36.ウラハラな体温(2)


 お風呂を上がり、部屋でみんなでトランプをする。そんな穏やかな時間に、嵐は起こるものだ。

「人生ゲーム?」
「うん、伸吾が持って来たんだって」
 
伸吾と言うのは、クラスメイトの柏原のこと。って、いつの間に名前を呼ぶような仲に。
「いつからそういう仲なのー?」
「え?言ってなかったっけ。修旅の委員会一緒でさぁ。えへへ」
 
でれでれする友達に、ため息混じりにおめでとうを告げると、ますます締まりない顔になる。それを見て、わずかに苦笑した。
 うらやましい。好きな人のことをからかわれ、素直に惚気られるその態度。ついつい意地を張ってしまう私とは、大違い。いや、私の場合、素直になれないのは山元にも原因がある気もするけど。
「で?どうするの?」
「うーん」
 
何でも、柏原が家からわざわざ人生ゲームを持って来たそうだ。しかもボードの方。どうやって?と頭を悩ませたけど、それは置いといて。良かったら、男子部屋でクラスのみんなでやらないか、と誘われたらしい。それでうちの部屋にも声をかけに来てくれたそうだ。ま、本音は彼氏に会いたいだけだろうけど。
「神奈は?どうする?」
「……眠い」
 
ベッドに転がっている神奈を振り返ると、本当に眠そうな返事。ダイビング、確かに疲れたもんなぁ。私も気付けば、閉じそうな瞼を必死に堪えている状態だ。
 きゆはパス、さっちゃんは行くみたい。
「瑞希行こうよーっ」
「むぅ」
「別に私なら気にしなくてもいいわよ?」
「あー、うん」
 
確かに、きゆのことも気になったけど。ちらりと時計を見ると、午後九時二十分。消灯は十時。でも、人生ゲームって長いから、時間までに終わる気がしない。かと言って残っちゃうと、明日の朝練起きられない気もするし。悩む私の耳元で、友達が囁く。
「ね、部屋、山元も一緒だよ?」
「……っな!?」
 
思わず仰け反る私を、面白そうに見つめる視線。ってそうではなく!!
「な、ななな何で知って、」
「えーだってさ、山元の瑞希好きっぷりは有名だし。それでついつい注目しちゃえば、あんたも満更じゃなさそうだし。いつくっつくか、クラスでは賭けられてるよ」
「あーやっぱ知ってるんだ?じゃあ協力してよ」
「そうね、クラスの協力あると楽だし」
「全然いいよ。あたし修学旅行に賭けてるんだっ」
 
にやにやするきゆとさっちゃんに、OKサインを出す彼女。ちょ、ちょちょちょっと待った!!
「そんなばれてるの!?嘘!?」
「……ばれてないと思ったの?」
「……気付いてないの、山元位だと思うよ?」
 
そんな可哀想な子を見る目は止めてくださいっ!!あうあう、と真っ赤になる私の手を引いて、さっちゃんはもう乗り気。
「ちょ、私行くって言ってない!!」
「いいじゃん、良い感じの空気になったら二人っきりにしたげる」
「心の準備がっ!!」
 
ていうかさっきのあれで顔見て平静でいられる自信がない!!今、お風呂上がりだからTシャツにスウェットっていう本当に室内着だし!!せめて髪の毛くらい!!
 でも、そんな私の訴えは。
「別に山元は、瑞希だったら何でも可愛いでしょ」
 
というさっちゃんの意見に粉砕された。
 ……私はよくなーいぃぃ!!

 ずるずる引きずられ、辿り着いた男子部屋。わいわいと話し声が飛び交い、楽しそうな空気。八人用の和室の大部屋は、二十人くらいの人で一杯だった。
 でも。
「あれぇ?山元は?」
「んー?恍なら今、別の部屋でポーカーやりに行ってるよ」
 
さっちゃんが部屋を見回しながら近くの男子に声をかけると、あっさりと返事が返って来た。
 ……いないんだ。ホッとしたような、ガッカリしたような、複雑な気持ち。会えば心臓が壊れそうになって、会いたくないって思うのに。側にいないと、寂しくてたまらない。矛盾する自分に、苦笑する。
 友達はすでに柏原の横をがっちり陣取ってるし、とりあえず最初の予定通り、人生ゲームを楽しむことにしよう!!さっちゃんも拍子抜けしたようだけど、気を取り直したのか。もう、円になってるみんなのところに集まっていた。

