一直線なこの気持ちは、ひたすら、あなたを追いかける。

誰よりも、私を惹きつけ、引き寄せる、あなたに。


37.ただ、ただ、


 修学旅行、三日目。朝練二日目の、今日。神奈に起こされずに、私は起きた。というか。
「はぁ……」
 
一晩、眠れなかった。
 冷静に考えれば、冗談だったんだろう、って分かる。それでも、やっぱり考え込んでしまって。洗顔の後、鏡の中に映った自分は、くまもあって、青白くて、全然可愛くない。かなり、不細工だった。
 ゆっくり着替えて、ベランダに出る。朝日が、昇り始める。磯の香りと、少しだけ冷たい風。眩しい太陽に目を細めて、今日一日を思った。どんな顔をして、会えばいいのか。
 室内時計を見れば、午前四時二十分。あと、二時間。確実に近付く再会の時に、私は戸惑っていた。

「瑞希、大丈夫?」
「ん、まぁ元気」
 
朝起きてきた神奈、さっちゃんにも言われた言葉。他の部活の女の子にも声を掛けられて、苦笑交じりに返事を返す。
 そんなにひどい顔、してるだろうか。そう尋ねれば、大きく頷かれるのは分かってるから。ただ一言、そう返すようにしていた。
 情けないなぁ。今まで、恋愛で悩んで体調崩すようなこと、なかったのに。
 勝手が違う。やり方が分からない。私の常識が、通じない。怖いような、嬉しいような。不思議な感覚に、追い詰められていく。……今は全然嬉しくないけどね。
 内心毒づいていると、男バスの子が走って来た。もちろん、その中には山元もいる訳で。
「……っ」
 
どくり、胸が騒ぐ。目が合った瞬間、思わず逸らしてしまった。視線をまだ感じる。だから、振りむけない。
「おーい、柳っ、応援しろよ」
「お前でもいいからさぁ」
 
けれど、他の男バスの子は気付いてるのか、気付いていないのか。陽気に声を掛けて来る。いつも通りのそれが嬉しくて、にっこり笑った。
「うるさいなっ、感謝してよね、可愛いマネージャーが早起きしてるんだよーっ」
「うわぁ、マジねぇわそれ」
「どういう意味よ!!」
 
調子に乗った返事に、突っ込まれ。居心地の良い空間。素直に零れる笑い。どうにか、呼吸が出来る。
 ――それでも。やっぱり、山元は、見れない。
 じっと私を見据えたまま、黙っている彼。いつもなら、率先してからかってくるのに。そのまま、走り去っていくみんな。決して、振り返らない背中。最初に視線を逸らしたのは、私。なのにどうしてか、胸が裂けそうなくらい痛かった。

 今日は、班ごとに一日自由行動。美ら海水族館は、最終日にみんなで行くというので取っておいて。ビオスの丘に万座毛、むら咲むらでそば打ちなど、定番のコース。そう。男女一緒の班行動、というのも、多分、ありがちで。
「……」
「……」
 
修学旅行前の自分が、うらめしい。
 うちのクラスは、ちょいちょいクラス内カップルがいる。で、そのカップルの中の二組の女の子側が、同じ班。そして男子側が、――山元と、同じ班。
 片やいちゃいちゃするカップル。片や見るからにぎすぎすした空気を醸し出す、私と、山元。田口くんなんかが気を使ってくれるけれども、上手く行かなくて。ああ、申し訳ない。
 折角の修学旅行、こんな気持ちで過ごしたくなんて、ないのに。落ち込んだまま、ちらりと山元を見る。神奈と笑って話すその様子は、いつもと変わらなくて。それにまた傷付く自分が、馬鹿みたいだった。
「瑞希っ、着いたよ?行こう」
「あ、うん。ごめん」
 
さっちゃんに腕を引かれ、バスを降りる。
 うちの学校は、自由行動が認められている代わりに、バスが使えない。交通手段は自分でゲット、だ。事前学習の大変さを思いながら、ゆっくりと空を見上げる。私の気持ちと違う、刺すような日差し、綺麗な青。ぼんやりする私を、きゆが促す。情けないなぁ、本当に。今日何度思ったかしれない言葉に、内心ため息を吐いた。

 今日の観光は、むら咲むらスタート。午前一杯をここで過ごし、午後は観光メインになる。
 初めてのそば打ちは、なかなか上手く行かず、それでも熱中していると山元のことを忘れられるから、ちょうど良くて。手が粉まみれになって、麺が変に太くて、笑って。
 時々、ちらちらと視線を感じる。でも、振り返れなくて。私は、黙ってそばに思いをぶつけた。出来あがったそばは、何だかちょっとしょっぱい気がした。
「時間まだあるね」
「ここら辺ぶらぶらしない?」
「そうするかー」
 
満腹になり、時計を確認したけれど、出発予定時刻まで一時間近くあった。多めに時間を取ったんだけど、多すぎたみたい。
 一人の提案に、みんなが乗っかった。待ち合わせ場所を決めて、一旦解散。私は、神奈達とビーチの方へ。折角沖縄に来たんだから、少しでも海の方に行きたい。そう思って。
「うっわ、綺麗ーっ」
「だねぇ」
 
