クリスマス、なんでもなかった一日。
それは貴方の存在で、奇跡の一夜に変わるの――。
Xmas Night
「なぁんであたしが聖夜にカップルに貢献しなきゃいかんのかーーっ!!」
「そこっ、騒がない!!お客さんの前なのよ!!」
午後四時。
ケーキの箱を抱えて店頭に運びながら叫べば、パートのおばさんに怒鳴られる。唇を尖らせながら頭を下げてバックヤードに駆け戻れば、横から「、ぷっ」笑い声が聞こえた。むっとして振り返れば、予想通り。真っ白い、いわゆるパティシエ服に身を包んだ長身の男が、その身体を丸めて噴き出していた。
「……いつまで笑ってんの、宮崎」
「わる、い、沢島。高校ん時も、クリスマスケーキ作りながら文句言ってなかったっけ」
「……悪いか」
成長がない、と言われたようで悔しくて、ムッと彼を睨む。けれど効き目はなく、ますますおかしそうに笑い声をあげるので、黙って背中にパンチを叩きこんだ。
宮崎英治(みやざきえいじ)。高校時代の同級生で、今現在横で笑う男は、そんな名前だ。
百八十を超えるすらりとしたモデル体型に、茶色の癖っ毛、緑がかった瞳。(どうやらおばあさんがイギリス人だった模様)整った顔の造形は、笑うとくしゃりと潰れ、人懐っこく映る。非常にモテる男だったけど、だからと言って奢る訳でもなく、女子に対してべたべたする訳でもない。男子からも女子からも人気が高くて、宮崎がいるところはどこも人だかりになっていた。
あたし――沢島聖(さわしまひじり)――と宮崎の出会いは、高校一年生の時。
入学式の時、彼が新入生代表として壇上に上がった時、『王子様ってこの世にいるんだ』なんて本気で思ったものだ。
まぁそんな王子様と一般庶民のあたしに関わりなんて、ある訳ないし。そう思って彼のことはそうそうに恋愛対象外になったんだけど。
けれど人生、なかなか予想外のことは起こるようだ。
部活動には絶対入部しなくちゃいけなかったうちの高校。あたしは料理が下手だったのと活動が週三回しかなくて楽そうだったので、調理部に入ろうと決めていた。
そこにいたのは。
「……わお」
きらきら、後光を纏った王子様。あたしの奇声に振りかえった王子様は、にっこり微笑んだ。
「こんにちは。一年生?」
「……に、日本語しゃべってる……」
「は?」
代表挨拶で日本語話してるのを、散々聞いたはずなのに。パニックになったあたしは、そんな馬鹿な一言を零した。それを聞いた王子様は一瞬固まり、大きく目を見開き。
直後、爆笑。
「いや、俺クオーターだけど、確かに。初対面であんなん言われたの初めてだったから」
とは、後の彼のお言葉だ。当時のあたしはぱにくり、その内あまりに笑われるものだからイライラして――王子様を蹴り飛ばしたのだから。まぁ、そのあたし達のやり取りを見ていたために、先輩たちもその後は落ち着いて宮崎と過ごすことが出来たんだけど。(まるっきり文化部系の女子しかいない空間で、あんなイケ面は確かに酷だったかもしれない)
そのかわり、後々もずっとネタにされたけどね。「聖ちゃんは女の子なんだから、あんまり男の子を殴ったりしちゃ駄目よ」と怒られましたがね。
兄と弟に挟まれて育った環境をなめないでくださいよ!!……
と、そんな話は置いといて。
見るからに運動神経も良さそうな宮崎は、何故か運動部ではなく、調理部に入った。なんでも叔父さんがケーキ屋を営んでいるそうで、昔から甘いものが大好きだったとか。悲しい時でも叔父さんのケーキを食べると幸せになれて、だから自分も人をそんな風に喜ばせたいんだって。卒業後は製菓学校に行って叔父さんのお店でケーキを作りたい、と瞳を輝かせていたなぁ。