 告白、したいなって、今は少し思ってる。好きな人に好きと伝えるのは、緊張するけれど、解放感もある。それは青竹先輩の時に、分かったから。
 だけど、青竹先輩と山元じゃ、絶対的に確かに違う部分がある。その部分が、私に受け入れられるか。
 それはどうしても、出来ないことかもしれないから、だから私――。

「げっ、また借金」
「ざーんねん。あ、あたし転職だ!!何にする?」
 
総勢二十三名での人生ゲームは、さすがに出来ない。という訳で、男女混合のチーム戦。同じチーム内でも運が良い子と悪い子がいるし、空いてる時は話せるし。何だかんだ、結構盛り上がっている。
「柳、次」
「よしっ、頑張ってお金ゲットしてきます!!」
「任せた!!」
 
うちのチームは全部で六人。全四チーム中、今三位だ。でも始まったばかりだから、まだまだ逆転もある。ゴール直前で開拓地ルートもある訳だしね。張り切ってルーレットを回し、六の目で止まる。
 えーっと。
「あ、ボーナスだ!!」
「よし、よくやった!!」
「いえいっ!!」
 
チームのみんなに、ハイタッチをして。浮かれて笑みを零した。実際、あんまり運が良いとは言い難いから心配だったんだよね、良かった!!浮かれる私は、チームのリーダー格の男子に、後ろから肩に腕を回される。日焼けしたとこで痛くて手をはたいたら、苦笑された。でもその後、頭を撫でられる。
「偉い!!次俺だから任せとけ」
「いえっさ。ここでミスしたら罰ゲームだからねー」
「え、何する気だよ」
「そりゃあさー」
 
罰ゲームの言葉に、顔を顰める。それを見て思わず笑いながら、罰ゲーム候補を上げていく。すると、すぐ後ろの襖が開く音がした。
「……あっれ、恍早くね?」
 
隣にいた男子は、私の頭から手を離す。そして、背後にいる人に声を掛けた。
 え。
「……ああ」
 
恐る恐る振り返れば、目の前に見えるのは、まず部活のスウェット。徐々に視線を上げると、これまた部活のTシャツに首筋、顎、そしてその瞳が見えて。目があった瞬間、山元は低い声で頷いた。
 え、てか何か機嫌悪くない?
 さっき、お風呂場の前で会った時からそんなに時間は経ってない。赤くなるはずの顔は、山元の態度で、何も反応しない。こっちを見て、視線を逸らさない山元。固まったままの私を、数秒見据えた後。
「、ちょっ!?」
 ぐいっと手首を掴まれ、無理矢理立たされる。いきなりだから、肩の関節が少し痛い。なのに気にする様子もなく、私の手首を握ったまま、彼は歩き出す。後ろから、「おいっ、恍!?」なんて焦った声が届くけど。振り返りもせず、ただ、私の手首を握る力が、強くなるだけだった。

「や、山元っ」
「……」
「痛いっ、痛いってば!!」
 
ずんずん勝手に進んでいく、目の前の背中がうらめしい。部屋を出てから、私の叫びも聞かずに勝手に歩いている。掴まれた手首は、一方的なまま。
 痛い。
 いつもなら、ドキドキするのに。切なくて、恥ずかしくて、でも何だか幸せで。それはきっと、山元が優しく触れるから。私のことを大事にしてくれる、って触れる指先から伝わるから。
 でも、今は違う。私のことなんて気にしない。ただただ自分の都合で触れるその手が、辛い。
 ものじゃない。私、ものじゃないのに。
「離して、よ……っ」
 
泣きたい。何で、こんなことになっちゃったんだろう。
 怒ってるのは分かってる、きっと原因は私。
 でも、苦しい。
 山元にだけは、そんな風に触れて欲しくない。いつだって、幸せを感じていたいのに。
 口から零れた声は、今にも泣きそうな響きをしていた。
「……」
 