行ってみると、そこは青々とした海が広がっていた。砂で靴が埋もれるから、早めの段階で靴下などを脱ぎ捨てる。パンツを捲り上げ、早足で海へと突っ込んだ。と言っても、タオル持ってないから、足だけばしゃばしゃだけど。それでも十分、楽しくて。生温い水の温度に、悲鳴を上げた。一気にテンションが上がった私は、気付けない。
「柳」
「ん?、」
 
近付いていた、山元の存在に。
 絶句する私に、山元は近付いて来る。その足は裸足で、いつの間に来ていたんだか。ただ立ち竦んでいると、その距離は急激に縮まって。
 身動きが、出来ない。その瞳に、捕われると。波の音まで、遥か遠くへ消えてしまったようだった。
「神奈に、場所聞いた。二人っきりにしてやるから、とっとと謝って来い、って」
「……そっか」
 
苦笑する、山元。それにただ、頷きを返した。黙って俯くと、その足も水に浸っている。
 今日は、私服行動の日。山元の、白いシャツに黒のジーンズは、シンプルで、でも格好良くて。私はチェックの七分丈カットソーに、白いパンツ。
 本当は。今日のために、買った洋服があった。でも、着る気分になれなくて。可愛くない、あまりに普段通りの私。なのに。
「何か、今日の格好、めちゃくちゃ柳らしいな」
「……っ」
 
笑いと共に、そっと囁かれる。優しい響きに、はっとして顔を上げた。そこには、いつも通り。どこか慈しむように私を見る、山元がいて。途端に、涙腺が緩んだように感じた。
 黙って山元は、ズボンのポケットから、何かを取り出す。
「ほら」
 
何か、小さな紙袋を渡される。見た目からして、ストラップか何かのお土産だと、思うけど。
「受け取って、良いの?」
「とっとと開けろ」
 
確認すれば、こくんと頷かれて。そろそろと、手を伸ばす。一瞬触れた指先に、全身に電流が走ったように感じられたけれど。そんな自分を噛み殺して、白い袋を開けた。
「これ、」
 ――とんぼ玉?
 白い丸いガラス玉に、水色とオレンジの曲線が交差して、描かれて。赤い紐がくくりつけられた、ストラップ。
 声を失った私に、山元は一歩、近付いた。
「お前、体験も最初それやりたいっつってただろ。初日に、土産物屋見てたらあったから」
「〜〜〜」
 
やばい。嬉しい。
 そんな前のこと、覚えててくれたこと。
 私のこと、考えてくれてたこと。
 嬉しくて嬉しくて、息が、止まりそう。
 なのに。
「……」
 
ぎゅ、っと紙袋を持った手を握られて。視線を上げれば、太陽に照らされる、あなたの笑顔。はにかんだような、困ったようなそれに。私の方が、ずっとずっと困ってしまう。
「物で釣るつもりは、別にねぇけど。一応、ホワイトデーの替わり」
「べ、つにいいのに」
「可愛くねぇなぁ」
 
くつくつと笑いながら、そっと私の前髪を掻き上げる。昨日と違う。あくまで優しいその触れ方に、心が、溶けてゆく。変な意地も、悩みも、すうっと消える気がした。
 山元は、私の気持ち無視してどうこうしようなんて、思ってない。それは、今までだって分かってたのに。どうしてか、ちょっとしたことで気持ちが揺れて、本音が分からなくなる。不安になることなんて、ないのに。
「あり、がと、」
 
くしゃ、と撫でられた頭。温もりが愛おしくて、顔を上げて、その瞳を見据えて、言葉にした。顔が赤い。分かっているけれど。それでも、今言わなくちゃ、また意地を張ってしまう気がして。頑張った。
「……、」
 
でも、目が合った山元は大きく目を見開き。しばらく黙った後、視線をあらぬ方向へと飛ばした。首を傾げれば、ぎゅっと握られた手に力が籠る。それが汗ばんで感じるのは、多分。私が極度に緊張しているから、だろう。
「柳、さ。お前、本当に……」
「何?」
 
しばらくして、ぼそぼそと話し始める山元。でもそれは、いつもと違って、はっきりしなくて。ますます分からない。それに、山元の目元がうっすら赤いような――。
「無防備すぎるっ。マジで他の男の前でんな顔すんなよ」
「ひゃうっ」
 
けれどいきなり、目を合わせて、怒鳴られて。驚いて、身を竦めてしまった。ぱしゃり、身体を引いた時に動いた足で、軽い水飛沫が上がる。恐る恐る目を開けると、山元がまた困った顔をしていた。
「頼むから」
「……あ、うん」
 