「あー、笑った。沢島は相変わらず面白いなぁ」
「あんた昔っからあたしの発言に爆笑してたよね」
「何かツボに入るんだよ。いいことじゃん、人を笑わせられるって才能だろ?」
「……笑わせるってか笑われてるよね?」
目尻に溜まった涙をごつごつした指先で拭い、甘やかに笑う。すっと背を屈め、あたしの顔を覗き込む綺麗な顔。ふてくされながら視線を逸らせば、「そう言うなって」優しく頭を撫でられた。
そんななんでもない仕草に。心臓が、高鳴る。
……ああ、馬鹿みたい。
「て、いうか。ケーキ作らなくていいの」
「ん?今は休憩。朝の五時からだぞ、今日。休ませてもらわないとさ」
「そっか。じゃ、あたし行くわ」
「おう、頑張れ。風邪引くなよ」
優しい言葉と一緒に降るのは、気安い友達にするような触れ合いで。軽く叩かれた肩には、何の意味もない。なのにどうして、こんなに痛い。
忘れたはずなのに。 忘れようと、していたのに。
「馬鹿、宮崎」
こんなにすぐに掻っ攫っていくこと、ないじゃない。
遠い昔に閉じ込めた気持ちが、警報と一緒にじくじく苛まれた。
三年間同じ部活だった、あたし達。
それなりに、仲良くはしていたと思う。買い出しに一緒に行ったり、作ったお菓子をお互いに交換したりしてたし。
そんな、緩やかな時の中。
王子様のような彼の笑顔を、ずっと目にした。
友達として、優しくされた。
きらきら輝く瞳で、純粋な夢を語られた。
周りでイケ面と騒がれる男子達が、女子に持て囃されて天狗になっている時に、ひたむきにスイーツを愛し続けるその真っ直ぐな姿勢。
夢も何も持たないで、とりあえずある程度のレベルの大学行って企業就職して、なんて絵に描いたような平凡な生活を夢見てたあたしにとって。宮崎は憧れで、ちょっとばかし妬んでもいて。
でも、それ以上に。
――惚れてしまったのだ。
ていうか逆に、好きにならない訳ないじゃないか。
すごいイケ面の癖に、レディファーストを素でやっちゃうイギリス紳士の癖に。
子供の頃からの夢を大事に持ってる純粋さだとか、笑い上戸なとこだとか、ちゃんと男子高校生っぽい部分もあって。そんな魅力的な男子、三年間傍にいて、『ただの友達』だなんて思えるはずがない。
でもあたしは、実質『ただの友達』であり続けた。だって、嫌だったから。友達であればずっと傍にいられるのに、下手に告白なんてして、欲を出したって、きっと何も得られない。あたしの大好きなあの笑顔を、ただ、悲しそうに歪めるだけ。だから、宮崎の傍で笑顔を見られるなら、一緒にいられるなら、あたしはそれ以上何も望まない。
そう思って、卒業した三月。あたしは自分の陳腐な恋心を、胸の奥深くに沈めた。
けれど神様って奴は、どうやら悪戯好きらしい。
大学一年生の夏、買い物の途中に宮崎を見かけた。少し伸びた髪、相も変わらず綺麗な笑顔。
その横には、――すごい美人な女の人。
周りがみんなそのカップルを称賛する中、あたしは走って家に帰った。
あれが彼女だったのかは分からない、どうでもいい。ただあたしはその時、高校時代のあたし達がどんなに不釣り合いだったのかを、思い知らされたのだ。
高校の時は、宮崎は誰にでも気さくだったから、あたし達が一緒にいても誰も何も言わなかった。
でも、一歩街に出た時。あたし達には、大きな溝が出来る。
世間の評価なんて気にしやしない。人には好き勝手言わせればいい。
あたしは確かにそう思ってる。けれど、自分の中に残る恋心は、それを痛いと感じるのだ。
『どうしようも、ないでしょ』
