Xmas Night(2)


「では、本日の業務はこれで終了です。お疲れさまでした」
「お疲れさまでしたー」
 
オフィス街にあるこのお店は、いつもは九時閉店だけど、今日は十時半まで延長していた。閉店後も、片付けや明日の準備、連絡などがあって。全て終わったころには、もう十一時を回っていた。挨拶の後トイレに行き、戻って来るとバイトで唯一同学年の子に、手を振られる。
「お疲れ、沢島さん」
「お疲れ様」
「急がなくて大丈夫?終電、そろそろだけど」
「あ、あたし自転車だから平気だよ」
「そ?じゃあ、気をつけてね」
 
そう言い、軽やかに歩きだす彼女の背中を見送る。これから彼氏の家に泊まり、明日のバイトまでデートだそうだ。
 クリスマスのバイトって言うと独り身が多いイメージがあるけど、意外や意外、彼氏持ちが多いらしい。良いご身分だことで、何てひがみながら、ゆっくり着替える。昔から、着替えだけは異様に遅かった。その間にも他の子達はさっさと着替えて、あたし一人になる。ブーツを履いて、大きく息を吐いた。あたしも、そろそろ帰らなきゃ深夜番組始まっちゃうしなぁ。そう思い、忘れ物がないか見渡して、バッグ片手に更衣室のドアを、開ける。

「遅かったな」
「え」

 途端、聞こえた声。辺りをきょろきょろ窺えば、くつくつと押し殺したような笑い声。 ていうか、この声って。
「み、や、ざき?何で」
「沢島を待ってたんだ。時間、大丈夫か?」
 
閉店後だからか、宮崎はもう私服に着替えている。ハーフのPコートに、青いシャツと黒いパンツ。シンプルな格好は、イイ男を引き立てる、なんてどこかの雑誌に書いてあったけど。それに納得して頷くと、宮崎は了承の意と取ったらしい。キッチンを顎でしゃくり、長い足を活かして歩き出してしまった。慌てて更衣室の電気を消して、その背中を追う。暗い店内の中、明かりが点いているのは、そこだけだった。覗き込むと、予想通りと言うか、いたのは宮崎だけで。あたしに、ステンレスの上にあった白い紙袋を持たせた。
「これ、バイトさんに配ってる奴。今日のケーキの売れ残り」
「え、いいの?」
「当日廃棄だから、良かったら。 いつものパートさんとかは飽きてるからいらない、って言ってるし」
 
袋の中を覗き込めば、確かに今日何度も渡し渡された白い箱が鎮座していた。
 いいのかな。確か試食で一口食べたけど、すごい高級な味がして、美味しかった。割が良すぎないか、このバイト。毎年やっていなかったのが悔やまれる、と唇を噛み締めていると。

「それと、」
 
宮崎は意味ありげに笑いながら、自分の後ろからもう一つ、白い箱を取り出す。さっきもらったのより、二回りほど小さい。それをあたしの方に向かって押してくる。きょとり、と目を丸くするあたし。 にやにやしながら、箱を小さく叩く宮崎。彼は黙って腕時計を確認し、箱を、開けた。

「――誕生日、おめでとう。沢島」

 そこにあったのは、ドーム型のピンク色のケーキ。上に散らばった粉砂糖は、まるで粉雪みたい。ブルーベリーとラズベリーが上品に飾られ、横には生クリームが花びらみたいに引かれている。真ん中にあるのは、楕円形のチョコプレート。黒地に白い字で、『Happy Birthday HIZIRI!』と流れるような筆記体で刻まれていた。

「……え?」
「お前、今日誕生日だろ?クリスマス生まれだから、聖夜の聖」
 
いつの間に用意したのか、パイプ椅子に座らされるあたし。宮崎は、紙皿とナイフを手に笑っていた。
「生地からデコレーションまで、全部俺がやった。 俺一人で全行程やったのは初めてだから、味は保証できないけど」
「え、え、」
「クリームには苺を潰して入ってるから、果肉が楽しめるぞ。 お前、スポンジケーキに入ってる果物駄目だったから、色々考えたわ」

 そう。あたしは、ショートケーキなんかのスポンジとスポンジの間に入ってる果物が苦手。確かにそう言ったことは、あるけれど。
 目の前で切り分けられるケーキの断面は、二段になっていた。上は黄金色のスポンジ、下は茶色、多分、チョコスポンジじゃないかな。見るからにふわふわして、美味しそう。黙るあたしの前に、お皿を置いて宮崎はフォークを握らせた。
「いただき、ます」
 
呟いた言葉は、届いたのか。ぷすり、フォークを端っこに突き立てる。そして女子からぬ大口を開けて、ぱくりとかぶりついた。口の中、ほろほろ溶けるのはスポンジとクリーム。甘いクリームには苺のつぶつぶがあって、酸っぱいベリーソースと絡む。それは、たまらなく。
「美味しい」
 
