見つけてしまった、何よりも大事な華。
どんな光よりも眩い君の瞳は美しく、強く、そして、深い。
――その輝きに、いっそ溺れてしまいそうなほど。

           
Fall In Love 2


 一晩経って、やっと落ち着いたかと思えたが、気付けばあの微笑みを探す自分がいた。朝の通学路で、移動中の廊下で、体育の授業中にもぼんやりと校舎を見上げ、彼女を求めている。
 どうしてか、分からない。自分の行動に、頭が着いていかない。
 ただ、もう一度会いたいと。それだけを考えて過ごしていたら、二週間が過ぎた。未だに彼女には会えず、部活でも集中しきれなくていまいち調子の悪い最近。
 せめて学年だけでも分かれば――。
 そう思いながらため息を零し廊下を見ると、葉村がいた。目が合うと、手を振られる。首を傾げながら席を立ちドアを開くと、慌てたような表情を浮かべた。頬をくすぐる熱風と、背中に当たる冷風がくすぐったい。

「何か用か?」
「あーごめんね、友達に付き合ってこっちの方来たらいたから思わず……」
 
申し訳なさそうに、葉村はしゅんとして俯く。
 ……前から思ったんだが、こいつは妙に気を遣いすぎるところがある。そう思って声をかけようと口を開いた瞬間、視界に飛び込んだ、姿。
 
サラサラの短い黒髪が、陽を受けて茶色に透ける。白く細長い腕が、真っ直ぐに葉村の首元に伸びていった。そんなに大柄でもない葉村の肩当たりに額がぶつかるってことは、相当小さい。そして、あの日と同じ笑顔が目の前で揺れていた。
 突然ぶつかられた葉村は、ぐぇっとカエルが潰れたような声を出した。
「ひとみ見つけたー!!」
「っ未歩ー!!突然抱きつくの止めてって言ったでしょ!?」
「えっへへーだってひとみ抱き心地いいんだもん、柔らかい」
「……何であんたはそう、外見は守ってあげたくなる感じなのに中身は親父っぽいの」
「む?そんなことないですよー。全然か弱い乙女ですって」
「どこが」
 
目の前でじゃれ合う二人を、じっと眺める。間違えるわけ無い。あの日、あの夕焼けの中で見つけたあの少女だ。不意に彼女が、こちらに視線を向ける。やっぱり息が、出来なくなった。じーっと見つめると、不意にニッコリと無邪気な微笑みを俺に向けた。頬が、熱い。赤くなったのが、自分でも分かる。視界の端で、葉村が驚いた表情を浮かべているのが分かった。
「こんにちはー。こないだの人だよね?」
「え?未歩、柳原くんと知り合いなの?」
「知り合いって言うか、こないだちょっと帰り道一緒になったんだよ。ねー?」
「っ、ああ」
「ていうかこの人が柳原くんだったんだぁ。いっつもひとみがお世話になってるみたいで」
「ちょっと未歩、何それー」
「だって教室でいっつも言ってるじゃん、部活ですごい良い人がいる、って。改めて、こんにちは。私、柏木未歩です。よろしくね?」
「よろしく……」
 
おかしい。自分が、おかしい。元来人懐っこいタイプでは無いが、決してここまで口下手でも無かったはずだ。
 なのに、どうして?――この笑顔を見ると、上手く言葉がしゃべれない。
 そこで俺を救うように、昼休み終了のチャイムが鳴った。葉村と柏木は、慌てて駆けていく。去り際に、「まったねー!!」と笑顔で手を振りながら。

* * *

 それからは、一応友達という関係になったのだと、思う。廊下で会ったら挨拶をして、話をして、教科書の貸し借りをして。
 だけど、どうやったって俺の中から柏木の笑顔は、声は、存在は、消えてはくれない。会えば会うほど、話せば話すほど、降り積もって、この心を埋め尽くしていくから。誰に相談すればいいか分からないまま毎日を過ごしていた。

