笑ってよ。

困ったように、ためらっても、どうか。

素顔で、笑って。


18.natural(1)


 文化祭から、一週間。片付けも終わり、振替休日の間に打ち上げも済ませて、慌ただしい日常は、徐々に穏やかになっていった。
 ――けれど。
「はぁ……」
「瑞希先輩?どうかしました?」
「へ?え、ああ大丈夫っ」

 なんでもない、そう手を振ると咲ちゃんは訝しげな顔をしながら、そうですか、と頷いてくれた。危ない危ない。無意識にため息を吐いていたらしい。部活中にいつまでも、沈んだ顔してられないな。気合を入れるように、自分の両頬を数回叩いた。
 
そうは言っても、沈んでる原因は、部内にあるから、なんだけどね。 一人ごちて、コートに視線を走らせる。
 汗をかき、声を張り上げる彼――青竹くんの姿は、変わらずそこにあった。


  一日目にあんなことがあったにも関わらず、私は二日目も楽しく過ごせた。
 それはまぁ、山元のお陰なんだけど。
――あの時、あいつが温もりをくれたから。…… ってこう言うのは恥ずかしい!!妙に恥ずかしいっ!!首をぶんぶん振って真っ赤になる私を、咲ちゃんは首を傾げて見ている。だけど私は、あう、なんて呻きながら自分の手で顔の火照りを冷やすのに必死だった。
 だって、結局あの時山元がいてくれなかったら、私は今でも立ち直れなかった。
 固い皮の優しい掌、柔らかな色を湛えた瞳、甘い響きを含んだ声。その全てで、私は守られた。 だから、感謝はすごくしてるし、本当に文化祭は私にとって楽しいものとして終わったはず、なんだけど。

 あの日から、青竹くんが私を避けている。
 最初は気のせいかな?と思ったんだけど、一週間も経てば、故意だと気付く。もちろん目が合えば挨拶してくれるし、部活で用事があればちゃんと返事もする。だけど二人きりになるのは逃げられてる上に、メールもどことなくよそよそしい。私は、青竹くんの変化の理由が分からなくて、疑問だけ頭に浮かぶ日が続いていた。その背中を目で追っていると、不意に、咲ちゃんの潜めた声が耳に届く。
「やっぱり、タケ、ですか?」
「、え、」
「瑞希先輩のこと、避けてますよね?」

 そう言って私の瞳を覗き込む彼女。
 気付いて、たんだ。ビックリする私は、口を半開きの情けない表情で固まってしまった。
 青竹くんは感情を隠すのが上手で、今回の件にしても、そう。私は避けられてるって分かったけど、周りから見れば普通通りに見えたと思う。だから、まさか気付いてる人がいるとは思わなかった。でもよくよく考えてみると青竹くんと咲ちゃんは隣のクラスで、仲が良いらしい。あだ名で呼ぶ位だし、勘が鋭く人をよく見ている彼女なら気付いてもおかしくない、と考えを改めた。そしてまた、それに気付きながらも理由を追及しないでいてくれた優しさにも感謝して。視線を、咲ちゃんに向ける。
「……そう、だね。文化祭から、なんだけど」
「そうなんですか。……最近、タケずっと変なんです。落ち込んでるって言うか、無理してるって言うか……」
 
言葉を濁した咲ちゃんは、そのまま俯いてしまった。
 親しい人が辛いところは、誰だって見たくないと思う。今話をしている咲ちゃんの心情を思うと、複雑な気持ちになる。それに私自身、暗い影が胸に過ぎった。青竹くんとは色々あったけど、私は彼を嫌いじゃないし、嫌いにはなれない。自分が落ち込んだり傷付いても、いつだって彼は真っ直ぐだ。その瞳が怖いと思う時があっても、尊敬している。それに自分の気持ちを隠すのに長けている彼は、人の隠された気持ちなど気付ける人だ。体調が悪い人などいたら真っ先に気付くし、相手のことをよく考えての発言を出来る。そう言う優しいところも含めて、私は彼を尊敬してるし、人としてとても好きだと思う。
 だから、今回の一件は正直、かなり堪えた。自分が原因で青竹くんが落ち込んだ様子であることにも、彼に嫌われたかもしれないことにも。ありえなくない想像に、少し身体を震わせると、咲ちゃんはぽつり、と零した。

「私、聞いたんです」
「何を?」

 突然の言葉に驚きながらも、沈んだ様子の咲ちゃんに尋ね返す。何となく、想像がついてる、この先の言葉。だけど、面と向かって聞く勇気はなくて。私はただ、じっとその先の言葉を待っていた。しばらくした後、咲ちゃんはひどく緊張した声を、絞り出す。
「どうして、瑞希先輩を避けるの、って」
「……」
「そしたら、あいつ」

 そこで言葉を切って、唇を噛み締め、私の目を見据える、咲ちゃん。どう反応すればいいかわからなくて、ただただ呆然とする私に、彼女は泣きそうに、言った。
「――自分は、先輩を傷付けてしまうから、って笑ったんです。今にも泣きそうな、風に」
 
そのまま、俯く咲ちゃんのつむじをじっと見た後、遠く、青竹くんを見つめる。部員に囲まれ笑う彼は、ひどく壊れそうに、儚い存在に見えた。

 距離を取るのは、簡単なことだ。だけど、一度離れた距離を元に戻すのは、口で言うよりも難しい。もう、青竹くんは私を嫌いになったかもしれない。むやみに彼に近づくのは、彼を今以上に傷付けるだけかもしれない。
 ――それでも、私は。
彼と話さなきゃいけないって、そう思うんだ。
 湯船に浸かり、お湯に顔を埋める。徐々に火照ってくる身体と、頭がぼんやりした。
 嫌われたかもしれないけど、話したくないかもしれないけど。でも、彼の今思ってることが分からなくちゃ、謝ることすらできない。それが例え、青竹くんに取って迷惑なことであったとしても。

「よっし、」
 軽く頬を叩いて、湯船からあがる。大体、一つのことをずっと悩むだけっていうのは絶対身体に悪い。
 それでなくても。私は基本的に受け身ばかりで、みんなから与えられる優しさや好意を、受け取るだけだった。
 このままじゃ、駄目だ。今だって、私は彼から話を切り出してくれるのを待っている。でもそんなことばかり続けていたって、駄目なんだ。

 ――強くなりたい。強くなったその先で、笑いたい。笑って欲しい。私の大切な人に、私の大好きな人達に。
 心の中で蠢く確かな決意を、私はしっかり呟いた。言葉にすることで、思いを確かにするように。


  

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