ずっと、ずっと。 私は、階段を登り損ねていたの。 目の前にあるものから目を逸らして、逃げて。 だけど、逃げないことを、あなたが教えてくれた――。 All Along 「山口ーお前今日も部活?」 「おう。じゃあなー」 放課後の教室の中、友達に手を振る山口が、笑ってる。だけど私は今にも零れそうな涙を必死にこらえていた。寒さのせいで、真っ赤になった頬がひび割れてしまいそうなくらい痛い。震える声で、必死に山口に向かって叫んだ。 「っ、山口っ」 「ひとみ先輩」 私に気付くと、すっごい笑顔で走り寄ってきて、近くの廊下側の窓を開けてくれた。お陰で、暖房で暖まった教室の空気が流れ込み、少し暖かくなる。頬をピンク色に染めた彼は、幸せそうな笑顔で尋ねてきた。……こんな時になんだけど、山口ってやっぱり犬みたい。 「どうしたんですか?3年生はもう、自由登校じゃあ……」 「あのね、今日、志望大の合格発表だったの」 「え、結果は?」 学校に来た用件を伝えると、不意に真剣な顔になる。初詣も付き合ってくれたし、受験の日にもメールをくれた山口。だから私は、先生に言う前に山口に言いに来たんだ。私の潤んだ目を眺める、山口の不安そうな顔とかち合った。だから私は無言でうなずき、――ニッコリ笑ってVサインを出した。ぱぁっと一気に明るくなる、彼の微笑み。 「マジですか!?」 「うんっ。山口のお守り効いたよー」 「やや、ひとみ先輩が頑張ったからですよ!!本当におめでとうございます」 「ううん、ホント山口にはお世話になったから早く言いたくって」 頭を下げると、慌てて首を振られた。だけど顔を上げたら照れくさそうに笑ってくれたから、嫌な訳ではないみたい。ホッとした。 ふと思いついたように、山口は話題を振ってきた。 「じゃあこれで、陸上部の先輩は大体決まりですかね?」 「そうだねー。あとは……」 「お?何だよ山口ー彼女かー?」 「え!?マジで!?うわ可愛いー!!」 質問に答えようとしたら、それを遮るように廊下の先から声。振り返ると、どこかで見たことのある男子2人組がいた。2年生、かな?山口の友達だろう。冷やかすような言葉に、私は何て返せばいいか分からなくて、頭1個以上高い位置にある、彼の顔を見上げる。すると山口は私を見ずにそっちを向いて、顔を真っ赤に染めて叫んだ。 「っバカ、違ぇよ!!」 そしてこちらに視線を戻すと、申し訳なさそうにうなだれた。 「すみません先輩、その……」 「あ、ううん、気にしてないから。じゃあ私、先生にも言わなくちゃだから、行くね?部活頑張って」 「あ、ひとみ先輩っ」 慌てたように後ろからかけられた声を振り切って、小走りする。 何で。何で、こんなに胸が痛いんだろう。確かに、付き合ってないのに。否定するのは、当然なのに。なのにそれが嫌で悲しくて、山口の前で泣いてしまいそうだったから。 作り笑顔を貼り付けて、逃げ出した。心がすかすかしたのを、確かに感じながら。 廊下で、友達に会う。お互い上手い具合に合格した組らしく、職員室で担任に報告してから一緒に帰ることにした。帰りに、ふと思い出したように友達に聞かれる。 「ていうか、ひとみチョコ誰かにあげる?」 「え、チョコ?」 「もー明日バレンタインでしょ?どうする?」 「あ、そっか、バレンタインか」 覗いた携帯の日付は、2/13。そうか、明日はバレンタインか。受験で忙しくて、それで手一杯で、日付の感覚もそういう行事ごとも頭から吹っ飛んでた。良かったらスーパー寄ってもいい?という彼女の言葉を聞きながら、グラウンドを見つめる。新しく部長となった山口が、白い息を吐きながら、声出しをしてアップのランニングをしていた。 その姿を見てたら、どうしてだろう。――胸が、苦しくなる。 目を細めながらそれを見つめ、「一緒に行くよ」と返事を返した。 夜、12時。親に見られるのが何だか気恥ずかしくて、結局作るのがみんな寝静まった夜中になってしまった。 山口には、お世話になったから。だから、そのお礼で渡すのもいいかもしれない。毎年、マネージャーは部員に渡してそれを美味しそうに食べてたから、甘いの平気だろうし。 エプロンをつけて、ボウルや鍋を出し、材料を並べていく。卵、バター、小麦粉、それとほろ苦いチョコレート。 喜んで、くれるかな? 喜んで、くれたらいい。 渡して、それでいつものあの笑みを見せてくれたらいい。 山口の笑顔を頭に浮かべて、自分の頬も緩んでいるのを感じる。 キッチン中に甘い匂いを漂わせて、オーブンがなったら一つずつ並べましょう。少しでも、形のいいものを。少しでも美味しいものを、渡したい。 ――だって、お世話になったんだもん。 何個か綺麗な形のをチョイスしたら、次はラッピング。買ってきた箱に詰めて、リボンは何色がいいだろう?ピンク?青?緑?赤?考え込む自分が何だか面白くて、気付けば鼻歌を歌ってる始末。後片づけまで全部終えて、自慢の一品を眺めた。 そこでやっと、時計を見る。 「!!?」 AM03:48。デジタル時計の時間を見て、慌てて寝る準備をする。 ああ、これじゃ寝坊しちゃう。――何て、自由登校なのもうっかり忘れて。あったかい布団に包まれて、ぐっすり眠った。夢の中で、山口のあのはにかんだ優しい笑顔を、思い描きながら。 ――この時の私には、どうしてこんなに山口の一言が気になるのか、とか。 チョコ1つ渡すのにどうしてこんなにそわそわしてる自分がいるのか、なんて全く分からなかった。 ……分からないふりをした。 |