とうとう、廊下の突きあたりに行きあたる。右手は大浴場、左手は階段だ。どちらにも行けないことに山元も気付いたのか、小さくため息を吐いた。黙ったまま、階段の裏側に入り、私を振り返る。電灯の明りの届かない、少しだけ暗い空間。あえて顔を上げないままでいると、少し緩んでいた手に力が籠り。
「俺は、謝らないからな」
「……っ」
 
不機嫌な声で、きっぱりと言い切られた。低い声に、背筋が震える。けれど山元は、そんな私を気にも留めず、空いた片手で、顎を掴まれた。首を振っても、強い力は離れない。ぐっと上を向かされて、仕方なく従った。
 逆光に光るその瞳は、少し、怖い。
「何でお前、男子部屋にいんだよ」
「……クラスのみんなで、人生ゲームしてたのっ。何で山元に怒られなきゃいけないの!?」
「怒らない訳ねぇだろっ!!」
「っ」
 
威圧的な物言いに噛みつけば、大きな怒鳴り声。思わず、身体を震わせる。それでも、こちらを見る瞳は、ぎらぎら怒りに燃えていて。唇を噛まなきゃ、泣きそうだった。
「ったく、よく考えろよ。こんな時間に男の部屋行くなんてありえねぇだろ」
「だ、れも、そんなの気にしない」
「俺が気にする」
 
何それ。そんなの、横暴じゃない。山元が命令するなら、私はクラスの男子と話すのも駄目な訳?
 潤んだ目で、瞳を合わせるように視線を上げる。一瞬言葉に詰まった山元は、眉間の皺を深くした。
「お前、分かってやってんのかよ」
「……何、を」
「俺が嫉妬して怒ること分かってて、こういうことすんのか、って」
 
顎を掴んだままの指先は、黙って輪郭をなぞりはじめて。緩やかなその動きに、肌が粟立つ。ふわり、彼が動くたびに香る。その匂いは、多分、ここのホテル限定のボディーソープ。
 私と同じ。そんなことで、いちいちドキドキする私は、馬鹿だ。
「他の男と話したり、他の男に触らせたり。ふざけんなよ。冗談めかすのにも、限度があるんだよ。……俺だって、そう簡単に触れねぇのに」
「い、今触ってるでしょっ」
 
山元がぽつりと漏らした言葉に思わず反論するのは、いつものこと。でも、言葉のままだ。だって山元は、いつだって私に気まぐれに触れ、温もりを与え。決して抜けない棘を、胸の奥深くに差し込んでいく。
「足りねぇっつの」
 
その言葉と同時に、大きな手は、私の頬を包みこんだ。呆気なく上へと向かされ、予想以上の至近距離にある瞳。静かに光るそれに、言葉を失った。
 黙り込んだ私の唇を、彼の熱い親指が滑る。
 
目の前で、その真っ黒な瞳が、閉ざされて。
 
私はぼんやり、その睫毛の長さを確かめていた――。

「消灯時間だぞーっ!!女子は部屋に戻れっ!!」
「「!!」」
 
けれど、唐突に。耳に届く、大きな声。目の前で開かれた瞳は、静かに細まり。
「黙ってろよ」
 
耳元で舌打ちと共に囁かれ、壁際に背中を押しつけられた。そのまま、ぎゅうっと抱きすくめられる。呼吸も出来ないようなきつさで、慌ててその胸から顔を少しだけ出して、息を吐いた。
 頬に当たる彼の黒髪は、少しだけ濡れて、冷たい。お風呂上がりで、まだ髪を乾かしてないのかな。それがまた、現実を知らしめる。
 分かってる。先生に見つかったら、面倒臭いことになるだろうって。大人数で部屋にいるんじゃなく、こんな暗い所で二人っきりだ。ましてや、同じ部活で同じクラス。言い訳は通らない。そのために、こんな風に隠れていること、分かってる。
 でも。
「〜〜〜〜っ」
 