最初から、恋する相手としては高望み過ぎた。今更、それを思い知っただけ。なのにどうしてか、あたしの目から涙が零れた。
それから大学で良い人を見つけても、最後には宮崎と比べてしまう。
いる訳ないのに。あんなに真っ直ぐで、紳士的で、純粋で、夢を大事にする子供のような瞳を持つ奴。分かっているのに、あたしはまだ、あの魔法から逃げられない。いつか時間が忘れさせてくれる、そう思って今年も一人のクリスマスを過ごす予定だった。
就活も数社内定をもらって一段落したし、卒論もとっくに終わっている。四年生で授業はほとんど無いから毎日ダラダラ過ごしていたら、友達からハイテンションな彼氏が出来ました報告と、バイトを替わって欲しい、というメール。クリスマスイブと当日の二日間、夕方から閉店までケーキの店頭販売をするというもの。暇だし別にいいか、と安請け合いしたあたしがこのケーキ屋にガイダンスのため足を踏み入れた結果が、これだ。
『あれ、……もしかして、沢島か?四年ぶりだなぁ!!』
世間は、意外と狭かったらしい。
高校を卒業後、製菓学校に通い、叔父さんの店で修業を積んでいたらしい彼。その叔父さんのお店と言うのが、あたしが、バイトするお店で。
コック帽を外し、短くなった髪が揺れる。甘い匂いを漂わせて笑う彼は、思うに、四年前よりずっと格好良くなったに違いない。夢を叶えて、ひどく幸せそうに笑うのだから。そんな彼にもう一度恋に落ちた、なんて馬鹿馬鹿しい。けれど間違いなくあたしの恋心は、いとも容易く再燃してしまったのだ。二夜限りの再会に、違いないのに。
「くしゅっ」
お客さんがいない隙を見計らって、小さくくしゃみをする。ひび割れそうな痛さの頬を思いながら、白い息を吐いた。十二月の夜は、寒い。
そして、そんな寒い夜。
こんなミニスカサンタ服を着てれば、当然極寒だと思うんですよ、うん。
赤いポンチョに白いボンボン、襟には白いふわふわファー。長袖ワンピースの裾にもファーが付いている。
確かに可愛いと思うよ、他のバイトの子は似合ってるし。でも二十一の女がこんなファンシーの格好してるのはいかがなもんかと。これ、知り合いに見られたら確実に死ぬね。宮崎はこういう格好笑わないから、平気な訳で。と、考え。
そっと店内を窺う。
暖かそうな色調と、手作りのリースやサンタさんの置物。それらは店長である宮崎の叔父さんの奥さん、つまり叔母さんの発案だという。でもあたしが見たいのは、その奥。ガラスケースの後ろの、売り子さん。
お客さんを見送る、宮崎の姿。
「……っ」
何あんた。
何でそんな顔、してるの。
家で帰りを待つ人のため、その後の幸せのため。 嬉しそうに袋を眺め、去っていくお客さん。
その背中を、宮崎は慈しむような瞳と、甘い甘い微笑みで見送っていた。幸せを、お裾分けしたのか、されたのか。宮崎は次々にやって来るお客さんに、笑顔で応じて。一つ一つ、ケーキの説明を嬉々として行う。
その笑顔をあたしにも向けて、なんて言いたくなってしまった。
「沢島さんっ!!さぼってないで、ちゃんと呼びこみしなさい!!」
「っはい!!」
宮崎に見惚れていたら、パートのおばさんにまたも怒られた。慌てて返事をし、他のバイトの子に合わせて声を張り上げる。
例えば、一つケーキが売れたとして。
あんたが一つ、笑顔を零してくれるのなら。
幸せにしたい、そう瞳を輝かせるのなら。
あたしは力一杯、声を張り上げよう。きっとこれは、無駄なことじゃない。宮崎は、そんなこと言わないから。「ありがとう」そう微笑んでくれるから。
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