遠のく距離と、近付く距離と。

どちらもかけがえのない大切なものだから、惑ってしまう。

2.曖昧な気持ち

 

 毎度こんにちは、柳瑞希です。卒業式から一週間ちょっとたち、すでに春休みに差し掛かろうとしています。先輩にフラれたショックからは多少立ち直りました。……ていうか落ち込んでもないです。むしろ落ち込む暇もありませんでした。何でかって?そんなの、あの同じクラスのあの馬鹿の……。
「とぅわあ!?」
「テーピング中にボーッとしてんな馬鹿。さっさとしろ」
「へ、あ、ああごめん!!」
 頭にチョップを入れられ、痛みで現実に戻って来た。慌てて手元に視線を落とす。足首のテーピングをしてる真っ最中だったのに、思考はトリップ。マネージャーとして不甲斐なくて、思わず落ち込んでしまう。テープを切りながらチラリと、彼――山元恍の表情を確認した。暇そうにペラペラとスコアブックをめくっている。アンカーテープを切り、脛をポンと叩くと顔を上げた。
「終わったよ?」
「ん、サンキュ。先輩達いないんだから、ちゃんとやれよ」
「う……ごめんなさい」
 バッシュを履きながら鋭く言葉を吐き出す彼にシュンとして謝る。そのまま俯いてると、頭を軽くポンポン叩かれた。驚いて顔を上げると意地悪そうに笑う顔が見える。百五十ちょっとしかない私に比べ、山元は百八十以上あるはずだ。しかも意外に至近距離なため、首が痛くなるくらい顔を上げなくちゃいけない。不思議に思ってジッと見てると、今度はわしゃわしゃと頭を撫でられる。
「……何なの?」
「ん?いや、丁度いい感じの低い位置に頭があるなと思ってさ」
「……嫌味ですか?」
「お、馬鹿な割にはよく分かったじゃないか。偉い偉い」
 ニッコリ爽やかに笑う山元に口の端を引きつらせて笑い、その手を振り払った。
「馬鹿にすんじゃないの馬鹿っ!!さっさとシューティングしてなさいっ!!」
「へいへい。……お前はそうやって叫んでる方がらしいよ」
「……え?」
「落ち込んでるより、馬鹿面晒してる方がまだマシ」
「馬鹿面言うなっ!!」
 ヒラヒラ手を振って背中を向ける山元に、ちょっと泣きたくなる。馬鹿。何でこう、ハッキリ私の駄目なとこ言う癖にキッチリ慰めてくれるかな。だからそういう優しいとこにズルズル甘えちゃうんじゃないか。さり気ない優しさに気付いちゃうと、山元の存在ってのは実際大切なのだ。……だから、先日の発言が気になるんだけどさ。
 卒業式の日、私はずっと好きだった先輩に告白した。
 
―― そして、山元に告白された。
 突然のことでホントにビックリしてパニックに陥って、正直あんま覚えてない。確かに記憶にあるのは、妙に優しい触れ方とか声とか。甘ったるい笑顔とか、熱の籠った瞳とか、か、髪に落とされたキス、とか。
『俺、お前のこと好きなんだけど』
 その言葉を思い出す度、心臓がバクバクして顔が熱くなる。告白なんてされたの、初めてだった。しかも、山元になんて。

 山元恍。バスケ部所属で期待のエース。高身長で、成績も運動神経も良くって。しかも、一般的にはイケメンらしい。サラサラの黒髪、スッキリとした切れ長の瞳は真直ぐだ。スッと通った鼻筋とかぱっと見外国の女性みたいに綺麗。肌は男子にしては白い方。身長は高いけど、筋肉がついてるから細身では無い。更に、基本的にノリも良くて面倒見もいい。ここまで来れば女子が放っとく訳も無くて。文化祭は他校の子に声をかけられ、バレンタインは多分、最低三十個は貰ってた。実際友達に『瑞希は羨ましいなぁ山元くんと仲良くて』と何回か言われた。山元は好みじゃ無かったし、私に対してはとことん意地悪で俺様だったから、『あれと仲良くても羨ましくないでしょー』と返してた。
 そんな山元に、なんて……冗談としか思えないってば。
 けど、山元は確かに意地悪だけど、そういう冗談は言わない、と思う。クラスの男子が、大人しめの女子に罰ゲームで告白してたら本気で怒ってたし。だから、そんな人が、私なんかのどこに惚れるって言うの?
 そっと溜め息を吐く。山元が開始の合図を出して、タイマーに移動した。先輩方は、今修学旅行だ。確か、沖縄だっけ。一年だけで部活なので、とりあえず仮部長として山元が指名された。まぁ、リーダーシップがあるからぴったりだと思うけど。
「柳。七分測って」
「了解」