ぽつり、漏れた独り言。 それに宮崎は思いっきり頬を緩めた。そしていつの間に切り分けたのか、椅子に座って自分の分のケーキに手を伸ばす。それを見ながら、二口目を口に運んだ。
 同じ調理部として、宮崎のお菓子を食べたことは何度だってある。そして確かに、あの頃から美味しかった。でも、今とは全然違う。今すぐお店に並んでもおかしくないようなデコレーションと、味と。宮崎がずっと頑張ってきたことが、すぐに分かった。
 そっか。宮崎、本当に夢を叶えてるんだ。そう思えば、彼が眩しくて眩しくて。 目を細めて、顔を上げる。

「!?」
「沢島、本当に美味いか?無理してないか?」
 
すると、予想以上の至近距離に綺麗な顔があった。仰け反るあたしに、訝しげな顔の宮崎。慌てて頭を縦に振っても、唇を尖らせるばかり。
「お前、眉間に皺寄ったまま食べてるだろ」
「ちょ、いたい」
 
ぐりぐりと眉間を擦られ、地味に痛い。指を離しても、宮崎は困ったような顔のまま、あたしを見据えた。
「美味しいって、本当に。ただ、こんな美味しいの食べたらしばらくそこら辺のじゃ満足できなさそうでさ」 「何だ、それ」
 
あたしの言葉に、彼はぶは、と小さく噴き出す。そんな宮崎は、あの頃と変わっていなくて。 たまらなく、胸が締め付けられる。じっと肩を震わせる宮崎を見ていると、笑いが収まったのか、彼は頬杖をついて。
「別に、こんなもん。お前が欲しいなら、いつでも作ってやるよ」
 
――降ってきたのは、甘い甘い微笑みと、甘い甘い言葉。一瞬、呼吸を止めてしまった。
 あ、ぶないあぶない。 高校時代から、こういう甘い言葉とか特別扱いは宮崎の十八番だった。久々で免疫がなかったから、直でキた。冷静に分析してるつもりだけど、多分、そうでもない。だって、頭はヒートアップしてるから。 これ以上刺激されたら、今にも破裂しそうなくらい。酔いや照れや病気があまり顔に出にくい体質に、感謝するしかない。

「そ、ういえばさ、よく覚えてたね誕生日」
「あ?ああ、クリスマス誕生日って珍しいからさ」
 
唐突に変わった話題に、彼は特に疑問も抱かなかった模様。そこら辺で、さっきの言葉の重みが分かるというか。どこかでガッカリしている自分を、張り倒したい。あたしの内心の発狂にも宮崎は気付かず、ぱくりとケーキを口にした。
「それに普通、好きな女の誕生日は覚えてるだろ」
 ……ん?
「今、何て言った?」
「……沢島、俺そこはスルーして欲しくなかったな」
 
がっくりと、机に突っ伏す宮崎。ごーめーん、って。何か耳が悪くなったみたいなんだよ、申し訳ない。
「だから、」
 
けれど、いきなり。
 顔を上げた宮崎は、真剣な瞳の色を帯びていた。綺麗な綺麗な王子様は、切なそうに目を細め。それに思わず逃げようとするあたしに、彼は立ち上がり、手を伸ばす。捕まったのは、フォークを落としたあたしの右手。それは彼の指と絡まり。爪先に、彼の、唇、が。


「――好きなんだよ、沢島のこと。ずっと」


 聞いた言葉に、あたしは瞬き一つ。そして。

「……ごめん。今、何て言った?」
「今のはさすがに聞こえてただろっ!!」
 
あたしの言葉に、宮崎は怒鳴った。うおお、宮崎が女子に怒鳴ってるのなんて調理部に宮崎ファンが押しかけたせいで食材が床に落ちた時くらいだぞ。超レア。若干感動していると、その白い肌が赤く染まっているのに気付いた。
 え。
「今の、本気?」
「本気に決まってるだろ!!高一の時からずっとだ!!」
 
いい加減気付け鈍感女っ!!と宮崎はやけくそ気味に叫んだ。
 あれ、ていうかあたし、告白されたの?されたんだよね?あの宮崎に?
 ……マジで?
「!!」
 
ぼぼぼ、と頬が赤く染まったのが分かる。掴まれたままの指先が、熱い。絶対汗ばんでるに違いない。ばれるのが嫌でぶんぶん上下に振れば、手首が掴まれた。
 は、離せーーーっ!!
 その顔を睨めば、ぽかんとした宮崎は、直後ひどく嬉しそうに頬を緩ませた。
「あ、やっと理解してくれた、沢島?」
「し、知るかっ」
「……それ、告白した相手にひどくないか?」
「っっっ」