 そんなある放課後。いつも通りに部活後の自主練をして、帰り道を歩いていく。冬も近いので、まだ七時過ぎなのに大分暗い。閑静な住宅街は静かで、落ち着いた気持ちのまま歩いていった。音楽でも聴こうか、なんてイヤホンを引っ張り出した瞬間、かすかな、悲鳴。
 それに思わず走り出した。
 確証なんて無い。ただの、空耳かもしれない。だけど、あの声は確かに、
『っ、ゃだ!!』
 
柏木だった。

 そのままの勢いで角を曲がっても、誰もいない。やはり空耳だったのかと思って安心して息を吐いたときに、横の細道から微かな物音。慌てて走り寄ると、――暗い中でもはっきり分かる、柏木に、見知らぬ男がのし掛かっていた。

 目の前が、真っ赤になった気がする。

 一瞬柏木と目があったと思った後には、拳がジンジンと痛んで、男が転がっていた。
「……柏木、大丈夫か?」
「っ……」
 
制服は多少土がついてるものの、特に乱れていない。何も、無かったのだろう。良かった。身を起こした柏木の側にしゃがみこんで、少し土が付いたその頬を撫でようとする。目を見開いたままの彼女は、それに一瞬ビクリと肩を震わせた後、全身を震わせ始めた。指に、暖かい雫が触れる。彼女は大きな瞳から、ぼろぼろと涙を零していた。そのまま、俺の胸へと倒れ込むようにしがみついて、しゃくり上げる。
「っ、こ、怖か、った……よぅ、っ」
「ああ、大丈夫だ、落ち着け。もう、大丈夫」
 
背中を撫でて、落ち着かせる。何度も何度も、その耳元に大丈夫、と囁いた。

 警察に連絡をして、男を引き渡してから一緒に駅まで歩いていった。俯き加減な彼女に、いつもの笑顔は無い。それも当然だと思うし、ここで痛々しい作り笑いなんてされれば、多分苦しくて仕様がない。
 こんな時に、何て声をかければいいか分からない。使えない自分に苛々した。
 結局、口から零れた言葉はあまりに平凡だった。
「……いつも、こんなに遅いのか?」
「ん……部活、あるし」
「友達は?」
「仲良い子は、方向違うんだよね。自主練もしてるから、さ。家の方は駅のすぐ近くだから平気なんだけど」
 
苦笑する彼女は、何だか悲しそうだった。明日から自主練は止めようかな、と言う彼女に胸が苦しくなる。多分、部活が好きなんだろう。その気持ちが痛いほど分かるから、俺は不意に提案をした。
「陸上部が終わるの待ってられるようなら、一緒に帰るか?」
 
ビックリしたようにこちらを向く柏木。
 ……さすがにこれは、まずかっただろうか。付き合ってもいない男と一緒に帰るなんて、しかも俺が終わるのも相当遅いし。
 やっぱり止めよう、と口にする直前、彼女は満面の笑みで笑ってくれた。
「いいの?」
「え?あ、ああ俺はかまわないが……」
「じゃあ、お願いしてもいいかな?柳原くん、電車も一緒だよね?」
「ああ」
「それなら、よろしくお願いします」
 
ぺこりと頭を下げられたので、慌てて俺も下げる。二人して駅の前でこんなことをしてるのが少しおかしくて、顔を見合わせて笑った。幸い電車も同じ線で、柏木の方が俺より何駅か早いだけだった。電車から降りるときに、もう一度彼女は少しはれた目で微笑み、「ありがとう」と言った。その笑顔がどうしようもなく眩しくて、唐突に気付かされる。

 ああ、こんなに愛おしいのか。
 こんなに、大切なのか。
 ――こんなにも、好きになっていたのか。
 自覚のない恋心に気付いた瞬間、電車のドアは閉まった。

 それからは毎日一緒に帰った。どちらかの部活がオフだったりする時やテスト期間も、多分結構な確率で一緒だったと思う。無口に分類される俺は、柏木の話を黙って聞いて時々相槌を打ったりする程度だったから、「つまらなくないか?」と一度尋ねたら、「つまらなかったら一緒に帰ったりしないよ」と笑ってくれた。それ以来、そういうことは聞いていない。俺としては、別に柏木の笑顔が見て歩ければ、それだけで幸せな気がしたから。
 だけど、人間はどこまでも貪欲な生き物だと、しみじみ思い知らされた。
 あとしばらくしたら、柏木と出会って三度目の夏が来る。そうしたら俺達三年生は部活を引退して、俺達が一緒に帰る理由は無くなる。その前に、どうしてもこの曖昧な関係をハッキリさせたかった。