何の話か、分からなくなってしまったけれど。とりあえず、頷いた。するとホッとした顔で笑うから、多分、間違ってはいなかった、と思う。
 パンツの裾は、さっきので濡れている。帰りは濡れたまま、帰ることになりそうだ。想像してげんなりする。
「柳」
「……ん?」
 でも、そんなのを簡単に打ち破る、愛しい声。ひらり、とんぼ玉が風に揺れて、太陽に反射して。それが過ぎれば残るのは、もっと眩いあなたの瞳。
「昨日、悪かったな」
「あ、べ、別に」
「ただ、悪ふざけのつもりじゃねぇから」
 
その言葉に思わず、え?と固まる。そこにあるのは、久しぶりに見る意地悪な笑顔。ドキドキしちゃう私は、馬鹿かもしれない。もしくはドMか変態?何だっていいや、と思う辺りは、相当山元に馴らされてるに違いない。
「柳に触りてぇって思う気持ちは、嘘じゃねぇから」
 
きらきらと悪戯っ子みたいな瞳の色。真っ黒な髪の隙間に映るそれは、あまりに子供みたいで。可愛い。瞬間的にそう思う。
 そして。
「……うん」
 
――私も、触りたい。
 思わず、そう答えてしまいそうになった唇。流石にまだ、言うには恥ずかしさが先行する。だけど、それは確かに生まれた本音だった。それに、もっと大事なことが残ってる。
「や、ま、元」
「ん?」
 
目の前の白いシャツが、目に反射して痛い。でも、顔を見る勇気はない。黒は熱を集める色らしいけど。だったら、何で頭より、私、顔の方が暑いんだろう。顔がまた、日焼けしたんだろうか。馬鹿なことを考えながら。
 握られたままの手を、握り返す。弱い力だったけど、山元はびっくりしたみたいで。「は?」なんて、間の抜けた声に、思わず笑った。
「あのね、」
 
口がカラカラ。喉が渇いた。でも、それ以上に。
「私、山元のこと、」
 
――心が、あなたに渇いている。
 あなたの存在に、声に、体温に。
 全部、私のものにしたい。心の奥から溢れる欲求は、留まることを知らない。
 不安だったのは、はっきりした言葉がないからだ。この関係に、名前がないからだ。だったら、つければいいと。彼の温もりで、思えた。
 簡単なこと。何を悩んでいたんだろう。こんなに好きな人に、こんなに大事な言葉、捧げられること。先がどうなっても、それは、例えようもない幸せだから――








「あっれー恍と柳ーっこっちにいたんだ!!」
「っちょ!!あっち行こう!!」
「は?何で?二人きりになりたいの?」
「違うわよ馬鹿っ!!」
 ……。
「あれ、やべぇ柳。あと十分くらいで集合時間だ。行くか」
「……」
「話、バスでも大丈夫か?」
 ……

 …………。
 ………………この馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿!!
 タイミング見計らったように出て来たカップルも、あっさり話流す山元も、さっさと話し進めなかった私も、もう全体的に馬鹿!!最低!!せめて五分前に話進めてれば終わってたのに!!
 彼女は空気読んでくれたけれど、もう後の祭りだ。色んな意味で残念すぎる。泣きたいような笑いだしたいような怒りたいような複雑な気持ちのまま、私は首を振った。
「……あーううん、いいやぁ。何の話か、忘れちゃった」
「何だよお前勿体つけといて」
「あはははは……」
 
我ながら、物悲しい笑い声が唇から零れる。さすがに、この空気でもう一回告白!なんてのは私には無理だ。
 しょんぼりしながら、とんぼ玉をポケットにしまい、目の前の背中を追う。コンパスの広い山元は、それでも私と距離が離れることはない。それは、彼が私に合わせてくれるからだ、って知ってる。さすがに、そこまで鈍くはない。
「ほら、さっさと行くぞ?」
「……うん」
 
だけど山元は、思った以上に鈍かったみたいで。黙って頭を抱えた。
 けれど不意に。その背中が、くるりと振り返り。
「ん」
「?」
 
手を出される。大きくて、ごつごつ骨ばったソレ。自分とは違うそれをしげしげと眺めると、呆れたようなため息を吐かれた。む。
「手。出せ」
「右手?左手?」
「どっちでもいい」
 
ぶっきらぼうなそれに唇を尖らせながら、右手を差し出す。すると、ぎゅっと握られた。
「え、」
「坂道だろ。柳鈍くせぇから、危ない」
「ど、鈍くさいって何よっ」
「言葉のまんま」
 
笑って、砂の坂道を一緒に歩く。確かに、足が埋まりやすいそれは、歩きやすいとは言えなくて。
 ちくしょう。これ以上好きにさせて、どうするつもりなんだ。なんて、本人には言えない悪態を、心で存分に吐き出す。
 触れた温もりは、やっぱり私の方が、熱く感じて。それが悔しいけれど、離す気はない。だって、求めていたものが、ここにあるのだから。




ただ、ただ、あなたを思う。
だからこそ、不安にもなるし、変に悩む。
でも、そんなもの。
あなたが側にいれば、すぐに溶けるから。
だからお願い。
決してこの手を、離さないで?
私の側で、ずっと笑っていて――。


  

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