 私が山元の気持ちが今でも信じ切れない原因は、ここにもある。告白する前と後とで、山元の態度が変わらないのだ。普通だったら、ちょっとは緊張するとか気まずい思いしてもいいと思う。私、告白断ろうとしてた訳だしね。これじゃあ逆に私が、山元にふられたみたいだ。山元はいつも通り、私を弄って笑って殴って……。本当に好きな女子に取る態度なんですか?これ。現状は多分、山元の片思いなんだけどそれは真実なのかとちょっと考え込んでしまった。

「じゃあ、お疲れ様でした!!」
「「「「したっ!!」」」」
 全員合同の挨拶が終わり、本日の部活も終了だ。先生の椅子やら何やらを片付けて、帰る支度をする。ふと冷蔵庫を覗くと、ペットボトルの水が何本か抜けているのに気付いた。うちの部活では、部員共有でペットボトルに入れた冷水を飲んでいる。水道の水を入れて冷蔵庫に入れるだけだから、そんな時間もかからないし。他の準備のためにも、ちゃっちゃと済ませちゃおう。一人頷き、足早に出口へ向かった。

 体育館を出て外の水道に行くと、桜の蕾が咲いていた。どことなく暖かい空気に、春を感じる。もう七時だし、この水道は基本的にバスケ部の部員しか使わないような奥まった位置にある。一人無言で作業を進めると、やっぱり思うのは山元のことだった。
 
――ていうか私を慰めるための同情、っていう可能性は無いか?
 
それもないような気がするけど。私に本気で告白した、っていう線よりは自然じゃないかな?だから以前と態度変わらなかった、とか。……そうだよ。そうに違いない。山元が私を恋愛対象に見るなんて、ありえない。 一気に肩の力が抜ける。思わず苦笑してしまった。
 大丈夫。山元が、少し優しすぎただけ。そこには、何の感情もない。
 小さくため息を吐いていたら、不意に肩をつつかれた。一瞬身体が固まったけど、振り返れば、ニヤニヤ笑う男の子。見知った顔に、ほっと息が零れた。
「梶山」
「何一人で笑ってんだよー。彼氏でも思い出したか?」
「あんたいないの知ってるでしょ?」
「うん、嫌味」
「……あんたね」
 梶山は、部員の一人でムードメーカー的な存在だ。どんな時でも元気で明るいので、部活では大切なポジション。
「つーか先輩達土産買って来てくれるかな?」
「え、微妙じゃない?それに沖縄土産って何よ」
「……シーサーとか?」
「いや、それ無理だからっ」
 ボケる梶山に思わず笑ってしまう。部員とマネージャーなんて、漫画みたいな恋愛感情はなかなか芽生えない。どちらかと言えば、毎日側にいる、家族みたいなものだ。だから変に気負わず、相手の言葉を楽しめる。
「え、わかんないじゃん、そんなの」
「じゃあ先輩にメールしとくよ。梶山は特大シーサーが欲しいらしいです、って」
「いやいらねぇしっ」
「えぇー?」
 クスクス笑いながら、からかったり。裏表なく話せる相手って、結構貴重。そういう意味で、バスケ部の子は大切な存在で。でも、からかいすぎたみたい。梶山は頬を膨らませて、私に手を伸ばした。
「柳の癖して、なっまいきー。おら、こうしてやるっ」
「うわっ!!ちょ、やめてよー頭グチャグチャになるじゃん!!」
「いい気味ー。じゃ、俺行くわ」
「最悪っ」
 両手で髪をグシャグシャにされてひどいことになってる。まぁワックスとかつけてないから問題は無い、はず。手櫛でささっと直しながら、最後のペットボトルに水を詰め始めると同時に、後ろから声がかかった。
「柳」
「ほぇ?……あ、山元」
 振り返ると、山元がいた。不機嫌そうな顔に首を傾げる。
「何?何か用事?」
「別に」
「じゃあどうしたの?」
 水道に向き直ると、ペットボトルから水が溢れてる。慌てて蛇口を締め、キャップを取ろうとした瞬間、背中に何か温かいものが当たった。
「……?ふぎゃ!!」
「……もっと色気ある声出せよ」
「な、ななななっ、何で……っ!!」
 不思議に思い振り返れば、背後に山元がいた。壁に両手をつかれて、逃げようにも逃げられないし、水道と山元にすっぽり包まれてる。〜〜〜近いってばこの距離は!! 心臓が、あり得ない位大きな音を立てる。顔を俯かせていると、耳元に山元の息がかかり、ビクリと体が跳ねた。笑い声が、耳に、響く。
「……耳、赤いな」
「う、うるさいっ、ちょっと離れてよっ!!」
 こんな状況、初めてで。訳分からなくて、指に力が入らない。だから山元を押し返したいのに出来ない。止めて、掻き乱さないで、その気もない癖に。
 ――同情ならいらないから。
 