 あたしの否定の言葉に、宮崎は悲しそうに顔を歪める。
 ひ、卑怯者め!!そんな大きい子犬みたいな顔したって、知らないんだから!!
「て、いうか遅っ!!」
「え、何が」
「高一からって、もう七年だよ!?おかしいでしょっ」
「おかしくないよ。俺の七年間の片想い、現在も続行中」
 
あたしはあんまり、人前でパニックになることはない。結構ローテンションな人間だとは、自分でも理解している。だからこそか、宮崎は楽しそうに頬を緩めた。気付けば近くに迫ったその瞳には、確かに甘さも含まれている気がする、が。
「っ〜〜〜」
 
何それ。そんなの今更、どうやって信じろっていうの。この王子様がだよ、生ける彫刻って呼ばれた人だよ、バレンタインにチョコ段ボール十箱以上貰ったっていう伝説持ちの男がだよ。あたしみたいな平平凡凡に七年片想いって、それ何の冗談!!ていうか、ていうかだって!!
「宮崎、彼女いたでしょ絶対っ」
「は?沢島に会う前にはいたけど、この七年は一人もいないよ」
「卒業した年の夏に、綺麗な女の人と一緒にいるの見たしっ。あの人は違っても、他の子とか、」
 
そうだ、何かパティシエって言うと男の人イメージが強いけど、製菓学校なら女子も多いはず。そんな中、励ましあってイイ雰囲気になってもおかしくないんじゃない?それならそれで素直に言ってくれて別に構わないっていうか、あたしに引き留める権利も無いし。あたしの言葉に、宮崎は眉根を寄せて、考え込むような顔をした。
 ……いや何て言うか、悩む前にちょっと離れて欲しいんだけど。
「買い出しとか、女友達と一緒に行ったことはあるけど、彼女はいないって」
「あんたを周りの女子が放っとく訳ないでしょっ」
「いやいや、俺意外と友達にしか思えないーって言われるんだよな、悲しいことに」
 
それは、あんたが告白すればどんな可愛い子でも必ず断る潔癖男子と有名だったから、側にいたいがために言い訳してただけに違いない!!……と、自分自身が使った手なので馬鹿正直には言えず、口を噤む。
 そりゃ、友達してたんだから分かってるんだけど。宮崎は基本正直者なこと。でも何処かで、やっぱり尻ごみしてる自分がいる。多分、今、夢と現実がごっちゃになってる。あまりに、自分に都合が良すぎるから。
「そ、れに。 本当に、何でもっと早く言わなかった訳?遅すぎる」
「んー。ていうか俺、高三の時告白したし」
「……は?」

 とりあえず彼女云々に関しては平行線を辿りそうなので、話を変える。すると、思わぬ爆弾(?)。
「え、何それ、いつ」
「部の卒業祝いの飲み会ん時」
「嘘。言われた記憶ないよ」
「恥ずかしいから手紙にして渡したんだよ。夜中に返事を聞きたくてメールしてもスルーされたし。やっぱり沢島にとって俺って友達でしかなかったんだ、ってそれから一週間ほど体調崩して寝込んだんだからな」

 やー、あれは凹んだ、と言葉通り切なげな笑みを見せる宮崎。その笑みはあんまり綺麗なもんだから、胸がきゅうっと締め付けられる気がする。
 ていうか。
「手紙?」
「ああ。かなり酔ってたけど、二人きりになった帰りにしっかり握らせた。覚えてないのか?」
「……ちなみにあたし、それ何処に入れてた?」
「確か、……コートだったと思うけど。それがどうかしたか?」
 
宮崎の言葉を聞いて、あたしは頭を抱えた。何て、何て馬鹿な話!!
「直接言いなさい!!男なら!!」
「は?何だよいきなり」
「もーっ、あたしの四年間返せ、馬鹿っ」
「だから何なんだって」
「手紙!!読んでないっ!!」
「……はぁ?」
 
きっと目の前の瞳を睨むと、宮崎は非常に情けない顔をしていた。王子顔が若干残念な感じだ、勿体ない。けれど今は、こっちの方に必死。
「酔っ払いが帰りました。段差がありました。転んだ先は水溜りでした」
「……まさか」
「ケータイ壊れた、手紙濡れて文字滲んで読めない、渡してくれた相手も覚えてない、みたいな」
 
二人揃って、氷のように固まる。
 あたしは確かその日初めてのお酒と宮崎に会えなくなる寂しさで、確かかなり飛ばしてた気がするし。次の日朝起きたら割れるような頭痛と、読めなくなった手紙と電源の入らないケータイに頭を抱えていたよ。
 俯いた宮崎は、しばらくして顔を真っ赤にしてあたしを見た。
「……何だそれ。最悪」
「いや、うん。何か、ごめん」
「……頼むから、そんなローテンションで言わないでくれ」
 
