憎たらしいほどむかついて、
憎たらしいほど大好きで、
私は君で一杯だけど。
――君は、私と一緒なのかな?
The die is
cast.
五月某日。青々と茂る緑が眩しく、風も心地よい本日、私は。
「きゃー!天崎先輩、来てくれたんですねっ!」
「えへへ、久々」
「おう、みんなやってるな」
「わ、わ、先輩みなさんいるー!」
――母校の、懐かしきサッカー部の応援に来ていた。
今日は、関東大会県予選の決勝リーグ。今日の試合まで勝ち進んだらみんなで見に行こう、と最初から誘い合わせていて、ここにいる。
久々に姿を見せた私や、元三年にマネージャーは嬉しそうに声を上げてくれて。新入部員などについて、嬉々として語ってくれた。一生懸命なその姿が、微笑ましくて、思わずくすりと笑ってしまう。一緒に来た男どもは、アップをしている部員を眺めて歓声をあげていて。私も、そっと、何気ない仕草でコートを見つめる。
――いた。
何人いたって、関係ない。瞬間的に目に入るのは、いつだって、たった一人、だ。
鋭い眼差し、
大きな手、
強く引き付けられる、その空気。
視界に入った瞬間、思わず、こくりと息を呑んでしまった。
……少しでも、その眼差しに見据えられてしまったら、逃げられないと分かっているのに。こっちを向け、そう願ってしまっている自分は、馬鹿なんだろうか。思わず苦笑すると、後輩に不思議そうな視線をもらってしまい。何でもない、と首を振って、私は笑った。
それから、私達がしばらく練習を見て、元部員達が声援を飛ばして。観客席に引き上げるまで、――京くんは、私を一度も見ようとしなかった。
* * *
付き合いだしてから(?)、すでに二ヶ月経っているのにも、関わらず。
私と京くんは、全く連絡を取っていなかったりする。
……自分でも駄目だとは分かってる。というか別に、連絡を取りたくなかった訳では決してなくて。むしろ、彼氏とメールとかすっごく憧れるんだけど!けれども。メールが、出来ない。電話なんて、以ての外で。
『彼女なんだから、好きにメールも電話もすればいいでしょー?』と何人もの友達に言われた。私も多分、友達が同じ状況にいたら、そう言うと思う。
でも、相手は――京くん、だ。
彼女と言ったって、調子に乗ったら嫌がらないかな?というか、毎日練習だし疲れてるよね?それ以前に、用のないメールってあいつ、返信返すの?などなど、疑問が沸いては降ってきて。私は毎日、ぎりぎり送信ボタンを押すのを、躊躇ってしまう。
「……はぁ」
横に置いたバッグから、そっとケータイを取り出す。送信ボックスには、すでに五十件を超える未送信メール。その全ては、京くんへのもので。そこに綴られるのは、精一杯の、京くんへの気持ち。
『部活お疲れ様。私は、毎日暇で時間を潰すのにも飽きちゃいそうです』
3月23日。
『今日は入学式でした。新入部員とか来てるのかな?』
4月2日。
『暇な日とか、あるかな?桜が綺麗なんだよ!』
4月15日。
『大学は、慣れなくて大変です。京くんも、新チーム頑張ってね』
4月29日。
……こんな風に、延々と日常報告やデートのお誘いなど、必死に頭を絞ったメールが並んでいる。けれど、それは一つとして、彼の元には届いていない。そう思うと、無性に悲しくなる。
分かってる。自分が、こう仕向けているんだ、って。京くんだって、これ位のメールなら返信もくれるだろう、って。
――でも、駄目なの。
付き合う、ってことになってから、やたらと京くんの反応が気になってしまう。
片思いの時だって、たくさんたくさん、不安だった。
でも今は。彼が私を向いてくれる幸せを、知ってしまった。一度知ってしまった愛おしさや温もりは、手離すのが恐ろしくて。どんどん、臆病になっていく。『恋愛は勇気をくれる』なんて、誰が言ったの?私は、昔よりずっと、怖くなった。
彼に、愛想を尽かされることが。彼に、ため息を吐かれることが。――彼が、他の女の子を見つめる可能性を、考えることが。
好きで好きで、たまらなくて。秒速で高まる気持ちと比例して、私は怯えていく。
「……このまま、自然消滅、しちゃうかも、なのに……」
自分の呟いた、弱弱しい言葉は、選手入場の大きな歓声に、掻き消されたのに。その言葉は、私をひどく戒めた。観客席から見える、チームの先頭を歩く、京くんの姿。
どうしてだろう、京くん。二ヶ月前、あんなに君を近くに感じたのに。今は、こんなに遠いよ――。
ずきずき痛む心臓を、ぎゅっと押さえこんで、私は俯く。あの時の幸せが夢だった、と言われても納得できそうなくらい、苦い気分だった。
* * *
――試合結果は、2−0でうちの学校が勝った。
前半、調子の悪かったらしい京くんを、スタメンに昇格した田中くんが上手にフォロ−して。途中危なっかしいところはありながらも、見事に勝利を浚った。それはいい。それはいいんだけど。
「天崎、何やってんのー?帰ろうぜ」
「え、あ、うん、」
試合が終わった後、ぼんやりとコートを見つめる私に、元部長が声をかけた。うちの学校の試合が最終だったし、更にその後ぐだぐだ話し込んでいたから、もうほとんど人は残っていない。緑の芝生は風に微かに揺れるばかりだし、誰もいないコートを見ても意味はない。だからこそ、座り込んだままの私を、彼は不思議に思っただろう。仕方ない。……自分でも、分からないんだから。
曖昧に頷いて、隣のバッグを肩に掛け、小走りに彼の隣に並ぶ。首を傾げるその姿に、気付かない振りをした。
どうして、って思う。――京くん。何で今日、そんなに調子悪そうなの?