だけど山元は離れる様子を見せなかった。
「……さっき、誰と話してた?」
「っ?か、梶山とだよっ、いいから離れてよ」
「二人で?」
「そうだよ、それが何!?さっきからもうっ!!」
「何でこんな髪絡まってるんだよ?」
「梶山がふざけてやったの!!」
「……へぇ」
 山元の声が僅かに低くなる。だけど、そんなのより今の状況を何とかしたい。動こうとしない山元に苛立ちを隠せずにいると、山元は黙って片手で私の髪を梳いた。その優しい手つきに、一瞬思考がストップする。
「……山元?」
「あのさ」
「え?」
「そう簡単に男に触らせるなよ」
 妙に艶めかしい触れ方にドキドキを隠せずにいると、苦しげな彼の声。顔を上げると、切なげに眉を寄せた山元がいた。 まるで捨てられた犬みたいに切なそうな顔するから、こっちが申し訳ない気分になる。
「つーかあんま二人っきりとかにもなるな。男って危ないもんだし」
「そ、そりゃそうだけど。梶山に限ってそれは無いでしょ」
「あいつだって男だよ」
「う、え、う、うん……?」
「……本当、勘弁しろよ」
 舌打ちをして顔を背ける彼は拗ねてるみたいだ。その姿に、一つの可能性が湧いて来て、思わず言葉を漏らした。
「……山元、もしかしてやきもち?」
「……悪いかよ」
 少し頬を染めて口をへの字に曲げる彼は、普段と違って可愛い。が、どう考えたっておかしいでしょう。
「……何で?」
「は?」
「山元、私に同情してあんなこと言ってくれただけじゃないの……?」
 ずっとずっと、側で私の恋を見て来たから。慰めるためだけに、言ったんじゃないの?呆然とする私に、山元は顔を歪める。そして再び壁に両手をつき、真直ぐ私の目を見据えた。
「ふざけんな。俺は冗談や同情なんかであんなこと言わねぇよ」
「で、でもっ!!……山元が私なんて好きになる訳ないなって思って……」
 あたふたと言葉を重ねる私に苦笑し、彼は優しく言った。

「俺だって、訳分かんないよ。ただ柳が好きになってそれ以外考え付かないんだから仕方ねぇだろ」

 言われて、頬が段々染まり、頭がヒートしてしまいそうだと思った。私の顔を見て山元はクスクスと笑い、スルリと頬を撫でられる。その自然な動きにただ呆然とする私に、山元は意地悪く笑った。

「それでも、信じられないなら――」

 不意に、目を瞑った山元の顔が近付く。
  ……
アレ? ていうか、近くないですか? 鼻と鼻が、くっつきそうな……っ!!

 そこまで来て、私は何をされるかようやく気付き、山元の胸を思いっきり押す。私は真っ赤になって肩で息をし、山元は笑みを零した。それはそれは、綺麗な、笑みで。
「ちっ。あともうちょいだったのに」
「な、何てことすんのよこの変態!!馬鹿!!ドスケベ!!」
「好きな女にキスとかそれ以上したいとか思うのは普通だろ」
「わー!!言うなそれ以上言うな!!」
 叫ぶ私に山元はニヤニヤする。 何この変態!!セクハラ大魔神!!付き合ってないのに何しようとするか!!もう絶対、一人で山元に近付かない!!
 
心に決めていると、遠くから「柳ー」と誰かに呼ばれた。慌ててペットボトルを掴んで、山元の腕から逃れ走って行く。
「転ぶなよー」
「う、うるさい馬鹿っ!!」
 後ろの暗闇でケラケラ笑う彼に叫び返し、逃げるようにその場を後にした。




とりあえず、山元の気持ちが本気(かもしれない)ということは分かった。
まだ納得できない部分はあるけれど。
思いが認められないのは、届かないよりも寂しいことだから、信じようと思う。
……だからってセクハラは許容出来ませんがね!!

  

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