あついのだ。
 体温が、上がって、上がって、壊れそう。
 顔だけじゃなく、その熱は全身に伝わっている。剥き出しの腕も、絡まる足も。全部あつくって、堪らない。
 こんな間近に彼の体温を感じるのは、多分十二月以来。あの時の三倍以上の心拍数な、はず。
 ……だけど、お互い薄手な今。少しだけ、分かる。
 どくん、どくん、どくん。山元の心臓の動きも、速いこと。そりゃ、私ほどじゃないけどさ。彼の心臓も、しっかり速い。それが嬉しいような、くすぐったいような、不思議な感覚。
 日焼けした身体が、痛いんだよ、本当は。背中はひんやりする壁にくっついているけれど、押し付けられてるし、抱き締められてるし。
 ――だけどね、山元だけ。痛みよりも、ずっとずっと、触れていて欲しい、っていう気持ちが、強くなる。黙って二の腕に頬を擦り付けると、一瞬ぴくりとその身体が揺れ。次の瞬間、もっと強く抱き締められた。

「よし、行ったか」
「うん」
 
先生の声が遠くに聞こえて、そっと離れる。熱かった身体は、すぐに冷めた。思わず、身震いしてしまうほど。ぎゅっと自分の身体を抱き締める。それを見て、山元は黙って頭を掻いた。
「……悪かったな」
「へ?」
 
いきなり謝られるけど、何のことか分からない。首を傾げてその瞳を見つめると、眉を曲げて、山元は苦笑した。
「その、無理矢理、しようとして」
「むり、やり、」
「だから、その……」
 
頭の動きが、やけにスロー。ただ言葉を繰り返すだけの私を見て、山元はひどく困ったような表情をして。つっと一瞬、唇に、温もり。その温もりの行方を追うと、それは山元の人差し指で。彼は黙って、その指を自分の唇に当てた。
「――キス?」
「……!!」
 
やけに艶めかしい響きとは裏腹に、表情はあどけない、子供のごとく。疑問符すらつけて囁かれた言葉に、私は絶句した。
 けれど言葉も出ない私に、山元は詰め寄る。
「けど、他の男にこういうことされたらどうすんだよ。危機感持てっつーの」
「っ、あの、」
「大体な、お前の行動はいちいち誤解されるっつーか、誘われるっつーか、」
 
そんなの知るか。
 何、今の行動。ありえないありえないありえないありえない。あれ、どう考えても間接――。
 けれど、私がその答えを出す前に、くいっと顎を掴まれ、瞳を合わせられ。

「……していい?」
 
真剣な顔で、そう聞かれた。

「していい訳あるかーーーーっ!!」
 
大声で叫び、両腕を突っ張って山元の身体を吹っ飛ばす。遠くから、先生達の声が聞こえて。身を翻し、階段を昇った。「おいっ、柳っ」と小声の叫びは、当然シカト。
 走って走って走って走って、そして。
「お帰りなさい、瑞希」
「った、ただいま……っ!!」
 ばたんっ!!と大きく音を立て、部屋のドアを閉める。
目が合ったきゆは、一瞬驚いたような顔をしたけれど。その後すぐ、にっこりと笑った。奥の部屋から、神奈とさっちゃんがひょっこり顔を出す。
「あ、瑞希お帰りーっ。どうだった、どうだった!?」
「しらないっ!!」
 
いそいそと近付いて来るさっちゃんに怒鳴り、ベッドに歩を進める。寝転がると、ばふっと布団を被った。
 「え、え、?」とおろおろするさっちゃん、含み笑いの神奈、ため息を吐くきゆ。みんなに答えてる余裕は、今はない。
 何で、そんな簡単に段階を飛び越えられるの。触れるだけで一杯一杯の私は、おかしいの?一緒だって、思ったのに、違うの?
 ――違う。
 それ以前に、はっきりした言葉だって交わしていない。付き合ってすらいない。今の私達を表す言葉は、クラスメイトで、同じ部活で、ただそれだけなのに。
 言葉に縋り、必死になる自分が、馬鹿みたいで。
悔しくて、涙が出た。




山元の体温を、声を、指先を。
思い出すだけで、体温は、上がる一方なのに。
心は混沌として、冷めていく。
私の悩みは、きっと告白すれば解消されるもので。
山元の態度は、きっと年頃の男子としては普通なもので。
なのに、一つ噛みあわないだけで、足りないだけで、こんなにも変わっていく。
それが、歯痒かった。

修学旅行二日目は、マイナス方向へ移動……?


  

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