* * *

 真っ暗なグラウンドを抜けて、校門まで、走る。真っ白なセーラー服に身を包んだ、始めて会ったときと変わらない小さな彼女が立っていた。飴を舐めながら、こちらに気付くと嬉しそうに目を細める。
「柏木!!」
「柳原くん。遅かったねー」
「悪い、ちょっと話し込んでた」
「大丈夫大丈夫、気にしてないから。じゃ、行こう?」

 軽く腕を引っ張られて、歩き始める。それだけでも、俺の体温は一気に上昇するのに。お前は、何も感じない?俺のことを、何とも思っていない?
 いつもと同じ帰り道、目の前に吹雪く桜の花びら。
 だけど、このままじゃ駄目だから。
 笑って話す彼女の目を見つめて、立ち止まる。突然立ち止まった俺に合わせて柏木も歩みを止めると、首を傾げてこっちの顔を覗き込んできた。
「柳原くん?どうかした?」
「……柏木」
「ん?何?」
 
柔らかく笑うその顔は、確かに二年前よりずっと大人びていて。俺一人だけ取り残されたみたいで、焦る。情けない。口の中が乾いて、用意した言葉が上手く出て来ない。だけど彼女はそんな俺を見て、笑ったまま待っていてくれた。
 落ち着け。落ち着け。普段は淡泊だとすら言われる俺なのに、柏木に対してだけはこんなにも緊張する。やっと開いた口から出てきた言葉は、小さくて掠れていて、本当に情けない。

「つ、き合わない、か?」
 言って、大きく息を吸い込む。容赦なく赤く染まる頬。額には汗が滲んできた。ぽかんとこちらを見つめている柏木は、しばらくそのまま固まっていると、困ったように笑って、軽い口調で言い放った。
「……ていうか私、もう付き合ってるかと思ってたんだけど」
「っ!?」
「そっか、柳原くんはそう思ってないのか。道理で彼女いるか聞かれても否定してたわけだぁ」
 
「内緒にしたいのかと思ってた」と笑う彼女は、ホッとしたように頬が緩んでいた。だけどこっちはそれどころじゃない。必死の告白が、まさかこんな形で逆転するとは思わなかった。頭が混乱しすぎて何も言えない俺に柏木は笑って、ゆっくり俺の手を取った。震えた俺の手を、しっかりと握ってくれる。
「あの日、柳原くんが助けてくれたときから、ずっと好きだった。あの時、私の声があなたに届いて、良かった」
「……っ、」
 
満面の笑みで笑う彼女が、愛しくて愛しくて。気付いたら、その小さな体を思いっきり抱きしめていた。力の限り、どこにも離したくないと全身で叫ぶように。

 何秒、何分、何十分か分からない。ただ、顔を上げたお互いの眼差しは潤んで、濡れていた。その理由も、きっと一緒。額を合わせて、くすくすと笑った。以前よりも伸びて、肩より少し長い髪を手に取る。愛おしむようにその髪を指先で撫でて、微笑む彼女を見つめた。




夕日は、もう差していないけど。
街灯で伸びる影は、揺れているけど。
だけど、やっぱりその微笑みは綺麗で、優しくて、俺の心は否応なく揺さぶられるのだ。

そっと、どんな時でも煌めく瞳が閉ざされて。
何も言わないまま、顔を傾けて、口付けた。
誰よりも愛しい、眩い君に。
この心が、全て伝わればいいと、願いをこめて。








***
まさかの部長番外編(笑)
このお話は本編んで部長の彼女話がでてから、ずっと書きたかったお話です。
未歩さんは部長とは正反対の性格にしようと思っていました。頑固・真面目にぴったりなのはやはり自由奔放・天然無邪気かな、と。
ひとみ先輩とは大親友です。ていうか世話を焼くひとみ先輩、懐く未歩さんて感じ。本編後は、お互いからかったりからかわれたりなんでしょうねww


  

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