基本的にテンションが激しく変わらない彼は、試合前でもそれは同じで。いつでも同じようにプレイ出来るのが、京くんの強みなのに。今日の京くん、すぐ分かるくらい、調子悪かった。試合中、集中力欠けてるの丸分かりだったし、何度も苛ついた顔してたし。自分でも『上手くいかない』って分かってたんだと思う。そこまで考えて、思わず俯いてしまう。
こういう時、『彼女』が励ましたりするべきじゃないの?
『マネージャー』のころなら、簡単だった。「しっかりしろー!」って罵声を浴びせることも出来たし、背中を叩いてやることも出来た。でも、『彼女』っていうのは多分、もっと甘やかすような。
「はぁ」
分からない。
駄目だ、私。
付き合ったこともないから、どんな行動をするべきなのか、全然分からない。自分が何も出来ないことにも、何をしたらいいか分からないことにも、ガッカリだ。
――こんなんじゃ、京くんに呆れられても仕方ない――
何度も胸の中で呟いた文句に、ずぅんと、落ち込んでいた、時。
「あ、」
「?」
隣を歩いていた元部長が、驚いたような声を出す。怪訝に思って、私も顔を上げてみて、……目を見開いた。そこには丁度、制服姿の部員がいて。バスに乗り込むところで。その、一番後ろを歩いている人は。
「京、く……」
――恋しくて、焦がれて、止まない人。
私の声が、聞こえたはずないのに。彼はふと、落としていた頭を、上げて。
「っ」
絡んだ瞬間、……鋭くなる視線。距離にして二百mは離れているのに、そのイライラがはっきり伝わって。思わず、びくりとする私を、隣にいる彼は不思議そうに見つめる。
「天崎?大丈夫か、バス乗るから走るけど」
「あ、うん、大丈夫。行こう?」
気遣うような視線と言葉に、必死で笑顔を作り、答える。走る体制の彼に合わせて腕を振ると、満足そうに笑われ。すぐに出発したその大きな背中を、慌てて追う。背中越しに見える京くんは、何故か1人、まだバス停に残っていて。一足先に着いた奴は、京くんに声を掛けていた。
「お疲れ、京っ。お前乗んねぇの?」
「お疲れ様です。……ちょっと、歩きたいんで」
息を切らしながら、バス停に辿り着いた私の耳に届くのは、いつも通りの淡々とした声音。軽く手の甲で汗を拭いながら顔を上げると、奴はバスに乗り込み、発車のアナウンス。
目の前に立つ京くんを見るのが、怖くて。未だに瞼の裏に揺れる、京くんの鋭い視線。あれは私に、一直線に注がれていて。
きゅっと、唇を噛む。
目の前の京くんを、あまり見ないようにして、私はバスの入り口に向かった。
――
一緒にいたい。どうしようもなく。
だけど、もし。別れ話でも切り出されたら?
考えただけで目の前が真っ暗になる未来に、私は震えて。
逃げたって、意味ないとは分かってる。それでも、少しの時間でも。私は、それに縋りたい。京くんと、『恋人』でいられる事実に――。
目を瞑って、バスのステップに足を掛ける。その瞬間。
「!!」
後ろから。
左手首が、掴まれて。
呆然とする私の足は、傾きながら、ステップの一段下、コンクリートの地面に落ちた。よろめく私の腰は、力強い腕に浚われる。
それは。
「なに、無視してんですか」
「っ」
目の前で過ぎ去っていく、バスの車体。車内のうちの部員達はみんな、目を丸くして私達を見ている。だけど、私の意識は。耳元で囁かれる声と、後ろの温もりに、一杯になってしまって。
何で。どうして?
