Like A Dream?(6)


 関東大会も終わり、とうとう六月になった。前回の大会は惜しくも県ベスト8の決定戦で負けてしまい、地区予選からのスタート。今日は、インターハイ予選県大会の第一戦だ。ともすれば強ばってしまいそうな頬を、気合いを入れるようにはたいてみんなのところに戻った。
 県大会は、基本的に大きな体育館で行われる。だからみんなの控え場所は観客席だ。先生から今日のメンバーも聞いて、みんなのところに戻ると、そこには恍しかいなかった。
「あれ」
「あ?何だよ」
「や、他のみんなどうしたの?」
「三年はストレッチしに外行ってて、二年はトイレと、一年は応援用の旗準備しに行った。柳と渡辺はドリンク」
 
面倒くさそうに告げる恍に頷きながら、何でこいつは残ってるのか、疑問に思う。恍は首をぽきぽきと鳴らして、怠そうに立ち上がった。
「テーピング、やってた。もう外行く」
 
すぐ横にあった部活のジャージを羽織って、観客席の横の階段を降り、あたしの横に並ぶ。試合前とは思えないくらいリラックスして見えるけど、実際、かなり緊張してるんだろう。コートを見つめる瞳は真剣そのもので、声をかけることすら躊躇われる。自分と血縁関係にあるせいか、雰囲気が似たその端正な横顔を眺めていると、おもむろに視線をあたしにずらした恍。首を僅かに傾げて、「何だよ?」なんて怪訝そうに尋ねてきた。
「別に。緊張してるんだなって思って」
「そりゃ、緊張しねぇ訳ねっつの。美祢とか先輩達よりはマシだろうけど、」
 
そこで一旦言葉を切って、歩を前に進める。一緒に外へ行くつもりだったあたしは、その横を必死で歩いた。
「なぁ、美祢」
「何よ?」
「……」
 
だけど数歩歩いたところで、恍が声を掛けてくる。それに応じると、何の返事も返ってこなくて。不思議に思って、顔を上げる。遙か上にある恍は、苦笑混じりの、不思議な表情だった。
 だけどどうしたの、そう尋ねる暇もなく、恍は口を開く。あたしの思いもしなかった質問を、携えて。
「お前さ、田爪先輩に告白する気、無いのか?」
「、は、」
 
予想外の言葉に、数度目を瞬く。気付いたら、その笑みをにやにやとした意地悪いものにすり替えた恍の、真意が読めない。言葉に詰まったままのあたしを置いて歩き出す奴の背中を必死に追いながら、頭はパンクしそうだ。
 何を、言ってる?
 あたしの気持ちを、知ってるの?
 何だかんだ、鈍い訳ではない恍のことだ、あたしの視線の先にいる人に気付いても別に不思議じゃない。不思議ではないし、隠すつもりもないけど……。
「っ何で?」
「あん?」
「何で、告白とか言い出す訳っ?だって、田爪に彼女がいるのは、」
 ……恍だって、知ってるはず。
 正直、去年の春の一件から恍と田爪が仲良くできるのかが、すごく心配だった。だけどあたしの思惑なんて何の意味もなく、二人はあっという間に仲良しになって。たまに一緒にシューティングしてそのまま一緒に帰る日もあったくらいだ。だから、そこら辺を知らないわけがないし、多分田爪本人からも聞いてるはず。そう言えば予想通り、前を見たまま「そうだな、」と気のない返事。
 じゃあ、何なんだ。あたしに玉砕覚悟で告白しろって?
 そんなこと、出来るくらいならとっくにしてる。する勇気もないし、意味もない。
「あたしは、田爪が幸せなら、いいの」
「今の田爪先輩が幸せだって言うのかよ?」
「っ恍は、見たこと無いからそういうこと言えるんだよ!!……今の彼女と一緒にいる田爪、すごくリラックスしてる」
 
認めたくないけど、口にしたくないけど。
 田爪の笑顔を思い出して、目頭が熱くなるのを堪えながらそう言った。
 だけどいくら反応を待っても、何も言葉を返さない恍を見ると、相変わらず、人を取って喰ったような笑みのまま。
「美祢ってさ、……俺の思ってる以上に、馬鹿なんだな」
「はぁ?」
 
何様のつもりだ、あんた。
 そんな気持ちを込めて飄々とした奴を睨むと、数歩先を歩み始めた恍は、ちょうど体育館の入り口あたりで、あたしを振り返った。
「俺はな、お前がウジウジ悩んでるのが気に喰わねぇの」
「べ、別にいいじゃん、あたしがどうしようと、」
「そりゃそうだ。だけどな、それで田爪先輩まで悩んでるの、気になるんだよ。
 ――俺はあの人のこと尊敬してるし、お前にも昔から世話になってるから、感謝してる。だからその二人が、このままでいるの、俺は、嫌なんだ」
 
