ゆらり揺れる、不安定な心。

閉じ込めるような小さな世界の中で、何を思う?


9.揺籠


 県大会、四回戦目。――シード校に当たり、惜しくも、敗れた。もちろん、みんな頑張ってた。山元はスタメンだったし、青竹くんも途中起用されて。三ピリで、必死に食らい突いた。それはもう、必死に。みんな、開いた点差を縮めようと、スリーポイントのオンパレード。だけど皮肉にもそれが外れ、更に点差を開かせた。山元も普段の実力なら入るシュートも、ことごとく外し。
 気付いた時には、もう負け、だ。
 試合終了のブザーが、なった時。みんなの肩は、震えてた。ベンチにいた先輩、コートにいた選手、上で応援する部員、みんな、みんな。ただ私の頬にも、ほろりと、涙が零れて。
 部長は、大方の予想通り、山元になった。田爪部長が、潤んだ目で微笑む。
「……
今年は、残念だけどこれで俺らは引退だ。でも、悔いのない戦いに出来たと思う。恍」
「……はい」
「お前がいたお陰で、俺らは勝ち進めたようなもんだから。……お前の実力なら、もっと上行けたのに、足引っ張るような先輩で、最後まで、ごめんな」
「……っ」
 
身長が、バスケをするには小さかった部長の田爪先輩。だけどそのドライブの速さは部活一で、誰もが認めるすごいプレイヤーだった。その部長が、山元の肩を叩き笑うと、十cmは大きい山元は俯き、肩を震わせ、唇を噛み締めて。
「っ、ちが……っ」
 
言葉を発する山元は、呼吸が上手く出来てない。ぽたりと、涙が一滴、頬を伝って地面に染み込むのを見た。
泣いてる。山元が。……去年も、途中から出て、シュートを外して。山元はそれで、泣いていた。自分の未熟さを、一人噛み締めるように。
「先輩、たちが、いたか、ら、俺は安心してプレイ出来たん、ですっ」
「……」
「ベンチ入れなかっ、た先輩も、っ、試合出れなかった先輩、もいる、のにっ。おれ……っ!!」
「……うん。ありがと、な、恍」
「本当に、すみません……っ!!」
 とうとう、しゃくり上げた山元の肩を、部長は優しく叩いた。その場にいたみんな、それぞれ仲良かった先輩と、話して、涙を流して。私は黙って、美祢先輩に近付いた。二年間、失敗ばかりの私を、いつも叱ってくれた人。辛くても悲しくても、部員に笑いかけて、決して笑顔を絶やさなかった人。その肩を、小さく叩く。ゆっくり振り返った美祢先輩の目は、真っ赤だった。初めて見る先輩の涙に、私の視界もぼやけてくる。泣きながら、私の肩に頭を埋める先輩をゆっくり抱き締めた。
 ――もう、明日から、私は甘えていられない。明日から、私達のチームになるんだ。だから、どうか。今だけは、思い切り泣かせて。先輩や、他の部員の先輩方。みんなとの一年分の楽しい思い出を、今日は思い返すように、抱き締めて撫でるように。

「っはぁー!!楽しかったー!!」
「先輩、歌い過ぎですよー。何曲歌いました?」
「んぁ?知らない」
 
大きく伸びをして、ニッコリ笑う。夜の九時過ぎ。集合も終わった後、マネージャー三人で食事とカラオケへ行った。うちの部活は、先輩後輩関係無く結構仲いいと思うけど。でも家の方面違うし、カラオケとかこんな風に遊んだの始めてだった。それが今日、っていうのも大分皮肉だけど。咲ちゃんは会場に近いので、自転車で先に帰った。
最後に先輩が、『瑞希頼りないしねー咲しっかり助けてあげてっ』と笑ったら、ボロボロ泣きながら、咲ちゃんは微笑んだ。『はい』って、必死で、涙声で、返しながら。
 