声にならない疑問を、口にするより早く、彼は私から、身勝手にも温もりを離し。そして、呆然とする私の手を、乱暴に引き寄せる。
「っや、痛、」
「……」
だけどその温もりは、あの日と違って、ただ痛いばかり。思わず叫んだ私の声を完全に無視して、京くんは足早に歩き始める。打ち付けた足の裏は、サンダルだったことも重なって、ずきずきした。繋ぐというよりは、握られただけの手は、絶対に赤くなってる。
だって、痛い。手も、足も、――心も。
訳が分からなくて、何を考えているか分からなくて。じわり、瞼が熱くなった。
もう、やだ。京くんを好きになってから、涙腺が緩みすぎてる。それでも、踏ん張って彼を止めようと思ったのに。
「京く、」
「……あんたと、付き合わなければよかった」
「、」
――その一言に、そんな決意も呆気なく崩れる。
「……え?」
呆然と抜ける私の言葉も、無視されて。さっきの言葉ばかり、頭で反響する。
今、何て。
何て、言った?
『……あんたと、付き合わなければよかった』
「や!」
ぼろぼろと零れる涙を、拭うことも考えられず。私は、彼の手を握る。そして、歩くのを止め、面倒くさそうに振り返る彼の顔を見上げるけれど。潤んだ視界じゃ、見えない。ひく、と震える喉を叱咤しながら、私は弱く首を振った。
「や、いや、京く、……別れないで……」
「……」
いや。いやだ。こんなことで泣いてうざい女って、思われたらどうしよう。でも、いやだ。京くんと別れるなんて、絶対にいやだ。
言葉の端々を震わせながら、私はもう一度首を振る。
「……き、好き、だから……ねが、っく」
必死の懇願は、通じるだろうか。私は、彼に伝えられるだろうか。
いつか、別れる日が来ても。仕方ないから、その手をすぐに離してやろうって。あんなに、思っていたのに。
「ゃ、だよぅ……京くん……っ」
――今、こんなに必死で彼を引き留めようとしている私がいる。
こんなの、きっとますます嫌われるだけなのに。私は、彼の手をぎゅうぎゅう握り締めて、ただただ泣く。壊れた蛇口みたいに、目から涙が、止まらない。
だって、好きだ。どんなにみっともなくなったって構わないって思う。それで京くんが、渋々でも付き合ってくれたら、それで、って。
「っ」
「……ホント、あんたは泣いてばっかですね」
つーか、俺のせいか。
自嘲気味な言葉と共に頬を包む温もりに、私はびくりとして。落ち気味だった頭を、慌てて上げる。そこには、太陽を背に眉を曲げて笑う、京くんが、いた。頼りない瞳の色は、今にも壊れそうで。私は、言葉を失う。
「でも、付き合わなきゃ楽だったな、ってのは本音」
「っ、」
「別れるって意味じゃなくて」
けれど、その次に飛び出した言葉に、慌てて京くんのYシャツを掴む私に、京くんは苦笑して、そっと頭を撫でてくれた。ぎこちないその仕草に、私はひどくホッとする。
「天崎先輩と付き合ってなきゃ、こんな女々しい自分、知らないで済んだな、って」
「……女々しい?」
ぐず、と鼻を啜りながら、京くんの言葉を反芻する。女々しい、って、京くんが?首を傾げる私に、京くんは、そう、と頷く。
そして私は。
「例えば、メール来ないのやたらと気にしたり」
唐突に、気付くのだ。
「例えば、別の男と一緒にいるのにやたら苛付いたり」
彼も、一人の高校生だって。
「例えば、もう飽きられたのかとか考えて、試合に集中できなくなったり」
私と、同じ。
「例えば、わざわざ部員に付き合ってるの見せびらかして牽制したり」
恋に不慣れな、一人の男の子だ、って。
苦笑する彼の弱々しさに、私は、無性に胸が苦しくなって。それでも、何も言えなくて。黙ったまま、その両腕の温もりが、ぎこちなく私の背中に回るのを、待った。
……どうしよう。
京くんが一つ、私に弱音を漏らす度。ますます、彼に溺れる自分がいて。もう、絶対に離れたくない、って気付かされてしまう。
そっと、彼の肩に顔を埋めて、息を吐く。
汗ばんだYシャツも、少しだけ濡れた黒髪も、微かに香る制汗剤の香りも、中途半端に開いたお互いの距離も。その全てが愛おしくて、大好きで、ふふっと笑う。
ぴくりと揺れる身体を、今度こそ逃したくなくて。私は、そっと彼の肩に腕を回した。
「……京くん」
「……」
「京くん」
「……何ですか」
耳元で囁けば、くぐもった返事。
目なんか合わせなくたって、怖くない。頬に触れるその耳の熱さが、君も同じなんだと、伝えてくれるから。
「ずっと、会いたかったんだ、京くん」
「……そーっすか」
「うん。だからね、今、」
――幸せ
言葉にしなかった私の気持ちに、彼は、気付いたのだろうか。
その瞬間、二人の中途半端な距離は、0になった。 |