11.A gentleman(2)


「……」
 ――目が覚めると、私の視界には、真っ白な天井だけが映った。ぼんやりする頭を、左右に揺らす。その度、何となくズキズキこめかみのあたりが痛む気がしたけどとりあえず我慢して。
 どうやら私は、ベッドに寝てるらしい。鼻につくのは、消毒液の香り。クーラーの冷風が、気持ちいいな、なんて思いながら目をゆっくり閉じた。多分、ここ、保健室だ。
 ぼーっとしていると、徐々に記憶が戻って来た。そうだ。体育館で、突然意識が飛んで、倒れちゃったんだ。直前までのことを思い返していると、不意に、話し声が耳に届いた。

「……じゃあ、……」
「はい。……大丈夫ですよ」
「……」
 
よく聞き取れないけど、片方の低い声、は、多分――?確証が取れないので、だるい身体を起こそうとのろのろ寝返りを打つ。ああ、布団床に落ちちゃったよ……。拾おうと腕を伸ばした、時。
 ―シャッ
 
すぐ後ろで、カーテンを開ける音が聞こえた。一瞬固まり、ゆっくり振り返ると。想像通り、山元が、立っていた。視線が絡んで、どうすればいいか分からずに、とりあえず笑って見せる。ついでに、手を挙げて。
「……おはよ?」
「……」
 ああ!!明らか空気はずしたっ!?お、お願いだからその不機嫌な顔はやめて!!寝起きにいきなりその綺麗な顔を不機嫌そうに歪められると私どうすりゃいいのって話な訳で!!一人あたふたして、じりじりベッド奥に寄った。む、無言で近づいてくる山元がかつてない程怖く感じる……。焦る私と裏腹に、伸ばされる手に固まりながら、うっかりもう一度寝返りを、うってしまった。
「っわ、!!」
「おい、っ」
 
ぼすん、と漫画のように情けない鈍い音を立てて、ベッドから転がり落ち、床の布団の上にダイブしてしまった私。思いっきり打ったお尻が、痛い。身体は相変わらずだるくて、その時初めて、くくってあった髪が解かれているのに気付いた。格好は、部活の時と変わらない。Tシャツに、ハーフパンツ。靴下は履いてないけれども。
 ベッドに上ろうとするんだけど、指先にも腕にも、身体中、力が、入らない。ちらりと視線をあげると、目を細めながら、わざわざ私のいる反対側に回り込んでくる、山元。オーラかなんか分からないけど、その背景は真っ黒。お、怒られる?怒られるんだよね、私!?どどどどどうしよー!?心は焦っているのに、動かない身体にため息が零れそうになる。その大きな手が、もう一度眼前に迫って、思わず目をぎゅっと、瞑った、時だった。
「へ、」
 
背中に回される熱と、奇妙な浮遊感。思わず、瞑っていた目を開くと、山元の横顔がすぐ側、斜め上にあった。そしてすぐ、ベッドの上に、布団と一緒に下ろされる。「大丈夫か?」そう言いながら、布団を私にかけて、ベッドのすぐ側にあった椅子に腰掛けた、山元。
 ……え?怒って、ないの? ていうか今のまさか少女漫画に定番のお姫様……っ!?
 
名前を脳内に思い浮かべるのも恥ずかしく、思わず顔を真っ赤に染め上げると、山元は訝しげに眉を寄せた。
「柳?まさか、熱でも……?」
「ちちちち違うっ!!これは全く関係ないからっ!!大丈夫だからっ!!」
 
一瞬、頭が痛いのも忘れて首をぶんぶん振ると、山元はほんの少し、表情を和らげて、「それならいいけど」と言った。……何がどうなって、こうなってるのーーー?
「や、山元?」
「あ?何だよ?」
「わ、私達、体育館にいたよね?何でここに、いるの?」
 
色々他にも謎はあるけど、最大の疑問をぶつける。そうすると、山元は一瞬細く形のいい眉を跳ね上げると、小さく息を零した。私の頭のすぐ横に肘をつくと、ぽんぽん、お腹の辺りを撫でられる。
 ……嫌がらせですか?
「倒れたの、覚えてる?」
「……あ、うん」
「だから、運んできたんだよ。軽い熱中症と脱水症状、それに貧血だってさ」
「……っ、」
 
