井くん、何で、私のところに……?」
 そしてどもりながらも、疑問を彼にぶつける。
 今映画村にいるのは噂通りだから、良いとして。新撰組の格好をしているのも多分、通り過ぎる和装の何人かと同じく、時代劇扮装サービスでやってるんじゃないかな。修学旅行生は何割引きかになるって言っていたし。それでも割高だったから、私達のグループは遠慮したんだけど。
 疑問なのは、彼がどうして私の元にやって来たか、ということ。それもあの男性にあんな威圧的な話し方をして、洒井くんらしくないな、と思う。
 サッカーが出来て顔も良い洒井くんは、女子の間で非常に人気が高い。だけど彼は女の子達が騒いでいても、あまり相手にしない。むしろ、校内でも男の子とばかり話している。そのストイックな姿勢は女の子の間ではクールだと評判で、男の子にも人気が高い。だけどそれにも、例外はあって。
 去年同じクラスにいた不良っぽい男子のグループは、洒井くんをあまり好きじゃないらしく、事あるごとに彼に絡んでいた。でもそんな彼らを全く相手にせず、流していた洒井くん。あまりに淡白な反応に、いつしか彼らも洒井くんに絡まなくなっていた。
 そんな経緯もあり、洒井くんが人と喧嘩することってまずないと思っていた。なのに初対面の人にあんな風に冷たい物言いをしたり、やっぱり、らしくないと思う。もちろん大して親しくもない私の意見だから、当てにはならないけれど。
 私の言葉を聞いて洒井くんは、しばらく黙ったままだった。だけどしばらくして、ため息を吐いて。
「――お前、危なっかしい」
 ぽつりと落ちた洒井くんの呟きに、私は目を丸くした。
 私の質問をまるきり無視したような言葉に、何と反応していいのか分からない。意味を探ろうにも、やっぱり理解不能で。間抜けな顔をしている私にいらついたのか、洒井くんは小さな舌打ちを零す。その音に、やってしまった、と身を竦めたけれど。腕を組み、視線を僅かに逸らしただけで、彼はその場に留まってくれた。
 それにほっとしたのも、束の間。
「そんなだから、絡まれるんだ」
 突然洒井くんが漏らした言葉に、私はまた、目を丸くした。
「朝の注意、ちゃんと聞いてたのかよ?」
「え、……と、あの……先生の?」
「それ以外ないだろ。規則は規則だ、ちゃんと守れよ。何かあってからじゃ遅いんだからな」
 淡々と、彼が話す。だけど洒井くんがこんなに話すのを見るのは、授業以外じゃ初めてで、そちらにまず意識が持っていかれてしまった。だけど不機嫌な彼に気付いたので、とりあえず話の内容を一つずつ整理しよう、と息を吸う。
 朝の注意。確かに朝食時に先生方から、自由行動の時に見知らぬ人についていかないように、と言われた。万が一無理矢理連れて行かれる場合もあるから、決してこの慣れない土地で一人になれないように、とも。まるで小学生に対してするような注意だけど、実は数年前、修学旅行中ナンパされて現地の男の子たちと消えてしまったグループがいたらしい。結局事なきを得たけれど、旅行中の自由行動が多いことが今回の事件の原因だとPTAが言い出したらしく、当時は大変な騒ぎになったそうだ。それでも生徒の自由行動を制限したくないと言うことで、色々と頑張ってくれている先生方に、感謝とちょっとした同情を抱いたことを思い出す。
 ……まぁ、そんな状況を知っていながら一人でふらふら歩いた私に責任はある。ここは街中ではなく、一つの施設の中だから警戒心が薄れていた、なんて言い訳めいたことも浮かんできた。
 だけど不思議なのは、どうして洒井くんがここまで怒っているのかということだ。事前注意をしっかりしてくれているのかもしれないけれど、それにしても、こんな不機嫌丸だし、というのは変な気がする。彼の反応ではまるで、私がすでに危ない人に引っかかってしまって、それを怒っているみたいで――。
「、」
 なんて、そこまで考えて。私は唐突にその理由に、思い当たった。
 ――さっきの、茶髪の男性。
 事実は携帯を拾ってくれた親切な人だというそれだけなんだけど、見ていた場面によっては全然違う印象を受けるに違いない。特に頭を撫でられた辺りを見ていたなら、不審に思う可能性は否めない。私自身、あれには少し驚いたし。そうと気付けば、洒井くんの言葉の意味も理解出来る。
 だけど同時に、今理解したことが信じられないような気になった。
 だって、それってつまり、……洒井くんが、私のこと、心配してくれた、ってことでしょう?私が絡まれていると思ったから、ここに来てくれたって。あの男性から守ってくれたって。つまりは、そういうこと、でしょう?
 


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