だから今は、私と先輩二人だけ。駅のホーム、ベンチに並んで座ってる。六月の風。昼間はあんなに暑かったのに、流れる風は爽やかだ。ちらりと、横目で先輩を見ると、泣き腫らした目で夜空を見ていた。視線の先には、無数の星が広がっている。愛おしむように、小さく笑う先輩。……その先に見えるのは、きっと、私の記憶にあるのと同じ風景。
 二人、黙り込んだ。
こうしていると、入部したころが昨日のように思える。一年の一学期のころは、山元と衝突しちゃったり。仕事が出来なくて泣いちゃったり。いつも先輩に、怒られてた。本当に、泣いた記憶しか無い。部員にも迷惑ばっかりかけて、何でこの部活に自分いるんだろうって思えてきて。でも先輩は、絶対に私を諦めないでくれた。失敗する度、叱ってくれた。それで、必ず仕事を与えてくれた。どんなミスしようと、駄目なとこ一緒に残って話し合ってくれて。私が出来る仕事は、私に任せてくれた。言うのは簡単だけど、やるのは大変な、そんなたくさんのこと。私に与えてくれた。そんな先輩が、すごく好きで。
 綺麗なのに面白くって、優しいのに甘くなくて、マネージャーに、誇りと自信を持って取り組んでいた。きっと、いつまでも憧れの女性。
 
昔そう言ったら、『瑞希は瑞希なりのマネージャーになればいいよ。あたしの真似する必要は、無いから』って笑われた。誰を真似る訳じゃ無くて、誰を馬鹿にする訳じゃ無くて、自分を持っていた人。その背中は、誰よりも大きかった。
「……ね、瑞希」
「ふぇ!?ぇ、はいっ!?」
 
不意に声がかけられて、心臓が飛び上がる。アタフタと返事をすれば、クスクス笑われた。ああ、やっぱり綺麗な人。誰よりも素敵な、女性。
「瑞希は、さ。今、好きな人、いるの?」
「っ、ぇ、」
 
思ってもみなかった言葉に、目を剥く。びっくりして口を開けたまま固まった私に、またニッコリ笑うと、空を仰いだ。軽く咳き込みながら、その横顔に問い掛ける。
「ど、どうした、んですか突然」
「んー?や、考えてみるとそういう話最近全然してないなって」
 去年は、よく青竹先輩の話したのにね、と微笑む先輩に、頬を染めて俯いた。……確かに、よくからかわれてましたけど。ちらりと視線を上げれば、からかうような笑み。私ばっかり、なんてふくれて、慌てて話題を振った。
「せ、先輩は!?」
「ん?」
「先輩の話、そういえば私全然聞いたこと無いです。前言ってたじゃないですか、引退したら話したげるーって?」
「えー?あーそんなこともあったねー。あたしのなんて、聞きたいの?」
「はい!!」
 
とりあえず、私から話題を離したくて、先輩の問いに大きく頷く。苦笑しながら、先輩は息を吐いた。何故なんだろう、瞳には少し、寂しげな色。あまりにその色が切なくて、声をかけようとした、その瞬間。先輩はただ、いつもみたいにニッコリ微笑んで。

「あたしが好きなのは、田爪だよ」

 ――部長の名前を口にした。ふんわりと笑うその瞳は、見たことも無いほど穏やかだ。ただ私は黙って息を吸い込み、眉を寄せて。
「……はぁ!?」
 大きく叫ぶことしか出来なかった。
 
クスクス笑って私を指差すと、先輩は、「瑞希、なんか顔変だよ?」なんて可愛く言った。……いや、変なのは元からです。今更言われてもって言うか、流石にちょっとは傷付きますけど。ってそうじゃなくて!!
「ぃ、ぃ、いつからですかっ!?」
「ほぇ?……あーえっとね、一年の夏くらいから?」
「なっ……」
 
それって相当長いじゃん!!と心で叫び、先輩を見つめる。先輩は、ただ、笑っていた。――相変わらず、瞳の奥に寂しい色を映しながら。ぼんやり考えながら、口を、開く。
「ぶちょ……田爪先、輩……彼女、いますよね……?」
「……そうだよ」
 
震える声で呟くと、柔らかい返事。でも、それがどうしようも無く、悲しい。
 
美祢先輩と部長は、かなり仲がいいと思う。一年の時からずっと同じクラスだったらしく、しっかり者でいっつも元気に弾けてる先輩に反して、真面目で優しく、そして抜けてる田爪先輩のコンビは、見てて楽しかった。一年の時、付き合ってるか尋ねたらただ笑って「違う」って言われた、のに。
「あのね、あたし、二年の最初に田爪に告白されたの」
「え……?」
 