そういえば私、三日目だった……!!結構、毎回生理痛はひどい方なんだけど。今回は何故かあんまり痛みが無かったんだよね。だからあんまり意識してなかったし、薬も飲んでなかった。そうか、このだるさと頭痛はそれが原因か。
 ちらちら、山元を伺う。別に知られて困る歳でも無いし、そんなので一々からかう奴じゃないのも知ってる。だけど、女慣れしてる山元なら、確実に貧血の理由に勘付いてるし。それがやっぱり恥ずかしいんだよ……!!
 少し不機嫌そうに、私のお腹を撫でてくれる山元。その理由がわからなくて、見つめていたら不意に、こっちを向いた。
「お前、馬鹿?」
「、へ」
「つーか馬鹿だな、知ってたけど」
 
い、いきなり何!?馬鹿確定、称号すらいただけそうなキッパリした物言いに、思わず黙り込んでしまう。彼はゆっくりお腹から手を離すと、私を真っ直ぐ見据えた。
「脱水って、何考えてんだよ」
「え、」
「マネージャーが倒れてちゃ世話ねぇんだよ。それ、分かってる訳?」
「っ……」
「自己管理、ってプレイヤーだけに言ってる訳じゃないだろ?……お前がそんなんじゃ、頼りないんだよ」
 
次々に真っ直ぐ突き刺さる、言葉と、視線。その言葉は言い方はどうであれ正論で、私は何も言えなくなった。

 そりゃ、そうだ。部員に水分補給と体調管理を呼びかけてるマネージャーが、こんなのありえない。しかも部活後で疲れてる山元に迷惑かけて、本当に、ありえない……!!
 
考えれば考える程、自己嫌悪で胸が詰まって、息が、出来ない。涙がぽろりと、瞳から零れた。それを見て山元は驚いたように目を見開いたから、慌てて目を擦る。ここで泣いてたら、まるで楽な方へ逃げてるみたいで、自分が嫌になるから。

「ご、めんなさい……」
「……」
「や、ま元にも、迷惑かけちゃ、ってっ、ごめ……」
「……、」
「ったぁ!?」
 
嗚咽がもれそうになるのを必死で堪え、ぼんやり霞む視界の中にいる山元に、謝る。だけど彼は、私の言葉を聞くと急にその表情を一層不機嫌そうに歪めて、腕を伸ばし、――デコピンされた。意外な痛みに、額を押さえて丸まる。っこれ、半端なく痛い!!地道に痛い!!唸り声を上げながら、痛みに耐える私の上に降りかかる、大きなため息。
「だからお前は馬鹿だっつってんだよ」
「な!?」
 
な、何でこの状況で馬鹿と言われなくちゃいけないの!?会話繋がってないから!!非難の意味をこめ、じろりと視線を上げれば、……切なそうに眉をひそめる、山元。その表情に、言葉を失った。――何で、山元の方がずっと、ずっと痛そうな顔、するの?
「別に、それは俺が好きでやってることだからいいんだよ。何でお前がそれで謝る訳?」
「だ、って、マネージャーがっ、疲れた部員にそんなこと、させるなんて、」
「ばーか」
 
呆れたように呟く山元に慌てて言葉を返せば、また、「馬鹿」。だけど、何でかな?その響きは妙に甘くって、とっても怒ってるようには感じないの。仕方ないなぁっていう、優しい、響き。
「マネージャーも部員だろ?だから俺は怒ってるんだよ」
「……っ、」
「ついでに、お前はただの部員じゃなくてクラスメイトで俺の好きな女な訳。放っとける訳、ねぇだろ」
「や、山、……っ」
「お前だから面倒見たいし、迷惑かけられたいし、世話したいの。だからお前はそんなん気にしてなくていいの。……ほら、馬鹿はそんなん気にしないで寝てろ」
 