がっくり肩を落とした宮崎に、頬をぽりぽり掻きながら慰めの意を込めて腕を叩いてやる。何かいきなり、恋愛モード吹っ飛んだなぁ。しかしやっぱりこれってあたしが悪いんだよね、多分。あんな飲んでなければ最低限記憶はあったはずだし。転ばなかったはずだし。こんな風に、気持ちを引きずった四年間を過ごすことはなかった。
 でも。

「やっぱ、タイミングって大事かも」
「え?」
「多分あの当時、宮崎に告白されて付き合ってても、あたしは大学に入ってすぐで、宮崎は専門で忙しくてさ。宮崎は夢一直線で頑張ってんのに自分何やってんだろ、って自己嫌悪してすぐに別れてたと思うよ。今だから、宮崎が頑張ってきたのを素直に受け入れられるっていうか、うん」
「……」
「あたしがまぁ諸悪の根源っていうか、ただ自分のやったこと正当化してるだけな気もするけど……」
 
最後ら辺、もごもごと呟くようになってしまう。けれどそれはやっぱり、正直な気持ちで。
 専門学生は二年間でやること決まってて、朝から晩まで実践中心で、夢に一歩一歩近付いてる気がする。でも大学生って四年間、すごくゆっくり時間が過ぎていく。授業も、学部の授業と全然関係ないの取らなきゃいけなかったり、そんな中、自分の夢が分からなくなって。そんなあたしと宮崎が付き合って、あたしは確実に焦る。今でこそ、あの四年間は夢を見つける期間だったと言えることが出来るけれど、大一のあたしには無理だ、間違いなく。きっと泣きながら、その手を、離していた。
 伝わったかな、分かってくれるかな、不安になって宮崎を見上げる。すると。
「、」
 
頬を赤く染めたまま、嬉しそうに笑う宮崎。はにかむその顔は、そこら辺の女の子の数倍可愛い。て、天使だこれは、間違いないっ!!そんな王子様もとい天使様は、あたしにずいっと顔を近づけてきた。だから近いってー。
「沢島、俺のこと、好きなの?」
「は?」
「だって、告白上手く行ってたらOKしてくれたんだよな?今も、OKするつもりなんだよな?」
 
え、え、え。
 そりゃパニックになっていましたが、断る選択肢はありませんでしたがね。あたしそんなこと――言ってるわ!!
「なぁ、沢島?……こたえてよ」
 
あたふたと視線をあらぬ方向へ飛ばすあたしの視界を埋め尽くすように、宮崎は綺麗な顔を鼻がくっつく位近くまで持ってくる。しょんぼりと、大型犬が凹んだように、見つめられる。卑怯だ。喉まで、そんな叫びがせり上がって来るのを、必死で堪えた。
「同じ気持ちだって、思っていい?」
「……予想は、ついてるんでしょ」
 
唇に、触れる吐息。今にも心臓が壊れてしまいそうな、至近距離。ずっと触れたいと、包まれたいと願っていた彼の腕の中でまだ憎まれ口を叩ける自分は大したものだと、呆れてしまう。彼もそう思ったのか、ため息が聞こえた。
「ついてる、けど」
「……っ」
「言葉にしてくれなきゃ、確信は持てないし。それにお前の口から、ちゃんと聞きたい。俺」
 首の後ろで腕を組まれて、瞳を覗きこまれる。
 ……だからさ、弱いんだって。その目に。
 大人の色気と、切なさと。同時に子供のような純粋さが混ざり合う、複雑な緑がかったその色。高校の時から、その目に見られれば、もうあたしに成す術はなかった。
 悔しいな。四年も経って、今でも勝てないの。七年も前から、気持ちが目の前のこいつにしか揺らがないの。本当に、悔しい。
 ――だけどあたしはいつだって、この手に白旗しか、握ることは出来ないから。

「……好きだよ。高校ん時から、同じく」

 可愛げのない言葉と同時に、顔を見られたくなくて、その首に腕を回し、肩に顔を埋める。あっつい。耳に響く鼓動がうるさくて、キッチン中に響いてるんじゃないか、って位。
 しばらくして、宮崎はあたしの耳元で、大きく息を吐き出して。「……やっと、手に入れた」掠れた声で、そんなことを呟いた。




『クリスマスには、みんな、特別な魔法がかかっているの』
昔何かの童話で、そんなお話を目にした。
当時から可愛くなかった小学生のあたしは鼻で笑ったけれど、どうだろう。
二十一、もとい二十二になって、何と初恋の王子様は平凡なあたしに手を差し伸べてくれたのだ。
けど、違う。
クリスマスが、あたし達に魔法をかけたんじゃない。
あの日、あの時、彼があたしを見つめたのその瞬間から。
あたしは今も、昔も、これからもずっと、解けない魔法の虜だったに違いないのだ――。


  

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