少し俯き、ぽつりと零す先輩を見つめる。そして、何かを吹っ切るように空を見た。
「でも、色々あって、振っちゃったんだよ」
「な、なんでですか!?先輩一年から好きだった、ってっ」
「もちろん、好きだったよ。……でも、同じクラスで部活も一緒でしょ?別れた時想像したら、怖くなっちゃって……」
「っ、」
「マネと付き合って、プレイが上手くいかなくなる選手って多いんだって。特に男バスなんて、周り男だらけだし、心配になっちゃうよね?だから、それで、田爪の才能潰したくなかったの」
「っ、でも、やってみなくちゃ分からないじゃないですかっ!!」
「うん、そう。でもあたしは、怖くて逃げちゃった。そのくせ未練がましく好きでいて、彼女の話辛いとか思ってるんだから、……世話ないよね」
 
自嘲気味に吐き出す先輩は、今にも泣きそうで。自分の視界が、ぼやけて行くのを感じた。真っ直ぐな笑顔で私を振り返った先輩は、一瞬驚くと、苦笑して頭をクシャクシャにする。
「……泣かないの。何であんたが泣いてるのよ」
「っ、だっ、て……」
「……ありがと、瑞希」
 優しい言葉に、涙が頬を滑る。もう言葉も、言えない。だけど先輩は、笑ってた。
「……山元は、瑞希のこと好きでしょ?」
「!?」
「なに驚いた顔してんのよ。あいつ見てれば分かるってば」
 
突然言われた言葉に、ハッとして顔を上げると、先輩は苦笑してた。や、山元!?あんたバレバレなんだけど!!ていうか咲ちゃんにしろ美祢先輩にしろそんな分かりやすいか!?……私が鈍いだけ?……や、まぁ二人とも私より付き合い長いしね。分かる人には分かる、ってか。無理矢理自分を納得させ、先輩をじっと見つめる。驚きすぎて止まった涙が、ほんの少しだけ目の淵に溜まった。
「い、いつから気付いてたんですかっ!?」
「んー、一年の終わりくらい?まぁ瑞希気に入られてるなぁとは思ったけど」
「なっ……。山元分かりにくいのによく……」
「いやあいつ本当に分かりやすいよ、瑞希が鈍すぎるだけ」
「ぅ゛、」
 
サラッと言って首を振る先輩を涙目で睨めば、苦笑しながら立ち上がり、頭を撫でられた。山元より、ずっと小さな掌。なのに、何でか同じくらい安心する。素直に、身を預けられる。ほんの少し、頬を緩めると、やんわり笑われた。
椅子に腰かけたと思うと、瞳を閉じた先輩。眠いのかと思い、そっとしておこうと誓った、時。

「……瑞希は、山元のこと、どう思ってるの?」

不意に言われた言葉に、ただ、身を固くした。
「どう、思ってる、って……」
「そのままの意味。告白とか、されたの?」
 
矢継ぎ早に出される質問に、目を丸くしてしまう。声が震えるのを、必死でこらえて先輩を見つめた。その瞳はまだ、閉じられている。
「……いち、おう……されました」
「返事は?」
「……してません」
「ていうかむしろ、あいつが粘ったんじゃない?『好きにさせてやる』とか言って」
 
まるで見てたんじゃないかと思うくらい的確な言葉に、絶句する。視線を彷徨わせた私は、しばらくためらった後、小さく返事をした。先輩は黙って、大きなため息を吐く。
 
風が、少し、吹いた。ゆっくり瞳を開けた先輩と同時に、ホームに流れる電車のアナウンス。それは、先輩が乗る電車で、私のはあと十分は来ない。
「瑞希が、あいつをどう思ってるか、あたしは知らない。だから、口出す権利も無い」
「……」
「……だけどもし、距離を縮めることや、別れた後のことを考えて、ふることを考えたなら、止めときな」
「?」
「あんたには、あたしと同じ後悔、して欲しくないの。本当に好きな人と、心から結ばれて、幸せになって欲しい」
 