気付けば、恍の視線は真っ直ぐで揺るぎないものになり。その表情は真剣で、あたしは思わず背筋を伸ばしていた。女子の一試合目のチームがアップをしている声や、応援席のガヤガヤした声も、聞こえるのに。何故だかその時、恍の声だけが頭に響いて、他は耳を通り抜けていった。
 普段素直じゃなく、憎まれ口ばかり叩く恍が、こんなことを言う。それはあたしにある種の感動と、衝撃と、微かな恐怖をもたらした。
「だ、って、……無理だよ……」
 
惚けたように言うあたしに、恍は少し困ったように顔を歪めながら、静かに問う。
「何が、無理?」
「今更、もう、遅い。あたし、田爪を傷付けた」
 
今でもはっきり蘇る、あの澄んだ茶色の瞳が、泣きそうに揺れた瞬間。あの時、あたしは世界中の誰よりも、自分はひどく、汚い人間なんだとそう思った。
 だからこんなあたしが、田爪にもう一度告白して、何になるのか。それは、あの優しい人を傷付けるだけの言葉にしか成り得ない。
 だけどそんなあたしの思いを、恍はふっと鼻で笑った。
「遅いとか、お前言ってるけどさ。本当に、遅いのか?」
「……え……?」
「まだ何もしてねぇじゃん、お前。そこから、一歩も動いてねぇだろ」
 
そう言って、足下を顎で示される。そこはただの床なはずなのに、何故かあたしには、桜舞い散るグラウンドに、見えた。
 田爪に恋した、一年の春のように。
「動く前からグダグダ抜かしてねぇで、ちっとは先輩に、言ってみろよ。もしかしたら、先輩もお前のことで進めなくなってるかもしれねぇだろ」
 
田爪が?あたしの、せいで?歩みを、止めてしまっているのだろうか。その言葉は限りなく嘘くさいけど、でも、あたしまだ、田爪に本当の思い、一度も伝えてない。あの時のあたしの態度は誰が見ても、田爪を想っているだろう。だから田爪は、未だにあたしと完全な友達に戻れないのかな――
 それは、限りないあたしの希望だったけど。それでも確かに、恍の言葉はあたしを揺らした。
 ずっと引っ掛かっていたものが、すとんと胸に納まったようで。
「お前さ、気付いてないかもしんねぇけど。田爪先輩といる時、すごいいい顔、するぜ?普段の三割り増くらい」
「……何それ」
「言葉のままだろ。ま、元が微妙だけどな、少し見れるようになる」
 
馬鹿にしないでよ。何なのよあんた本当に、何様よ。何で、そんなこと言ってくれるの。期待したくないって言ってるのに、そんなにさらりと言っちゃうの。
 泣きたいような気持ちになりながら、力無く笑うあたしに恍は意味深な笑みを浮かべて。

「……なぁ?まだ、始まってねぇじゃん、先輩と、美祢。このまんまだと、一生後悔するぜ?伝えたいこと、言えよ、今の内に。例えふられても、今のまま終わるより、お前はずっと先に進めるはずだろ」

 はっきりした声音で、そう告げた。
 そのまま、片方の頬だけ持ち上げて、皮肉げに笑い、外へと出て行く。あたしは俯いたまま、一粒だけ、涙を零した。込み上げる笑いをどうにもできないから、少しだけ、笑って。
「まっさか恍に恋愛教わるとはなぁ……」
 女性
不信に近かった、もちろん恋愛なんて鼻で笑ってしまうような恍に、あんな自信満々で、あんなに優しい言葉を貰えるとは思わなかった。
 それを恍に教えたのは、間違いなく、後輩の瑞希。無邪気な微笑みの彼女と、それを優しい目で見る恍を思って。あたしも、そんな風になりたかった、と一人ごちた。胸の奥で微かにともった希望の灯に、ぐっと唇を噛み締めて。


* * *

 その大会から、一週間後。
 去年の県制覇校である、吉岡高校に当たり、あたし達は県ベスト八という成績を残して、引退に相成った。
 みんな最初は堪えてたんだけど、部長任命の時の田爪と恍に、涙腺が刺激されたらしく。大勢で泣きながら、仲いい人同士、固まって話をしていた。あたしは瑞希と、二個下のマネの咲に支えられて、涙を流した。

