目の前に出された日高の腕を、当たり前のように組んだ。付き合うようになってからは、これが普通だから。今更、恥ずかしがることもない。ただ、愛おしさが胸一杯に広がるだけで。ちらりと歩道に立ち並ぶショーウィンドウの一つに映る、二人の姿を見つめる。お互い、入学式が同じ日だったから終わってすぐに駅で待ち合わせした訳なんだけど。改めて見ても、やっぱり。
「日高、本当にホストにしか見えないよね……」
「あぁ?お前、朝も同じこと言ってなかったか?」
「うん。何回見ても同じ感想しか出ない」
 ストライプ柄の黒いスーツも、青いYシャツもよく似合うんだけど、いかんせん、日高のよく焼けた肌のせいか、顔立ちのせいか、はたまた受験前に黒染めしたその髪を、春休み中に明るい茶髪にしたせいか。とにかく、街で女の人を引っかける職業の人にしか見えない。
 ……まぁ、格好いいには変わりないんだけどね。声に出したら調子に乗るだろうから、口にはしない。でも内心、ニヤニヤものだった。
 不意に、日高が真っ直ぐこっちを見つめる。相変わらず、透き通ったガラス玉みたいな瞳が私を射抜いた。右手で首元のネクタイを緩めて、足を止める。ふぅ、と軽く吐かれた息と一緒に露わになった喉仏が動く様子は、やたら色っぽい。一ヶ月前まで、一緒に制服を着て高校に通っていたとは思えない位、大人びていて。思わず私が一歩後退るのと、その指先が私の頬に触れるのは、同時だった。
「、」
「水澤、今日化粧してる?」
「へ、ああ、うん。スーツだからね。変?」
 童顔な私じゃ、どうにもスーツが浮いてしまって。春休み一杯練習をしたから、見れるものには、なってるはず。だけど日高は顔を歪めたから、心配になって尋ねると、「いや」と渋い顔で首を振り。
「可愛いから、他の男の目につきそうで心配なだけ」
「!!」
「けど、化粧すんなっつっても、お前すっぴんでも可愛いからなー。どうすりゃいいかな」
「し、知るか馬鹿!!」
 真剣な顔してそんなこと悩む目の前の男は、きっと果てしない馬鹿。そこのお嬢さん、あんたの見つめてるのは今世紀最大の阿呆ですよ。内心、そんな風に意地を張ってみるけれど。
 でも、駄目だ。――めちゃくちゃ、嬉しい。私相手にそんな心配するのは、時間の無駄だと思うけど。こんな風に一途に思われて、嬉しくない人間、いないでしょう?
 緩む頬と真っ赤な顔を隠そうと、俯いて日高の腕に抱き付いた。そうしたら、頭上でふっと笑う気配。そして、大きな手は私を甘やかそうと整えた髪をぐしゃぐしゃにした。でも、嫌じゃない。こいつがすることで嫌なことなんて、一つもない。素直に口に出来ない私は、いつだって日高頼りだけど。それを許してくれちゃう君にも責任ある、なんて言い訳にも程があるよね?
「あー……やっぱ俺、水澤似の娘がいいわ」
「……まだ言うの、それ」
 だけど唐突に日高が口にした言葉に、私は顔を上げた。にやにやと笑っても格好いいんだけどさ、やたらいかがわしく見えるよ、あんただと。呆れた顔を見せると、日高の妄想はまだまだ続く。
「欲しいもの何でも買ってやるし、どこでも連れてってやるな、多分。俺すげぇ親馬鹿になるわ、ぜってぇ」
「……うーん」
 その様子を想像しようとすると、やたら鮮明に思い描けた。多分、娘が嫌がる位ベタベタし続けるんだろうなぁ。ていうかそんな育て方したら、甘えん坊になっちゃう。私がちゃんとしなくちゃ。そんなこと、頭にあっさり浮かぶ位私は日高の話に夢中になった。だけど不意に、私の頭に意地悪な考えが浮かぶ。
「でもさ、娘だったらいつかお嫁さんに行っちゃうよ?」
「……」
 私がそう言うと、日高は、びきりと固まり。数秒して、ひどく不機嫌そうな顔を私に向けた。
「……許さねぇ」
「はぁ?」
「ぜーったい許さねぇ!!どっかの馬の骨になんかやれるか!!」
「あんた、どっかの馬の骨って……」
 まだ、生まれてすらいないのに、よくもここまで憤れるものだと思う。本気で、不機嫌になったみたい。想像上の婿殿がそこにいるのか、空中をじっと睨んでいた。くすりと笑いながら、組んでいた腕を下におろし、指を絡めて手を繋ぐ。やっとこっちを向いた日高に、小首を傾げながら笑いかけた。
「娘がお嫁に行っちゃっても、私はずっと側にいるよ」
「……水澤」
「子供が全員家を出て行っちゃっても、お互いよぼよぼのおじいちゃんおばあちゃんになっても、一緒にいる。
――それじゃ不満?」
 じっとその瞳を見つめて、答えを待つ。固まったままの日高は、やがて表情を緩めて。瞳にとびきり優しい色を乗せながら、空いた手で私をぎゅっと抱き締めた。

「……んな訳あるか。お前がいれば、俺は幸せだよ」

 そのまま、日高の薄い唇は私の額にそっと触れた。羽のように軽いそれに、私は思わず笑ってしまう。幸せの感触が、確かにこの指に触れた気がした。

 しばらく私を抱き締めた後、日高は繋いだ手を引っ張って歩き出す。迷いのないその足取りに、私は首を傾げた。
「日高?どこ行くの?」
「駅」
「えぇ?」
 ぶらぶらしてご飯を食べる場所を見つけるんじゃなかったのか。私の声にならなかった疑問に答えるように、日高は私の方を少しだけ振り返って。口の端を吊り上げ、笑ってみせた。
「いつものラーメン屋、行こう」
「えぇ!?ちょ、スーツに汁跳ねるよ!?」
「気合いで何とかしろ。店長、お前の顔見たがってたぞ」
「むむ〜」
 高二の時から、日高とよく行っていたラーメン屋。その内、店長が顔を覚えてくれて、色々サービスしてくれるようになった。高三の十月くらいから、忙しくて全然行けなくなっちゃったから、行きたいには行きたいんだけど、こんな日までラーメンって、どうよ。二人ともスーツ姿で、格好良くイタリアンとか、無理な訳?そんな不満は、後から後から生まれてくるんだけれど。
「な、水澤?奢ってやるから」
 ……その笑顔を見てたら、どうでも良くなってしまった。日高がいれば、私にとってそこは、一番幸せな場所。だけど素直になりきれない私は、今日も苦笑して。
「仕方ないなぁ。チャーハン付きだからね?」
 わざとらしい言葉と一緒に、その手を握り返すのだ。

 


確かに二人の歩く道は、徐々に徐々に離れていくけれど。
きっとこの先、必ず交わる。
そんなことが確信出来る位、君の隣は手放せない。
未来は全然、分からない。
それでもこの手だけは、離さないから。強い誓いを胸に、どこまでも一緒に、歩いていこう。

やがて、何年も先。
日高そっくりの娘と、私そっくりの男の子が家を賑やかす時が来ることも。
今の私達は、知らないこと――。


  

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