最後は優しく笑って、額を指先で撫でられる。冷たい指先は、熱を持った痕に気持ちいい。
 
――馬鹿は、山元じゃないの?怒るだけ怒ればいいのに、最後は絶対、甘やかすんだから。だからその優しさに、いけないと分かりながら、私は転げ落ちるように甘えてしまうんだ。
 苦笑して、目尻にたまる涙を拭う。ありがと、って唇だけ動かして、伝えた。伝わらなかったかも、しれない。だけど、山元は目を細めて、苦笑したから。……伝わった、って信じていいのかな?
 しばらくし、すぐ横についていた肘を外し、彼は私のお腹をもう一度撫で始める。静かな空間を遮るものは何も無く、カーテンの隙間の窓から見える空は、まだ青い。もう少しだけ。今だけ、だから。山元の優しさに甘やかされて眠ろうか、と瞳を閉ざそうと思ったけど、……その。
「山元?」
「あ?」
「さっきから気になってるんだけどさ、このお腹をさする手は何な訳?」
 
布団から顔を上げて尋ねると、山元は固まった後、困ったように視線をずらした。「あー」とか「んー……」とか俯いてしばらく唸った後、顔を上げ、私を見る。その頬は、赤い。
「保険医の、先生が」
「先生が?」
「会議で、出てったんだけど。その、……腹さすると、早く良くなるっつうから……」
「……?……!?」
 
山元の言ってる意味に気付いて、顔が熱くなる。確かにその気遣いは嬉しいんだけどっ!!別に私、今回はお腹特に痛くないし!!山元の優しさはとても嬉しいんだけども……っ!!

「っ、そんな気遣いはいらーんっ!!」


 ――思わず、無我夢中でその手を振り払ってしまった。
その後、不機嫌になってしまった山元を宥めるのに必死でほとんど休めなかったよ……。

* * *


 それから二日。山元の『部長命令』で、私は一日、大事を取ってお休みした。大丈夫、って言ったんだけど聞いてくれなくて。「ちゃんと水分取ります」宣言させられて。……まぁ、駅まで送ってくれたし、心配かけてしまった訳ですから、部長様には逆らえません。一日休んだお陰で頭もスッキリしたし、気分も結構爽快な訳で。何だか久しぶりな部活に行くと、咲ちゃんはニコニコ笑って出迎えてくれた。
「瑞希先輩!!大丈夫なんですか?」
「うん。ごめんねー、休んじゃって」
「平気ですよ。……山元先輩のあの取り乱しっ振り、見てて楽しかったですし」
「へ?何か言った?」
「いえ、別に」
 
微笑んで言われた台詞は聞き取りづらく、聞き返すと首をゆるりと振られた。……誤魔化された?もう一度、尋ねようとすると、後ろからぽこりと頭を叩かれた。
「……大丈夫か?」
 
低い、声。その、どこか特徴的な皮肉っぽい物言いは、私の知り合いには一人しかいなくて。振り返れば、やっぱり、山元だった。無表情な瞳は、どこか心配そうな色合いに縁取られていて。だから、ニッコリ微笑んで見せた。
「大丈夫っ!!心配しすぎだよ?」
「お前、馬鹿だから。無茶しすぎなんだよいっつも」
「むっ!?あんたちょっと、こないだから馬鹿馬鹿連発しすぎだよ!?」
「馬鹿なんだから仕方ねぇだろ馬鹿」
「また、もーっ!!」
 明るく言う私に、からかうような笑みと一緒に送られる、確かな嫌味。……だけどまぁ、心配してくれてるのは、分かってるから。口には出せないけど、感謝はしといて、あげる。
 言い争う私達に、降り注ぐ、くすくす笑い。振り返ると、やっぱり咲ちゃんだった。
「なんだよ、渡辺」
「いえ、別に?」
「お前がそう言うときは確実に何かあるだろうがッッ!!」
 
吠えるように言う山元に、完璧な笑みで応える、咲ちゃん。二人で話し始めて、なんだかポツン、と一人になってしまった私。……寂しい。
 ―ズキン
「……?」
 
不意打ちのように痛む胸に、驚いて胸元をぎゅっと握りしめる。それは、目の前を楽しそうに歩く二人を見てると、ますますひどくなるようで。むぅっと眉をひそめながら、首を傾げてその背中を追いかけた。今度は、心臓病にでもなったのかな?なんて。ふざけたことを考えながら、小走りを、する。




生理痛でも貧血でも何でもなく、胸が痛むその理由。
自分の気持ちに鈍い私は分からないまま、ただ、これから先もその痛みを、ずっとずっと抱えていく羽目となったのだ。


  

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