立ち上がった先輩の、背中しか見えない。なのに、見える。きっとその瞳は、真直ぐな夜空の色。振り返った横顔は、微かに近付く電車のライトを受け、儚げだった。先輩が、そのまま消えちゃうような気がして。走って、その手首を捕まえた。酸素不足で頭が痛い。驚く瞳を見上げ、口を開く。
「まだ、終わりじゃないと思います」
「え……?」
「まだ、先輩何も伝えてないじゃないですか。……もう、距離を縮めて辛いことなんて、きっと無いから。だから、〜〜〜ああもうっ」
 
なんて言えばいいのか、何も分からない私が、どこまで踏み込んでいいのか。苛々する。どうやって、言葉にすればいい?失敗すれば、もうこんな風に話せないかも、しれないのに。
 ――だけど、私は。
「私、美祢先輩のこと、好きです」
「……?」
「でも、私、田爪先輩の側にいる美祢先輩が、一番好きなんです」
「っ、」
「幸せ、そうで、楽しそう、で、一番、ありのままの美祢先輩だと思います」
「……」
「だから、私、田爪先輩に彼女が出来たって聞いた時、ガッカリしたんです。先輩の隣にいて、一番しっくり来るの、美祢先輩だから……っ」
 
こんなの今更言われたって、絶対、私だったら、嫌。失敗したらどう責任取ってくれる?って聞きたくなる。でも、私、まだ、終わりじゃないって思うから。だって美祢先輩、行動する前に、後悔しちゃってるじゃない。
「先輩の気持ち、言ってください。田爪先輩に。それでどうなったとしても、きっともうこんな後悔しないで済むと思います。……だってまだ、終わってない。これから、始まるんです。自分に素直にならなきゃ、一生後悔する日が、続くから……」
 
しばらく、黙って私の顔を見つめていた美祢先輩は、俯いた。
 ……私、やっぱり駄目だった?美祢先輩が、一番やなとこに、触れちゃった?不安を感じて涙で視界が霞む。美祢先輩の肩は震えてて、不安を募らせると――。

「……っ、ぷっ」
 ……へ?

「ぁ、ははははっ……や、ははっ……!!」
「み、ね、先輩?」
 
突然笑い出した先輩に、呆然とする。しばらく大笑いしながらやっと顔を上げた、先輩。気付けば電車はホームに滑り込んでいた。涙を拭い、私を見つめるその表情は、あんまりいつも通りで、少し拍子抜けしてしまった。
「ご、ごめ……馬鹿にしたとかじゃないんだけ、ど」
「っ、な、なんなんですか!?」
「んーん。……本当にあんたら似た者同士」
「、へ、?」
 
呆然と固まる私の目の前で、先輩はニッコリ、悪戯した後みたいにすっきりと笑う。慌てて意識を取り戻した私が叫んでも、もう止まってはくれない。
「せ、先輩っ!!似た者同士、って――!?」
「あ、電車来ちゃったからーそろそろあたし帰るねー」
 
完全に停車した電車に、眩い光へと、先輩は歩み寄る。呆然と固まる私の耳に、小さく届く「瑞希、ありがと」なんて言葉。慌てて顔を上げると、美祢先輩は柔らかい微笑みを浮かべていた。
 ……あれ、この笑い方、見たこと、ある? 妙なデジャブに襲われた私をよそに、美祢先輩はまた背を向けると、大きな音を立てて電車のドアが開いた。眩しくて目を細めた瞬間、もう一度、先輩は振り返って。

「部活と、恍のこと、よろしくねっ」

 明るい笑顔で、笑った。……ああ、この笑い方、見たことある。山元、そっくり。血の繋がりをはっきりと感じる。――さすが従姉妹、なんて思った直後、電車のドアは閉まって、先輩を乗せたまま走り出した。光はやがて、遠ざかり、消える。見えなくなって初めて息をすると、震える膝でフラフラとベンチに座った。

 ……美祢先輩は、気付いてたのかも。咲ちゃんが、なんて言いながら、山元を手放せない私の本心を。側にいて欲しいと思ってしまう、気持ちを。だけど私には、この気持ちがただの友達としてなのかが、どうしても。
「……分かんないなぁ」




揺られ揺られて移り行く心が、分からない。
まるで星が瞬きするみたいに、私達の心は、知らぬ間に変わり行くから。
だから、芽生えた気持ちにも蓋をしてしまう。
どうするべきなのか、決める間もないまま、歩かなくちゃいけないのに。
戸惑う私の瞳は、揺れるだけ。
どうするべきかも知らないままに。

  

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