 
バスケを通じて田爪と、出会い、恋をした。
 たくさん苦しいことも、悲しいこともあった。
 でも、みんなの一番側で、勝つ喜びを、チームが繋がる嬉しさを感じた。
 あたしの三年間の部活は、最高の形で締めくくれた。
 胸を張ってそう言える部活に入れたことが、ひどく嬉しかった。
 口には出さないけれど、心の底からそう思えた。

 
解散の後、マネージャー三人で夕飯を食べて、その後カラオケに行った。翌日は学校もあるし、そんなに長居はできなかったんだけど、それでもすごく楽しかった。たくさん笑ってたくさん泣いて、駅前で自転車の咲と別れて、瑞希と二人で電車を待つ。
 その時、あたしは瑞希に初めて、田爪を好きだ、その事実を告げた。驚いた様子の瑞希は、しばらく固まって、それから大きく叫んでいた。それに笑いながら、つらつらと過去から今までへ続いた、あたしの気持ちを話す。気付けば涙ぐんだ様子の瑞希に苦笑しながら、頭を撫でて恍に話題をすり替えた。
 我ながら、ずるいと思う。だけど、これ以上話を続けると泣きそうな自分を自覚していたから、必死で堪えた。
 一息吐いて、電車が来るアナウンスを聞きながら、立ち上がる。徐々にホームに滑り込むそのライトを遠くに見つけながら、口を開いた。余計なおせっかいとは、重々承知しながら。
「瑞希が、あいつをどう思ってるか、あたしは知らない。だから、口出す権利も無い」
「……」
「……だけどもし、距離を縮めるのに怯えるから、振ることを考えたなら、止めときな」
「?」
「あんたには、あたしと同じ後悔、して欲しくないの。本当に好きな人と、心から結ばれて、幸せになって欲しい」
 
――瑞希が、恍を好きになるなんて、それは分からない。全く違った人を好きになるかもしれない。
 だから、だけど。あたしは、恍を本当の意味で任せられるのは瑞希しかいないって思った。まぁ、瑞希なら。あたしみたいな、馬鹿なミスはしないんだろうけど。何だか笑えてきて、小さく苦笑をこぼした、時。
「、」
「え、」
 
急に手首を引っ張られて。振り返るその先には、瞼を真っ赤に腫らした瑞希が、緊張した面持ちで、立っていた。疑問と、驚き。そんな感情を分かっているのか、いきなり口を開く。
「まだ、終わりじゃないと思います」
「え……?」
「まだ、先輩何も伝えてないじゃないですか。……もう、距離を縮めて辛いことなんて、きっと無いから。
だから、〜〜〜っああもうっ」
 
唐突に吐き出される、意味の分からない言葉。でも、その言葉には確かに聞き覚えがあって。困ったように唸る瑞希を、あたしは妙な既視感を覚えながら、聞いていた。
 だけど、話を聞いている内に、思い出す。

「私、田爪先輩の側にいる美祢先輩が、一番好きなんです」
 違う。これは、既視感じゃない。
「幸せ、そうで、楽しそう、で、一番、ありのままの美祢先輩だと思います」
 
言葉は違うけど、これは。
「先輩の気持ち、言ってください。田爪先輩に。それでどうなったとしても、きっともうこんな後悔しないで済むと思います。
 ……だってまだ、終わってない。これから、始まるんです。自分に素直にならなきゃ、一生後悔する日が、続くから……」
 
――恍が言った言葉と、同じじゃない。

 不安げに、瑞希があたしを見つめているのを自覚しながら、あたしは何にも言葉を返せなかった。
 ねぇ、あんたらそれ、狙ってないんでしょう?あまりにそっくりな二人に、あたしは思わず。
「……っ、ぷっ」
 
吹き出してしまった。
 あたしの反応を不思議そうに眺めている瑞希には、悪いんだけど。しばらく止まりそうにもない。まさかこんなに、似たもの同士だとは思わなかった。
 だけど、これで決心、ついたよ。心の中で、生意気な従兄弟と、お人好しな後輩に、お礼を言いながら。
 あたしは、笑って電車に乗り込んだ。久々に、自分そのままの、笑顔で。




もう今更、遅いって。
口にするばっかりで、確かにあたしは何にも言ってなかった。
迷惑かもしれないけど、今更蒸し返すのも問題ありだとも、思うけど。
だけど、もう少しで、卒業なんだ。
どう転んだとしても、最後に。
この気持ちだけ、田爪に伝えたい。――あんたが好きだよ、って笑ってやりたい。
二人の言葉を思い出しながら、田爪にメールを送った後、また少し、一人車内で笑った。


  

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